卒業式を普通名簿で!!

混合名簿のことを調べ始めたのを切掛けに、少し考えてみた。


イキナリ結論:
 尚、この文章ではジェンダー=性差という意味でこの言葉を使おうと思っています。後述の書籍より、加藤秀一氏、斉藤環氏の文章で、世の人々を男・女と二分してしまうとその概念から漏れてしまう人達がいるので、男女平等よりはジェンダー平等と言った方が良いという説を知りまして、それを踏襲します。
 それから、本や、インターネットサイトから拾ってきた言葉をいくつか引用させていただいたり勝手に解釈したりしておりますが、正確でない場合があります(というか、殆ど只の雑感レベルです)。当ページはもちろんリンクフリーですが、孫引きはご遠慮ください。

寝た子が起きた切掛けは?

 事の起こりは、この、出不精かつ冷え性の私が何の因果か娘の2年先輩の中学生たちの卒業式に来賓として出席するという事態の発生でした。娘が中学一年生の終わりの三月の話です。幼少の頃から、来賓席を斜めに見て、『きっとあそこのテーブルの下にはヒーターか何かが仕込んであって、暖かくなっているのよね。何しろお客様用のお席ですもの。』と心の中で思っていたのですが、さに有らず。寒い。なまじ目立つ席だけにコートを着る訳にも行かず、霙降る中、身体の芯まで冷え切った…と言う様な話は脇に置き。


 自分が小・中・高校生で体験した卒業式は、卒業証書を持つ校長が客席に向かって正面に立ち、証書を受け取る側の生徒は客席に背を向けて立ち、壇を挿んで証書のやり取りをしていたのです。でも、初めて来賓席から見た卒業式は、客席から見て校長先生と生徒が並行に立ち、壇を挿まずに卒業証書を渡していた。つまり校長先生の右側面と生徒の左側面を臨席者は見る状態ですね。
 生徒がちょっと照れて、校長先生に右手を差し出して、先生もにっこりしながら握手したりして、『えぇぇ、何かこの卒業式、すごく権威の押し付けっぽくなくて素敵じゃないの!』と心の中で思ったのでした。
そして。皮肉なことに、その水平な感じから…一つ余計な違和感が生まれてきてしまったのです。『あれ?何で1組の男子→1組の女子→2組の男子→2組の女子→…と名前が呼ばれるのだろう?』
それまで、いわゆる男女別名簿に、全く違和感を持ったことが無かったのに…何ということでしょう(涙)??

 そのときに覚えた違和感はしばらく封印。でも、ネットで同じような卒業式風景についての記述を見つけたときに、ああ、そういえば…と思い出したのは子供が中学3年生になった6月のことでした。
 今現在、ネット検索で『男女混合名簿』を調べると、結構刺激的なことになっています。男女混合名簿を使うと性犯罪が増えたり、男らしさ・女らしさが無くなったりすると書いてあるサイトが多かったり。これが、所謂ジェンダーフリーバッシングとかバックラッシュとか呼ばれる人達のサイトとの初めての出会いでした。
 また、2004年8月16日、東京都教育委員会から都立学校長向けに、『「ジェンダー・フリー」に基づく男女混合名簿を作成することがあってはならない。』という通達が出て、その時にあちらこちらで議論が盛り上がったらしい痕跡が見つかりました。今はもう、流行ってないですねぇ、『男女混合名簿』論争…。

ジェンダーの歴史を年表にまとめてみる

 ネットで混合名簿について調べて暗澹たる気持ちになり、 Web日記で混合名簿についてブツブツと呟き続けていたら、ウーマン・リブ、反バックラッシュ関連の本を紹介してくださる方がいらっしゃいまして。少し勉強しようと思い立ちました。何の予備知識も無いまま4冊ほど関連図書を読みました。その後、そういえば女性の参政権って何時頃から?など疑問も浮上したので、順序は逆になりますが、Wikipediaや書籍『バックラッシュ!』の記述から拾って年表を作ってビジュアル化してみましたのでよろしかったらご覧下さい。

