「………はい?」 盲点だった。 これは流石に、本当に盲点だった。 考え直してみれば、思い当たっても不思議は無かった事態な気がしないでもないのに、私の頭にはそんな可能性は全くカケラほどにも浮かびはしていなかったのだ。 「休み?あの、不二が?」 朝練前の準備中。 ボールかごを運びながら雑用をさせるべく手近な一年を探している最中、手塚に告げられた言葉に私はそれ以外の反応は返せなかった。 手塚は真面目な顔をしながら頷いて、残りの遅刻者及び欠席者の名前を挙げて、自分の準備のため部室の方へと歩いていった。 その背中に、追いかけて問い詰めさせない無言の圧力を感じるのはなぜなんだろう…。 そんな関係無いことが意味も無く浮かぶ。人はそれを現実逃避とも言う。 相手が手塚なせいで、それは実は冗談でした、なんて選択肢は最初から打ち消されてしまったのも不幸だった。 これが菊や桃だったなら、何朝から寝惚けたことをと一蹴しているところなのに。それはもう間違いなく。 不二が部活を欠席するなんて、何かしら用事があるのでもなければとても珍しいことだった。 部活だけでなく、学校も欠席らしい。正に青天の霹靂だ。 不二に限らず、レギュラーになるような者なら大抵はそうだ。簡単に練習を休む奴なら、レギュラーなんて座に輝くことができるはずもない。 健康優良児たちの揃った青学レギュラー陣が、一人でも休むなんてとてもとても意外だった。 風邪だろうか。それとも家の用事? 手塚に尋ねてみたけれど、ハッキリとした理由はわからないらしい。欠席の場合は明確な理由もつけて、となっていることを不二が知らないわけが無いのに、こんなのは有りえないことだった。ついでに言えば、手塚相手にそれで済ますことができた不二の手腕も素晴らしい。いや、そんな問題じゃなくて。 不二のいない部活はなんだか味気なかった。 何でって問われれば、多分スリルが足りないとか、そういうことだと思う。 あるいは、気心知れたそこにいて当然の人物がいない、ただそれだけかもしれない。 先頭にたって後輩を指導するような立場にあるわけでない不二の不在ですらこうなのだ、手塚や大石くんが欠けた時の穴は恐ろしく大きいだろう。 しかし、弊害はそれだけでは無い。 少なくとも、今日という日に限ってはその他にも重大な問題があった。 ただ、それが私にも降りかかる災難となるということに気付いたのは、昼休みになってからだった。 「ええと、あの…さん?」 可愛らしい呼びかけに、首を傾げながら振り向くと、同じ学年の女子が3人困ったような顔をして並んで立っていた。 クラスは違うけど、顔は何となく見る子たちだ。 それも、私の中であまりイメージのよろしく無い…。 間違っても「友人」とは呼べない人たちの縋るような目に嫌な予感を感じながら、表面上だけは至って普通に「何?」と答えると、彼女らは揃って後ろ手に持っていたプレゼントをずずいと差し出した。 綺麗にラッピングされたそれらはとても可愛らしいいかにも女の子なもの。 そして、あて先は。 「さん、不二くんと仲良いでしょ?だから、その…渡してもらえませんか?」 今、仲良いという単語が強調されて聞こえたのは、多分気のせいじゃない。 頼みごとをしなければならないから幾分セーブされてはいるけれど、私に話しかける一言一言に、棘が含まれていることは間違い無かった。 そうか。 記憶を探って思い当たる。 この子たち、よく覚えがあると思ったら不二ファンの子たちだ。 思い出してスッキリしたけれど、それは別問題。 テニス部のファンは多いけど、その中でも不二のファンは強烈な子が多いのだ。類は友を呼ぶ?なんて言ったら呪われそうだから言わないけど。 ようするに、不二はそういう人たちに受けが良いわけだ。 もちろん、そうでなく至って普通の可愛らしい女の子たちも大勢いるだろうけど、他の奴らのファンに比べて圧倒的に激しい人たちが多いのは事実だった。 その過激派な彼女らが、私に頭を下げて(実際下げてはいないけど)頼み事。 何となく、後々が怖い。 が、断るのもそれはそれで怖いというか。 そもそも、どうして私のところに来るんだ。 「さん、マネージャーでしょ?クラスも同じだし、不二くんのところに連絡とか届けに行くだろうと思って」 「本当は自分たちで行きたいんだけど、体調が悪いなら押しかけたりして余計に具合が悪くなってもいけないし」 「お願い、ね?」 次々に繰り出される言葉に、タメ息が漏れそうになるのを必死で堪える。 自分たちで行きたいという気持ちも、それをしたら不二にとって良く無いことになると思っているのも、全て本当だろう。 それでも、どうしても今日中に渡したい。 だから、不本意ながらマネージャーである私に預ける。 まぁ、妥当と言えばそうだろう。 