僕が生まれた日










じゃり……


足元に散らばった砂利は、来訪者の存在をアッサリと伝えた。
僕とボンゴレ10代目の戦いで老朽化を早めた床は、もはや気をつけなければいつどこが落ちるかわかったものではなかった。

とはいえ、マフィアに身を置くものだ。足音を殺すことは造作も無いだろうに、故意にそれをしなかったとしか思えなかった。
僕に向かってくる足音は、存在を誇示するように明確だった。





「何かご用ですか?」




問いかけた瞬間、足音がぴたりと止まる。
振り返りはしなかったけれど、背中を向けていてもわかる。
彼女だ。
存在を確かめるのに、もはや目すら必要無かった。
そこにいるだけで、魂が叫んでいるのがわかる。
こんな感覚は、めったにない。



問いかけに答えは無かった。
背中越しに躊躇う気配がする。
しばらく葛藤していたようだったが、結局言葉がみつからなかったのだろう。
最後に、諦めたように息を吐いた。


僕は僕で、彼女に背を向けたまま。
振り返ることがなぜだかできかねた。
顔を見てしまえば、何か一気に価値が無くなるような気分だった。








彼女が足を止めたのは、手を伸ばしても決して届かない距離。
暗黙の了解のような、僕ら自身の距離だった。








いつもそうだ。
彼女が僕の手に入ったことなんて、ほとんどない。
愛し合えた時でさえ、彼女は僕のものにはならなかった。
どんなに近くにいても、彼女の帰る場所は別のところだった。
そして、何度欲しいと繰り返しても、彼女は首を横に振るのだ。
だからこそ、僕は彼女を欲した。
簡単に僕の手に入るような時は、かえって僕を興醒めさせた。




「アナタは……」




どれほどの沈黙が続いただろう。
先に声を発したのは彼女の方だった。
何かを聞こうとして、けれどまた口を閉ざす。
何か聞きたいことがある。けれど、それが何なのか、自分でもわかっていない。
見ないでも様子はありありとわかった。


また途切れるかと思ったが、そうはならなかった。
ただ戦法を変えてきた。
口を閉ざすのでもなく、続きを言うのでもなく、全く関係ないことを告げた。




「明日、イタリアに帰る」




眉がぴくりと動いた。
何のために、とも思ったが、別にそんなことはどうでも良かった。
ただ、しばらく会えなくなるなと思った。
もしかしたら、今生の別れかもしれない。
敵として現れた僕に、彼女が自分の意志で会いたがるとは思えない。

そのこと自体は誤算でも何でもなかった。
敵となるなら、強敵として彼女の心に残れば良かった。
いっそ、僕を殺したいと思ってくれるならそれも良かったのに。

今度みたいなのは、一番半端だ。
彼女は僕に正の感情を抱くことはないだろう。
なのに、憎んでさえくれない。
ボンゴレ10代目に負けた僕では、決して脅威になりえない。
力不足と言えばその通りだが、間抜けすぎる誤算だった。






「私はまた…アナタを置いていくことになる」






ハっとした。
淡々と告げられた言葉の意味。わからない僕じゃない。
覚えて…いや、思い出したのか。
反射的に振り向いてしまった僕に向けられたのは、微笑ましいような苦笑だった。


「やっぱり、『また』になるのね」


肩をすくめる彼女に、けれど懐かしさといった感情は見られない。
すぐにハメられたのだと気付いた。
前世の記憶が戻るわけがない。考えるまでもない当たり前のことなのに、ひっかかってしまった僕は馬鹿だ。



「前世がどうこうって、ピンと来ないんだけど」
「そんなの…当たり前ですよ。むしろ必要無いものだ。前世のアナタは、アナタでありながらアナタではない」



困ったように笑う彼女に、思わず返していた。
『彼女』であって、『彼女』でない。
だから彼女は僕を愛したこともあれば憎んだこともあったのだし、僕もまた然りだ。
転生するたび狂おしいほどに求めながら、『彼女』に対する感情は、その時々において違っていた。
そして今は……正直、邪魔だ。
ボンゴレの一員である彼女。
もし僕がこれからもマフィアを潰そうとすれば、彼女は躊躇い無く僕に向けて引き金を引くだろう。
僕の計画を狂わす存在ならば、邪魔でしかない。




「私はアナタの何だったの?」


素直な問いかけに、嘲るように笑った。

「必要無いと言ったでしょう。以前のアナタが僕の恋人であろうと仇であろうと、決して今のアナタと交わるものではない」
「じゃあ訂正。…一体何度、アナタと出会ったのか」

跳ね付けるように言っても、全然気にした風は無かった。
あっさりと質問を変えてくる。
『何度』。
どうしてそんな風に思ったのか。
普通ならばそうは考えない。前世と言われて咄嗟に連想するのは、一つ前の生だけだ。
それ以上を気にかける者はそうそういない。


