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私は『彼氏』に「深司」という名前をつけた。 深く考えたわけじゃないけど、髪の黒さといい、瞳の黒さといい、黒だとか暗いだとかいう以上に「深い」という表現がいやにしっくり感じたからだ。 「深司」は素っ気なく「それでいい」と答え、自分の名前として認識したようだった。 深司は常に私のまわりにいたがろうとした。 Hは嫌だとくどいほど説明し、不承不承ながらも納得してからはしようとは言ってこなくなったけれど、キスなら構わないと言うと少し嬉しそうにして、やたらとしてきた。 説明書を読み返すと、どうもおかしな箇所がいくつもあることに気付いた。 内容と本体に、差がありすぎる。 基本的に愛玩商品だから、『彼女』を喜ばせることが第一とされている。 『彼女』といること、『彼女』を喜ばせることが『彼氏』にとって一番の喜びだと。 躾けられた犬のようだという私の感想は置いておくとして、深司にはどうもそういうところは見られない。 確かに私の近くにいたがるし、キスしてくるし触ってくるけど、「喜ばせよう」なんていう素直な可愛いところは全く感じられなかった。 自分がしたいからする。そう見える。 また、すぐ不機嫌になるというのもおかしい。 普通、不機嫌になられて嬉しい人なんていないだろうに。 時と場合によるとは言え、こうしょっちゅう不機嫌になられてはたまらない。 少し叱るだけで怒って黙り込んでしまう。かと思えばぶつぶつと延々文句を言い続ける。 相手が私でなければ投げ出していただろう。 面倒見が良いとよく言われる私は、実際目の前にこういう所謂『手のかかる子』がいると放っておけない。 勿論、そう分類される性格の中にも合う人もいれば合わない人もいるけど、幸いにも深司はどうやら「合う」方らしかった。 何かにつけすぐに不機嫌になる彼。 それでいながら、しばらく経つとこちらを気にしだし、それでも謝れないで自分と葛藤しながらちらちらと私の様子を伺ってくる。 その仕草を見ると、結局私の方から折れてしまうのだ。 許すとか許さないとか言わなくても、ただ手招きするだけで嬉しそうに(本人は隠しているようだけど)寄ってくる。 このひねくれた性格も私好みに作ってあるというなら、製造元は随分と手のこんだことをしてくれるものだ。 と、思ったりした部分もあるのだけど。 冷静に考えてみれば注文していない性格オプションなんてつくはずもなく。 それどころか私が加えたオプションはむしろ反対だったように記憶している。 メモを取っていたわけでもないけれど、わざわざ「すぐ不機嫌になる」なんてオプションをつけるほど酔狂ではない。 「好きか?」と聞いても答えは返ってこない。 ただ怒ったように抱きしめてくる腕がYesなのだと物語っていた。 そんな素直でないところも、愛しいと思ってしまう。 本当に、こんな性格なのにどうしてか惹かれてしまう『彼氏』だった。 深司を放って学校へ行くのは気がひけたけど、まさかこんな理由でズル休みするわけにはいかない。 後ろ髪を痛いほどひかれながらも、何とかふりきって登校した。 大体、本当なら休んでいる暇も他のことに気を取られている余裕もないのだ。 私の所属している部は全国大会を照準に日々練習を行なっていて、マネージャーとはいえ私の仕事量もハンパじゃない。 毎日くたくたになって帰って、宿題をする元気がギリギリ残るかどうかというところ。 とてもじゃないけど彼の要望に応えるだけの体力などあるわけが無かった。 「なんか、疲れてない?」 部活開始前。練習準備をしているところに、菊丸先輩が手伝いに来てくれての言葉だった。 部室に駆け込むところだった桃くんも、その言葉に足を止めて私の顔をまじまじと覗きこむ。 「あ、ホントだ。お前授業真面目に受けるからだよ」 「って、その助言はどーなのさ」 桃くんの言葉にすかさず突っ込む菊丸先輩。 事実、桃くんは部活のパワーを授業中の居眠りと早弁で養っている人だ。 桃くんのあの悪びれない顔を見ると先生たちも注意する気を殺がれるらしく、最近では苦笑して形ばかりの注意だけになっている。 「うーん、疲れ溜まってるのかな」 苦笑して返しつつ、内心は冷や汗ものだった。 私が疲れている理由なんて、一つしかない。 昨日深司が届けられてからの気持ちの問題だ。 相手が人形だとわかっていても、同じ家に同じ年くらいの男の子がいるなんて変な感じだった。 帰ったらきっと、また不機嫌な顔で抱きしめてくれるんだろう。 深司の暖かい腕を思い出すと、一人でに顔が熱くなるようだった。 人前なんだからと必死に抑えてはいるけれど、正直かなりきつい。 ともすれば何もないのに一人で百面相をしてしまいかねない。 友人にも挙動不審だと指摘されてしまった。 だって、『彼氏』なんて初めてだから。 それもあんなに私を呼んでくれて、素直じゃないけど必要としてくれる。 抱きしめてくれて、確かな安心感をくれる。 これで何の感情も動かないなんていうのは人じゃない。 「誰か」にいて欲しかった私にとって、彼の存在は嫌でも大きくならざるをえなかった。 「これ、運ぶの?」 後ろから伸びてきた腕が、私の持っていたボール籠をすっと持ってくれた。 結構重いけど、慣れた仕事だから特別辛いとは思わない。 当然、部員でも手伝ってくれる人はごく稀だ。 菊丸先輩とか、手が空いていれば大石先輩とか。もっとも、大石先輩は副部長としての仕事があるし、部全体に気を配っている人だからめったにそんなことな無いけれど。 「あ、ありが……」 珍しいなと思いながら振り向くと、そこにはここにいるはずのない顔があった。 「し、深司……!?」 