血染めの羽
―使者―

















の家に、使者と称して一人の男が訪ねてきたのは、深司が異端審問官たちに出くわして丁度3日後のことだった。



庭で雑用をしていた深司は、その男の姿を視界に入れた瞬間、何事かと作業していた手を止めずにはいられなかった。
大きい、あまりにも大きすぎる体躯。
長太郎よりも更に一回り…いや、二回り近く大きな体で、のそりという表現がぴったりな愚鈍な動きでの家へと向かう。
呆然と見送りかけた深司だったが、男の方が先に深司に気付いたらしく、足を止めて彼へと視線を送った。
それを、自分に対して何か言おうとしているのだということに気付くのにも、更に時間を要した。




男は一通の手紙を持っていた。
几帳面な字で書かれたそれは、に宛てられたものであることは明らか。
もっとも、この家にはと、奴隷である自分しか住んでいないのだから考えるまでもないのだが。
彼は無言でそれを差し出し、返事を請うようにじっと深司を見た。




「……何?」
「…………」
「…………」
「………返事、を」
「あ、ああ……」




一言発するのにこれだけの時間を費やさなくてはいけないのだろうか、などとありえないことまで頭に浮かんだ。さっきの、あまりにも鈍そうな動きを見れば、そう思わないではいられなかったのだ。
それは真実なのかもしれなかったし、単に口下手なだけなのかもしれなかったが、深司にとってはどちらでも構わなかった。


男を入れて良いか迷って、ちらりと彼を見た。
あまりに大きな体。
家に入れたからと言って、家が壊れるはずもないけれど、何かで暴れられたりしては自分には止めようも無いだろう。
そんな深司の思惑を知ってか知らずか、彼は表情を全く変えずにじっと彫像のように立ったままだった。

悩みながら観察して、そしてようやく深司は気付いた。
彼の背中に、白い羽が生えていることを。
考えてみれば簡単なことだ。
黒き羽を持つものが、こんなに大人しく自分に付き合ってるはずがない。
誰かの奴隷。この手紙の差出人のものなのだろう。
白い羽なら信用できるというわけでは無いが、彼女がどういう人間かは一目見るだけでも明らか。なら、そうそう危害を加えることもあるまい。
少し悩んでから、深司は彼に玄関口まで入るように促した。
彼は一つ頷くと、やはり表情を変えないまま黙ってついてきた。







深司が呼べば、はすぐに出てくる。
これだけ小さな、陰鬱とした声でも。
最初の頃は信じ難くて、試すように何度か呼んでみたりもしたが、何か無い限り彼女は当然のように現れた。
一度「どうして来たんだ」と尋ねると、「だって、呼んだでしょ?どうしたの?」と逆に不思議そうな顔をして尋ね返されて返事に窮したこともあった。
けれど、特別耳が良いというわけでも無さそうで。街へ出れば声をかけられても気付かなかったりということもあったりして、ますます彼女がわからなくなった。


ともあれ、そんなだから、わざわざ大声を上げることは無かった。そんなことをしなくても彼女は必ず来るのだから、余計な労力を使う必要など無い。
今もまた、当然のように現れた彼女に、深司は何でも無い顔をして来訪者を告げ、預かった手紙を渡した。



手紙を受け取りながら、は戸口にいる男に気付いて一瞬目を見開いた。
これだけ大きな体が戸口にあれば、本来入ってくるはずの光はその半分にも満たない。
入り口いっぱいいっぱいにその体をかろうじて収めている姿を見て驚かない方がどうかしている。

はすぐにその表情を張りつめ、そしてまたすぐに、今度は和らげた。
「ああ、樺地くん。お久しぶりね。そんなところに立ってないで、入って」
「……ウス」
ぺこり、と頭を下げる男に、朗らかに笑いかける
今度は深司が驚く番だったが、彼女は尋ねるよりも前に手紙に視線を落としてしまった。




手紙を読んでいる彼女と、カバジと呼ばれた男を交互に見る。
けれどは真剣な顔で手紙に没頭しており、樺地は表情の読めない顔で立ち尽くしているばかりで、何の感情も読み取れない。
誰か知り合いの飼っている奴隷なのだろうとは思うが、こんな見目の良いとは言えないものを、彼女の知り合いが飼っているだろうか。
ハッキリと教えられたことは無いが、今までの彼女の言動や知り合いの顔ぶれを見る限り、上流階級の出であることは疑いようがないのに。




