つまんない。 毎日息が詰まりそう。 けど。 そうさせたのは自分。 耐え切れず、幸せに終止符を打ってしまったのは、 他ならぬ私自身。 沢山の洗濯物を干しながら、手を止めてグラウンドの方を見る。 いつもと変わらぬ掛け声。 いつもと同じく漫才のようなケンカを続ける猿野くんと犬飼くんの声も聞こえ る。 今までと変わらない。 そう、何一つ変わっていないのに。 前まであんなに楽しみだった部活が憂鬱になっている。 変わらないのに。 今までだって、何かあったわけじゃなかった。 なのに、たった一つの事実だけで、こんなにも気が重くなるものなのか。 司馬くんと別れて、1週間。 本当に、何一つ変わっていないのに。 今までだって、何か話してくれるわけでもなかった。 ただ私が彼に話し掛けて、彼は首を振るだけ。 私が話しかけなければ向こうから近づいてくることもなかった。 それだけだったのに。 それが無くなるだけで、なんという違いなのだろう。 それ以外には、何も変化はないというのに…。 「さん。監督が呼んでますよ」 そうして洗濯物をあらかた干し終えたとき、丁度良いタイミングで凪ちゃんが そう伝えに来てくれた。 良かった。 このままボーっとしてると、グラウンドを見たまま動けなくなっていそうだった から。 私は凪ちゃんにお礼を言うと、職員室の羊谷先生のところへと向かった。 「おー、来たか。ま、座れや」 先生。私マネージャーの仕事の最中で、座ってのんびりしているヒマなんて無 いんですけど…。 などと目で訴えてもこの人が気づくはずもない。 大人しく先生の隣の席に腰を降ろそうとした私はお尻をなでられ、反射的に 身を反らしたものの既に遅し。 しっかりと先生にいい思いをさせてしまった上に、椅子から転げ落ちてしまった。 「おいおい、大丈夫か?」 (…んの、セクハラ親父…!!) 怒りに満ちた目で睨みつけたが、何の罪悪感もないようで、眉一つ動かすこ となく飄々とした表情は相変わらずだった。 しかし、その後に言われた言葉に私は立ち上がった瞬間固まった。 「いつものお前さんなら、これくらい簡単に避けているだろうが」 そう言えばそうだ。 他のマネージャーたちも同じように被害を受けているが、私はなるべくそれを 避けていた。 反射神経のたまものだろう。 今のだって、普段なら避けることができていただろうに。 「こんなこと言うのもお門違いなんだろーが…」 そう言って、先生はポリポリと頭をかいて言いにくそうに口を開いた。 「司馬と、何があった?ケンカならさっさと折れちまえ」 なんで……教師にそんなことを言われなくちゃいけないのか…。 しかし、その通りなので何も言い返せなかった。 黙ったままの私に先生はそのまま続けた。 「司馬も最近調子が悪い。この前なんか絶好のフライをポロしやがったし、ト ンネルまで出るザマだ。あの司馬がな。お前らの私生活にまでとやかく言うつ もりはねぇが、選手の士気にまで影響が出てきたとなりゃ黙ってもいられんの でな」 司馬くんの調子が悪い。 そのことは私だってわかっていた。 比乃くんにも何度か言われていたし、そうでなくても私の目は自然に司馬くん を追っていたから。 それでも見ないフリをしていた。 私のせいだなんて考えないようにしていた。 だって、あの人は何も言わなかった。 別れたいと言ったとき、黙って頷いた。 なのに……。 「何があったかは知らんが、司馬が自分から何か言ってくるはずもないだろう しな。お前から行動せんと何も変わらんぞ」 そんなこと、先生に言われなくてもわかっている。 けれど、もう終わったのだ。 彼が私の言葉を肯定した時点で、すでに私たちの関係は終わっている。 私は関係ないですとだけ言うと、そのまま職員室を後にした。 部に戻った私に凪ちゃんは何の用だったのかと聞いてきたが、私はあいまい に笑って済ませた。 こんなとき、凪ちゃんが天然で良かったと思う。悪いけれど。 帰りはここのところそうしていたように、猿野くんと沢松くんと一緒に帰った。 この二人といると疲れはするが、その分司馬くんのことを考えずに済んだか ら。 けれど野生の勘か。それとも女の子に関してだけは気がつくのか。 猿野くんにまで羊谷先生に言われたのと同じようなことを言われてしまった。 彼にまで気づかれるなんて、どうかしてる。 私は同じように何でもないと答えたが、納得していないようだった。 幸い、後ろから通りがかった犬飼くんとまたしても低レベルなバトルとなり、そ れ以上突っ込まれることは免れたが。 犬飼くんと一緒だった辰羅川くんも、何も聞かないでくれた。 彼のことだから気づいていないはずはないのだろうけど。 「ちゃ〜んv」 「うわっ、比乃くん?」 