本当の強さ













悔しかった。
今まで同じだと思ってた奴らと、少しずつ差が出てきだしたのが小5の頃。
それが明らかに現れてきたのが小6の頃。
そして、全く道が分かれたのが、小学校卒業の頃――…。










グラウンドから馬鹿な声が聞こえる。
あれは確か、猿…なんとか言う変な奴だったか。
ウザい。
耳障り以外の何者でもない。
私はそんな声を無視するかのようにポケットからライターを取り出した。
新しくくわえたタバコに火をつける。
タバコの苦味が肺を満たし、タメ息のようにそれを吐き出した。


目線をもう一度下へと降ろすと、今度は猿が何人かの部員に追いかけられていた。
いい加減あの馬鹿さ加減に我慢できなくなったのだろう。
当然だ。



(未練がましいな、私も……)


あの阿呆さには付き合いきれない。
そう思って視線を逸らしたが、それでも拭えない苛立ち。


わかっている。
これは、嫉妬だ。


あたしはこの感情を投げやるように、もう一度息を吐いた。
白い煙が空へと舞う。
これが好きだから、私はきっとタバコをやめないんだろう。
タバコ自体が好きなわけじゃない。
どっちにしろ、すでに慣れきってしまっていて、吸ってもさほど満足感も無いのだけれど。





「あっれー?さんじゃないっすか」

突然扉が開いたかと思うと、間抜けそうなツラした野球部員が出てきた。
ぼさぼさの頭にバンダナをして。顔にはそばかす。
名前は知らない。
けど、見覚えはある。

「あ、僕のこと覚えてないっすか。同じクラスの子津忠之介っす」

勝手に自己紹介を始めたその子津という男を、私は黙ってにらむように見た。
奴はそれに気づいていないのか。ヘラヘラとお人よしそうなツラで笑いかけてきた。それが余計に勘に触った。

「…何か用?」
わざとらしくタバコを片手に煙を吐きながら問う。
こういういい子ちゃんの優等生は、こうすれば大抵ビビって何も言わなくなるから。
しかし、コイツはその程度では怯まなかった。
「タバコっすか?体に悪いっすよ」
なんて言いながらちっとも嫌そうな顔もしない。

ムカツク。

世の中楽しいことばかりですってか?
そうやってヘラヘラして。
なんでかわかんないけど、凄いハラが立った。



ダンッ!!


あたしは奴の襟元を掴むと、そのまま力任せに壁に押し付けた。
ビビるように、勢いよく。
子津は突然のことに何の抵抗もできないで、ただ痛みに顔をしかめていた。


「うっとうしいんだよ!ヘラヘラヘラヘラしやがって!関係ねーだろ!すっこんでろ!!」


何をムキになっているんだろう。
こんな奴に。
けど、ムカついた。
理由がいるならそれで十分。



なのに、コイツはそれでもめげなかった。
文句一つ言わず、じっとにらみ返すように私を見て。
さっきまでとは別人のようなその気迫に私は驚いてちょっと怯んだ。









さん、いつもここからグラウンド見てるっすよね」








しばらくして、子津はそう言った。
話に脈絡が無くて、何がいいたいのかわからなかった。
まだ子津の襟元を掴んだままだった私の腕に手をかけて、奴は続けた。
「グラウンドからも、ここはよく見えるっす。僕は視力がいいからなおさらかもしれないっすけど。ここから、さんの吸うタバコの煙が見えて。それは凄く寂しそうに見えたっす」
ここからグラウンドは一望できる。
なら向こうからも同じだろう。
考えもしなかったが。
さん、野球、好きなんじゃないっすか?今のさんは、凄く辛そうに見えるっす」
そう言って、子津は私の手を自分の襟元からはがした。
私の手にはもう、力は入っていなかった。
子津の瞳は、まだ力強いまま。
嘘は許さないと言われているようだった。
心の内を見透かされそうで、私はそれ以上奴の視線を受け止めることはできなくなった。





「……子津。アンタ、ポジションは?」
「へ?ピッチャーっすけど。一応」
「一応って何」
「あ、いや、控えなんで…」
その答えに苦笑する。
控えだろうが何だろうが、子津は今ピッチャーとして野球をしているのだ。
何が一応なものか。


フっと鼻で笑うようにして、私は答えてやった。

「私も」
「え?」
「私もピッチャーだった。過去形だけど」
そう言うと、子津は意外そうな顔をした。当然の反応だ。
そんな子津に私は吐き出すように話し出した。





小学校の時。
私はリトルリーグに所属していた。
学校のクラブとは違って土日・祝日しか練習は無かったけど、私の毎日は野球づけだった。
男も女も関係無く。
ただ、白球を追い続けた。
来る日も来る日も、練習は欠かさず。
小4ですでに控えでベンチ入りして、小5になるまでにはエースピッチャーになっていた。
努力して、その分力がつけば報われる。
それが嬉しかった。
毎日が楽しかった。
普通の女の子のように、綺麗な服もピアノのレッスンなんかもいらない。
泥だらけのユニフォームが何よりも好きだった。

女だってことでハンデが無かったわけじゃない。
体力がどうとかいう以前に、女なんかって言われることはよくあった。
試合に勝てば、相手チームの奴らは「女なんか使って油断させて」とか、「女相手に本気になれるか」とか。
だから、そんなことを気にしないでいられるくらい、ガムシャラに強くなった。
誰にも文句は言わせないと。
男の子よりも早く走って。
男の子よりもいい打球を打って。
男の子よりも早い球を投げた。
それでようやく、認めてもらえるかどうか。
そんなハンデがあっても、それでも楽しかった。



