「英二、何かあった?」 そう問いかける大石に返されたのは、あまりにも情けない親友の表情 だった。 「大石〜」 「えっ、おい。英二!?」 半ベソ状態で抱きついてきた彼に、大石は慌ててバランスを崩した。 二人でそのまま地面へ激突…する前に大石はなんとか手近にあった机の端を掴んだ。 「どうしたんだよ英二。落ち込んでるなんて、お前らしくもない」 いつも笑顔がモットーのこの男が、ここ最近珍しく落ち込んでいた。 それは天変地異の前触れだとか、落ちていた物を拾って食べたとか、今度テストで赤点取ったらテニス部をやめさせられるとか、好き放題言われていたが。 噂のほどはともかく、彼が未だかつてないほど落ち込んでいることは親友である大石が一番感じていた。 確か、先週は特別何もなかったはずだ。 今週の月曜の朝に会ったときも普通だった。 ということは今週に入ってから、学校に来ている間に何かしらあった、ということだろう。 フと。 一つだけ思い当たる原因があった。 余計に英二を落ち込ませることになるかな、とは思いつつもこのまま放っておくわけにもいかず、大石は慎重にそのことを口にした。 「もしかして、さん絡みか?」 「……………………………」 図星だったらしい。 じわ、と涙を滲ませると、抱え込んでいた膝に額をこすりつけるようにして顔を隠した。 。 青春学園2年生、男子テニス部マネージャー。 そして菊丸英二の想い人。 いや、それを言ってしまえば男テニ部員のほとんどが彼女に想いを抱い ているだろう。 あの堅物の手塚部長でさえも。 彼女がいてくれるだけで、レギュラーになれずとも厳しい練習に耐えていられる者も多い。 彼女のちょっとした微笑。 一言の応援でも元気をわけてもらえる。 部員にとって、彼女はそういう存在だった。 「俺さー。言わないほうが良かったのかなー」 顔を伏せたまま英二はポツリと口にした。 大石に言っているようで、大石に言っているわけではなかった。 誰かに聞いてほしかったのだろう。 今聞いてもらえるのが親友である大石で良かったとは思うが。 「何がだよ」 しばらく返事はなかった。 教室の中はオレンジ色に染め上げられている。 こんなロマンティックなシチュエーションなのに、なんで俺は男と二人でいるんだか、と大石は心の中で思ったが、こんな状態の英二を放って帰ることもできず、そのまま彼の気が済むまで待つことにした。 ややあって、英二はさっきの続きと思われる言葉を漏らした。 「告っちゃった…。けど、迷惑だったみたい……」 それはさすがに思いがけない言葉だった。 英二が告白したこともそうではあるが。 それ以上に、がそれを迷惑に感じたということ。 それが大石にはどうしても信じられなかった。 そもそも、に『迷惑』という感情があったこと自体がにわかには信じがたい。 いつも笑顔で。 レギュラー陣のファンの子たちからの押し付けられるように運ばされるプレゼントの山も快く引き受け。 その子たちによる嫌がらせにも仕方ないと笑顔で耐えている彼女が。 そんな風に思うなんて、何かの間違いとしか思えなかった。 第一、英二とが仲が良いのは誰もが知っていた。 それが恋愛というものでないにしろ、嫌いではない相手からの告白を迷惑に思うだろうか。 「迷惑って、さんがはっきりそう言ったのか?」 フルフルと力なく首を振る英二。 なら、そんなことないんじゃないかと言う大石に英二は創ったような笑い を浮かべてこう言った。 「けど、少なくとも避けられてる。告白してから、ほとんど喋ってないもん」 ハハ、ともうダメだといった感じで笑う英二の顔は、夕日のせいか更に寂しそうに見えた。 英二が落ち込んでいることばかり気にかかっていて気づかなかったが、 よく考えてみると思い当たったもう一つの違和感。 毎日恒例だったに英二がじゃれつく光景を、そういえばここのところ全く見ていなかった。 