時にはシェイクスピアのように














「六道、骸……」



ぽそりと呟かれた言葉。
音にしていたのは無意識だったのだろう。
男が振り返ると、少女はきょとんと目丸くした。





イタリアに帰って来てからの彼女の様子は、発つ前と違っていた。
成長期の半年だ。
環境が変わって、時間が経てばある程度の差があるのが当たり前だ。

例えば、以前なら何をするにもボスが一番。許可無く近づく者は、相手が何であるのかも確認せずに攻撃をしかけていた。
それが、行動の前に一瞬の考慮を挟むようになった。
以前なら与えられた任務に何の疑問も抱かずにただ言われた通りだった。
それが、事の背景を事前に確認し、必要であれば質問や意見をするようになった。
以前ならファミリーの者であっても、伺うように下から覗きこんでから話しかけてきた。
それが、背中に向いてでも声をかけるようになった。


詰まるところ、これまでの行動が命令されるがまま、ファミリーのためなら何も考えず、だったのが、自分の意見というものを持つようになったのである。
進歩だった。


命令を忠実に守ることは必要だ。
けれど、命令が無ければ何もできないようではまだ半人前。
一歩外に出れば何が待っているかわからないのが世の中だ。
予想しえないことが起きた時に、咄嗟に対応できる臨機応変さは必須なもの。
欠けていたそれを、どうやら日本にいる間に埋めてきたらしかった。




10代目候補は彼女に多くのものを与えてくれたらしい、と9代目は更に評価を高めた。







けれど、彼女の変化はそれだけではなかった。
常に目前のことばかりを見続けていた彼女に、「上の空」という時間ができた。
これは驚きだった。

なぜと言って、拾われた当時の彼女は誰も信用しない野生の獣のような子供だったから。
ボスに拾われ、ファミリーとして馴染んでからも、それまでに染み付いた習性は変わらない。
例え安心できる場所だとわかっていても(ちなみに「安心できる場所」と認識できるようになっただけでも進歩である)、気を抜くようなことは無かった。
まるで、いつ誰に襲われても不思議は無いように。
全身ハリネズミのようだと茶化した者がいたが、あまりに的確すぎて笑えなかった。



今のこれが、その「上の空」の時だ。
ソファに身を預け、だらんと腕をはみ出させている。
陽だまりの犬のような格好で、それでも以前なら部屋に他の人間がいるだけで多少なりとも体を硬くしていた。
それが、自分で呟いた言葉にも自覚が無いらしい。
気を張り詰めているなら、決してありえないことだ。

声をかけたイヴは、もう何度となく見たこの様子に眉を寄せた。
正直、あまり好ましくなかった。

日本にいる間に彼女が見て学んできたことに関して、特に問題があるとは思っていなかった。
ようやく人間らしくなってきたと、むしろ一番喜んだのもこの男だ。
しかし、これだけはいただけない。
物思いに耽るなとは言わない。自分だって考え事くらいする。
ただ、今のの場合その深さが尋常では無いのだ。

自分たちはマフィアだ。命を狙われることなんて、日常茶飯事。
だというのに、声をかけるまで自分を取り戻さないなんていうのは極めて危険だった。
誰かが一緒ならいい。そばに誰かがいるなら、はまだ条件反射のように多少の警戒心は持っている。
それが無くても、ファミリーの中で一番小さなこの少女を見捨てようなんて者はいない。
けれど、常に誰かがそばにいられるとは限らないのだ。
そうなった時、果たしてどうなるのか。
考えたくもない。



しばらく様子を見ようとここ数日じっと伺っていたが、どうにも変わる気配は無い。
書類に目を通しているかと思ったらページがちっともめくられていなかったり。
武器の手入れをしているかと思えば手が止まっていたり。

いい加減注意してやらなければと、少しばかり口調を厳しく意識した時だった。


ぴくり、と。の顔が動いた。
まるで風を嗅ぎ分ける野性の動物のような仕草にイヴも思わず手を止める。
彼女がこういう反応をした時は、邪魔をすれば必ず引っかかれた過去の記憶が甦ったからだ。