けど、女であることのハンデは、そんなものじゃなかった。



始まりは小5の頃。
少しずつ、胸が膨らみ始めた。
それがたまらなく嫌で、わざと押さえつけるようなサポーターをした。
けど、その直後くらい、生理が始まった。
自分のタイムリミットを宣告されているように思えた。
小6。
なんでか成長の早かった私は、すでにどう見ても女であることを隠しきれない体型になっていた。
今までみんなと同じ部屋で着替えていたのに、それも許されなくなった。
私が構わないと言っても誰も聞き入れてくれなかった。
それと同時にチームメイトまでがどこかよそよそしくなった。
それまで他に何と言われようと、仲間だって言ってくれてた奴らが。私が女だということを意識し始めた。
そして卒団。
それで完全に私の野球人生は終わりを告げた。
どんなに頑張っても、女は野球を続けることはできない。
それが答えだった。


その後はヤケになって、このザマ。
今時フリョーなんて流行らないけど、それに分類されるに十分なことをやっている。
酒にタバコにサボりは常習。
誰ともつるまず、他人を寄せ付けないオーラを放っていれば声をかけてくる奴もいなかった。
高校に入ってからも同じ。
学校で会話したことだって、どれだけあるだろう。
それが現状。



「野球は私の全てだった。けど、どんなに望んでも、私はあそこへは戻れない。戻っても、昔と同じではいられない」


なんでコイツにこんな話をしてるんだろう。
今まで誰にも話したことなんてなかったのに。
子津は、ずっと神妙な顔をして聞き入っていた。
一言も口を挟まずに。真剣な表情で。

「でも、ソフトをやるとかだって…」
「論外。私がやりたいのは野球。ソフトじゃない」
「そうっすか…」

考えなかったわけじゃないけど、かえってその差に虚しくなる気がした。
似て非なるもの。
それでは私は満足なんてできなかった。



「なんて、何アンタに話してんだかな。もう行けよ。部活あるだろ」


けど、子津は立ち去ろうとはしなかった。
さっきみたいに力強い瞳でじっと私を見たまま。

「野球、好きなんすよね?」
「あ?ああ……」

好き。こればかりはいくら意地を張っても偽りきれない。
野球を無くした私は生きていることすら意味があるのかわからない。

そう答えると、子津はとても嬉しそうに笑った。
お日様みたい、なんて詩人なこと言うガラじゃないけど、今の子津の顔はそれがとてもぴったりだと思った。
鼻の下を指でこすりながら。
「良かったっす」
「……何が?」
わからない。コイツ、ホントにわけわからん。
私が野球を好きで、コイツが何で嬉しいのか。
「僕も、野球が好きっす。ヘタだけど、好きって気持ちに関してなら負けない自信があるっすよ。そんな野球を嫌いって言われるのは辛いっすから」
ますますわからん。
世の中に野球が好きってヤツも嫌いってヤツもゴマンといる。
私の答えがどうであれ、コイツには何の関係も無いのに。
すると、子津は何でもないことのように言った。







さんが僕の好きな野球を好きって言ってくれて嬉しいんすよ。それだけっす。理由とかは無いっすけど、そう思っただけっす」





何とも無邪気な顔でそう言われて、私は返す言葉も無かった。










「何なんだ、アイツ……」
その後、子津は部活に遅れると言って慌てて走って行った。
さっき私が言った時にはお構いなしだったクセに凄い慌てようで。
あまりの勢いに圧倒されて「転ぶなよ」と一声かけたら嬉しそうに「ダイジョブっす!」と元気な返事が返って来た。


野球が好き。
その気持ちだけは変わってないつもりだった。
けど、さっきの子津の笑顔を見たとき。
いつの間にかその野球への思いも変わっていたことを思い知らされたようだった。
野球は好きだと、まるで固定観念のように今の私にはこびりついていた。
なぜ好きだったのかも、忘れていた。
アイツの笑顔。
野球が楽しくて仕方ないっていうあの顔を見て、思い出した。
楽しいから、好きだった。
好きだから、強くなった。
その循環が、いつからか上手く機能しないようになって、結果私をここまで追い込んでのは自分自身だった。





さんが僕の好きな野球を好きって言ってくれて嬉しいんすよ』




さっきの子津の言葉を思い出す。
とても嬉しそうにそう言ってくれた子津。
「違うよ、子津。私は……アンタの思いとは違ったみたいだ」
ポツリと呟く。
私はコンクリートに落ちたまだくすぶっているタバコを踏みつけて火を消した。











グラウンドでは、様々な掛け声が聞こえる。
周りで遅れていった子津が走らされているのが見えた。



これだけすっきりした気持ちでグラウンドを見れたのは、久しぶりだった。





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  野球漫画と聞いてまずやりたかったのがこれ。
  野球をやってた女の子がひねくれる話(をい)
  相手を誰にと考えて、真っ先に浮かんだのが子津ッチューでした。
  彼ほどの適任はいない!
  キャプテンでも良いのかもしれませんが、残念ながら私は
  牛尾氏をよく知らないもので。
  ということで久々のミスフル夢更新でした。

                               ’02.3.24.up


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