---------- 車両解説 ----------

コ7形

 信貴山口〜高安山間1.3kmの鋼索線。1920年(大正9年)12月15日から信貴山電鉄が信貴山口〜高安山間1.3kmのケーブルは山上の平坦線と同時に開業した。1921年(大正10年)11月2日付で信貴山電鉄は信貴山急行電鉄に改名、戦時中の1944年(昭和19年)1月7日付をもって、不要不急路線として山上線と共に営業を休止、軌条は撤去され信貴山急行電鉄は同年4月に関西急行鉄道に合併された。1957年(昭和32年)3月21日から再び営業は再開されたが、山上平坦線は復旧されないまま同日付で営業廃止となった。
 巻上機は三相交流3150V、60Hzで速度は毎秒3.25m。車両のコ7形(7・8)は1957年(昭和32年)に近鉄としては珍しく、日立笠戸工場で新製下もので、全長13.8m、幅2.74mの3扉車と大型である。座席は中央扉より山上寄りは対向式、下側は眺望を良くするため下向きとなっている。定員は座52人、立118人の計170人である。コニ7形7・8と称する荷重1tの貨車を山上側に連結使用できるが、その際定員は139人となる。尚、コ7には「ずいうん」、コ8には「しょううん」の愛称が付けられている。また後年寅のイラストが車体に描かれたが、現在は登場時の塗装に復元されている。
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コ8の”しょううん” 寅が描かれたコ7の”ずいうん”

2022年 5月 1日 更新

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