『ちゃ〜〜んvV』 『あ、菊丸先輩。こんにちは』 『にゃ〜。少しは驚いてほしいにゃ』 『そう言われても。毎日ですからもう慣れちゃいました』 こんな会話がいつも交わされていた。 「けど、言えないんだ。冗談だ、なんて。嘘でもそんなこと、言えない」 一度冗談だと言ってしまうと二度と本気にはとってもらえないような気がして。 いつもは簡単に言えることが言えなかった。 初めて見る親友のそんな様子に、大石は何も言えなかった。 「何か、ご用ですか?」 少しこわばった顔で言う目の前の少女に、大石は英二の言っていたことがあながち全くの見当外れでもないことを悟った。 「用件は、君のほうがわかってるみたいだね」 「何の…ことですか。ご用がないのでしたら私は仕事がありますから…」 さきほどから一度も大石の目を見ない。 そのまま外へ行こうとするを、大石は呼び止めた。 「じゃあ、率直に聞く。英二のこと、嫌いなの?」 パタ、と。 の動きが固まった。 出て行こうとしていた姿勢のまま。 ゆえに、大石からはその表情は見えなかった。 「最近、使い物にならなくて困ってるんだ。このままだと下手をすればレギュラーも危ないかも」 「そんなっっ!!」 その一言には勢い良く振り向いた。 この反応は、少なくとも英二を嫌ってはいない。 むしろ好いているようだ。 なら、なぜ。 「英二に知られたくないなら言わないからさ。せめて俺にくらい話してくれないか。理由。何か、あるんだろ」 ゆっくりと諭すように言う大石の声は、人を落ち着ける効果があった。 は大石の向かいの椅子に座り、ポツリポツリと話し出した。 「恋愛なんて…所詮一時的な気の迷いじゃないですか……。そんなもののために、誰かを傷つけたり、そんなこと、したくないんです…」 はじっと机を見つめたままだった。 「どうして、友達じゃダメなんですか?ダメだってわかるとみんな離れていっちゃうんですか?」 なんとなく、の言いたいことは分かった。 もかなりもてる方だ。 さすがにレギュラーメンバーと比べればその数は落ちるが(それプラス不二がさらに半数ほどを『駆除』しているので当然だ)部員のほとんどが彼女に想いを抱いているほどなのだから。 ゆえに、告白されたことも一度や二度ではないだろう。 そして。 告白が失敗すると今まで通りの友人に戻れない者もいる。 その度に、は寂しい思いをしたのだろう。 おそらく、これはそのことを言っているのだろう。 それと、もう一つ。 彼女の友達の中に、おそらく英二に想いを抱いている子でもいるのだろう。 英二の想いに答えれば、結果的にその子を裏切ることになる、ということか。 「でもさ、さん。その『気の迷い』のせいで、英二は今傷ついてる。それは、構わないの?」 想いに答えれば大勢のファンの女の子たちを傷つけることになるだろう。 だが、それは仮定の話。 そして、現実では英二が今傷ついているのだ。 そのことに気づいてほしい。 目を、背けないでほしい。 「私……」 思いつめた顔をするに、大石は優しくこう言った。 「続きは英二に聞かせてやりなよ。本当のことを、言っておいで」 手塚にはうまく言っとくから、と背中を押してくれた副部長に、はありがとうございますと言ってパタパタと走って行った。 「ふ〜。俺もおせっかいだよな…」 一人取り残された部室で、誰に言うでもなく声に出す。 大石も、が好きだったのだ。 だが、自分よりも英二のほうがもっと彼女を必要としていた。 そう思えた。 だから、この想いは言わないまま堅く閉ざしたのだ。 「まったくだ」 「てっ、手塚!!?」 背後から聞こえた予想もしていなかった声に、大石はギシギシと揺らしていたパイプ椅子から転げ落ちそうになった。 「いつからそこに…」 「さあな。菊丸とは遅刻だな。その分お前に働いてもらうぞ。まずは練習前のコート整備からだ。