「どうして一度でないと思うんです?」
「一度きりだったのなら、何度も転生した記憶を持っているアナタが気にするとは思えない」


…まったく、核心をついてくれる。
躊躇い無く返された言葉に、僕は白旗を揚げた。
どうにも今は僕の分が悪かった。




「忘れてしまいましたよ、そんなこと。数えていても仕方ありませんしね」


僕の答えに、かすかに目を見張った。
さすがにそんなに多いとは思っていなかったのだろう。
追い討ちをかけるように、付け足した。

「愛し合ったのは、そのうち5,6回ってところだったとは思いますが…まぁ、それも確かじゃありませんね」

ただし、憎まれたのはもっと多い、と心の中で付け足した。
わざわざ言う必要は無かったし、彼女を驚かせるにはむしろ正の感情だけを強調するべきだった。
だいたい、何回だったところで意味は無い。
それは彼女であって彼女でないもの。
今の彼女に意味があるものではない。


戸惑いは隠しきれないようだったが、それもすぐになりを潜めた。
本当に驚きが落ち着いたのか、表に出さなくなっただけなのかはわからない。
ただ彼女は、困ったように笑った。





「そのおかげで10代目の邪魔をしてしまった、なんて。言い訳にもならないなあ…まったく」





あの戦いで、僕を庇った彼女。
無意識だったらしく、自分の行動に驚愕していた。
まるで罪でも犯してしまったかのような情緒不安定ぶり。
何かにすがりつかずにはいられなかったのだろう。
抱えていた僕を…というより、たまたま手近にあったからだろう。僕でなくても同じことだ…強く抱きしめていた。
すがりつく対象にされてしまったせいで、彼女の体が震えているのがより鮮明に伝わってきた。
彼女にとってのボンゴレの大きさがわかると同時に、それでも僕を庇った理由がわからなかった。
覚えてもいない記憶が、魂が、肉体を突き動かすなんて、あるはずがないのに。



「本当に。言い訳になんてなりませんよ」



あの時、どうして僕は彼女を抱き返したのか。
安心させるように腕に抱え込んだのは。
そのまま彼女を殺すでも、その体を使って戦うでもできたのに。
僕もまた、体が勝手に動いていた。
けど、それがどうだというのか。
まさか、それだけで僕が今の彼女を愛した理由にでもなると?





「アナタが僕を覚えていたことは一度もなかったし、体が勝手に動くなんてことはもっと無かった」





そう吐き捨てて、僕は顔を背けた。


…吐き捨てる?



どうして。
その時初めて、自分が苛立っていることに気付いた。
感情が荒れている。
僕を知らない彼女に会ったことなんて、それこそ何度もあったというのに、何を今更。






頬に何かが触れた。
彼女の指だった。
こんなに近づかれるまで気付かないなんて、どうかしている。

「何を……」

すぐに離れた彼女の指を見て、驚く。
濡れている。
慌てて手をやると、僕の右頬は濡れていた。
今は浄化された右目からだけ、涙が伝っていた。



「どう、したい?」



静かに彼女は聞いた。
それは先ほどまでの、自分の知りたいことに対する質問ではなく、かといって押し付けがましいものでもない。
ありのままの、彼女自身だった。
向けられた瞳は真摯なものだったが、哀れみも心配も映っていない。
何の感情も見られないのに、確かに僕に向けられた何かしらの思い。






言葉にするのももどかしかった。
僕はただ、感情のままに彼女を抱きしめた。
力任せに引いたが、そこは彼女もマフィアになるべく鍛えた体だ。
痛みを訴えることもなく、黙って僕の腕の中に納まった。




理屈なんかわからなかったし欲しくなかった。
彼女はどうしたいかと僕に聞いた。
僕はただ、彼女を抱きしめたいと思った。
それだけだ。







ああ、そうか。
僕が探していたのは、求めていたのは。

『彼女』だからじゃない。

今この腕にいる少女が、僕の欲していたものとぴたり一致していたから。
だから欲しかったのだ。


『彼女』であると感じてしまったがために、わからなくなっていた。
彼女と『彼女』の境界線。
必要なのは、前世じゃない。記憶じゃない。
僕が欲しいと感じたこの気持ち。
例えこの少女が『彼女』でなくても、僕はいずれ求めただろう。


考えすぎてわからなくなっていた、本当の僕の気持ち。









「名前を……呼ばせて下さい」


予想しなかったのだろう。
一瞬の沈黙の後、承諾の声が聞こえた。
腕の中のくぐもった声に、さすがに手を緩める。
自慢じゃないが腕力には自信がある。
彼女がいかに鍛えていても、窒息させては意味がない。


目前に迫った顔に、手を触れる。
彼女の顎に手を添え、唇をなぞってから、僕はその名を口にした。


「……


思えば、ちゃんと彼女と認識して名を呼んだのは、初めてだったのかもしれない。
そういえば、以前の『彼女』がなんという名前だったのかも忘れてしまった。
存在だけは、こんなにも鮮明だというのに。
僕にとって重要だったのは、が『彼女』であること。決してであることではなかったから。
初めて口にして、その名前が愛しいものに思えた。






そうして。









「呼んで下さい。僕の、名前を…」










彼女の口で紡がれた己の名に、僕は初めて生まれた気がした。








+++++++++++++++++++++++++++++

  来週のジャンプ見る前に書き上げたかったのです。
  多分見たら思いっきり設定違いやらかすと思ったので(笑)

                             ’06.1.21.up


BACK