幸い彼女は隣にいたイヴの存在を忘れたわけでも、かといって邪魔に思ったわけでも無かったらしい。
数秒の後、くるりと振り返ると、一言告げて飛び出した。


「行ってくる」


要点は抑えている。要点だけは抑えているのだが、如何せん要点以外がまるきり抜けている。
止めようとした時には遅く、掴もうとした手は宙を切る。

「あ、おい…!」

彼女はまっすぐ窓へと向かいひらりと身を翻すと、そのまま飛び出してしまった。
幸いここは2階。飛び降りられないことも無い高さだが、それにしたってよほど急いでいたのだろう。
でなければ、わざわざ気を張っていなければ怪我をするような方法を選ばずとも、すぐそばに扉があるのだから。
何があったか、なんて考えても仕方が無い。
思い返してみれば、ボスがを拾ってきた最初の頃はよくあったことなのだ。
ただ、ここ最近はナリを潜めていたため、もう治った病のようなものだと思っていた。

が出て行った窓を見て、イヴはため息をついた。



「まったく…あの、鉄砲娘」


ボンゴレ10代目が聞いても、誰のことを指しているのか理解できない呼び方だった。








窓から飛び降りたは、地面ではなく目の前に生えていた木に着地していた。
ここに来てからしょっちゅうのことだったので、足場はきっちり把握している。
たった半年離れていただけで変わるほど、長年生き続けている木々の変化は激しくない。
枝を揺らしながら、アッサリと地面にたどり着く。
綺麗に着地したと思った時には走り出していた。








「危ないですよ」


大して待たずに姿を現したに、骸はにこりと笑みを浮かべていた。
もつられるように笑った。

「慣れてるから」

そうですか、と言っただけで、骸もそれ以上咎めはしなかった。




ボンゴレの屋敷の敷地内。庭の片隅に骸はいた。
どうしてこんなところにと思った。
彼は日本にいるはずで。
ここはイタリアで。
しかも、マフィアの警備は生半可なものではない。
気付かずに侵入できるものでは無いことを、はこれまで散々脱走した経験から知っている。
まだボス以外には懐く前、何度も逃げ出そうとしては捕まった。今となっては笑い話のような過去が甦る。


「どうやって…」

問いかけると、彼は楽しそうに芝居がかって答えた。

「君を愛する心が、僕に翼を与えてくれたのです」
「……シェイクスピアはいいよ」
「おや残念。結構本気なんですけど」
「なお悪い」


容赦なくはねつけたが、むしろ骸は楽しそうだった。
そもそも彼が笑顔以外の表情を見せたことなど、めったとない。
何が面白いのか、と問えば、多分それらしい答えは返ってくるだろう。
けれど、それはきっと本当の答えじゃない。
幾度も生死を繰り返した彼が、いっそ生に飽いていることをは知っていた。
だから、この笑顔も本物じゃない。
貼り付けた仮面のようなもの。


「楽しくないなら、笑わないで」

貼り付けた嘘の笑顔は、自分に嘘をつかれているようで気分が悪い。
キッパリと言ったに、骸はそれでも肩をすくめて笑った。

「おや、そうきましたか」
「……」
「おっと、失礼」

変わらず笑顔を崩さない彼に、は厳しい視線を向ける。
でも、久しぶりに会ったのにそれは無いんじゃないですか、と言う骸に、は苛立った。
どうしようもなく泣きたくなった。
何に?
自分を偽ってばかりの彼に?
どう言えばいいのかわからず、は苛立ちのままに手を伸ばした。




「これは…予想外だ」


突然首を捕まえられて、骸はそれでも楽しそうだった。
首に腕を回して抱きついてきた彼女の仕草は乱暴だったけれど、それくらいなんでもない。
ただ感情をぶつけた結果の行動がこれというのは、少々意外だった。

「会えて嬉しくないわけじゃない。それでも…嘘をつかれるのは嫌」
「……」

ここにいるということは、まず間違いなくまた脱獄してきたということ。
その骸が、マフィアの頂点であるボンゴレファミリーの屋敷に忍び込むことが、どれだけの大事であるか。
ましてその敷地内で会うことが、どんなに危険なことか。
そうまでして会いに来る価値は、自分には無いのに。