急げよ」 さらりとそう言って去っていく手塚の後姿を見送りながら、大石はマジかよ…と呟いた。 (とはいえ、どうしよう……) 大石に送り出されて英二と話をしようと決意しただったが、ここのところあからさまに避けていたことを思うと声をかけづらかった。 それに、今までもいつも英二のほうから抱きついてきたりするのが常だったので、改めて考えるとなおのことどうやって声をかけたらいいのかわからない。 (そういや背中、軽い……) ここ数日、今まで毎日のように感じていた重みを全く体感していなかった。 避けていたのは自分なのだから当然だが。 (私は、先輩のこと……) どう思っているのだろう。 自身にも明確な答えは出せなかった。 嫌いでは、ない。 だが、どれが恋愛の『好き』でどれが友達の『好き』なのか、その境界線がわからない。 「ちゃ〜んvV」 「きゃあっ!!」 真剣に考えながら歩いていると。 いきなりタックルのような突撃をくらわされた。 「き…菊丸先輩………」 それは、英二だった。 もっとも、青学広しとはいえそんなふざけたマネをする者は他に思い当たらないが。 「にゃはv久々に驚いてくれたね♪」 いつも通りの英二の態度にはホっとした。 「練習、行こ。遅れると手塚が怖いよ〜ん」 おどけて言う彼は、確かに今まで通りの彼に見えた。 だが。 何か、違和感があった。 いつもと同じなのに、いつもとどこか違う。 どこが、と言われてもにはわからなかったが。 二人で並んで歩いていると、突然ピタ、との足が止まった。 「ちゃん?どしたの?」 くるりと振り返る英二を見て、はようやくその違和感が何なのかわかった。 瞳だ。 自分を見る彼の目は今まで通り優しいのに、どこかほんの少し怯えていて。 それが、たまらなくさみしかった。 「先輩…あの、お話したいんですけど、いいですか?」 その言葉に英二は一瞬怯えたようだったが、それを表に出すより先に、笑顔で「んじゃ、屋上でも行こっか」と方向を変えて歩き出した。 屋上からは街が見渡せた。 そして、テニスコートも。 もう練習は始まっているらしく、レギュラーメンバーがいつもの練習メニューをしているのが見えた。 そして、端のコートで一人コート整備をしている大石の姿も。 「どしたのちゃん。話って?」 見当はついているものの、カラ元気を保つためにはそういう言い方をするしかなかった。 (これで完全にフられちゃうのかなー) この数日、落ち込む限り落ち込んで、もはや人事のように英二はそう思った。 屋上は、心地よい風が吹いていた。 悲しみも、苦しさも。 すべてをさらっていってくれそうな、そんな風が。 今ここでなら、どんな答えでも受け止められる気がした。 「気持ちい〜ね〜」 なるべくいつも通りに、と考えている英二の態度は、それでもあからさまに無理をしているのがわかった。 そんな英二をは知らなかった。 いや、だけではない。 付き合いの長い大石ですら、そんな様子の彼を見るのは初めてなのだから。 「にゃっ!ちゃん!?どしたの!!?」 フェンスの外を見ていた英二が振り向いて見たものは、苦しそうにしゃがみ込んでいるの姿だった。 「どっか苦しい!?保健室行く!!??」 無理をしていたのも忘れて慌てて駆け寄った。 の様子を窺うためしゃがみ込んだ英二の目線が、と同じ高さになる。 は抱え込んでいた顔を上げ、目の前の彼と視線を合わせた。 心底自分を心配してくれる。 自分はあんな態度をとってしまっていたというのに。 「せんぱ…い……。ごめ、なさい……」 「ちゃん?」 泣いてはいない、なのに泣いているよりもつらそうなの様子に英二は首をかしげた。 「どしたの?俺、謝られるようなことないよ?」 「………………」 言葉にするのに、とても時間がかかった。 だけど、英二はそれをゆっくりと聞いてくれた。 「昔、友達に、好きな人がいたんです」 少し、ずつ。言葉がこぼれるように話す。 