別に私以外のヤツに愛の言葉を囁いたからって、怒る理由にはならない。 そもそもそんなセリフを吐かれれば鳥肌が立つこと請け合いだ。 一応恋人という名目があれども、私たちの関係は普通のカップルのように甘いものではなく、あくまでも同志としての絆で結ばれている。少なくとも、私はそう思っている。 野球バカで野球ラブでどうしようもない野球人間。 そうでなければ興味なんて持たなかった。恋愛以前の問題で。 野球バカでない牛尾なんて私にとっては意味が無いし、そんなヤツなら最初から眼中にも入らなかった。 現に私に野球部以外の友人なんてほとんど無いに等しい。 今回のことは仕方がないとはいえ、それでも奴は言ってはいけないことを口にしたのだ。 「先輩、まーだ怒っとるん?今回のは仕方なかよ。それは先輩もわかっとおやろ?」 「そーッスYo。俺だって嫌々やってたんスかRa」 心配してるのか野次馬根性なのか。 何だかんだと言いつつも前者であることを望みたいが、二人揃って声をかけてきた2年生コンビの言葉は、すでに他の部員たちからも何度も言われたことだった。 自分で言って思い出したのか、虎鉄は寒気に身震いしていた。 長いようで短かった合宿もいよいよ終わりに近づき、どういう魂胆かわからないが余興として肝試しが企画された。 おそらくは監督の体の良いヒマつぶしの娯楽だろう。 しかし全員強制参加が義務付けられており、そんな面倒なものはさっさとフけようと思っていた私も逃げる前にしっかり捕まってしまった。 ただでさえ少ない女子は逃亡厳禁。 あのもみじでさえ、逃げることは適わなかった。 単なる肝試しならそれでよかった。 けど、男女ペアなだけでなく、わざわざ『愛を囁く』なんて阿呆なことを義務付ける必要がどこにあるというのか。 確かに他人事なら笑わせてくれるが、3年間見慣れたメンツ相手で更に口説かれると最初からわかっているのにどうトキメクことができようか。 笑うか凍えるか、どちらかにしかならない。 結局私は長戸と組むことになり、寒いセリフに大ウケして終了した。 腹筋を目いっぱい使って笑った私に、長戸は顔を赤くしながら涙目になっていた。悪い、長戸(でも無理) そして、その阿呆な企画のせいで、牛尾は私にとって一番の禁句を口にしてしまったのだ。 牛尾とペアだったのは明美シリーズの一人(名前は忘れた) 彼女の犠牲になった者が大半なこの肝試しで、彼もその例に漏れることなく犠牲者の一人となった。 最初の生贄だった虎鉄はそれでも男気を見せ見事に口説いてきた。 にも関わらず、猿野…じゃなかった、明美ちゃんの腕力に敵わず戻ってきた彼に与えられた点数は0点だった。合掌。 続く司馬・兎丸も随分頑張ったらしく、司馬に至っては100点を獲得した(嬉しくないだろうけど) 明美ちゃんを口説くのに問題はない。 当人たちにとっては問題大有りだろうけど、私たち女子にすれば他人事に過ぎないし、義務付けられて嫌々した愛の囁きなど物の数にも入らない。 そう割り切れていなければ、あの梅星が黙っているはずがない。 なのになぜ私が怒っているのか。 それに誰も気づかないというのも私の怒りを煽るのに一役買っている。 本当にどうして誰も気づかないの? そんなことくらいで怒る私じゃない。それも明美ちゃん相手に。 違うんだ。私が言いたいのは。 「くん、やっと見つけた」 「A、キャプテン」 牛尾が私を探し回っていたことは知っていたけど、私はそれから逃げるように色んな部屋を渡り歩いていた。 最初は盲点であろう牛尾たち3年レギュラーの部屋。 私を探しに出たっていう牛尾がしばらくは戻ってこないと見て。 しばらくたって危険だと感じると、次は3年賊軍の部屋を渡り歩き、今は2年レギュラーの部屋にいる。 いつまでも逃げ切れるものだとは思っていなかったけど、その間に気づいてほしかった。私が怒っている理由を。 でなければ、私はまだ彼を許せない。 虎鉄と猪里がいることも構わず、牛尾はそのまま私を後ろから抱きすくめた。 応えないでいたのが仇になったか。 後ろで虎鉄のヒュウ、という口笛と、猪里の慌てている声が聞こえた。 それでも牛尾はお構いなし。 他人なんて気にしない奴だから。 普通の女の子ならこれでうやむやになってでも和解するのかもしれない。 けど、私はそんな可愛らしい神経は持ち合わせてなくて、むしろ誤魔化すようなその牛尾の態度に腹が立つばかりだった。 本人にそんな気は無いのはわかっているけど、一度怒ってしまうとなかなか素直に相手の行動を受け取れないのだ。 「くん、悪かったと思っているよ。いくら監督に言われていて相手が猿野くんだったとはいえ、キミ以外の人に……」 やっぱりそうだ。 コイツはここまで避けてもまだわかっていない。 そう思った瞬間、体は勝手に動いていた。 