待ち人










入部早々の合宿。
皆が心弾ませて辿り着いた伊豆だったけれど、そこはやはり監督。
ここでも過酷な試練が部員を待ち受けていた。

気づいていた人。
全く気づかなかった人。
様々だったけれど、それはやはり各々の気構えの問題だったのだろう。
その証拠に、レギュラー陣の先輩方は、監督の言葉を聞いても眉一つ動かさなかった。

山の中で降ろされた部員たちを後に、監督と私たちマネージャーを乗せたバスは宿へと向った。
遠くなっても聞こえるのは猿野くんの雄叫びだろう。
私は彼らが見えなくなるまで後ろを見ていたが、段々と遠ざかりすぐに見えなくなった。




。いつまでそうしてんだよ。メシまずくなるぞ」
宿の玄関でいた私は、呼びに来てくれたもみじの言葉に振り返った。

「そうしてたって何ができるわけでもないだろ。冷たいかもしれないけど、何があっても3分の1の奴らは野宿することになるんだからさ。それが誰であっても」
「うん……」



私は宿に着いてから、ずっとここに居座っていた。
彼らの常人離れした能力を考えるとそう時間もたたずに帰ってくる人もいるだろうという予測の元。
そして、その予想は違わず、ほどなくして最初の組である牛尾キャプテンと蛇神先輩が帰ってきた。
彼らはあの山の中を走って辿り着いたにも関わらず余裕の表情だった。
待ち構えていた私にキャプテンは「お出迎えかい?嬉しいね」と笑顔で言ってくれた。蛇神先輩は相変わらず何を考えているのかよくわからなかったけれど。
私は持っていたタオルを渡し、監督に言われていた通り、辿り着いた順に決められている部屋へと案内した。
その後も続々とレギュラー陣が帰ってきた。
レギュラーだけでなく、控えの先輩方も。
やはり受験でなまっていた1年生と、ずっと高校でもまれてきた先輩方とでは勝敗は明らかなようだった。


既定の人数のすでに半数以上が戻ってきている。
けれど、あの人はまだ帰ってきていなかった。
彼とペアだったのは確か兎丸くんだったはずだから、ペースが遅いということは無いはずだけど。
どうしたんだろう、司馬くん。
もちろん、兎丸くんもだけど。
山の中では方向感覚を失いやすい。
その罠にかかってしまったのかもしれない。
彼らだけじゃない。
犬飼くんと猿野くん。それから子津くんに辰羅川くんもまだ姿を現さなかった。
入部試験であんなに大活躍だった彼らが。


何かあったのではないか。そんな嫌な予感が胸をかすめる。
そんなこと、あるはずが無いとは思うものの、いくら常人離れしていても彼らとて人間だ。
あの山の中、迷って最悪遭難なんてことにもなりかねない。
監督は一体何を考えているのだろう。
何か考えがあってのことだろうと凪ちゃんは言っていたし、私もそう思う。
けれど、それが無茶苦茶なのもまた事実だ。

そんなことを堂々巡りで考えながら、私は結局そこを動くことはできず、夕飯も食べていなかった。



「遅い…よね。まだ、半分以上の人たちが戻ってない。大丈夫なのかな」
もみじも凪ちゃんも檜ちゃんも。
みんなそれなりに心配している。
けれど、みんなこの状態においてはとても無力だ。何もできやしない。
できることと言ったら、帰ってきた人に対してのみ。
それ以外には待つことしかできないなんて。
とてももどかしかった。


「ああ。けど、こんなもんだろ。あの山をあれだけの短時間で出てきた先輩たちが早すぎるんだよ」
「そうだけど……」
先輩たちがあれほど早く戻ってきたからこそ、余計に他の人たちの戻りが遅く感じられてしまっていた。
これが普通なのだ。
あんなに早く帰ってこれる先輩方が凄すぎるだけ。
それはわかっているけど、それはそれで困った事になる。
ポジション争い。
先輩方の能力がズバ抜けていればいるほど、レギュラー獲得は困難を極めるだろう。


