野球部にとって、夏は一番大事な時期。 もちろんそれまでの練習がなければその意味すら無いのだけど、その練習の成果をもっとも発揮すべき時をもうすぐ迎えようというこの季節。 予選を目前に、期末テストのことなんてほっぽりだして部活命!と言わんばかりの勢いでみんな練習に臨んでいた。 雄軍も賊軍も、それぞれ皆あからさまにわかるほどに気合が入っていた。 そして、選手をサポートする私たちマネージャーにとっても、一番の正念場だ。 練習後のケアなども、いつもより念入りにしなければならない。 マネージャー筆頭という地位を拝命している私は、彼らのそれぞれのメニューやマネージャーの仕事の分担などを決めるため、色々と忙しかった。 けれど、これが最後の夏なのだ。 三年である私たちにとって、最後のチャンス。 今年こそ甲子園に。その思いが三年部員に持ち得る以上の体力を与えていると言っても過言では無いだろう。 とにかく、主将を始めとする三年部員は、あの筒良ちゃんですらそれとわかるほどに気合の入れ方が違っていた。 「先輩っ、これどこですか!」 「先輩!コイツ怪我した!!」 「マネージャー!!」 何か厄介事があると、そのほとんどは私のところに回ってくる。 いつものことではあるけれど、それにしてもこの急がしい時期はその量もハンパじゃない。 ハードな練習がたたってぶっ倒れる奴もいれば、暑さで注意力が落ちるせいもあり怪我をする奴だって増える。 着替えも相当な量だからこれはこれでマネの仕事が増えるわけで。 それら全てを管理しなければならない私は、文字通り目の回る忙しさだった。 「テッメーっ、このバカ犬!今何つった!!」 「……ノーコン」 練習も半ばという時間、またしても響いた猿野の声に皆意識が向いた。 毎度毎度、どうしてこれだけ低レベルな争いを飽きもせず繰り返すことができるのか。 名前通り犬猿の仲なこの二人は寄るとケンカ、触るとケンカ、無関係でもケンカ。 とにかくこの猿野の大声が響かない日はまず無かった。 犬飼も犬飼で、一見クールそうに見える割には精神年齢は猿野と大差ないらしく、こちらも毎回その低レベルなケンカを買っている。 せめてコイツが無視でもいいから猿野を相手にしないでくれれば良いのだけど。 それもできない相談で、この騒ぎが始まる度に私は仲裁役として駆り出されることとなっていた。 「テ・メ・エ!どうしてもやられたいようだ……なぁ!?ってーっ、イデデデデ!!耳!耳!!」 「……痛いッス」 ケンカ両成敗。 私は集まり始めている人だかりを割って中心まで行くと、迷うことなく二人の耳を引っ掴んだ。 他の部分ならともかく、耳っていうのは鍛えられるものじゃない。 身長の高い犬飼相手だとちょっと辛かったりするが、これが一番手っ取り早い お仕置きだった。 「毎回阿呆な言い合いしてないで、さっさと練習する!猿野、犬飼!二人とも頭冷やしがてらうさぎ跳びでグラウンド20周!」 「げぇっ、先輩の鬼!!」 「…………」 鬼でも何でもいいから、心根を改めて欲しいのだけど、どうやらその願いは空しく実を結ぶ日は随分遠いらしい。 すでに諦めてるのっていうのが本音だったりするけど、放っておくわけにもいかずとりあえず二人に罰を言い渡した。 ギャーギャーわめく猿野は無視。 その時だった。 (……え?) ヤバイ、と思った時にはもう遅い。 一瞬クラリと視界が揺れたかと思うと、次の瞬間には体勢を保てなくなっていた。 そのまま世界が暗転する。 平行感覚を失いながら、周りの部員たちの声がすることを認識するのが精一杯だった。 気がつくと、そこは信じられないくらいに涼しかった。 目を開けると真っ白で、鼻につく独特の匂いが今いる場所を教えてくれた。 保健室はエアコンの設置されている数少ない場所だ。 体調の悪い者が来る場所なのだから当然なのだけど。 倒れたのか。 ボンヤリとそのことを思いながら頭に手を置く。 ひんやりとした感触があって、手にとってみる冷やされたタオルがおデコに置かれていた。 「無理をするからだよ」 誰もいないと思っていたから、すぐ隣で聞こえた声に驚いた。 これだけ近くにいても気づかなかったというのは、それだけ私の注意力が落ちていたのだろう。 その声に顔だけを向ける。 そこには見慣れたユニフォーム。視界をもう少し上げるとそれがウチの主将だってことが確認できた。 「本当にキミって人は。