|
「ねぇ、」 聞いてきたのは、2日目の夜だった。 丸2日一緒に過ごして、大体の性格は把握できた。 聞きたいことは聞けなくて、どうでもいいことはすぐに口にできる。 まるきり人間のような彼。 その深司が、少しばかり言いにくそうに口を開いた。 「俺、3日間のお試し商品だよね」 言われて胸が痛んだ。 彼が全てを承知の上でここにいるとわかっていても、彼自身の口から聞くと辛かった。 「うん……」 なるべく平静を装ったけど、そんな必要はなかった。 簡単に言えていれば、それはそれで深司を傷つけていたからだ。 そう、彼は傷つく。人形だなんて嘘みたいに。 それがインプットされているだけなのだとしたら、なんて技術だろう。 もう私は彼の行動を「設定」として見ることはできなくなっていた。 仕草の一つひとつ、感情の一つひとつがまるで人間だった。 それを設定だと自分に言い聞かす方がよっぽど難しいほどに。 答えた私の声は少し落ち込んでいた。 それで深司も少し元気が出たのか、私の瞳を覗き込んできた。 「もうあと一晩しかない。ホントに、しないまま返品するの?俺、NIGHTLYシリーズなんだけど」 あと一日でお別れ。 そのことに落ち込んでいた私にとって、この言葉は違う意味での現実に引き戻されるものだった。 彼は「NIGHTLY LOVER(夜の恋人)」シリーズ。 夜のお相手用として造られている。 だからこそ起動した最初から何度も誘ってくるのだ。 けれど、そんな目的で注文したわけでなかった私は、これには正直辟易した。 肉体関係だけが目的のように感じられて仕方がなかった。 無論、それに拒否感を覚えてしまうのは私がまだ子供で、言ってしまえばまだ彼に相応しくないから。 本当に『彼』を購入するなら、最初からそのつもりでいるべきだったのだけど。 それでもこればかりは断固許容できない。 子供だと認めてしまってもいい、そういうことを簡単にはしたくなかった。 それに、明日には彼はいなくなるのだから。 思い出作りなんて割り切れる自信は皆無だった。 拒否しようと深司の方を向いた瞬間、間近に彼の顔があった。 この2日間で何度も経験したとはいえ、まだ慣れない。 近くに吐息を感じるたびに、相手が人形だということなど忘れ去ってどきどきした。 私を映している真剣な瞳。 至近距離に吐息を感じ、開こうとした口は音を紡ぐことができなくなる。 狙っているような行動だけど、彼にとってこれは本能のごとく最初から染み付いているのだ。…設定として。 何も言えないでいると、深司は黙って口付けてきた。 つい2日前まで、私はキス一つしたことがなかった。 初めてのキスは人形だ…なんて、人に知れたら笑い飛ばされそう。 でも、相手が人形だから物の数には入らないとは、少なくとも深司に対してそうは思えなかった。 この2日間で、一体何度繰り返しただろう。 Hを拒むと凄く不機嫌になって、それでいて落ち込んでるようで。 放って置けなくてつい「キスなら構わない」と言ってしまったが最後、隙あらばこうして何度も口付けてきた。 困りながらも嫌だと感じない。 そんな自分に困っていた。 いつもなら、何度も何度も繰り返し口付けてくる。犬が顔を舐めるように。 もっとも、犬に舐められるよりも数倍タチが悪いけれど。 それが、今はたった一度、軽く触れただけで離れていった。 「…深司?」 これを物足りなく感じるなんて、随分毒されたものだ。 それでも明らかに今の深司の態度はおかしい。たった2日でも、それくらいはわかる程度にはずっと一緒にいた。 案の定、顔を離した深司はそのまま目を逸らすようにふいと横を向いた。私の体をぐいと押しやりながら。 更にそのまま勢い良く立ち上がり、私に背を向けた。 拒絶しているような背中に慌てて駆け寄る。 「深司?何、私何かした?」 焦った。心底焦った。 嫌われること、拒否されることは昔から格別怖かったけど、今ほど恐ろしかったことはほとんど覚えが無い。 無意識のうちに立ち上がり後ろから彼の腕を取ろうとしたが、その手は乱暴に払われた。 目の前が真っ暗になった。 相手は人形なんだって。どうせ明日でお別れなんだって。 頭の中で色んな理由を列挙して自分を叱咤するのに、全然効果は無くて。 さっきとは違う意味で何も言えなくなって、ただ呆然と見上げることしかできなかった。 「あ……」 はっとしたように振り返った深司は一瞬驚いた顔をして、すぐに泣きそうに顔を歪めた。自分の方が傷ついたみたいに。 視線を床にやって、後悔してるって全身で表してて。それでも謝れない。 そんな深司を見ながらも、絶望って言葉がぴったりな私の心のもやは晴れなかった。泣かないでいるのが精一杯。気を張っていてさえ目の端に涙が滲んでいる。 だめだ。 今泣いたら、余計に深司を追い詰めるだけだ。 後悔してるのに。謝りたくても謝れないって、こんなに全身で表してるのに。 その深司に追い討ちをかけるようなことはしちゃだめ…! 必死に自分にそう言い聞かせて、無理やり笑顔を作る。 涙は滲んでいたかもしれないけど、自分では出来る限り上手くやったつもりだった。 次の言葉は「ごめんなさい」 何が深司を不快にさせたのかわからないけど、とにかく謝らなくちゃいけない。 そう思って言葉を発しようとした。 「……ごめっ…」 自分では、できていたつもりだった。 笑顔を作ることも、平静を装って謝ることも。 それなのに、実際に声に出してみたら、それは無様なほどに悲しみに満ちていて。 