Vol.xx01
マルーン6000系回想
奈良線8A系も編成を増やし、近鉄線上の車両風景も変化してきた昨今ですが、それらはSNS情報で画像も情報も溢れてきている中では既について行く気力もなく、ネタ切れの時はやはり原点に戻って過去の記録の拾い集めをしていきたいと思います。当ページ開設後には系式別に紹介してきたのですが、もう26年もやっているので、再特集や記録の再掲示もご容赦願います。^^; とりあえず今回はマルーン色時代の6000系を並べてみました。 |
![]() |
|
お正月の橿原神宮前駅、7番線に停車中の6000系尺土行き普通を撮影。近鉄電車の記録を始めて間もない頃で、家のカメラで撮影するのも慣れていない中、割りと綺麗に仕上がった一枚でした。お正月の晴れ着姿も今ではあまり見なくなりましたね。 | |
1981年 1月 1日(火) 橿原神宮前 6013 + 6014 + 6153 + 6107 |
![]() |
しばらくすると天気が急変、雪が降って来ました。橿原神宮前駅6番線に到着した6003F急行も何となく寒そうですね。5番ホームは初詣客で賑わっています。 |
1981年 1月 1日(火) 橿原神宮前 6003 + 6004 + 6102 + 6112 |
![]() |
橿原神宮前駅から当時最寄りの橿原神宮西口駅に戻って来ました。6001Fの尺土行き普通電車が到着。この頃はまだ普通電車は2〜3両編成での運用が多く、正月運用の4両編成普通電車は新鮮に見えました。 |
![]() |
記録を始めた頃は、既に阿部野側のMc運転台と若番Tc車の運転台は撤去済みでしたが、機器撤去のみで運転室や乗務員扉はまだ残されていました。 |
1981年 4月 吉野口 6004 |
![]() |
吉野口駅で特急と交換を行う6007F阿部野橋行き急行。当時は特急通過駅だったかな。 |
1981年 4月 吉野口 6007F/16005F or 16008F |
![]() |
こちらは運転台撤去のTc車。この日は吉野口駅でこの1枚だけを撮影しているのですが、当時の訪問意図は憶えていません。 |
1981年 5月 吉野口 6102 |
![]() |
橿原神宮前駅4番線に停車中の6003F吉野行き急行。6007Fまでは中間M、Tが元運転台付き車の組成となり編成番号も変速的になっていました。 |
1982年 2月11日(木) 橿原神宮前 6112 + 6102 + 6004 + 6003 |
![]() |
6000系の中では唯一3両編成の6015F、普通運用の姿を見ることが多かったように記憶します。 |
1982年 2月14日(日) 橿原神宮前 6015 + 6016 + 6108 |
![]() |
当時は上り1本のみの区間急行の運用に就く6001F。6001〜6004・6101・6102は以降登場車の車体規格が変更されたため、窓サイズや形状など細部に違いが見られます。 |
1982年 3月27日(土) 橿原神宮前 6001 + 6002 + 6101 + 6111 |
![]() |
「近鉄万歩ハイキング」ツアーの貸切運用に就く6013F。なかなか見ることのできなかった愛称板なので、橿原神宮前駅到着前に見かけた場所から自転車を必至に走らせて何とか撮影に間に合ったという1枚。 |
1982年 7月 4日(日) 橿原神宮前〜岡寺 6013 + 6014 + 6153 + 6107 |
臨時快速急行「ぼたん号」の運用に就く6009F。四季折々の愛称列車が豊富だった当時が懐かしいですね。 |
1983年 5月 3日(火) 橿原神宮西口〜坊城 6105 + 6151 + 6010 + 6009 |
![]() |
ラストナンバー6017Fはク6109の運転台撤去車が組み込まれていました。後に後期車とともに養老線(現養老鉄道)へ転属しました。 |
1983年 6月26日(日) 古市 6017 + 6018 + 6109 + 6114 |
2025, 7, 6
記事および画像の無断転載はお断りします
© 1999 大和路ポストマン