私は思いっきり腕に力を込め、後ろに張り付いている牛尾の腹に肘鉄をくらわせた。 「センパイ、そりゃ酷いっSho…」 「あちゃ〜」 ギャラリーの批難の声が上がるが気にしない。 私の怒りはそれほどまでだということだし、何より鍛えている牛尾にはこの程度は大したことじゃないってわかっているから。 案の定、牛尾は少々ダメージは受けたものの瞬時の判断で腹筋に力を入れたらしくほぼ無傷だった。 それよりも驚きの方が大きいくらいだ。 「くん、どうして……。キミだって、長戸くんに愛の囁きをもらったんだろう?随分笑っていたようだったけど」 まだわからないかコイツは。 ここまで時間を与えてもわからないのだ。 これ以上無駄に長引かせても、事態は酷くなる一方だ。 特にこういう話には尾ひれがついて回るものだし。 さっき賊軍の部屋に行ったら、一宮に『がキャプテンを明美に売り渡そうとしている』という話になっていると聞いた。出所は不明。 仕方ないっていうのと、もう我慢ならないっていうの。 二つが重なって、私はいい加減折れることにした。 しかし折れると言っても許すという意味じゃない。 牛尾自身でそのことに気づいて欲しいという希望を諦めるということだ。 呆然としている牛尾を睨みながら、私は地に響くと虎鉄に称されるような低い声で言った。 「野球より、何が大事だって?」 「いや、だからそれは……あ…」 すぐにはわからなかったようだったが、反論しかけた牛尾はようやく気づいたらしく小さく声をあげた。 虎鉄と猪里はまだ言葉の意味を取り違えている。 『私と野球、どっちが大事なの!?』 そう言った明美ちゃんに対する牛尾の言葉はこうだった。 『もちろん、キミだよ』 口説かなければいけないとなれば当然の言葉かもしれない。 他の言葉だったら、愛の囁きだろうが死刑宣告だろうが何とも思わなかった。 けど、“野球より大事”だなんて、間違っても牛尾が口にして良い言葉ではないのだ。 たとえそれが猿野だろうと他の奴であろうと。 いや、私だって例外じゃない。 野球よりも私が大事だなんて言う牛尾を好きでいられるか、あまり自信がない。 付き合ってる私がそう感じるのもおかしな話だけれど。 「…そうか、それじゃキミが怒るのも当然だね。ごめんよ、気づかなくて」 「遅いし」 フン、と顔を背けると、牛尾は困ったように笑った。 原因がわかってホっとしたのだろう。 牛尾自身、私がただ他のヤツに愛を囁いたくらいで怒るわけがないってことは十分わかってただろうから、どうして私が怒るのか不思議でならなかったはずだ。 「訂正して、ちゃんと。猿野にでなくていいから、今ここで」 今さら猿野にどうこう言い直して欲しいとは思わない。 猿野に嫌々愛を語った者は牛尾以外に46人もいるのだ。 いくら猿野でも、その全てを本気にはしないだろう。 5億点も獲得してしまった牛尾の言葉をどう取ったかはわからないが。 牛尾は柔らかく笑うと、一呼吸ついてから真面目な顔をして言った。 「僕が一番大事なのは、野球だよ。それは何があっても変わらない。野球以上に大事なものなんてありえない」 その言葉に驚く虎鉄と猪里。 私が怒っていた理由をまだ勘違いしたままの彼らにしてみれば、それは余計に私の神経を逆撫でするだけに思えるだろう。 けど、違う。 私が言いたかったのはそうじゃないから。 それを牛尾はわかってくれるから。 だから、この言葉こそが必要だったのだ。 しかし、「許してやる」と私が言う前に、牛尾はその言葉をまだ続けた。 「そして、野球と同じくらいに大切なのもキミだけだよ、くん。 野球“以上”ではなく、野球と“同じに”ね」 言葉が出なかった。 あまりに恥ずかしいぞ牛尾御門。 そういうキャラだってこともわかっているけど、私はそういうのはどうしても慣れないのだ。 後ろで2年生コンビが不思議そうに顔を見合わせているのがわかった。 そして牛尾が満足げに微笑んでいるのも。 「これで、許してもらえるかな?」 極上のキャプテンスマイルでそう聞かれて否と答えられる者はいるだろうか。 怒る要因も無くなったからには、私もこれ以上意地を張ることはできない。 「私も……だから、ね」 牛尾とは違いそういうのには慣れない私は、その一言を言うだけでも顔が真っ赤になっていた。 ******************************** 肝試し。何て素敵な企画をしてくれたんでしょう羊谷監督。 夢書きにも、CP好きにもおいしい企画ですv 明美シリーズも増えたことですし(笑) みぞ子さんはちょっと犯罪的ですが…。辰羅川、成仏しろよ。 牛尾氏があんなに簡単に野球以上宣言をするのが腑に落ちなくて。 仕方ないってわかってるんですが、やっぱり納得いかなくて こんな形でムリヤリやってみました。 苦しい…ですか、やっぱり。 ’02.9.6.up |