Skype将棋レポート9



■佐伯八段と四枚落ち


第23回全国盲人将棋大会は、平成11年11月20〜21日、北海道夕張
郡栗山町で開催された。 私がこの大会に参加したのは、昨年の千葉大会が
初めてである。 A級・B級・C級、それぞれ12名、今年の参加棋士は
やや少なかったが、強豪ぞろいであることに変りはない。
A級は有段者クラスなので、私はB級に加わり、
第1日目(20日)の予選は2勝1敗で勝ち残ったものの、順々決勝で敗退した。
 第2日目(21日)はトーナメントによる準決勝と決勝戦が行われ、
A級優勝者には四段の免状、B級優勝者には初段の免状が、日本将棋連盟から
授与されるから、これは大変な名誉だ。
 一方、私のように既に負けてしまった者は、午後の閉会式まで
試合が無いため、対局を後ろで観戦するか、あるいは、審判長の佐伯昌優八段に
『指導対局将棋』を指してもらう。
 佐伯八段は、開会式の挨拶の中で次のように述べておられた。
「私は、この大会に過去3回出席させてもらっており、皆様の中には
顔見知りの方が何人かいらっしゃいます。……」
 佐伯八段は、現在活躍中の中村修八段の師匠であり、年齢は
古希を越えている筈だが、矍鑠として、その温厚な人柄と
丁寧な言葉遣いには恐縮する。
[補足説明]
 1 視覚障害者の将棋。
棋譜を頭の中に記憶して行う方法もあるが、将棋盤や駒に
若干の工夫を施せば、晴眼者と普通に対局出来る。
但し、盤上を見渡せない分、棋力に一〜二段程度のハンディ差が生じる。
 2 盲人用将棋盤。
視覚障害者が手で操作しても、将棋の駒がずれて
他のマスへ移動してしまわないように、
マスとマスの区画は針金などで仕切ってある。
 3 駒。
感の良い全盲者は、彫り駒の裏側の文字を指で読んで、
駒の種類や裏表を  判別出来るが、念のため、駒の底面に小さな釘を打ち込んで
点字の形に印を付ける。
 4 大会運営。
本大会の参加資格は、全日本盲人会連合の会員であること
(全盲者  または弱視者)。日本将棋連盟から審判長を招き、
審判員や記録係には、地元の  大学や将棋愛好家グループから協力を得ている。
 5 ルール。
指しては盤面の棋譜を1手ずつ数字で読み上げることになっていて、
  その他、この大会独特のルールが幾つか定められている。
第2日目の試合開始は9時、指導対局はそれより15分ほど遅れて始まる。
 長方形の部屋の中程より前には、本戦用のテーブルと椅子が6組
(各級2組ずつ)横向きに並べられ、棋士および審判員と
時計係が向かい合って座るように配置されている。
 部屋の後ろの方には、指導対局用の席が設けられ、
こちらはテーブルと10脚ほどの椅子が前向きに置かれている。
 本戦の第1試合は準決勝、第2試合は決勝戦および三位決定戦ということで、
場内は緊張と熱気に包まれていたが、私は指導対局に参加しているうちに、
何時しか本戦の成りゆきを忘れ、佐伯八段の人柄に引き込まれていった。
指導対局が始まる前、私は盲人用の盤と駒を準備しながら、
「プロの八段と対局出来るなんて夢のようだ。本当に実現するのだろうか?」
 という不安と、「せっかくの機会だから、例え一手でも指南して欲しい!」
 という望みとが、頭の中で交錯していた。
 私はテーブルの一番左端の席に座り、愛知県から同行のSさんを
右隣の席に座らせた。Sさんは私より将棋は強いが、中途失明で手先の感覚が鈍く、
駒の操作がままならない。そのうえ最近耳も遠くなってコミュニケーションが
取りにくく、私と一緒でなければ大会参加は無理だったろう。
 Sさんのテーブルの前に立って、中腰の姿勢で彼の駒を並べてやっている所へ、
佐伯八段が登場し、「私が並べますから、どうぞそのままにしておいてください。」
 と声を掛けてくれた。天下の八段と対戦出来るだけでも光栄なのに、
駒並べまでしてもらっては申し訳ないので躊躇していると、
「大丈夫ですよ。私が並べますから」 と引き取ってくれてありがたかった。
というのは、私も全盲者なので、二人分の用意をするのは結構時間が掛かるし
焦るからだ。 Sさんは二枚落ち(飛車角落ち)を希望し、右の方では平手対局を
所望している連中も居る。 私は最初六枚落ち将棋を依頼するつもりでいたが、
それだとあまり勉強にならない気がして、佐伯八段に尋ねてみた。
「二枚落ちと六枚落ちの中間というのはありませんか?」 すると、
「色々ありますよ。三枚落ち・四枚落ち・五枚落ちと、どんな組み合わせでも
出来ます。」「四枚落ちだと何と何を落としていただくのですか?」
「飛車と角と香2枚を落とします。」
「では、その四枚落ちでお願いします。」
「それでよろしいですか?」 と、快く応諾してくれた。
 佐伯八段は淡々とSさんの駒を並べ終わり、他の人たちの準備も完了して、
いよいよ対局開始となる。 指導対局は、いわゆる十面指し方式で、我々10人が
椅子に腰掛けたまま銘々自由に将棋を指し、そのテーブルの前を佐伯八段が
回り歩いて一人ずつの相手をしてくれる。佐伯先生は絶えず移動しながら
ノータイムで駒を進め、むしろ我々の方の考慮時間が長くなりがちだった。
 以下、私の将棋のあらましと佐伯八段の指導コメントにつき、順に述べてみる。