「…誰から?何?」


聞こうか聞くまいか。
本当なら聞く権利も自由も無いのだけれど、はそれを許してくれることをわかっていたから、つい口をついた。
気にしてると思われたくない。けれど、無視されるのも、目の前で起こってるのに隠し事をされるのも嫌で、結局は尋ねていた。

彼女は顔をあげて、兄からだと教えてくれた。
ふぅん、という深司の気の無い返事にも気を悪くした風も無く、ただしょうがないなという感じに苦笑する。
そんな二人のやり取りを、樺地はどう思ったのか。
わからないけれど、その視線がどこか強くなった気がした。
それは、深司が気にしすぎているだけなのかもしれなかったけれど。



「景吾兄様…一番上の兄弟なんだけど。父様が何かお話があるからって。その前に自分のところに寄るように、ってことなんだけど。自分で来ない辺りが兄様らしいなぁ」
くすくすと笑って、樺地に同意を求める。
樺地は少しだけ困ったような顔をしながらも、小さく「ウス」と呟いた。





至極普通に答えながらも、内心は驚きと焦りで一杯だった。
深司にそれを悟られないようにするのに必死。
根が正直な彼女には、それは多大な労力を要した。



『お前のこの先…嫁ぎ先等について、父上からお話があるそうだ。その前に俺から話したいことがある。父上のところへ行く前に、必ず俺のところに寄れ。
それと、聞いた話じゃお前、奴隷を買ったそうだな。忍足から聞いて呆れたぞ。あれだけ嫌がってたのに、随分と早く手の平返しやがったな。まぁいい。そいつも連れて来い。
いいな、必ずだ。早いうちに来い。でないと…取り返しのつかないことになるぞ』



居丈高な文章だが、その言葉の端々からは、兄の心配が見える。
長年一緒に暮らしてきたからこそわかる、その程度にしかわからない心配。
が兄を嫌いになれないのはそのせいだった。
高貴なる身分で、他者は全て自分の踏み台のように思っていて。
奴隷など、人間としては絶対に見ない。
なのに、妹に対してはどこか甘かったあの人。
決してあからさまに可愛がることなどしなかったけれど、それでも愛情を感じることができた。

その兄が、何か話があるという。
それも、父からの話を聞く前に必ず伝えなければならないことが。
深司のことが関係しているのはわかるが、急がなければならない理由がわからない。
奴隷に対して、兄が同情するとは思えない。いくら可愛い妹の飼ってる奴隷でも、所詮は下賎な輩。それとこれとは話が別だ。
の目の前で深司を斬り捨てるくらい、簡単にやってのける人だ。
けれど、文面を読む限りもっと違う何かがあるようで。


行ってみなければ何もわからない。
しかし、行って危険が無いとも思えない。


それが、彼女に二の足を踏ませた。




父からの話というのも、結婚以外に深司のことが関係しているのは明らかだ。結婚話が出たこと自体、それが関係しているだろう。
結婚の話が出たことよりも、深司の身を先に案じる自分に苦笑が漏れたが、実際今自分にとって、深司以上に大切なものなど有りはしなかったし、深司を失って生きていける自信も無かった。



「明後日、兄様のところへ伺う。一緒に来て欲しいのだけど、構わない?」



少しの葛藤の後、彼女は深司に告げた。
極力何でも無さそうに言ったつもりだったが、耳に聞えてくる自分の声は、努力した程の効果は感じられなかった。
少し不安気に告げられた言葉に首をかしげた深司だったが、しかし彼女の様子が何かおかしかったからこそ、無碍に断ることはできなかった。
「俺に拒否権なんて、無いと思うけど」
素っ気なく答える彼に、そんなことは無いと否定しながら、ともかく一緒でなければ行くわけにいかないからと話をまとめた。
それも珍しいことだった。
いつもなら、深司がそうやって卑屈になる度に否定して、自分の行動さえ変えてしまうのに。
よほどのことがあるのだろうとは思えたが、それ以上はわからずにただ頷いた。



