究極の相互理解












学校へ通うようになって、嫌でも思い知らされた。
私が女であって、二人とは違う生き物であるということを。
それを思ったよりすんなり受け入れられたのは、あの時の千種の言葉があったからだった。






あの日、帰ると犬が飛び出してきた。
第一声は「バカヤロ!」
言葉と一緒に伸びてきた手は私の頭をがしりと掴み、力任せに押し付けられた。

「あーもうっ、何考えてんだびょん!で、だから全然いいってのに!!」
「……犬、落ち着いて」
「知るか!」

頭の悪いことを叫びながら、捕まえた私の頭をわしわしかき混ぜる。
乱暴で痛いのに、その手は千種と同じで暖かくて。
犬の肩に顔をうずめながら、私は素直に謝った。
涙が出そうだった。

あまりに頭をかき混ぜすぎて、折角千種が留めてくれた髪留めが落ちそうになったところで、ようやくストップがかかった。
急激に不機嫌な千種の手によって。

「……犬、落ちる」
「へ?」
「髪留め。…俺の苦労、無駄にする気」
「うわっ、ごめん!」
「ていうか頭傷だらけになった気がする」
「それは自業自得」
「千種冷たい…」

当たり前に迎えてくれる二人が嬉しかった。
ケンカしたってすぐ元に戻れる。
ここは確かに私の居場所だった。






けれど、学校へ通い出せばそうそう一緒にはいられない。
黒曜第一中学に転校生として入学した私たちは、見事にバラバラのクラスにされていた。


思えば、同じ年頃の子供達と共同生活というのはファミリーを離れて以来。少し落ち着かなかった。
ましてやクラスメイトたちというのは、日本で平和に生きてきた人間ばかりで。同じ生き物だとはそれこそ思えなかった。
平然と、ふざけて「殺すぞ」なんて言葉が出てくるなんて、正気かとさえ思った。
彼らは本当にそう思って言ってるわけじゃない。それはすぐに飲み込めたけど、私たちにとってはそうじゃなかったから。
殺すと言われれば、殺される前に殺れが当然で。そんな声が聞こえるたびに、反射的に体を固くした。
結局、「死」とは無縁の世界で生きているから平気でそんなことを言えるんだと、すぐに学んだ。

人間性の問題もあったけれど、それ以前に大勢の人間がいる場所ということ自体が、もはや自分とは相容れないもののような気がした。
どうやらそれは千種も同じらしく、特に付き合いらしい付き合いも無いまま淡々と過ごしているようだった。
対して、お調子者の犬はすぐに人気者になっていた。
相変わらず面白いくらいに正反対な二人だ。
私はと言えば、そこそこに話をする人間もいつつ、けど特別目立つわけでもないという、何の変哲も無い一般人という位置づけを確保した。


男の子は男の子と。
女の子は女の子と。

グループっていうのは自然とそう別れるらしく、私も自然女の子たちのグループに混ざっていた。
クラスでも別段派手じゃなく、ごく普通の女の子たち3人の中に混ざりこんだ。
というか、勝手に入れられていた。
特に不満があるわけでもなかったし、どうせ仮の居場所だ。
表面上穏やかに付き合うには丁度良い顔ぶれだった。
どんなにそれらしいところができようとも、私の居場所は結局骸さんのいるところだと思っていた。
気付いているのかいないのか、女の子たちはいつも楽しそうに私に話しかけてきた。




って人気あんだってなー、知ってた?」
「は?」

交友範囲の広い犬が、どこから聞きつけてきたのかそんなことを言い出したのは、転入して1週間くらいしてからだった。
家に帰って面白そうに私に聞いてきた。

「なんか、男どもの間でさ。結構イイじゃんって」
「ふーん」

けれど、それに対して何という感情も浮かびはしなかった。
二人に私を女扱いされた時みたいな激情も、かといって普通の女の子のような喜びや恥じらいなんてものも全く無く。
自分でも不思議なほどに落ち着いていた。
結局のところ、私にとって問題なのは犬や千種や骸さんの気持ちなのであって、私にとってどうでもいい人間が私を女として扱おうと、全くもってどうでも良いのだと気付いた。

私の答えに犬は面白そうに笑った。
ちょっと満足そうでもあったかもしれない。
私たちの世界は、広くて狭い。
世界を視野に入れている骸さんに従い、私たち自身もそれを見据えながら、大事なのは今一緒にいる身内だけ。
その矛盾した世界が私たちにとっての全てだった。




ただ、それだけで生きていくこともまたできないと知ったのは、それから数日後。
よくいう「告白」というものをされて思ったことはただ一つ。
どうして放っておいてくれないのかということ。
私にとって他人は他人で、犬と千種と骸さん以外の人間なんて基本的にどうでもいい。
どうでもいい人間が何を言ってきても面白くも何とも無いし、逆に私の世界に足を踏み入れられるのはハッキリと不快だった。

「ごめんなさい」と頭を下げると、幸いにも彼はそれで引き下がってくれた。
けれど、それで全てが済んだわけでもなく。
幾日かごとに別の人間から呼び出されては同じことの繰り返し。
本当にうざったかった。