《ジェンダー関連年表》
*西暦**元号*何年前?出来事
1869年M02年138関所を女性が自由に通行できるようになる。
1872年M05年135芸娼妓解放令
    (芸妓と娼妓の無条件解放が布告され、公娼制度は残されたが制限された)
1873年M06年134妻からも離婚訴訟ができるようになる。
女子のための職業訓練所開設
1880年M13年127戸主限定で女性参政権が認められる
1890年M23年117【逆行】女性の政治活動を禁止。
    (政治演説を聴きにいくことも禁じられ、戸外で三人以上集まるときは警察に届けなければならない。)
1925年T14年82男性のみの普通選挙開始
1945年S20年62終戦
改正衆議院議員選挙法公布
    (11月、女性の結社権が認められる。12月女性の国政参加が認められる。)
    【男性のみの普通選挙開始から20年後】
1946年S21年611月のGHQによる公娼廃止指令
1958年S33年49売春防止法の施行
    (いわゆる、赤線の廃止)【公娼廃止指令から12年かかった】
1959年S34年4860年安保(3月〜翌年6月)
1968年S43年3970年安保が活発化
1972年S47年35勤労婦人福祉法
あさま山荘事件
『いのちの女たちへ』田中美津(著)
1975年S50年32《行動する女たちの会》発足
1985年S60年22《行動する女たちの会》により、混合名簿実現へむけての運動開始
     ―バックラッシュ!P344,長谷川美子氏記事より―
    【ジェンダー・フリー概念が生まれる10年も前のこと】
男女雇用機会均等法
1995年H07年12ジェンダー・フリーという言葉が最初に登場
    ―バックラッシュ!P246,山口智美氏記事より―
1996年H08年11《行動する女たちの会》解散
1999年H11年8男女共同参画社会基本法
2001年H13年6【逆行】バックラッシュ顕在化『保守系の出版物において、反男女共同参画キャンペーン開始
    ―バックラッシュ!P265,山口智美氏記事より―
2004年H16年3【逆行】8月16日、東京都教育委員会から都立学校長向けに、『「ジェンダー・フリー」に基づく男女混合名簿を作成することがあってはならない。』という通達が出る。
2005年H17年2『新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす』西尾幹二, 八木秀次 (著)
2006年H18年1『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』上野千鶴子, 宮台真司, 斎藤環 , 小谷真理 他(著)
『ジェンダー入門―知らないと恥ずかしい』加藤 秀一 (著)
2007年H19年0改正・男女雇用機会均等法
    (男性に対しても差別撤廃)

 バックラッシュ派の方々(特にバックラッシュ派の女性の方)は、この年表をどこまで遡りたいのだろう?と悩みます。どこまで遡ってみても、やっぱり女性は今が一番自由なシステムの中を生きている、ように見えます。
 言論の自由が無かった時代に、安易にノスタルジーを感じるのは危険なんじゃないかと思うのです。自分以外の人間が自分に逆らわない…という状況に憧れる方がいらっしゃるのかもしれませんが。ちなみに、私には全能感みたいなものは殆ど無いので、後述する『ジェンダー入門』P187に有るように、“民主主義の本質は多数決などではなく、「議論を尽くす」ということにあるのです。”に強く魅力を感じます。

ジェンダー関連の本を読んでみる

読んでみた本は年表にも記載していますが次の4冊です。

  1. 『いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論』田中美津(著)
  2. 『新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす』西尾幹二・八木秀次(著)
  3. 『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』上野千鶴子、宮台真司、斉藤環、小谷真理、鈴木謙介、後藤和智、山本貴光、吉川浩満、澁谷知美、ジェーン・マーティン、バーバラ・ヒューストン、山口智美、小山エミ、瀬口典子、長谷川美子、荻上チキ(著)
  4. 『ジェンダー入門―知らないと恥ずかしい』加藤秀一(著)
発行年月日順

以下、読んだ順に個人的な感想文を書いてみます。

『いのちの女たちへ とり乱しウーマン・リブ論』田中美津(著)
  日本のウーマン・リブの初期のころから運動に加わった方が、リアルタイムに書かれた本です。リアルタイムであるがゆえ、当時の空気を色濃く伝えているということにとても価値が有る本だと思います。反面、時代の空気とか、当時当たり前に使われた言葉などが私には分からず、その辺に読みにくさも感じました。例えば、『バリストって何?』とか…。単に自分が物知らずなだけで、もちろん作者のせいでは無いわけですが。

 印象深いのは表現の過激さです。長く長く続いてきた、男性がメイン・女性がサブという役割分担。当然の様に押し付けられる男らしさ、女らしさという規範(男だから〜べき、女だから〜べき、ということ)。その状態に慣れすぎて鈍感になってしまっていた世間に対して、『意義あり!』と大きな声を上げるために、きっとこの語り口が必要だったのだろうとは思うのですが。