ああ、ダメだ。
こんなことばっかり考えていても仕方ないのに。
それに、甲子園にかける思いなら、今年で引退の先輩方の方が圧倒的に重いだろうということもわかっているのに。
マネージャーとして、贔屓なんてするわけにはいかない。
同学年であろうと、上級生であろうと。
皆同じ仲間なのだから。




「待ち人、きたる……かも」
もみじと話していると、いつの間にか檜ちゃんも姿を現していた。
手にはいつものように猫神さま。
そして、右手に持っているのはタロットカード。
「なんだぁ、檜。待ち人って、誰の?」
ちゃん…かも」
「私?」
私が自分を指差して尋ねると、檜ちゃんはコックリと頷いた。


待ち人……。
もしかしなくとも、今の私にとってならば、それはまず間違いなく一人しかいない。
そう。……司馬くんだ。
他のみんなのことももちろん心配。
けど、それでも好きな人を一番に心配してしまう。
いけないことなのだろうけど。


「大丈夫。猫神さまも言ってるにゃ」
ニコ、と笑いかけてくれる檜ちゃんの笑顔に心が安らいだ。
「そうですよ。皆さん、きっと戻って来られます。待ちましょう」
いつの間にか来ていた凪ちゃん。

「ん……そうだね。信じて待つしかないよね」

私たちは待つことしかできない。
ならばせめて、ここで彼らを迎えられるよう準備して待っていよう。
それくらいしかできないけど。
それが私たちにできる精一杯だから。







太陽もその高度を下げてゆき。
残り枠もだんだんとその数を減らしている。
宿に泊まれるのは、あと3組だ。
司馬くんたちはまだ到着していなかった。
犬飼くんたちも。
本当に大丈夫だろうか。
日が沈めば危険度は更に増す。
そうなると無事に山を下りられるかどうか。
祈るように山を見上げる。目の前の山は、まるで樹海のように見えた。



ポン、と後ろから肩を叩かれた。
もみじならそんなことせずにさっさと声をかけるのに。
不思議に思いながら振り向くと、そこにはキャプテンが立っていた。
「ご苦労さま、くん」
「あ、いえ…。キャプテンこそ、お疲れ様でした」
私の言葉にキャプテンは「そうでもないよ」と言った。
あれをそうでもないで片付けるなんて。
やはりこの人は計り知れない。

「ここに着いた時からずっとこの場所を離れてないんだって?夕飯も食べずに」
「え、あ…まぁ」

ここに着いてから、どれだけの時間が経っただろう。
日はすでに沈みかけているから、7…8時間くらい経っているかもしれない。
そういえばお昼を食べることも忘れてたっけ。
思い出すと急におなかが空いてきたようだった。

「マネージャーさんも頑張ってくれると僕としてはとても嬉しいけど、無理は禁物だよ」
「はい」

とても優しい笑顔だけど、どこか有無を言わさぬ強さがある。
不思議な人だ。
野球においてだけではなく、牛尾御門という人自体がなんだかわからない不思議さを持っているように思う。
ニコ、と笑ったキャプテンには逆らえそうもない雰囲気だったが、それでもせめてと思い最後の合格者が出たら大人しく戻ると約束するとキャプテンは戻っていった。






「これで、あと一組だな」

今帰ってきたのが19組目。
監督の言うように、合格組は残すところあと1ペアとなった。
それでも司馬君たちは戻ってこない。
本当に何かあったんじゃ…。
だって、あの辰羅川くんたちでさえ帰ってきていない。
不安で胸が押しつぶされそうだ。
神様なんて信じちゃいないけど、それでも祈りたいような気持ちになる。
檜ちゃんの占いを信じよう、とか。
色々大丈夫だって思えることを頭の中で列挙していくけど、それでも不安は拭えなかった。