大変だったと恩着せがましく言われたいわけじゃない。
それでも、ふざけて笑って済まされるのは、信用されていないようで嫌いだ。
何より、己を偽った彼に会いたいわけじゃない。



「……会いたかった、僕も。遅くなって、すみません。でも…」


再び口を開いた骸は、口調が変わっていた。
それまでのふらりとかわすようなものではなく、苦々しいものを噛み潰したようなものに。
言葉を現すかのように、に回した腕にも力がこめられた。





「貴女は、来ないでしょう?決して…ボンゴレを敵に回すなんてことは、してはくれないでしょう?」





耳元で囁かれた言葉は、けれど甘い睦言ではなく厳しい現実だった。
言い訳のできない事実に、の腕は緩んだが、反対に骸の腕はきつくなるばかりだった。


骸の言うとおりだ。
にボンゴレを捨てることはできない。
まして、骸の隣に立ち敵に回すなんてことは、死んでも御免だ。
9代目に弓引くくらいなら自分の命を絶ったほうがマシだとさえ思っている。
が骸にとってできることといえば、せいぜい今の逢瀬を無かったことにすることくらい。
彼がマフィアを敵としている以上、骸の手を取ることは決してできない。

それこそ何度も考えた。
骸を助けたいと思い、そのための手順を綿密にシュミレートした。
けれど、最後に行き着くのはいつも同じ。
助け出して、自由の身にできたとして。
その後、自分は彼と共に歩むことはできない。
どんなにそれを望んだとしても、ボスを裏切ることだけはできない。
かといって、骸の脱獄を手伝ってしまえば、ボンゴレに戻ることもできない。
結局、最後には自分には何もできないという結論に達するのだ。

イヴが眉を潜めるほどに上の空になって考えても、答えは変わらない。
自分と彼の道が交わることは、決して、無い。
それが結論だった。



「ごめん…」



嘘でも、「そんなことはない」と言うべきだっただろうか。
今はまだ行けないけれど、いずれは一緒にいたいと言えれば彼は満足しただろうか。
それこそありえない話だ。
その場限りの嘘など、互いに望んでいない。
大体、嘘でもボスを裏切る言葉は口にできない。それがなのだから。


苦渋に満ちた声で、それでも一緒に来るとは言わないに、骸はため息をついた。
諦めたのか、ほっとしたのか、自分でもわからなかった。

一緒にいたいと思う。それは心からの願い。
けれど同時に、こんなことくらいで己の信念を曲げてしまう女なら欲しくない。
相反する己の願いに、苦笑を禁じえない。
簡単に手に入るものは欲しくない。手に入った瞬間興味が削がれる。
我ながら随分なシュミだ。


そんな自分を自覚しているから。
今は、これでいいのだと思う。
こうしてたまに、危険を冒して会いに来て。
彼女が自分を忘れていないことを、想っていることを確かめることができれば。
いつか敵として向かい合う時が来ても、きっと互いにためらわず引き金を引ける。
それくらいの潔さが、いっそ好ましい。



「いいえ。そんな貴女だから…いいんですよ」



込めていた力を緩め、優しく囁くと、まるで反射のようなスピードでべりっと体をはがされた。
残念。

「だから…嘘はイヤ」
「嘘ではありませんよ。本当に…どうかしている」
「ホント、どうかしてるっ!」
「クフフフ」

離れたを無理やり引き寄せるのは簡単なこと。
抗いながらも心から拒んでいるわけでない腕の力を御することなんて、朝飯前。



「また…来ます」



唇を押し付けて、次のアポイントに代える。
体を固くしながらも、も拒みはしなかった。


何度も来られては困ると言う彼女にやっぱり笑って返して。
でも、この今の笑顔は嘘じゃない。
次に会うのが戦場だったとしても、彼女を愛しく想う気持ちも嘘じゃない。
たとえこの手で彼女を殺すことになったとしても、それでも自分は彼女を愛しいと思うだろう。
だから。



「楽しみに、しています」



幾つもの思いを込めて。
また会う日まで。






++++++++++++++++++++++++++

  やっと書けた。放置してたブツ。
  骸でラブしようとするとニセモノになってしまうどうしたら良いの!

                           ’06.2.8.up


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