 私がこの本を読んで理解したことによれば、

日本のウーマン・リブの生い立ち:
ウーマン・リブの立場からの一夫一婦制に対する疑問:
 今は当時よりも離婚の重みも減りましたし、これでジェンダーによる経済格差が無くなれば、一夫一婦制は一概に悪いものとも思えないのですけれども。というより、現在のシステムでも働きながらの育児は近所に住む気の置けないおばあちゃんとか、献身的な人の助けがないと結婚していたとしても難しいです。専業主婦でも大変な場合もあります。子供100人居れば100人全員違いますから。少子化対策には、どんな子供が生まれてきても母親が明るく生きていける環境を保証していただけたらと望みます。
 そして、今切実に望むのは、主婦からの再就職をもっともっと流動的にして欲しいということ。“主婦は立派な職業”などと言われつつ、結局履歴書に主婦暦20年とか書けないです。キャリアに20年空白が在ると見なされるだけです。“差別はないが区別はある(c)山下洋輔”の二重構造をここに感じてしまうのです。(ついでにと言っては何ですが、就職氷河期に就職できなかったり、人余りで他の世代よりも大切にしてもらえなくてニートになってしまった人達の再挑戦の受け入れも望んでいます。ジェンダーとは関係ないかもしれないですが、キャリアに空白ができてしまっているという点で似た立場だと思うのです。)

ドッキリさせられた言葉:
『ジェンダー入門―知らないと恥ずかしい』加藤秀一(著)
 ジェンダーとは何か? から始まってバックラッシュまで親切で丁寧な説明があります。ジェンダーについて知りたいけど、基礎知識が全く無いという方にお勧めです。
第5章のタイトルは“「女なら女らしくしなさい」は論理ではない”。言われてみれば本当にその通り。読んだ直後に日記にも書きましたが、四角形の性質を持つ多角形のことを四角形と定義しているので、四角形に対して「四角形らしくしなさい」というのは変ですよね。同様に、女性らしくない女性が居るとしたら、その“女性らしさ”が間違いなのです。
また、「〜である」と記述されるのが性差で、「〜べき」と記述されるのが規範(ジェンダー役割の押し付けなど)の目安だということ。表面的には「べき」という語句を含まない文が、実は規範的な意味を隠し持っていることがあるので、注意が必要とのことです。

『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』上野千鶴子、宮台真司、斉藤環、小谷真理、鈴木謙介、後藤和智、山本貴光、吉川浩満、澁谷知美、ジェーン・マーティン、バーバラ・ヒューストン、山口智美、小山エミ、瀬口典子、長谷川美子、荻上チキ(著)
 フェミニスト、もしくはフェミニストではないけれどもバックラッシュに物申すことがある方々が執筆の本。コラムを含めて18の記事が載っています。論文の類(?)を読み付けてないと読みにくい記事もいくつかあり、ちゃんと理解するのは多分大変なことだろうと思います。それと、『反・バックラッシュの意見も、十人十色でこれが正解というものは無いんだなぁ…』という感慨も味わえます。
 先頭の宮台真司氏のインタビューが一番読み難くてのっけから凹みました(笑)。その読み難さは、専門用語が沢山含まれていることと、バックラッシュ派を『亜インテリ』『田吾作』というような言葉で表現しているところなどです。ジェンダー差別を問題にしているときに、何も別の差別用語を使わなくても…と、素朴に思ってしまいました。
 この本を紹介してくださった方が教えてくださったように、山口智美氏の『草の根フェミニズムが行政に取って代わられたときに“ジェンダーフリー”や“男女共同参画社会”という言葉が使われるようになった』辺りのまとめや、長谷川美子氏の『男女混合名簿への取組みについて』の文章がとても参考になりました。
 この本で、(P38, P103, P153, P186, P267, P301, P334, P358, P374等)全18記事中9記事で触れられているバックラッシュ系の本が前年(2005年)に出版された『新・国民の油断』です。

