答えなく、されど









はただ、黙って俯いたままだった。微動だにしない様子は、いっそ彫像かと思うほど。
唯一、時々思い出したように動く睫毛だけが、彼女が生き物であることを教えていた。

空気は乾燥し、彼女の唇もまた触れればカサカサとしていた。
乾燥しきった彼女の唇を濡らしているのは、唾液ではなく、かみ締めすぎたことにより破れ流れ出た血液だった。
己の行動によるものであるから、怪我とは呼ばない。
呼ばない…が。
いっそ、怪我であれば良かった。
肉体についた傷があれば、少しは気も和らいだかもしれない。
けれど、彼女は無傷で。かすり傷一つ無くて。
だからこそ、余計に痛みは増した。



ココロに刻まれたキズは、時にカラダよりも張り裂けそうな痛みを訴える。



ぎゅう、と。
かみ締めた唇とはまた別に、握り締めた拳からも、同じようにうっすらと赤いものが滲んでいた。








そこは病室だった。
ツン、と特有の消毒液の匂いに満ちたその場所は、本来なら決して彼女の踏み込むはずの無い部屋。
なぜなら、彼女は匂いを極端に嫌うからだ。
人が良いと評価するものも、悪いと評価するものも。
おおよそ、「匂い」と呼ばれる物はほとんど例外無く嫌っていた。
人より嗅覚の優れた彼女にとっては、女性が好んでつける香水なんてものは、まさに天敵と言って良かった。
それに比べれば消毒液はさしたる害は無いけれど、それにしたところで好ましいものでは決して無い。
だから、自分が怪我をしたというのであれば、彼女は決して医務室などには近寄らない。
せめて手当てさせろという仲間を振り切って、外に飛び出したことさえある。
舐めれば治る!と豪語して聞かず、結果として治療期間を延ばすばかりなのだが、本人は至って真面目だった。




「………」



病室の入り口で、気配がした。
不穏なものではない。
どころか、よく知っている者の気配で、なおかつ心配している気配。
害は無い、と判断したのか、はやはり動かないまま、ただその赤みだけを増していた。

全く動かない彼女を、その視線は気遣わしげに見守っていた。
彼女の体質を知っているディーノは、流石に心配になって様子を見に来たのだ。
それほどまでに苦手としている病室に、もう2時間も篭りっぱなしだ。
さすがに気分も悪くなろうというものだが、今ばかりは彼女は動こうとしなかった。



何かを言おうとして、口を開く。
けれど、その口から言葉が発せられることはなく、伸ばされた手も空しく宙を掴むに留まった。
今の彼女には、何者も受け付けない厳しさが漂っていた。
まるで、拾われたばかりの頃のように。






「様子はどうだい、ボス」

結局何もできずに病室を出たディーノは、部下にかけられた言葉にやるせなく首を振った。

「……俺には、かけてやる言葉も見つからねぇ」
「そうか…そうだな」

ロマーリオもまた、ディーノの心境を慮るように深いため息をついた。
彼等は、彼女を知っている。
少なくとも、10代目候補である綱吉よりは、遥かに詳しく。
だからこそ、何も言えなかった。

「じぃさん…アンタは本当に、偉大だよ。だから……」

キャバッローネのボスは、祈るように片手に顔を埋めた。
心の底からの祈りであり、願いであり…希望だった。









の頭の中では、つい数時間前の出来事がずっとエンドレスで浮かんでは消えていた。


雲の守護者の戦いは、沢田綱吉側の守護者・雲雀恭弥の勝利であっけないほどアッサリと勝敗がついた。


ヴァリアー側でその様子を見ていたにとっても、それは意外でも何でもないことだった。
むしろ、3対3で迎えた最終戦が、雲の守護者だった時点でわかりきっていた結果だった。
これで彼が10代目だ…と、半ば複雑な気持ちながら、どこか安堵してさえいた。

いけなかったのは、その後だ。




は、この戦い、ヴァリアー側として参戦していた。
指輪を与えられこそしなかったものの、常にXANXUSの傍に控え、その立場を明らかに示していた。

他ならぬ、9代目が後継者としてXANXUSを選んだからだ。

先の黒曜との戦いで、はようやく沢田綱吉を10代目として認めたばかりだった。
だからこそ、綱吉こそ、という気持ちはあった。
けれど、彼女にとって真に重要なのは、他の誰でもない。
当代ボンゴレボスである、9代目なのだ。