不二に嫌われることが、彼女らにとって最も恐ろしい事態なのだろうし。 彼女らを前に、私はどうしようかと考えた。 正確には、考えるフリをした。 答えはとっくに出ていたのだ。なぜって、どうせ毎年のことなのだし、他の部員のものも同じなのだから。 何と言っても今日はバレンタインデー。 直接相手に渡すことのできない、本人ら曰く『奥ゆかしい』精神の持ち主たちは、こぞって私に運搬係を要求する。 去年も引退した先輩方のところへまでわざわざ足を運ぶはめになったのだ。 今年だって変わるはずがないと覚悟は決めていた。 ただ、その中に欠席者がいるとなると、事情は少し変わってきたけれど。 この後も同じような子たちが何人も来ることは目に見えている。 ならば、イチイチ断るよりも全部すまして受け取ってやる方が対応は楽だった。 ついでに、そうすることで不二シンパからの嫉妬も少しは減るだろうから一石二鳥とも言える。 私はマネージャーで、ついでにクラスが同じってことだけでここまで恨まれてたまるかってくらい、とにかく恨まれまくっている。 ここらで返上しておかないと、そろそろ命の危険を感じ始めていた。 本当にたまらない。 私と不二が付き合ってることを、公にした覚えは無いというのに。 ……そうデス、ごめんなさい。 私、は不二周助と付き合ってもう5ヶ月にもなります。 が、しかし。 未だにバレずに済んでいます。 付き合うことになった時、一にも二にも最初に不二に言ったのが、「付き合ってることは絶対に公にしない」ということだった。 何せその前からずっと嫌がらせを受けていたのだ。 もちろん、それは不二のファンだけに限らず、他のレギュラーたちや平部員、先輩たちのファンも混じっているのだけど。 その中でも群を抜いて人気のある不二と本格的に付き合っているなんて、他人にバレたら学校に来られなくなると思ったからだ。 そうでなくても恐ろしい目に合い続けてきたというのに。 誰にも知られないように、細心の注意を払っている。 他の部員にも内緒。菊丸や乾にも内緒。 唯一知っているのは、不二のお姉さんの由美子さんのみ。 これならバレる心配はまず無かった。 とはいえ、ここまでバレないでいられるっていうのもどうだろうと最近では思い始めていたりして。乙女心というヤツは勝手なものだ。 そんなに恋人同士には見えないかと落ち込むのはあまりに身勝手だと自覚はあるのだが、やはりちょっとヘコんでしまう。 不二の策略が素晴らしく完璧なせいだと自分に言い聞かせてはいるが、どちらかと言えばお互いの態度が他の友人への接し方と全く変わらないっていう方が原因だとは思う。 わかってるから、文句も言えない。 何より、バレた時の恐ろしさは想像を絶するものがありそうだから。 そんなワケで、どっちにしろ今日は不二の家へ行くつもりだったから、丁度良い口実ができた。 何も無いのに行ったりしたら、例え連絡事項があるだけだと言っても信用してもらえるとは思えない。 女の嫉妬はつくづく怖い。 けど、簡単に引き受けてしまうのもいつもの私の対応を考えれば不信感を抱かせてしまうことはわかっているので少々渋ってみせる。 何と言うか、私も少しずつ不二の影響を受けている気がしてならない。 もっとも、彼はもっと狡猾だけど。 そして、不二宅へ向かう私の手には、ゆうに紙袋2つ分のチョコやプレゼントがあった。さすがに不毛だ。 「……で、ズル休みとはどういう了見ですか、不二周助サン」 玄関でにこやかに対応に出てきた不二を見て、私は顔を覆ってその場にしゃがみこんでしまった。 顔色はとてもよく、具合が悪そうにはとても見えない。 家の中からは夕飯の支度をしている食欲をそそる匂いが漂ってきて、法事とか家の用事があったわけでも無いことがうかがえた。 その彼は、いつもと同じ意図の読めない笑顔を浮かべながらアッサリと部屋にあげてくれた。 おばさんが出してくれた紅茶をいただいて体を温める。部活で冷え切っていた体にそれはとても効果的だった。 私はすでに自分専用になっている丸いクッションを抱きかかえながら、不満の声をあげた。 「私がどれだけ苦労したと思ってるのよ」 思いっきり文句を言う私に、けれど不二は変わらない。 「でも、僕が学校へ行ってても手間は大して変わらなかったと思うけど?去年もそうだっただろ」 「それでも!」 誰が自分の彼氏へのプレゼントを喜んで受け取るというのか。 こっちの身にもなって欲しい。 それがやむを得ない事情だというならまだしも、単なるサボリだと言われて怒らずにいられようか。 渡した紙袋を見て「これはまた大漁だね」とのたまった不二は、それでも中身を出そうとはしなかった。 袋を上からちらりと覗いただけで、そのまま部屋の端に置く。 その意図がわからなくて、ちょっとやきもきした。