Vol.1515

8000系を振り返って

 昭和年代の近鉄電車ファンは8000系と言えば奈良線を代表する主力車両、その世帯数も大きく時代の変化とともにその形態も様々なものが存在しました。一般車両改革の波がやって来た現在、8000系の存在も風前の灯火となりましたね。過去元気に活躍していた8000系の過去の姿を少し振り返ってみることにしました。

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8023Fは8000系初期車において冷房改造の試作車に抜擢された編成ですが、改造工数・費用面で採算が取れなかったため一旦この編成で改造工法が見直されました。8600系と同じクーラーキセを持つ貴重な編成でしたね。
1981年 3月17日(火) 西大寺   8523 + 8203 + 8703 + 8023 
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回生化改造が施工される前の8000系初期4連車は冷房改造時期が割と早く、この写真の撮影時には既に冷房が付いていました。
1981年 4月 橿原神宮前   8026 + 8706 + 8206 + 8526 
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アルミ試作車の8069F、見るからに厳つい表情をしていますね。この当時の西大寺駅5番線はここで行き止まりでした。
1981年 4月 西大寺   8069 + 8720 + 8220 + 8569 
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八木西口駅でのスナップ。80番台では8085Fと8087Fは早い時期に冷房改造を受けましたが、改造時のパンタ・冷房装置の配置から回生化からは除外され、その結果80番台では短命に終わってしまいました。
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回生化改造を受けて間もない頃の8706F。前面には行先表示器が設置されました。
1982年 7月25日(日) 八木   8526 + 8206 + 8026 + 8706 
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70番台では唯一4連だった8713F、中間車番からすると8063Fのものをそのままこの編成に組んで回生化された感じですね。(写真は回生化前)
1982年 7月28日(水) 西大寺   8573 + 8213 + 8713 + 8073 ほか
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インバータ車が登場するまでは、奈良線増結車は8000系初期2連車や900系が担っていました。
1982年 7月28日(水) 西大寺   8049 + 8549 ほか
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京都・橿原線ローカルでは、3連化された70番台を見る機会が多かったですね。中間車は3連化時に8800系と同形態の車両が新造されました。
1982年 9月 6日(月) 畝傍御陵前〜八木西口   8077 + 8277 + 8577 
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2色塗装化後の60番台4連車。回生化からは除外されていました。
1993年 7月11日(日) 新田辺〜富野荘   8062 + 8712 + 8212 + 8562 
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奈良線急行の運用に就く8085Fほか8連。ラインデリア車のみの編成も日常的に見ることが出来た時代でした。
1993年 7月11日(日) 西大寺〜新大宮   8085 + 8725 + 8225 + 8585 ほか
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残念な形になってしまったアルミ車を組み込んだ8074F、この撮影当時はまだアルミ車の運転台はそのままの状態でしたが、後に機器が撤去され先頭に出ることが皆無となりました。
1993年 9月26日(日) 今里   8074 + 8569 + 8069 + 8720 + 8220 + 8574 
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橿原線ローカル運用に就く8000系初期車の4連。
1994年 4月 2日(土) 平端〜ファミリー公園前   8530 + 8210 + 8030 + 8710 
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900系が生駒線に集中投入されていた時でも時折り8000系初期車がそれに混じって姿を見せていました。
1994年 7月24日(日) 一分   8533 + 8033 ほか
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京都線急行の先頭に立つ8000系初期車の8032F。
1996年 7月27日(土) 新田辺〜富野荘   8032 + 8532 ほか
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インバータ車とともに奈良線準急の運用に就く8000系初期4連車、屋根上に並ぶベンチレータが懐かしいですね。
1997年 8月24日(日) 富雄   8525 + 8205 + 8025 + 8705 ほか
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2025, 3,29

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