佐伯:「最初は私からです。6二銀」
 先生はそう言いながら私の盤上の駒を動かしておいて、すぐに向こうへ
回って行ってしまう。 私は暫し考えた後、1六歩 と端歩を突いて
右からの攻めを狙い、一巡して来た先生は、
 佐伯:「1六歩ですね! では 5四歩」と指す。
続く私の 1五歩 に対して、 佐伯:「5二金右」
 とし、私の 1六香には、 佐伯:「5三銀」
 ……という具合に指し手を進行させる。私は、右端(相手の左端)から敵陣
を破る構想に踏み切った。佐伯八段は悠然と駒を進め、中央から右(私の左)
側の駒が次第に盛り上がるように圧力を掛けて来る。
 私は飛車を右端に寄せ、角道を開け、桂と銀も動員して、徹底的に
端から攻撃するつもりなのだが、それより速く相手の駒が私の陣地へ迫って来る。
 51手目、佐伯八段は 6五歩の突き捨てから 6六歩 と打ち込んで
橋頭堡を確保した。竹木:「ワアーッ、すごいなあこれは。
さすが見事なものですね!」 と感嘆の声を発したが、
 佐伯:「いいえ。おだてに乗って指す訳にはいきませんから…」
 と軽く受け流されてしまった。日頃将棋仲間から、
「竹木の口将棋には気を付けろ。巧いこと言って相手を油断させ、
うっかりしているうちに負かされてしまうぞ!」 と言われているが、
佐伯先生にはとっくに見抜かれていたのである。
 私は端攻めを緩め、佐伯八段の圧力を受け止めて対抗してみるが、
巧みな駒さばきから、中央の位を取られ、私の駒は下段に押し込められてしまった。
それでもなお防戦に努めていると、 佐伯:「攻めることを考えてくださいね!」
 と助言してくれる。それでやっと 1二香成 と敵陣に入ることができた。
 銀交換をした後、私の5七の地点が危なくなったので、64手目 4八銀 
と守りを固めたら、 佐伯:「それはいい手ですよ! そういうのはいい手です」
 と褒められた。 66手目に私が 2一成香 と相手の桂を取って、
次に飛車の成り込みを可能にした時点で、先生は、
佐伯:「もうこの城は明け渡しです」と言って、4二金と金を自玉の方へ寄せる。
この辺りから私の形勢が少し良くなってきた。
 70手目に 3三桂成 としたところ、
 佐伯:「ああ、いい手ですねえ!」
 と褒めてくれたので気を良くしていると、75手目 8七歩 8七同金 と、
私の金を釣り上げておいて、 佐伯:「いよいよ突撃です。」
 と言いつつ、6七歩成 6七同金 7八銀 と、両金取りに銀を割打ちされ
てしまった。 竹木:「アッ、なーるほど。そんな厳しい手が在ったんですねえ。」
 と感服すると、 佐伯:「いいえ、これはもう玉砕ですよ。」
 竹木:「そうでしょうか?」 佐伯:「玉砕です。」
 と、先生は断言した。 84手目で私が迷っていると、
 佐伯:「ここでいい手がありますよ!
竹木:「ハア…何かありそうなんですが……」
 佐伯:「いい決め手がありますから、考えてみてください」
竹木:「しかし……」 いくら思案しても分からない。
 場内では既に準決勝が終わり優勝戦に入っているし、指導対局の方も全員
終了してしまったようだ。 ついに思い切って、4六桂 と王手に当てて桂馬を打った。
 佐伯:「はい、それが最善手です」
 と教えてくれたが、私には全く自信がない。
 85手目の 6三玉に対し、5四銀と打って、
 竹木:「こういう手は駄目でしょうか?」 と訊いたら、
 佐伯:「悪くはないですが、ややもったいないですね!」 と言われた。
 100手まで進んで、101手目に 7四玉 と逃げられたとき、
私は諦めムードになった。 竹木:「ここまででもう指し切りみたいですねえ」
 佐伯:「そんなことはありません。角が利いているし、8七の金も利いてますから…」
 竹木:「そうでしょうか? 全然先が読めないんですけど…」
 佐伯:「大丈夫ですよ。」 7五金 同金 同歩 同玉
 竹木:「ここは歩でいいんですか?」 佐伯:「歩でいいですね!」
 それで、私はようやく 7六歩 を打つことが出来た。
 佐伯:「後は何処へ行っても一手詰みです。負けました。強いですねえ。」
 竹木:「ありがとうございました。」
 こうして、106手で、佐伯八段の投了となったのである。
 佐伯:「王を一歩左に寄っていれば、もう少し楽に勝てますよ!」
 竹木:「はい。本当にありがとうございました。」
 佐伯:「いいえ。頑張ってください。」
 私は感謝と敬意の思いで胸がいっぱいになり、不覚にも涙がにじんできて、
お礼の言葉を十分言えなかった。
最終結果は私が勝ったことになっているが、実際には全部教えてもらって
勝たせていただいたのである。
 高段者の将棋は、強いとか厳しいという感じではなく、将棋の姿(駒の配置)
が実に美しい! その意味で、将棋はゲームや勝負というよりも、
一種の芸術に近い。 そして、佐伯昌優八段の穏やかな人柄と相手を包み込む
温かさには、我知らず 頭が下がる。将棋一筋の人生において、先生には
どれほど多くのご苦労が在ったことか! それを察するにつけても、
感謝と感激の涙が溢れてくるのであった。
[平成11年(1999年)11月25日   竹木 貝石]