そんな毎日を過ごすようになったある日、授業中に保健医が私を呼びに来た。
授業中であるのに呼びに来るというのは、よほどのことなのだろう。
受け持ちの英語担当の教師も、アッサリと退出を許可してくれた。
私が英語に関して好成績を収めていたことも原因の一つかもしれない。
昔ファミリーにいた頃は英語で話すこともあったから、全然楽勝だったし、同時に本が好きだったこともあって文法も嫌いじゃなかった。
人生何が役に立つかわからない。


「柿本…くんが?」


保健医は、私を連れ出すと歩きながら事情を説明してくれた。
簡単に要約すると、「体育で倒れた柿本千種がを呼んでいる」ということだった。


話しやすそうな中年女性であるこの保健医は、そこそこに人気があるのだと聞いている。
具合の悪い人間がおしかける場所なのだから、話の通じる温かみのある人間でないと務まらないのだろうけど、実際お母さん的雰囲気を持っている人だった。
と言っても、物心つくころにはファミリーにいて「お母さん」というものを知らない私にとっては、あくまでもイメージ的なものだけど。多分、間違っていないはずだ。

保健医は千種の弱々しそうな様子に、一も二も無く請われるままに私を呼びに来たのだそうだ。
少々甘い気はするが、千種の外見が非常に弱っちく見えることは確かだ。
ましてや転校生。慣れない環境で、親しんだ人を呼ぶ心はごく当たり前だと判断したのだろう。
歩いている間も、しきりと心配していた。
他人に心配されるというのが何だか居心地悪く、少しばかり苛立った。
この保健医も、私たちにとっては他人なのにという心が無意識に動いていた。
千種を心配するのは、私たちだけでいい。私と犬だけでいい。
骸さんは、心配なんてしない人だから今ばかりは候補から除外。
唯一、他人でも許容できるのはランチアくらいのものだ。あれは単純に子供好きのお人好しだから。


それにしたって体育で倒れるなんて、おかしな話だ。
いくらひ弱そうな根暗そうな外見でも、あれで結構体は鍛えている。
中学生の授業で倒れてしまうようなヤワさとは無縁のはずだ。
顔にボールが当たろうと、気温が最高潮に高かろうと、それくらいで倒れていては骸さんの右腕どころか耳たぶにもなれやしない。
首を傾げたが、保健医は何を驚くことがあるのかとむしろ表情を険しくした。病人は労われと言いたいらしい。
説明する気もなかったので、とりあえず黙って頷いた。





転校して2週間とはいえ、毎日通う建物のチェックを怠ってはいない。
保健室の場所はちゃんと記憶していたが、入るのは初めてだった。
扉を開けると、特有の消毒液の匂いが鼻についた。
思い出したくも無い過去が一瞬フラッシュバックしたが、すぐに現実に戻って案内されるままに千種の元へと足を進めた。


「……


保険医の言う通り、千種はベッドに横になっていた。
意識を失っているわけでは無かったので、すぐに反応した。動きは確かに少しだるそうだった。
メガネは脇に置いてあった。
千種の視力を思えばどう考えたって私の顔さえ判別できているわけが無いのに、その目は私を捉えていた。

「何やったの」
「ボールが後頭部に、こう」

ガツンといったらしい。
しかし、後ろからとはいえ避けられないものでもなかったろうに。

「変に目立つのも何だし。それに、ボール蹴ったの、犬だし」
「その犬は」
「煩いから帰らせた」

ごもっとも。
頭を打って頭痛がしている時に、犬が横にいては余計に酷くなるだろう。
悪いと思っているなら尚更、ぎゃんぎゃんと謝罪を繰り返すに違いない。
心底悪いと思っていても、それでは逆効果だ。
そして、残念なことに犬にはその逆効果しか期待できない。


だからって私を呼ぶ必要も無いだろうに。
思ったけど、それに関しては言わないでおいた。



千種はすぐに手を差し出した。
何年も一緒にいて、その意味がわからない私じゃない。
差し出された細い手を握って、私は千種の横になっているベッドの端に腰を下ろした。
千種はきゅっと手を握り返してきた。

保健医はとっくに自分の仕事に戻っていた。
病人の頭元に何人もいるのは好ましくないということらしい。
カーテンで遮断された空間は、二人きりで落ち着くものだった。



「………どこにも、行くなよ」

しばらくして、千種が呟いた。
ころんと首を横に向けて、そっぽを向いて。
何やら不機嫌そうだった。

「昼休みまでならね」

今は4時間目。
次はランチタイムだ。
そこまでが限界だ。さすがに5時間目の理科はサボれない。苦手科目を抜け出せるほど私は頭が良くない。
別に成績が良かろうと悪かろうとどうでもいいけれど、可能な限りの知識はつけておいて損は無い。
いつ何が役に立つかわからないのだから、チャンスは無駄にするべきではなかった。