「来ました!最後の合格ペアです!!」

先輩マネージャーの声にハっとした。
とうとうこれで最後。
司馬くんだろうか。
もし違ったら……。
確かめたいけど、確かめたくないような…。
けれど、確かめないわけにはいかない。
私は心を決めて最後の合格ペアの方を見た。





「到着ー♪」
明るい声に、手をいっぱいいっぱいに振っている。
背の低い帽子の彼、兎丸くんと。
その横には背の高い青い髪が見えた。

「司馬くん……」

良かった……。
ドロだらけになっているし、多少のかすり傷はあったけど、大きな怪我は一切していない。
ホっとして力が抜けるようだった。


「お疲れ様です」
「あっ、凪ちゃん!ちゃん!受かったよー♪あとで桃鉄やろーね!」
兎丸くんは帰ってくるなりハイテンションだ。
もっとも、ここで落ち込まれていたら辛いけれど。
彼の無邪気さに私と凪ちゃんは顔を見合わせてクス、と笑った。

「司馬くんも。お疲れ様」
差し出したタオルを司馬くんは無言で受け取る。
かすかにコクンと頷いて。
それだけなのに。そんなことが嬉しかった。


「じゃ、部屋行って荷物置いたらメシ食いな。ホラ、。部屋まで案内。ついでにアンタもメシ食ってきな。いい加減食わないと倒れるぞ」
「も、もみじ……」

確かにキャプテンとの約束もあったし、これで一旦部屋に戻るつもりだったけど、何も二人の前で言わなくても。
チラ、と彼らの方を見ると。
…やっぱり。
兎丸くんがどういうこと?という疑問符を顔中に浮かべていた。
その口が開かれるのにあと3秒もかからないだろう。
「何々、どーゆーこと?もしかしてちゃん、夕飯食べてないの?」
3秒どころか1秒もかからなかった。

「夕飯どころか、コイツここ来てからずーっとここで立ったままテコでも動かねーんだぜ。昼メシも食わずに何時間も立ちっ放し。よくやるぜ」
ああ、もみじってば。だから何も言いふらさなくても…。
「ええっ、ホントに!?ちゃん、倒れちゃうよ!僕たちと一緒にご飯食べようよ!ね、ホラ早く!!」
「わっ、ちょっと、兎丸くん……」
思い立ったが吉日なのだろうか。
言うが早いか彼は私の手を引っ張って走り出した。
後ろから司馬くんもついてきている。
足の速い兎丸くんに、私は転ばないようについていくのがやっとだった。
あの山から出てきたというのに、これだけの元気が残っているとはやはり並の体力ではない。
彼らのその体力が羨ましかった。





そうして、最後は猿野くん犬飼くんペアの帰還により、この試練は幕を閉じた。
犬飼くんは足を怪我してしまっていた。
本来なら野宿組になるはずだった彼は、そのおかげで今は旅館内で療養中だ。
明日からはまた何かしら監督のムチャな試練が待ち受けているだろう。
なるべく早く痛みが引く事を祈ろう。



温泉も入って、ようやく一息つくことができた。
他のマネージャーのみんなとも今は別行動。
自販機でジュースを買ってソファで一人くつろいでいると、後ろからトントンと肩をつつかれた。
この呼び止め方。
振り向くと予想通り、司馬くんがいた。
他に人影はない。兎丸くんは一緒ではないようだ。
私は位置をズレて彼にもソファに座るよう勧めた。



「大丈夫だった?怪我とかしてない?」
司馬くんはコックリと頷いて返事をしてくれた。
休憩して疲れが少しは取れたのか、今の彼は確かに元気そうだったけど。
それでも見えない位置に怪我をしていないとも限らない。
自分からは何も言わない人だから、心配だと思ったらその場で聞かないといつまで経っても言ってはくれないから。
「でも、良かったよね。ちゃんと宿に泊まれて。猿野くんたち大変そうだけど」
それにも彼はコクンと頷く。
そんな奇妙な会話らしきやり取りをしばらく続けた。



