Vol.1528
マッチ箱電車
何ともおかしなタイトルですが、かつて近鉄北勢線や内部・八王子線に走っていた戦前・戦後車両は一見すると真四角でマッチ箱(このアイテムももう死語かも)に見えるので、そのように比喩されていたようにも記憶しています。私が初めて内部・八王子線へ訪問した時はまだモニ210形・220形、サ150形が在籍しておりその平面的な車体を見ることが出来たのですが、程なく新鋭260系グループに置き換えられてその姿を見られたのは僅かでした。あまり走っている姿を見ることが出来なかったサ150形とその他”マッチ箱電車”の晩年の姿を並べてみることにします。 |
![]() |
|
初めて内部駅に訪れたのは1982年の正月、目の前を横切って行ったのはモニ225を先頭とした3連でした。モニ225は事故復旧車で前面はHゴム支持の2枚窓となりました。 | |
1982年 1月 5日(火) 内部 225 + 151 + 229 |
![]() |
内部駅西側留置線にはサ156ほかの姿がありました。夕日で車番が潰れてしまいました。 |
1982年 1月 5日(火) 内部 156 |
![]() |
同年の8月には2回内部・八王子線へ訪れています。この頃はまだ四日市駅構内で車両の増解結を行い、Mc車の機回りを見ることが出来ました。作業員の姿も見えますね。 |
1982年 8月30日(月) 四日市 229 ほか |
![]() |
内部行きの先頭に立つモニ227、モニ227〜229は戦後製でウインドシルが平形となってリベットが無くなりました。 |
1982年 8月30日(月) 四日市 227 ほか |
![]() |
内部駅へ行くと、留置線にサ150形の姿が複数ありました。機回りの縮小でMc車を重点に運用されていったせいか(憶測)、製造年の古い中間付随車のサ150形は車庫で休む機会が増えたのかもしれませんね。 |
1982年 8月30日(月) 内部 151 |
![]() |
サ150形が4両繋がって留置されていたので、1両づつ記録、サ151の隣サ155でした。乗降扉窓は両側1枚窓ですが、他の車両を見ると2段2枚のものと1枚窓が混在していますね。2段2枚窓がオリジナルだったのかもしれませんね。 |
1982年 8月30日(月) 内部 155 |
![]() |
サ155の隣は、サ153が繋がっていました。 |
1982年 8月30日(月) 内部 153 |
![]() |
四日市側に連結されたサ154、サ151もそうでしたが、2段2枚の乗降扉窓の桟の位置が側窓の位置よりも低いですね。 |
1982年 8月30日(月) 内部 154 |
![]() |
内部駅の東寄り留置線にモニ225と繋がったサ152の姿がありました。 |
1982年 8月30日(月) 内部 152 |
![]() |
四日市方面から電車がやって来ました。中間にはサ157が連結されていたので慌てて記録。この日運用中のサ150形を見たのはこの1両だけでした。 |
1982年 8月30日(月) 内部 157 |
![]() |
260系が出揃ってきた1983年、内部駅に行ってみると既に休車状態となったモニ220形やサ150形の姿が留置線にありました。 |
1983年 5月 1日(日) 内部 226 |
![]() |
車庫線西端に留置されるサ154ほか。内部線でのマッチ箱電車はこの日が見納めとなりました。 |
1983年 5月 1日(日) 内部 154 |
2025, 6,28
記事および画像の無断転載はお断りします
© 1999 大和路ポストマン