奈良コスミックジュニアブラスバンドってどんなバンド
奈良コスミックジュニアブラスバンドは、1994年に創設されたコスミックブラスバンド(中学生〜社会人 までの部員で構成される一般バンド)の下部組織として2004年に創設されたバンドだ。
  メンバーは、奈良県下のそれぞれの小学校のバンドに所属・活動しながら、コンクールに出場するな どもう少しもう少しレベルの高いところで自分磨きをしたいと思っている児童で組織している。よって、編成は毎年参加するバンドも人数も違い、その年に編成されたメンバーで絵を描いていくという新たなバン ドスタイルといえるのではないだろうか。しかし、合同練習は、毎年大会までに数回(10回以上行うこと は絶対に無理)しかできない。それぞれのバンドで練習を重ね、集中して合同練習をしなければならないしんどさもある。
  演奏形態は、コスミックブラスバンドがそうであるように、英国式の金管バンドのスタイルをとっている。
  2004年夏、県下から河合第三小学校・鳥見小学校・生駒台ジュニアブラスバンド・吐山ブラスバンド・磐城小学校金管バンドなどのバンドから約50名の部員が集まり、第23回全日本小学校バンドフェスティバル関西大会において「リバーダンス」を演奏し、レベルの高いパフォーマンスで審査員、観客の心を魅了した。審査結果は、優秀賞・グッドサウンド賞を受賞するが、惜しくも全国大会への推薦は得られなかった。
  2005年2月には、あすか野ブラスバンド・桜井南小学校金管バンド・都跡小学校マーチングバンドなどのメンバーが加わり再編されたバンドで沖縄に遠征し、バンド交流を行う。
  2005年夏には、あすか野ブラスバンド・河合第三小学校&モア・桜井南小学校金管バンド・吐山ブラスバンド・磐城小学校金管バンドのメンバー120名による大編成のブラスバンドを組織し、再び第24回全日本小学校バンドフェスティバル関西大会に出場した。演奏曲目は、有名なチャイコフスキーの「大序曲1812年」。前年同様、審査員・観客から高い評価を得、優秀賞・グッドサウンド賞を受賞するが、全国大会出場という夢は叶えられなかった。しかし、子ども達は、大勢の仲間とともに、多くの素晴らしい思い出を残すことができた。
  2006年1月には、生駒山麓公園ふれあいセンターで3日間の合宿をし、そこで更に友情を深め、同1月に行われた第21回奈良県小学校金管フェスティバルにおいて「マンボNo,5」「ハスケルのあばれんぼう」を演奏した。
  2006年夏、3年目を迎えたコスミックジュニアブラスバンドのメンバーは、桜井南小学校(47名)・河合第三小学校&モア(33名)・あすか野ブラスバンド(30名)・磐城小学校金管バンド(2名が参加)の112名で再結成された。今年度からは、あすか野・モアの3・4年生によるダンスチームも結成しコンクール目指して練習に励んでいった。
  そして、8月18日第25回全日本小学校バンドフェスティバル関西大会では、「踊る大捜査線」を演奏演技し、、優秀賞・グッドサウンド賞を受賞そして、なんと初めて全国大会出場の推薦を頂いた。
  全国大会出場が決まってからも合同練習はわずか5日間!しかしこれが我々のスタイルである。数少ない練習の中で、心を合わせ頑張ってきた。
  そして迎えた11月18日(土)千葉県幕張メッセで行われた第25回全日本小学校バンドフェスティバル全国大会では、我々のもてる力を最大限出し切り、最高のパフォーマンスを披露することが出来た。結果全国大会出場35団体中12団体に贈られるグッドサウンド賞を獲得することが出来た。大変身に余る光栄であると共に、その重さをひしひしと感じる日々である。
  これからは、追う身から追われる身へ!大変な重圧であるが、我々の出来ることを無理をせず一歩一歩階段を登りって行きたい。  
 4月21日(土)奈良県吹奏楽連盟の総会でいきなり合同バンドのコンクールを認めないプリントが配布された。意味が分からず、洞出先生に任せていた総会に出席するといきなり理事長より、明らかにCJBBのコンクール出場を認めない内容であった。昨年全国大会に出場したときにクレームがついたようである。内容は、CJBBを襲った衝撃を参照!
 5月、すでに2007年度のCJBBがスタートしていたのでこのままCJBBを解散するわけにはいかず、合同バンドを認めるマーチング連盟に加盟し、新たなるスタートを切った。
 8月、CJBB3回目の合宿を行い、必死にマーチングの練習を行うなどもがき苦しむCJBBであった。
10月28日(日)第29回マーチングバンド関西大会に出場し、初出場で関西代表として全国大会に推薦された。