しばらくして、彼は少し顔を赤くしながら私の方に手を差し出した。
ス、と差し出された手は意味を理解する前に私の頬に当てられていた。

「え?あの、司馬くん??」

突然のことに頭はパニックだ。
何も話してくれず、行動もしてくれない彼が自分から触れてくれるなんて。
言葉がないから何をしたいのかよくわからなかったが、とにかく嬉しかった。
触れられた部分が熱をもったみたいに熱い。
なんだか恋する乙女だなぁ、なんてまるで人事のように考える。
実際他人が見れば十分に恋する乙女の域なのだろう。
そう見られるのはなんだか悔しいが、司馬くん相手でそうなるのなら構わない気がした。

「だいじょう…ぶ?」

パニックしている私に通じていないのがわかったのだろう。
しばらくしてから司馬くんはそう聞いてくれた。
なるほど、そういうことだったのか。
一緒に夕飯を食べながらチラチラとこちらを見てくれていたようだったし。
おそらくさっきもみじが言ったことを気にしてくれているのだろう。
司馬くんといると、つくづく言葉の重要性ってものを思い知る気がする。
言葉が無いとわからないことは多い。
いや、人間は言葉に頼りすぎているのかもしれない。

心配してくれることも嬉しくて、私はニコ、と笑って平気だと返した。
司馬くんはホっとしたようで、一息つくとすぐに手を離した。

離れてもまだなお熱い頬。
私の顔も十分に赤くなっていることだろう。
それをごまかすように、手にしていたジュースを飲んだ。


喉を冷たい液体が通っていく。
熱いのは頬だから、直接的には関係ないのだけど、それでも幾分落ち着いたようだ。
顔を上げると司馬くんがじっとこちらを見ていた。




「ポジション争い…過酷なものになりそうだね。どのポジションも」
私の言葉に司馬くんは真剣な表情で頷いた。
司馬くんのポジションはショート。
そしてそのレギュラーは蛇神先輩だ。
どう見ても野球をするようには見えない人だが、その外見とは裏腹に相当の実力者。
今日の山下りだって、牛尾キャプテンと一緒とはいえ一番に到着していたのだから。
彼も多くを語らない人だけど、その表情はどこか余裕があるようだった。

司馬くんのあの神業とも言える捕球を見て不安なんて感じるはずはないのに、一筋縄ではいかないだろうと思ってしまう。
得体の知れない、というのは失礼だが、蛇神先輩に限らず他のレギュラーの方たち全員がそんな強さを持っているように感じた。




「頑張ってね。私は応援しかできないけど、しっかり応援するから」

本当に、私はなんて無力なんだろう。
彼らが必死に練習していても、私たちは何も手伝えない。
できるのは雑用ばかり。
それだって必要なものだけど、やっぱり力になりたいって思う。




「きっと……なるから。レギュラー……」



じっと私を見ながら口にされた言葉。
その声は決して大きくはないのに、しっかりとした強固な意思が伝わってきた。


「うん。頑張って」


応援しかできないのはとてももどかしいけれど。
それでも、この気持ちが伝わればいいなと思った。






司馬くんは、ニッコリと微笑んでくれた。






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  司馬くん!!
  ああ、もう!可愛すぎ!!(萌)
  ってなわけでごめん、亜久津。
  誕生祭やるとか言いつつ蹴落とされてしまいました(爆)
  でもあっちを書いてる時、何気にスランプまだ脱しきれてないなぁと
  思っていたのに、こっちはサラサラ書ける書ける(苦笑)
  勢いだけでラストを決めずに書いたので(をい)最後が不自然ですが。
  とにかくもう!司馬ですYO!
  LOVEですYO!(壊)
  牛尾氏が出張っているのは私の趣味です(苦笑)

                            ’02.4.6.up


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