「それじゃあ、明後日の夕方、伺わせていただきます、と返事を。手紙にしなくても、構わない?」
「ウス」
「ごめんね樺地くん。いつも兄様の命令を忠実に聞いてくれて。兄に代わってお礼を言うわ」
「………」



樺地は、の兄、景吾の実に忠実な下僕だった。
どんな命令でも請負い、また完璧に行う。
愚鈍そうな外見に似合わず、繊細な作業も難無くこなした。
外見こそ美麗というには憚られるが、とても優秀な彼は景吾の一番の奴隷だった。
彼が景吾の元へ来たのは5年以上も前のこと。
飽き性の景吾はしょっちゅう奴隷を使い捨てていたが、樺地だけは彼の機嫌を損ねることもなく長期間に渡って仕えていた。



が実家にいた頃、樺地も幾度となく彼女の温情を受けていた。
兄の機嫌が悪い時、さりげなくフォローしてくれたり。
あまりに分に余る命令を受けた時は、励ましてくれ、時に手伝ってくれたり。
彼女は実家にいる奴隷たちにとって、正に救いだった。
その彼女が父と意見を違えて出て行った時は、どれだけの奴隷たちが肩を落としたことか。中にはすっかり絶望してしまった者もいた。
彼女が出て行ったのが白き羽の者たちを、つまりは自分たちのことを思ってのことであるとわかっていても、逆恨みせずにはいられない。そんな者までいた。
家の者も彼女の不在に苛立ち、憂さ晴らしのように無理難題を押し付けてくることが増え、結果として彼女が家を出て行ったその月、死者はいつもの二倍以上にものぼった。
そんなことは、口が裂けても本人に言えるはずもないが。




だから、そのが奴隷を買ったという話は、その家に飼われている奴隷たちにとって衝撃だった。
結局は彼女も他の黒き羽の者たちと変わらないんだと諦めた者。
そんなはずは無い、何かの間違いだと主張する者。
何か考えがあってのことだと信じようとする者。
様々だったけれど、それはあまりにも大きな波紋として彼らの胸にそれぞれ何かを残した。


家にその奴隷を連れてくれば、どうなることか。
心配しないでもなかったが、黒き羽の主の命は絶対だ。
自分に彼を諌めることもできなければ、彼女を思いとどまらせることもできはしない。
それ以前に、自分にそんなことが許されるはずもないし、そもそも自分で物を考えるということが苦手でもあった。
命令は忠実にこなすが、逆に自らの意思で行動するということを、ずっとしないれ生きてきたのだから当然だ。
考えても、行動に移すことができない。
奴隷たちにとって、辛い、苦しい、という感情はあっても、それをどうにかしたいと思える強さなど、残っていないのが普通だ。
樺地も同じで、だから心配していても、何を言ってやることもできなかった。






何とは無しに、の隣にいる深司を見る。
暗い印象を与える黒髪に、黒い瞳が更にそれを強調する。
白き羽にはおよそ似つかわしく無い生気の感じられる瞳。
に飼われているがゆえだろう。
だったら、は変わっていない。今自分に話しかける彼女を見ても、それは自明のことだった。

そのことに安堵しながらも、何かが気になる。
それは、彼女が奴隷を「買った」ことでも、家にいた頃なら当然のように寄り添っていた兄弟が隣にいないことでもない。
何かはわからないが、確実に感じる違和感。
以前の彼女と何かが違う。

わかりそうでわからない感覚に、自覚が無いまま苛立ちながら見ていると、の手が深司に触れた。ごく自然に。
あまりにも、自然に。
それを見た瞬間、わからなかった何かが急に頭の中に浮かんだ。




彼女の中に、慈愛とは違う愛情が存在している。




それが彼女の存在に違和感を与えたのだ。
一片のくもりも無かった陽射しに、一筋の影が差したように。
奴隷が傍にいることではなく、深司がの傍にいること。
が深司を受け入れすぎていること。
それが、とても危険に思えた。








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  間が空きすぎた上に半端な終わり方。
  ごめんなさい…。
  メインはほとんど樺地だし(爆)
  他に黒や白の羽に当てはめられそうな人って誰でしょうね。
  どうしても不動峰は全員白な気がして登場させられません。
  キケンキケン。
  氷帝全員出演…なんてことにはならないと思いますが。
  でも氷帝に偏ってるのは事実。

                       ’03.5.31up


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