それからしばらく経った放課後。 いつものように突然比乃くんのタックルを受けた。 背の低い彼は誰にでもこうしてくるが、中でも私が一番身長的に良いのだと か。どこまで本当かは知らないが。 無邪気に抱きつかれるのは嫌ではないので、私はいつもされるがままだ。 比乃くんはニパ、と邪気の無い顔で笑った。 それにつられて私も自然と笑顔になる。 「やぁっと笑ったね、ちゃん」 そんな私に比乃くんはそう言った。 「最近全然笑ってくれなかったもん。みんな心配してたんだよ」 そう言われれば、最近まともに笑えてなかった気がする。 それでも、今笑えたということは、少しは落ち着いてきたのだろうか。 「ごめんね。みんなに心配かけてたんだね」 「うも〜、そうじゃなくて」 比乃くんはすねたように口を尖らせた。 「ね、ちょっとこっち来て」 「えっ、あの、比乃くん!?もうすぐ部活……」 「いーのっ!」 そう言って、比乃くんは私の手を掴んで走り出した。 彼の俊足に私が追いつけるはずもない。 少しはゆっくり走ってくれているのだろうが、それでも私は前のめりになりなが ら倒れそうになるのを必死に耐えながら手を引かれるままについていった。 「はぁっ、はぁっ……何なの…比乃くん……」 心臓が死にそうなくらい活発に動いている。 やはり彼の足は並ではない。 見ている分にもそれは十分わかっていたつもりだったけれど、こうして一緒に 走らされて、その凄さを身に染みて感じた。 息を切らしている私の横で平然としている彼を目の当たりにするとなおさらに。 比乃くんは心配そうに私の顔を覗き込んで謝りながら、それでもゆっくり話し たかったからと言った。 「ねぇ。なんで司馬くんと別れちゃったのさ」 単純な疑問、という感じで口にする比乃くん。 彼は唯一とも言える司馬くんの言葉を読み取れる人物。 おそらく司馬くんが何も言わずともいつものように読み取ったのだろう。 私は何と答えて良いかわからなかった。 黙っている私に比乃くんは質問形式を変えてくれた。 司馬くんにいつもしているように、選択式に。 「司馬くんのこと、好きだったんだよね?」 私は考えるまでもなく、コクンと自然に素直に頷いていた。 「キライになっちゃったの?」 今度は横に首を振る。 ああ、なんだかこんな答え方、司馬くんみたいだ。 上手く言葉が出ない。 それをわかっているから比乃くんはこういう聞き方をしてくれるのだろう。 そして、ラストクエスチョン。 「じゃぁ。今は、好き?」 ちょっと迷って、それでも私は首を縦に振った。 比乃くんは幼く見えるけど、実は誰より人の心に敏感なのかもしれない。 こんなにも私のことを気遣った質問の仕方をしてくれる。 だから私も素直に頷くことができたのだろう。 そんな彼だから、司馬くんとも仲良くやれているのだと思う。 「じゃ、なんで別れちゃったの?」 そして、最初に質問に逆戻り。 けれど、さきほどの質問で、少しずつ自分の心を落ち着けることのできていた 私は、今度はちゃんと答えることができた。 「好き…だから……。司馬くんが何を考えてるのか、知りたかったし、知ろうと した。…けど、私は比乃くんみたいに司馬くんの言いたいこと、わかんなかっ た……」 考えた。必死に。 彼の言いたいことをわかりたくて。 比乃くんほどでなくても、ほんの少しでも彼の言いたいことを読み取りたかっ た。 でも、できなかった。 好きだと思う気持ちばかりが先行して、不安ばかりが募っていった。 本当は、司馬くんは私のことなんて好きじゃないんじゃない? 優しいから、口にできないだけで。 そんなはず無いと思おうとしても、不安は日増しに大きくなっていった。 もう、止められなくて。 別れ話は最後の賭けだった。 司馬くんが否定してくれれば。 声にしなくても、せめて首を横に振ってくれれば。 そう思っていたのに。 彼は私の予想を裏切ることなく首を縦に振った。 私の最後の賭けは、見事失敗に終わったのだった。 「む〜。まぁ、わからなくもないんだけどさ」 どっちもどっちじゃない?と言う彼に私は言い返せなかった。 「聞いてくれてありがと。スッキリした」 このままズルズルと暗い気分を引きずるわけにはいかなかった。 私はこの小さな俊足ランナーに感謝した。 「さ、部活行こ」 そう行って歩き出そうとした私を比乃くんはまた手を掴んで引きとめた。 私よりちょっと低い位置から見上げてくる真剣な眼差し。 文句を言おうとした私だったが、そんな彼の様子に言葉を飲みこんだ。 そのまま、私をじっと見ながら比乃くんは言った。 「ちゃんも司馬くんも、ボクの大事なトモダチだから。二人が悲しんでるのなん て嫌なんだ。ちゃんと、仲直りしてよ」 比乃くんは、本当に真剣だった。 