「うん」 あんなに家から出ないでって言ったのに。 しぶしぶながらも頷いたはずなのに。 その深司が、あろうことか学校に顔を出すなんてどういうこと…! 言葉にならない叫びが頭の中で駆け巡るが、それを人前で言うわけにはいかない。 言うに言えないでいると、深司はボール籠を地面に置いて片手で私を抱き寄せた。 「だって、いないんじゃ俺のいる意味ないし」 私に、そして菊丸先輩と桃くんに対しての言葉だった。 そこに多分に棘が含まれて感じるのは、気のせいだろうか。 朝から放っておいて、やっぱり怒ってるんだろうか。 それとももしかして、嫉妬深かったりするのかもしれない。家にいただけじゃ気付かなかった発見だ。…っじゃなくて! ぎゅっと回された腕の意味に気付かない私じゃない。ましてや深司は絶対的な『彼氏』なのだから。 けれど、何も知らない二人にはそんなことはわからない。 呆然としながら、突然現れた少年の行動に声も出ないようだった。 「え、えっと……?」 「…どちらさん?」 しどろもどろに問いかけた二人に返された答えは至極簡潔なものだった。 「の彼氏」 その一言で、今日中に部活全体にこのことが広まるのは間違いなかった。 その後は大変な騒ぎになりかけたが、幸か不幸か部長が通りがかったことにより、あまり大事にはならずに済んだ。 部外者は出て行けという言葉に深司は反発したが、私が口添えをすると憮然としながらもコートを去っていった。 もっとも、帰りはせずに少し離れた位置でそれでもずっと居続けたから、結果としてその存在は部員たちにアピールされることとなった。 どうしてあんなこと言ったんだ、と怒る気にはなれなかった。 本当は困る。切実に困る。 なぜと言って、深司はあと二日でいなくなるのだから。 彼氏がいると広まって、その噂が広まりきる前に別れましたなんて言うのはあまりにもみじめだ。 けれど、確かに今現在深司は私の『彼氏』であり、彼が嫉妬深いというなら尚更、それは責められることでは無い。 やり場の無い怒りを持て余しつつ、既に完全に情が移ってしまった『彼氏』を見上げた。 その行動をキスをねだっていると受け取ったのか、深司は軽くついばむように唇に触れた。 体温も、柔らかさも、人間としか感じられない。 情が移ったなんて言葉では済まされない。犬や猫じゃないんだから。 相手が人形だなんて関係なくなってる。 最初に懸念した通り、私はもう彼を手放したくなくなっていた。 たった一日ちょっと。 恋が育つにはあまりに短い時間だ。 けれど、これまでこんな風に必要とされたことは無く、一人でいることに寂しさを感じていた私にとって、深司は本当に得難い恋人だった。 両親が仕事で家にほとんどおらず、義兄は海外へと留学中。 子供の頃から一人で過ごすことは多かったけれど、母の再婚をきっかけにその時間は目に見えて増えていた。 もう中学生になったんだから大丈夫だと母には笑ってみせたけど、心のどこかで寂しさを感じていたのも本当。 母子家庭の間に感じられた、二人だけの家族であるという絆が失われて、どことなく気持ちは不安定だった。 だから、だったのかもしれない。 普段なら触ろうとも思わないあんな怪しげなサイトのキャッチコピーを無視できなかったのは。 無料という文字を目にしたとはいえ、本当に注文してしまったのは。 一人でいるのが寂しくて、傍にいてくれる誰かが欲しかったのだ。 誰でも良かった。 ただ私のことを一番に考えてくれる人が欲しかった。 それが彼氏であれば言うことは無かった。 その結果がこれ。 結果として気持ちを埋めてくれたけれど、その後に訪れる喪失感はこれまで以上になるだろうことは難なく予想がついた。 自分でしたことに対して責任を持つつもりでいたけれど、今度ばかりは厄介だった。 我慢なんて慣れっこだったのに。 母にも、友達にも。 いつも自分が一歩引くことで丸く収まるならと、ずっとそうしてきた。 自分が我慢して終わるなら、それでいいんだと。 偽善かもしれない。けれど、習性と呼んで障り無いほどに、それは私の性格として染み付いていた。 なのに、どうしたって我慢しなければならない今、それができないなんて。 このまま彼を『購入』することは論外だった。 さすがに科学の粋を集めた傑作なだけはある、直視できないようなお値段だった。とてもじゃないけど払えない。 でも、このまま離れるなんて、きっとできない。 3日間。 それを深司はどう考えているんだろう。 彼は最初から自分が人形だということも、3日間のお試し商品であることも知っていた。 どんなに人間に見えても実際は人形である以上、割り切って考えられるのだろうか。自分は商品なのだから当然のことだと。 それに、返品したその後は? 私との記憶は消されるのだろうか。 それとも、彼女としての認識だけを切り替えれば、私のことを覚えていても他の購入者に対して同じことをするのだろうか。 この手も、腕も、唇も。 その心さえも、商品でしか無いのだろうか。 同じ手で新しい恋人に触れ、その腕で新しい恋人を抱き、その唇で新しい恋人の名を呼び、口付けるんだろうか。 「深司……」 初めて私は、自分から深司に抱きついた。 それはまるで子供が泣き顔を見られたくなくて顔を隠すような行動だったけれど。 それでも深司は驚いて、すぐに少し嬉しそうな顔をして、抱きしめ返してくれた。 ******************************** 他の登場人物出すかどうか迷ったのですが、 結局青学マネ(2年)設定に。 まさか深司が『彼氏』なのに不動峰生は無理だし (深司いない→人数足りない→全国出れない→最悪廃部?/酷) 氷帝だと『彼氏』が負けてしまう(笑) ’04.6.24up |