『新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす』西尾幹二・八木秀次(著)
 この本については…興味が有る方は一度手にとってご覧下さいとしか言い様が無いのですが(沢山ノート取りながら読んだのに、書き写そうとすると辛いのです…涙)。一番最初にgoogleで『混合名簿』を検索したときに出てきたような話題が満載でした。『ジェンダーフリー』と『過激な性教育』との因果関係についてなどについてはおそらく語られていなかったかと。
『バックラッシュ!』の宮台真司氏の『田吾作』発言よりももっと過激にフェミニストの方々を名指しで貶めていたりします(例えばP45、P172辺り)。こういうの読むの辛いです。

 で、本質的なジェンダー平等についての問題については、P190
現実では男と女は平等に扱われていますし、いまや男尊女卑などありえない時代です。
〜略〜
 それでも彼らは、いまは高学歴の女性は恵まれているけれど、そうでない女性はスーパーで働くくらいの労働条件しか与えられていなくて、経済的にも非常に不利である、としきりに主張します。これは改善の余地が有る問題ですから、別の問題ですよ。
〜略〜
いまの日本社会はむしろ女性が優位です。
という展開でほぼ終始してしまっているのです。たった1ページの間にこの矛盾した展開で、どうしてもついて行けなかった。

 但し、P316〜P320 のジェンダーチェックについての突っ込みには、私もかなりの部分同感です。従来の男らしさ、女らしさを押し付けられるのは、それこそ真っ平御免ですが、自分の意思で選択する分には良いと思う。
 ところがP204で、「男は男らしくあるべきだ」「女は女らしくあるべきだ」「結婚前は純潔を守るべきだ」という統計の結果に対して、ジェンダーチェックを推進する人々(≠フェミニストらしいです、この辺り本当に難しい…)と同じような突っ込みが入っている。“男らしさ”を選択するかどうかは個人が決めるものなのですよ?
 全くこの辺は、揚げ足の取り合いっていうか、不毛な論争というか…。 取敢えず、『相手の論理展開方法を否定するなら、その方法は自分にも禁じ手にするべきではないかなぁ?』と、人文系高卒レベルの私は思ってしまうのですが。

 ちなみに、私個人は、純潔派です。この本でも参考文献として掲げている『青い山脈(最終章、『みのりの秋』映画じゃなくて原作の方ですが)』の雪子先生並に男性に対しても純潔を求めますよ(笑)。けれども、大人が自己責任でお付合いしている分には、他人がとやかくいう問題じゃないと思う。だから、『べきか?』という問いに対しては、『押し付けをしてはいけない』という思いから『いいえ』と答えるかもしれないし、自分寄りに考えれば『はい』という答えになるかもしれない。まして、統計を採られた高校生という世代は、自分の未来を縛りたくないという思いが強いでしょう。そう考えると『いいえ』という答えが多い原因も見える気がするのですが。
 『妊娠や病気その他のリスクを自分で取れない未成年、及び精神的自立が果たせていない大人は、止めとけば?』とは個人的に強く思いますけど!!
 で、援助交際?大人の男性が相手にしなければ成立しない筈ですよね?戦後教育が男性の羞恥心も破壊しましたか、そうですか。そうですか?(年表、1958年参照)

さて、そしてこれが私のメインテーマ、男女混合名簿をどうしてバックラッシュ派が目の敵にしているのか??
P57「男女混合名簿」をやめた校長先生の判断は良識によるもの
P73「男女混合名簿」は「ジェンダーフリー教育」のシンボルであり、その第一歩と位置づけられています。そして、混合名簿から男女同室宿泊までは一直線で結ばれていることを見落としてはなりません。

上記の年表によると、
《行動する女たちの会》により、混合名簿実現へむけての運動開始(1985年)
      →10年後
ジェンダー・フリーという言葉が最初に登場(1995年)
仮にこの方たちが定義するようなジェンダーフリー教育というものが存在しているとしても、男女混合名簿への取組みは、その10年前に草の根フェミニズム運動の一環として始まったことなので、「混合名簿」は「ジェンダーフリー教育」のシンボルだから廃止すべき…というのはどうにも因果関係が崩れているように感じられます。何か、『一理在る!』と頷ける理由を期待して一冊丸々読ませていただいたのですが。

もう一遍、自分の結論

で…、4冊も読んでお勉強したわりには…私の結論はとっても単純
卒業式に「普通名簿(男女別でない)」を使って欲しい。だって、女の子だから後回しってなんか嫌なんだもんっ!!
以上
…あゝ、何かこう…情けないかも…(笑)。
謝辞:
関連リンク

山口智美・ホームページ ジェンダーフリーとは macska dot org

2007.11.03

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