できることなら、そんな彼の望みは叶えてあげたい。 けれど、こればかりは無理なのだ。 たとえ私がどう思っていようと、司馬くんは変わらない。 どうしたらいいのだろう。 私にとっても、比乃くんは大事な友達。 比乃くんを悲しませたくはないのだけど。 「司馬くんも、いい加減にしてよ。ちゃんはこう言ってくれたんだから。今度 はキミの番だよ」 私が思案していると、比乃くんは突然そんなことを言い出した。 このセリフは、もしかしなくとも…。 答えを出すより先に、比乃くんの後ろから青い頭が見えた。 「…………司馬…くん……」 声が震えているのがわかった。 比乃くんは後ろを見もしない。 最初からわかっていてここへ連れてきたのだろう。 なんとも無邪気な割りに頭の回転の良い策士だ。 彼は固まっている私にニっと笑うと、「じゃ、後は二人でね」と言って行ってし まった。 「比乃くん!!」 慌てて声をかけたけれど、その時には既に彼の姿は見えなくなっていた。 私は振り向くことができなかった。 比乃くんを静止しようとした向きのまま、司馬くんに背を向けて。 どうせ向き合っても変わりはしない。 彼の表情はそのサングラスで見えないし、彼が何かを話してくれるはずもな かった。 しばらくそのままでいたけれど、あまり部活に遅れるわけにもいかない。 マネージャーの仕事は部活の前にも色々あるのだ。 目を合わせないように振り向いて、部活へ行こうと言おうとした私を司馬くん は腕を掴んで遮った。 「………何?部活…行かなきゃ……」 そう言ったけど、離してはくれなかった。 けれど、何か喋ってくれるわけでもない。 何か言いたいことがあるのだということはわかったが、何を言いたいのかまで はやはりわからなかった。 「……さっき…の………」 ようやく彼が口を開いた。 久しぶりに聞く彼の声。 この前聞いたのは、一体いつだったか。 冗談抜きにもう随分聞いていない。 もっとも、まだ一度も聞いたことがないという人の方が多いなか、少しであって も聞くことのできた私は良い方なのだろうが。 これだけを口にするのが精一杯らしい彼の様子を見て、私はそれ以上言葉 を待たずに言った。 「うん。…嘘じゃ、ないよ……」 その言葉に彼の表情は少し揺れたようだった。 司馬くんは、何も言わずに私をじっと見つめた。 そんな彼に、私は言った。 「…司馬くんは、どう思ってるの?」 彼が言葉にするのが苦手だと知っていながら、なんていじわるな質問だろう。 さっき比乃くんに選択形式で問われて落ち着いた自分をわかっているのに。 けど、私が聞いたことに肯定してくれるだけでは意味がなかった。 そんな形で望む答えを貰っても、また二の舞になることは目に見えている。 言葉ばかりが全てじゃない。 けれど、言葉にしなければわからないこともあるのだ。 司馬くんは、必死に何かを考えてるようだった。 どう言えばいいのか。それを悩んでいるのだろう。 けれど私は今度ばかりは助け舟はださなかった。 ただ、じっと彼が何かを言うのを待った。 しばらくして、司馬くんは返事をくれた。 ただし、言葉ではなく、行動で。 「…司馬…くん…………」 気づけば私は彼の腕の中にいた。 彼は気持ちを表すかのように、力を込めて私を抱きしめた。 司馬くんは、話すこともだが、同じように行動にすることもなかなかできない人 だ。 別れる前も、何度か手を繋いだことがある程度。 その時だって、彼は顔を赤くしながら恥ずかしそうにしていた。 その司馬くんが。 こうやって、返事をくれた。 それだけで、十分だった。 「……ごめんね、司馬くん」 「……………」 返事の代わりのように、腕に力が込められる。 「私…わがままだったね………」 「……………」 今度は顔が見える程度に私を離して首を横に振った。 「…………え?」 微かに呟いた言葉が聞き取れなくて聞き返す。 すると、彼は顔を赤くしながら、精一杯の声で答えてくれた。 「………好き…だから……」 そう言って、もう一度強く抱きしめてくれた。 ****************************** ついにやっちゃいました。ミスフルです。 ぶっちゃけ話、司馬くんがいなければ書くことはなかったと思います。 と言ってもコミックス派なのでいつまだ見ぬ先輩方に 転ぶかわかりませんが(苦笑) ああ、兎が出張ってますね。 今回は白かったですけど、私基本的に兎は黒だと思ってます(爆) 馬は白。真っ白。 どうもこういう友人が出張るシチュエーションが好きなようです。 千石夢の亜久津といい(笑) 増えるのかなー。どうだろう。 すべては司馬くんへの愛如何によります。 司馬くん喋ってくれないんだもの。 犬と子も書きたいかな。 ’02.2.11.up |