だから、はXANXUSについた。それが9代目の意思だと思ったからこそ。
けれど、では。
さっき起こった出来事は。




考えれば考えるほど、わからなかった。
理解することを、無意識のうちに拒んでいたのかもしれない。
何が正しいのか、理解するには彼女の許容量を越えていた。



ただ一つだけハッキリしているのは、今、目の前に横たわっている老人が、瀕死の重傷であるという事実だけ。



「9代目の弔い合戦だ」



そう言って揚々と引き上げていったXANXUS。




「……俺…」


そう言ったきり黙りこんでしまった綱吉。





ヴァリアーは当然XANXUSを追い、綱吉派は皆綱吉の下へと駆け寄った。


は、どちらも追うことができなかった。
どちらが正しいか、そんなことは今は問題ではなかった。
ただ9代目が死に掛けているという事実に打ちのめされるばかりで。
ここへ運び込まれるまでも、ずっと泣き叫ぶしかできないで。



にとって、9代目は全てだった。
彼がいなければ、今の自分は無く、彼がいたからこそ、これまで生きてこられたのだ。
彼は、のちっぽけな世界の中心であり、全てだった。
ボスのために生きて死ぬのだと、常にそう言って。

そう…ずっと、そう言っていたのに。



「……お前が、ボスと呼ぶのは……私では、ない…だろう?」



今にも絶えそうな息の下で、9代目は呻くようにそう言った。
その言葉の意味も、理解したくなかった。
自分にとってのボスは9代目で、他の誰でもなくて。
先代のことなんて知らなかったし、今回の騒動である次代選びにしても、自分にとっては9代目が誰を選ぶかということが重要だった。
選んだ人間が当代に就いたとしても、にとってのボスは9代目だけ。
そう思っていた。
なのに。


「……ぅあ…」



かみ締めていた唇から、微かな呻きが洩れた。
嗚咽ではない。
ただ、言葉を忘れてしまったかのように、苦しさを表現する言葉がわからないかのように、唇から洩れたものだった。



わからない。わからない。
どうしてわかるものか。



次の後継者が誰だろうと、自分には関係無い。
自分にとってのボスは、死ぬまで彼一人なのに。

確かに綱吉のことは次代に相応しいと思った、それは偽らざるところだ。
だが、だからと言って9代目の傍を離れるなどどうしてできるものか。
今だけではない。
この先、何があっても…死んだとしてもだ。





「あ…あぁ……」




この苦しさを、どう表現すれば良いのだろう。
一生を捧げると思った9代目本人が、自分をボスと呼ぶなというのだ。
他の者をボスと呼べと。
思いやりに満ちた眼差しで。


いっそ、突き放されたのならば自分はいらないのだと判断できた。
あるいは、苦しそうに言われるのなら、それも仕方の無いことだと思えただろう。


けれど、9代目は、苦しそうな息でありながら、あまりに穏やかに告げたのだ。
彼にそんな風に言われたら、自分はどうすればいい。







「ボ……ス…」





その単語が示すのは、誰のことなのか。
誰であれば良いのか。






「……じゅうだい、め…」





無意識に、呟いてた。
誰がボスだとか、次代だとか当代だとか。
答えはみつからない。いっそどうでもいい。

ただ、9代目がこうなった今、どうしてか彼に…綱吉に傍にいてほしかった。
そうすれば、この不安も消えるような気がした。
彼が10代目になろうと、そうでなかろうと。
沢田綱吉という人に、ひたすら傍にいてほしかった。


けれど彼は、だからこそ今ここにいない。
9代目のため、ボンゴレのため、何よりも仲間のために、最後の決戦へと赴いている。


「じゅう…だい、め……」


気付けば彼女は、まるでうなされるように彼の名を…否、次代を表す言葉を呼んでいた。
彼を名前で呼んだことはなく、彼女にとって「10代目」とは沢田綱吉を指す固有名詞であった。
そのこと自体が、すでに彼を次代として認めていることだと、本人は気付いていない。
ただ、ひたすら助けを求めるように、縋るように彼を呼び続けた。



彼なら、助けてくれる。
この苦しさを消してくれる。



本能的に、そう感じていた。







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  9代目ー!!!
  9代目が出た瞬間から、ずっと書きたくて書きたくて書きたくて(エンドレス)
  すいませんリボーンで一番好きなキャラはと聞かれたら
  「9代目です」と即答する管理人です(笑)
  どんどんヒロインちゃんが野生動物化してるのが気に掛かるところ。

                      H19.3.18.up


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