こういう時、表情に出ない彼の性格はとても腹立たしい。 私から受け取った他の女の子たちからのプレゼント。 それを不二は、どう思ってるんだろう。 そして、私があげるチョコを、他の子と比べてどう違うように受け取ってくれるだろう。 紅茶を喉に通しながら不二を見てそう考えていると、彼はおもむろに手を差し出した。 チョコの催促だろうか。 そう思ったけれど、それはすぐに否定される。 不二の指先は、そのまま手招きするように動いた。 「ん、何?」 素直に不二の前へと歩み寄る。 ただし、その前に紅茶を飲み干してから。 おばさんの淹れてくれる紅茶はいつ飲んでもおいしい。私のお気に入りだった。 カップをお盆に置いて彼の要望通りにする。 すると、不二はその手を更に伸ばして私をしっかりと捕まえた。 「………機嫌取るつもりなら、怒る」 こんな程度でうやむやにされるわけにはいかない。 私の苦労は、抱擁で癒されるほど軽いものでは無かったのだ。 けど、不二は平然と否定した。 「機嫌を取る?どうして?僕が機嫌取って欲しいくらいなのに」 それこそ「どうして」だ。 どうして苦労した私が、更に不二の機嫌を取らなければならないというのだ。 「なんでそうなるのよ!苦労したのは私…」 「傷ついたけど?」 「え……?」 「から、他の子のプレゼント渡されて」 不二の腕に力が込められる。 しっかりとまわされた腕は、とても長くて、そして間違いなく『男』のものだった。 抱きしめられてるから、顔が見えない。 声しか聞けない状態で、それが演技で無い保証なんて無くて。 不二が私より何枚も上手なのも知ってて。 それでも、その言葉を鵜呑みにするなんてとても危険なことだってわかっているけど。 それでも、私の心を揺さぶってくれる。怖いくらいに。 「しかも、は何もくれないし。物が欲しいわけじゃないけど、気持ちももらえないのは辛いな」 「ちゃんと用意して…」 まだ渡すタイミングが無かっただけだ。 鞄の中には、一応これでも昨日の晩の最高傑作が入っている。 らしく無いと思いつつ、それでも頑張ったのだ。 普段、他人にばらしたくないためにあまり恋人らしいことができないから、せめてこういう時くらい不二に喜んでもらいたいって、そう思って。 なのに、不二はそれを一蹴した。 「いらない」 その一言は、ショックだった。 ハンマーで頭を殴られたみたいな衝撃が走る。 実際殴られたことなんて無いからわからないけど、多分そんな感じだ。 こんなにしっかり抱きしめられているのだから嫌われたわけでは無いとわかるだろうに、それでも私は狼狽した。 そんな理屈を考えられないくらいに焦って、不安になった。 「不二……私…」 うろたえながら言い訳しようとした私の口を、不二の唇が塞ぐ。 少なくとも、嫌われたわけじゃない。 こんな状況なのに、安堵する自分が確かに存在した。 「が、欲しいな」 そして、次に告げられたのは極上の笑顔付きのそんな言葉。 目映くすら感じられる笑顔に、からかわれたと気付いたのは少し遅かった。 「馬鹿っ!」 突き飛ばす私に逆らわず簡単に腕を解いてくれた不二は、「残念」と言いながらクスクスと楽しそうに笑っていた。説得力がまるで無い。 さっき抱きしめていたクッションを投げつけると、あえて避けようとはせずに腕でガードした。 タチの悪い冗談だ。 考えていることが読めないだけに余計に手に負えない。 だから嫌なんだ、不二周助という男は。 なのに、嫌いになれない。 だから、好き。 …シュミ悪い、私。 “でも、半分は本当” そう言いながら、後ろから優しく抱きすくめてくる不二は、あきらかに確信犯なのに。 それでも、それだからこそ、好きで。 どうしようも無い自分は救いようが無いと思うけど、結局こういう気持ちは自分ではどうにもならない。 それなら、受け入れるしかないんだ。 意地を張ったっていいことなんか一つも無い。 悔しいけれど、観念してその腕にしっかりと甘えると、不二はとても嬉しそうに笑った。 いつもの笑いじゃなくて、本当に嬉しい時の笑い方だって、知ってるから。 だから、さっきの意地悪は流してあげる。 「大好き」 それは、どちらからともなく言葉にされた、私たちの気持ち。 ******************************** 黒さがあまり表されていない気がして心残りですが、 珍しく不二夢。そう、とても珍しく。珍しい(連呼すな) なるべく甘くを目指して、何度もキーを打つ手が止まりました(苦笑) 多分もう不二さんでこんなに甘いのを書ける時は来ないでしょう・・。 12412(伊武深司/無茶なゴロ)ヒットキリリクとして 友里ふみ様に捧げます。 遅くなってしまって本当にすみませんでした。 …年賀状も返せなくて重ね重ね申し訳ありません(私信) '03.2.24.up |