他人のケアはあれだけ念入りにするのに、どうして自分の体調には無関心なんだい」 呆れたような声に、私は何も言えなかった。 確かに牛尾の言う通りなのだ。 ここのところ練習とテスト勉強が重なって、睡眠時間が削られていたのは確か。 練習そのものだってハードになっているから、その分今まで以上に休息が必要だったにも関わらず、だ。 答えない私に牛尾はまた一つタメ息をついた。 「今日朝から食べたもの、言ってごらん」 唐突な問いだけど、それはすなわち見抜かれているということ。 私が本当は暑さに弱いこと。 夏になると食欲が落ちることを。 答えるものかと思ったけれど、強い眼差しで睨むように見られては隠し事などできなくて。 それでもささいな抵抗のようにできるだけ小さな声で答えたのだけど、彼は聞き逃してなどくれなかった。 「………プリン、1個」 ちなみに今は午後の4時。 朝からそれだけで、お腹がもつはずがない。普通ならば。 けど、食欲の落ちた今の私はそれでも未だに空腹感は無かった。 今度は盛大なタメ息。 胸の中の空気を全部吐き出したかと思うと、彼は立ち上がって私の方へ手を伸ばしてきた。 牛尾の大きな手が私の額に触れる。 その手は暖かいけど、タオルで冷やされたこのおデコには気持ちよかった。 「まったく。いくら暑さに弱いと言っても食べなきゃ体力もつかないだろう?」 仰るとおりです。 けど、食べたくないものは食べたくないのだ。 今までの夏だって乗り切ってこられたのだからと思ったのが甘かったか。 今年の自分の役割をもう少し考えるべきだったことは一応自覚している。 「とにかく、今日は練習が終わるまでここで休むこと。主将命令だからね」 「そんなっ!」 そんなことを承諾するわけにはいかない。 あと残りの練習がどれだけあると思っているのだ。 それを私抜きでこなすなんて、どこかしら支障が出てくる。 しかし、抗議しようとした私に彼は有無を言わさぬ厳しい顔で「いいね」と念を押した。 それにグっと黙るしかできない自分が情けないけど、牛尾は怒らせると怖い。 何より『主将命令』だと権力を持ち出されては抗う術は無かった。 権力を傘に着ることなどしない彼がそうまで言って私を止めるのだ。 それがどれだけの意味を持つのかわからないわけじゃない。 「……本当に、心配したんだよ?キミが倒れたって聞いて」 あの場に牛尾の姿は無かった。 確かあのくらいの時間なら、グラウンドでノックを受けていたはずだ。 すぐに聞いたのか、それとも後から聞いたのかはわからないけど、多分すっ飛んできてくれたのだろう。 今の心配そうな顔からも、それは容易に想像できた。 「うん……ごめん」 素直に謝罪の言葉が口をついて出た。 頑張るのはいいけれど、無理をして倒れては何にもならない。 そのことはわかっていたつもりだったのだけど、多分きちんとは理解できてなかった。 その結果がこれだ。 適度に休んでいた方がよっぽど被害は少ないのだということを身を持って体験してしまった。 「謝らなくていいから、ちゃんと実践して欲しいな」 その言葉にもう一度頷くと、納得したのかようやく私の額から手を離した。 「キミがそんなじゃ、甲子園だってままならないよ。優秀なマネージャーを欠いた状態で甲子園なんて無理だからね。少なくともウチの部は、ね」 それは、ヘタに恋人として必要とされるよりよっぽど嬉しい言葉だった。 私の気持ちをわかってくれる、牛尾ならではの言葉。 蛇神だってわかってくれるけど、多分牛尾にそう言ってもらうのが何より嬉しいんだと思う。 恋人って関係だからこそ、マネージャーとして必要とされたいって。矛盾してるけど。 「甲子園までには、本調子に戻しとくから。無用な心配よ」 「だといいけどね」 それじゃ、と言って軽く口付けしてから牛尾は保健室を出て行った。 甲子園まで。いや、予選までには体調を戻しておくこと。 とりあえず、これが当面の私の課題となった。 アイツらと、今年こそ夢を果たすために。 ++++++++++++++++++++++++++++++++ ええと、これのどの辺りが夢なのか微妙ですが 夏企画創作第2弾です。 ホントは蛇神様で書くつもりだったのですが、 彼では微糖どころか無糖になってしまうところだったので(苦笑) 夏!といえば甲子園!ですね。 ミスフル本編は未だGWですが、頑張ってレギュラー獲得して 甲子園を目指して欲しいものです。 ’02.7.29.up |