「その子が相手のことすごく想ってるの、わかって…。協力するって、言ったんです。けど……」 そうやって仲を取り持つ内、その相手はその子ではなくを好きになっ た。 その結果は言わずもがな。 その男の子がに告白し、断りはしたものの友達が許してくれることはなかった。 「私は…友達でいたかった……。けど、断ったら、その男の子も友達も、二人とも離れていっちゃって………。どうして、友達じゃいけないの?どうしてそんな風にダメだってわかったらみんな離れていっちゃうの…?」 「そんなこと、ない!」 泣き出しそうになったに、英二ははっきりと言い放った。 「菊丸先輩…?」 「俺は、ちゃんが笑っててくれるなら、たとえ俺を選んでもらえなかったとしても嫌いになったりなんかしない」 そりゃ、落ち込みはするけどね、と付け加えた。 「だから、ちゃんが俺じゃない誰かといるのが幸せなら、潔く諦めるよ。 今まで通り先輩後輩でいい。俺、ちゃんの笑ってるトコ見てるだけで幸せだもん」 英二の真剣な表情には嘘など一欠けらもなかった。 だから、さ。と続ける。 「ホントの気持ち、聞かせてよ。怖がらないで」 大石に言われた時も落ち着いたが、英二の言葉にはそれ以上の力があった。 すぅっと、胸が落ち着いて。 今なら。 ただ、ありのままの自分を見つめられるような気がした。 「わたし……恋愛とか、わかんなくて。菊丸先輩に好きだって言ってもらったときも、ただそのことしか頭になくて……。でも……」 「でも?」 「先輩のいない毎日は、すごく、寂しかったんです…。これがそういう感情なのかはわからない、けど。菊丸先輩と、一緒にいたい、です……」 自分勝手だとは思ったが、これが今のに出せる精一杯の答えだった。 「勝手なこと言って、ごめんなさ……」 「……〜ったあ〜〜〜!!」 「ひゃっ……」 突然の英二の行動に、は思わず変な声を上げてしまった。 突然諸手をあげて抱きついてきたのだ。 「菊丸先輩!?」 何がしたいのかわからず、はされるがままである。 にゃははと言いながらぎゅうぅ〜っとを抱きしめ続ける英二の耳に、それが届いているのかも定かではない。 「ちゃんは俺と一緒にいたいって思ってくれたんでしょ?それだけでもすごい嬉しい!!」 屋上に人がいなくて良かったとは心底思った。 もっとも、この叫び声とも言えるほどの大声がグラウンド、及びテニスコートに届いていないとも限らないが。 「恋愛とか、わかんないならそれでいいじゃん。一緒にいて、そうだって思ってくれたらそれでいいし。ううん、絶対思わせてみせるもんね。自信あるよ♪」 その自信はドコから出てくるのか。 それはわからないが、ともかく菊丸英二、見事復活である。 「あの…そんなんで、いいんですか…?」 もっと、はっきり答えを要求されるかと思っていた。 付き合うか、それともこれで終わってしまうか。 少なくとも、今まで告白されたものはほとんどがそうだったから。 「ん。だって、すっごい悩んでくれて、出してくれた答えでしょ。十分だよ」 俺がちゃんを好きなのは変わんないよ、とにぱっと笑って言う。 ファンの女の子たちが聞けば卒倒しかねないその言葉を、英二はサラっと 口にする。 そんな英二らしさが、なんだか嬉しかった。 そして、テニスコートに戻った英二に遅刻の罰としてグラウンド50周が課せられたが、いつもならばヘバるその距離を彼はVサインで見事に完走しきったのだった。 *************************** テニプリ夢第二弾は菊丸先輩です。 語りで書いた“撤回”をベースにしています。 (どっちがベースなのか…) やはり書いていると愛着わきますね。 こんな青春な話書いたの初めてかも。 とっても楽しかったです。 菊丸先輩の話はまた書きたいです。 次は裕太か深司くんあたりになるかと。 不二兄弟のvs物もいいなぁ。 ’01.12.4.up |