自分以外誰も存在しない部屋で、は落ちつかなげにキョロキョロした。 慣れない空間。 他人の家。 そして、その主はさきほど自分をここに置いたままどこかへ行ってしまった。 すぐに戻ってくるだろうが、他人の家に一人残されるというのはやはり少々居 心地が悪い。 部屋の壁にはいくつもの彼の写真。 おそらく大会などで撮られたものばかり。 どんな時でも元気な彼だが、中でもテニスをしている時が一番輝かしい。 そんな彼――菊丸英二の表情をが間違えるはずは無かった。 下級生を相手にする時のおどけた、それでいて先輩らしい顔。 友人たちと一緒に馬鹿やってる時の顔。 そして、自分といてくれる時の優しい顔。 もちろん、全部が全部を知っているわけではない。 学年が違うというだけで、見えない部分はたくさんある。 それでも。 テニスをしている時の表情だけは見間違えるはずがない。 にとって、一番好きな表情なのだから。 部屋を見回していると、隅に大きなぬいぐるみが目についた。 ちょっと薄汚れた、“左側に傾いている”くまのぬいぐるみ。 (もしかして、これが『大五郎』?) 対山吹戦で突然英二が叫び出したワケのわからない言葉。 試合の後意味を聞くと、彼の家にあるよく左側に倒れるぬいぐるみだと大石 が教えてくれた。 (かわいい) 古そうに見えるのが、逆にずっと英二と共に育ってきたのであろうことを物 語っていた。 は立ち上がると、大五郎を持ち上げて抱きしめた。 大きなそのぬいぐるみは下手な子供よりもよほど大きく、抱きしめるとは視 界を遮られるほどだった。 (菊丸先輩も、こうやってるのかな?) 中学三年の男子が今だにそんなことをしていたら気味悪いことこの上ないの だが。 英二だと納得できてしまう辺りどうだろう。 でもにしてみれば、そんな英二だから好きなのだ。 「ちゃん、お待たせ」 お盆にジュースをお菓子を乗せて現れた英二は、が大五郎を抱きしめてい ることに気づいた。 「あ、わざわざすみません」 そう言って、大五郎を一旦元の位置に戻して手伝いに駆け寄る。 雑用は自分でしてしまう、マネージャーとしての性かもしれない。 「いいから。座っててよ」 ね、とウィンクして言われて、は赤くなりながら言われた通りにした。 「大五郎、気に入った?」 「はい」 自分のお気に入りの大五郎を大好きなにそう言ってもらえて英二は喜んだ。 子供のころから一緒の大五郎。 普通なら変な顔をされることもあるだろうが、は逆に喜んでくれている。 「小さいころから持ってるんですか?」 「ああ。小学校に上がる前だったかな。親父が買ってきてくれてさ。それから ずっと一緒だった」 嬉しいことも、悲しいことも。 子供の頃、英二にとってその日あったことを大五郎に話すのは日課だった。 「いいなぁ」 ポツリと口にしたその言葉は、英二に対するものか、それとも大五郎に対す るものか。 そう言って、はもう一度大五郎を抱きしめた。 (ん〜、なんでかなぁ……) 大好きなが。 同じく大好きな大五郎を気に入ってくれて。 とっても嬉しいはずなのに。 なぜか釈然としない。 嬉しそうに大五郎を抱きしめる。 彼女の笑顔は紛れもなく自分の好きな表情だと言うのに。 「菊丸先輩?」 そんな自分の様子に気づいたのだろう。 に不思議そうに声をかけられ、英二はハっとした。 「どうしたんですか?あ、大五郎とっちゃってすみません」 のその言葉に、英二は自分のこの釈然としない気持ちが何なのか分かっ た気がした。 「き、菊丸先輩!?」 突然の英二の予期せぬ行動に慌てる。 それはそうだろう。 突然大五郎ごと抱きしめられたのだから。 いつも学校で抱きつかれているとはいえ、二人きりでそんなことをされては、 もともとそんなことに免疫のないが平気でいられるはずはない。 そんなの様子にはお構い無しに、英二はギュウゥっとその腕にさらに力を 込めた。 「どうしよ……」 「え?何がです?」 その体勢のまま言葉通りどうしようもないといった風に呟く英二に、は尋ね た。 抱きしめられたままなので、顔が見えないのがもどかしい。 ただ、自分を抱きしめる腕に込められた力が英二の胸の内を語っているよう だった。 そうして、しばらくしてポツリと漏らされた言葉。 「…………オレ、大五郎に嫉妬してる…」 ホントにどうしようもなさそうな声。 実際どうしようもなかった。 人間相手ならばともかく、自分のお気に入りのくまのぬいぐるみにやきもちな ど。 自分でも情けなく感じる。 桃にでも聞かれたら笑われそうだ。 だが、それでもが自分以外のものを嬉しそうに抱きしめることが嫌だった。 そう感じてしまった。 呆れられてるだろうなと思いながらも、英二は離したくなくて腕に力を込めた。 はと言うと。 その言葉の意味を、言われてしばらくしてからようやく理解し。 その瞬間に真っ赤になっていた。 顔を見られていなくて良かったと思うほどに。 (どうしよ…私、嬉しい……?) 大五郎のことは好きなのに。 英二がやきもちを焼いてくれたことが嬉しいなんて。 お互い気持ちは一致しているのに。 なかなかそれがかみ合わない二人。 他人から見れば勝手にやってくれと言わんばかりのバカップルぶりなのだが、 本人たちはいたく真剣なのだ。 「……あの、…嬉しい…です、から」 消え入りそうなの声。 だが、それを耳にできた英二はパっとを離した。 その顔は、これでもかと言うくらいまぶしい。 「ホント?」 「……ホント、です」 まだ恥ずかしそうにしていると、対象的な英二。 だけど気持ちは同じだった。 「すっげー嬉しい!」 そう叫んで、大五郎をから奪ってもう一度抱きつく。 今度は完全に、自分だけの。 赤くなりながらも幸せでいっぱいのの耳元で、英二はさきほどとはうって変 わった真剣な声で囁いた。 「好きだよ。ちゃん」 ******************************* 友人とメールしながらできたネタ。 大五郎。欲しいです(笑) ということでよければもらってください、 Kさん(HN出してもよかったのかな?) しかし久々のエージ先輩ですが、なんか難しかったです。 いつも深司がああだからかなぁ…。 でも千石さんは書きやすかったのに。 多分らぶらぶばかっぷる(爆) どのカップルよりもそうかも。 ほのぼのも好きなので。 何気にこれでエージ先輩も木更津くんと同じ数か。 おやびっくり(どうよ、それ…) ’02.1.28.up |