私の答えに千種はむくれた。多分、他人が見ても変化があったとは思えないくらいの微妙な動きだが、私に見逃せるものじゃない。
子供の頃みたいで、苦笑する。
私たちの中で一番大人な千種だけど、時々一番子供みたいになる。
そういう時、やっぱり変わらないんだと思って嬉しくなる。


「そうじゃ、ない」



千種は寝ていた上半身を起こし、繋いでいた手を引っ張って私を呼んだ。
強い瞳が近くにあった。



「俺の居場所はここで、の居場所はここだ。そうだろ」



その「ここ」が、学校でも保健室でもないことは明らかだった。
ではどこだというのか。
簡単だ。骸さんのそばだ。他のどこに私たちの居場所があるというのか。

でも。

今千種が言っているのは違う気がした。



言いたいことが掴みかねて、千種の言葉を肯定できない。
すぐ目の前にある瞳は射抜くように私を映していたが、すぐに不機嫌そうに細められる。





「……ここ」




トントン、と。


回された腕で背中を叩かれて、ようやく意味がわかった。
もっとも、これでわからなかったら半殺しにされていただろう。千種は根に持つと怖い。

私の居場所は骸さんで、骸さんのそばには犬がいて、千種がいて。
だから同じ場所にいる。私たちはずっと。
そういう意味にも解釈できる。

ただ、千種が言ってる意味はそうじゃない。
理由は無く、ただ本能的にそう感じた。




「……ちくさ…」



前みたいな、頭からの拒絶反応は起こらなかった。
代わりに戸惑いが溢れる。
どうして千種はこんなことをするんだろう。
私たちはずっと一緒で、なのに…。







が、好きだ」







疑問に答えてくれたのか、それとも完全に私の気持ちは無視したのか。
どっちともわからない感情の読めない声だった。


私もしょっちゅう言ってるはずの言葉なのに、今は全然違って聞こえた。
千種が「好き」と言葉にすることも珍しかったけど。
今まで私が散々言ってきた「好き」とは違うってことくらい、飲み込めた。
だから、「私もだ」と咄嗟に返すことができなかった。





固まってしまった私を離し、何もなかったようにメガネを取った。

「いつまで呆けてんの」

くい、とメガネをあげた千種はいつも通りだったけど。
まさか即座にいつも通りに返すことは、私にはできなかった。
ぎこちなく首を動かした私に、ため息をつく。
どうして千種はこんなに平静でいられるんだろう。



一度離れた千種は、すぐに戻ってきた。
今度は抱きしめたりせずに、ちゃんと顔を見せてくれた。向き合うというには、少しばかり近すぎたけど。
普通なら目を合わせる方がやり辛いだろうに、今は少し安心できた。
それは、今まで一緒に歩いてきた私たちの距離そのものだったから。


「…別に、そんな顔させたかったわけじゃないんだけど」
「うん…」


わかってる。
千種はいつも私のことを考えてくれるから。
困らせたかったわけじゃないって、わかってた。
ただ、言われて困ることくらいはわかってくれてただろうに、とも思った。
要するに、それがわかっていても言わずにはいられなかったと、そういうことだって。わかってしまうから余計に困る。
私たちは、互いに互いをわかりすぎている。


「最近、周りが煩いから。少し、釘刺しておこうと思って」
「周り?」
の周り」


思い当たることはありすぎた。
私にとって、犬と千種と骸さん以外に初めてできた人間関係。
表面上だけでもそれは友人と呼ぶものであり、学校にいる間はほとんどの時間を一緒に過ごした。
そして、特別深い付き合いはなくても、私に告白してくる男の子たち。
こっちは正直なところ論外だったけど、見た目にウザいことに変わりは無い。

でもそれは、私にとっても同じことで。
言い寄ってくる彼らが邪魔であることも、一緒にいる彼女らとの付き合いが表面上であることも。
失礼な話だとは思う。
けれど、結局のところ、私とあの子たちは別の生き物だ。
同じ生き物としての前提で、相互理解などできるわけがない。


「骸さんならともかく、千種や犬ほど大事な人間なんて、いないよ」
「うん、知ってる」

釘を刺すなんて言ったくせに、平然とこんなことを言う。
なんだか泣き笑いになった。





「Direttamente simultaneo」

「…Naturalmente」






私はまだ、千種に返せる言葉は何も持っていない。
それでも、嫌だとは思わない。
それだけでも進歩だと、千種ならわかってくれるだろう。

だから、こう言ったのだ。



(ずっと一緒にいよう)



そうして一緒にいるうちに、答えが見つかると思うから。
千種にもらってきた色んな気持ちを、返すことができる気がするから。



今はまだ、一緒にいよう。
これからもずっと、一緒にいよう。


三人だった私たちが、これから二人だけが特別になるのかどうか。
それはまだ、先のことだから。




+++++++++++++++++++++++++++

  ん、頑張った…!(笑)
  千種とこのヒロインちゃんで恋愛は亀足です。
  ゆっくり育つの大好きです。
  イタリア語変換機能使ったので、間違ってたらごめんなさい。
  意味は「ずっと一緒にいよう」「もちろん」です。

                        ’06.1.27.up


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