---------- 車両解説 ----------

コ9形

 信貴山の東側から信貴山への参脂ルートを確立しようと、関西線の王寺から鉄道で信貴山下に、ここからケーブルに乗り継いで山上に連絡すべく1921年(大正10年)5月に信貴生駒電気鉄道の手で開業した。1964年(昭和39年)10月に近鉄に合併、近鉄では大阪側にケーブルを所有していたため、東ルートに当たる同線を東信貴鋼索線と名付け、単に信貴鋼索線と呼んでいた大阪側のケーブルを西信貴鋼索線と呼ぶようになった。巻上機は当初DC600V、出力200馬力であったが後にDC500V、125馬力となった。速度は毎秒2.85m。
 車両は1933年(昭和8年)2月の藤永田造船所製で車体長10.3m、定員は座席28、立席88の計116人である。信貴生駒時代の旧番はコ9が1、コ10が2である。
 同線は1983年(昭和58年)8月31日をもってバス輸送に座を譲り、営業を廃止した。同線廃止後、近隣の三郷小学校にコ9が長らく静態保存されたが、クラウドファンディングによる同車の信貴山下駅里帰り計画を実現させ、2021年(令和3年)に信貴山下駅前の一角に展示保存された。
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間もなく信貴山下駅へ到着するコ9 信貴山下駅に停車中のコ10
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信貴山下駅前に保存されるコ9、現在は屋根が付いた

2022年 5月 1日 更新

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