声を出そうとした瞬間、堰を切ったみたいに涙は出るし、そうなると当然声も涙で詰まるし、もう散々だった。 こういうのは慣れていたはずなのに、こんな肝心な時にできないなんて。 泣き顔を見られたくなくて、反射的に後ろを向いた。 部屋へと駆け込まなかったのは上出来だろう。 そんなことをすれば本当に「拒絶」でしかなくなってしまう。 けど、涙は当分止まりそうになかった。 見なくても困っているのが気配でわかる。 何かを言おうとして、けれどできないまま息をついて口を閉じる様がありありとわかった。 互いに固まったまま、動けないでいた。 「……悪かった」 無駄な努力であっても、涙を止めようと必死になっていると、後ろから深司の声が聞こえた。 初めての謝罪の言葉だった。 深司は絶対に謝らない。 たった2日。されど2日。 何度もいわゆる「ごめんなさい」というべき場面はあったけれど、一度として謝ってきたことはなかった。 後悔していることは態度でわかったし、反省もしているようだった。 ただ、それを言葉にできない人。 だから、私はその度に何事も無かったかのように声をかけた。振り返ると、彼はいつもほっとしたような顔を向けた。 振り向かない私の背中に、深司は続けた。 「…返品されるなら――多分、そうなるってわかってるけど――多分俺は、リセットされる。との記憶も全部、無くなって、他の客に売られることになる」 深司の言葉は私の心を深く抉った。 覚悟していたけど、考えないようにしていたことだった。 けれど、それは紛れも無い事実。 以前の『彼女』のことを覚えたまま次の客に売りに出すことはできない。当然全てを忘れるのだろうと予想するのは簡単だった。 たった3日間なのだから、その方がいいんだ。 どうせ購入することはできないのだから、いっそ「忘れられた」のなら、私も割り切ることができるだろうと思いこもうとした。 でも、できなかった。 まだ目の前に現実としてつきつけられたわけじゃない。 だから、考えないようにした。 そうしないと、その3日間さえ笑って過ごせなくなりそうだった。 「それ、考え出したら…俺、自分がわからなくなって。じゃあ、の『彼氏』である『俺』は、一体何なのかって」 反射的に振り向いていた。 考えなかったわけじゃない。 でも、私が考えていたのはいつも深司がいなくなった後の自分の気持ちばかりだった。 深司がどういう気持ちなのかまで考えていなかった。 自分が商品であることは認識しているんだから、きっと割り切れるんだろうとその程度で。 傷つくのは自分だけなのだと、無意識のうちにそう考えていた。 けど、違う。 人形でも、物を考えてる。心を持ってる。 だったら、傷つかないはずがない。 不安に思わないはずがないんだ。 目が合うと、深司は苛立つように視線をはずした。 「だったらせめて、今はの『彼氏』であろうって。そうするしかできないって思った。なのに、はしたくないっていう。じゃあ何のために俺はここにいるんだろう。考え出したら、本当にわからなくなった」 「深司……」 胸が痛かった。 人形なんかじゃないって思いながら、人形だから傷つかないんだって、自覚が無くてもそう考えていた自分に死ぬほど嫌悪を感じた。 都合のいいように、人形だ、人間だ、って。 最低だ。 深司は理解した上で私の『彼氏』でいてくれたのに。 私を『彼女』と呼んでくれたのに。 一歩。足を踏み出した。 よろけるようにもう一歩踏み出す。 ゆっくりとふらつくように深司の方へと歩み寄り、そのままぶつかるまで進み続けた。 と言っても私の足でたったの5,6歩だ。すぐに到達する。 ぶつかって、顔をあげないまま彼の体に腕を回した。 深司は戸惑ったようだったけど、黙ってされるままになっていた。 自分がしようとしていることが、正しい自信なんて無い。 怖くて今すぐ逃げ出したい気持ちもある。 体は正直にその心を表し、彼に回した腕は震えていた。 でも、今しかないんだ。 最後の夜。 もう明日には『深司』はいなくなってしまう。 起動させる前の、ただの商品に戻ってしまう。 そうして他の人のところに売られて、他の名前を貰って、新しい『彼女』を愛し、愛される。 それはもう、深司の体であっても『深司』じゃない別の人だ。 それさえも二度と会うことは無いかもしれない。 それでも、このまま別れてしまったら後悔すると思った。 「……して」 消え入りそうな声だった。 自分でも本当に声を出せていたか自信が無いくらい。 ましてやそれを他人が聞き取れたとは思えない。 けれど深司は驚いたように体を震わせ、怖々と私の頭に触れて顔をあげさせた。 「…?」 聞き間違えたと思ったのかもしれない。 あるいは、冗談だと思ったのかもしれない。 それでも微かな希望を抱いた顔。 一見無表情なのに、どうして私は彼の気持ちを読み取ることができてしまうのだろう。時に厄介なほどに。 そんな顔を見せられたら、やっぱり嫌だなんて言えやしない。 言い直すだけの勇気は無くて、代わりに私は自分から口付けた。 起動の時を除けば、初めての自分からのキスだった。 ******************************** パラレルであっても変わらないウチの深司夢のヒロインちゃん(笑) どんなに泣かされても深司がいいのです。 むしろ深司の方が変わってしまって四苦八苦です。 フィギュアとしての部分と本来の深司とのキャラが合わない。 長太郎とかの方が合うんだろうなーと思いながらも 深司が書きたいんです。 ’04.6.29up |