ざわめき












試合が終わり、騒然としている部員たちの間で、私は先ほどの試合の留意点を書きとめたメモを短い時間の間に少しでもまとめようとシャーペンを走らせていた。
今の試合は、完全な負け試合だった。相手の二人は完全なコンビネーションの元、完膚なきまでにウチのレギュラーをたたんでくれたのだ。
急造とまではいかないが、パートナーを組んで日も浅い二人では致し方ないとはいえ気持ちの良い負け方とは言えなかったのは確かだった。
けれど、それで終わりじゃない。反省点にしてまた色々と練習内容を講じられる。
負けから学ぶことは多いというが、時々本当だろうかと訝しんでしまうことがある。
なぜなら、入部以来いまだに不敗を誇っている現副部長は、その実力を伸ばし続けるばかりだからだ。
今日も、部長を押しのけてS1に入っている彼は、相手が敵校のエースであるにも関わらず、何とも思っていないらしく緊張のかけらも見られない。
きっと順番がまわってくれば、さも当然と涼しい顔をして勝利を手に戻ってくるのだろう。
2年でありながら部長すら一目置く手塚の存在は、私たちだけでなく、他校にとっても重い存在としてすでに名を知らしめ始めていた。


負けた者も、勝った者も。
そこから何かを学ぶも学ばないも人それぞれ。
極端な話、試合に出ていなくても他人の試合からそれを学ぶことだって十分可能なのだから。




メモとノートを見比べながら、ウーンと唸っていた私は、そろそろ始まる次の試合に備えて、一旦それらは置いてこれから出番のある先輩の準備を手伝おうと顔を上げた。

その時、ふと誰かがこの部員たちの輪から抜けていくのが見えた。

見間違えだったかもしれないけど、それがさっきまで試合をしていた彼に見えて。気になった私は先輩のことは放って彼の消えて行った方向へと進んだ。







「さっきの試合、凄かったよなー」
「ああ。一人を集中狙いって、結構きくよな。ま、見ててエゲつないってのも確かだったけどな」

すれ違いざま、先ほどのウチの試合を見ていたらしい他校生の会話を耳にした。
悔しさが胸を走った。
けど、彼らのとった策は何もルール違反なわけでもなければ、卑怯と呼ぶまでのものでもない。
こちらの力不足の一言で済まされてしまうレベルのことなのだ。
私が青学のマネージャーだなんてわかるはずもないこの人たちは、当然の試合の評価を楽しげに交し合いながら私が来た道へと戻って行った。







しばらく進むと、水飲み場があった。
休憩所近くのこの場所は普段ならもう少し賑わっているのだろうが、白熱した試合の行われている今ひとけは無いに等しかった。

現在そこにいるのはたった一人。
よく見知った人物で、私が追いかけてきたその人だった。

けれど、追いかけてきたというのに声をかけることはできなかった。



彼はとても辛そうな顔で、憤りをぶつけるよう水をぶち当てるようにして顔を洗っていた。




さっきの試合。
間違い無く山吹中の圧勝だった。
相手の南と東方という選手も私たちと同じ2年だそうだが、その息の合ったコンビプレイは見事なものだった。
前衛だったウチの先輩を集中攻撃し、かといって簡単に得点するでもなく。
地味なラリーを延々と続け、ついに焦れた後衛の彼がフォローに入ろうとしたところをすかさず狙い撃ちしてきた。
状況判断を見誤ったことで、彼は浮き足立ってしまった。
おそらくは全てを自分の責任だと責めていたのだろう。結局最後までそれは拭えないまま試合は終了してしまった。

彼に責任が無いとは言わない。
むしろ、軽率な判断だったことはわかっている。
けれど、だからと言って全てを背負い込んでしまう必要なんて無いのに。
これはダブルスだ。
敗因がどうであろうと、敗北という事実は二人で同じように受け取るべきだというのに。






「あ……?」
「あ、うん」

声はかけづらかったけれど、隠れていたわけでも無い。
ただボーっと突っ立っていた私に気づいた大石くんは、濡れた顔のままこちらを向いた。
雫がまるで泣いてるようで、目を逸らしたくなったけどそれを抑えた。

「次の試合、始まってるんじゃないか?」
「うん、そろそろだと思う」
「戻った方がいいよ。色々仕事はあるんだろう?」
「うん……」

返事はしたものの、動かない私を彼は苦しそうな顔で見ていた。


「ごめん、俺……。今は、一人にして欲しいんだ。ちゃんと、戻るからさ…」


そうだろうとは思っていた。
でなければ、どうしてわざわざ皆の目を盗んでこっそりと出てきたというのか。
負けた後の悔やみ方は人それぞれだ。
冷静に反省点を挙げる人もいれば、友達と話しまくって気を紛らわせる人もいる。そして、今の彼のように一人になって落ち着きたいという人も。
それは十分にわかっていた。当然言われた通りにするつもりだった。
けれど、私はなぜかその言葉に従うことができなかった。

……」

懇願するようにもう一度声をかけてきた彼。
そんな彼に理由のわからない苛立ちを覚えた。
「待ってる。今の大石くん、一人でいたらドツボにはまっていきそうだもん」
それは間違いでは無いと思う。
責任感の人一倍強い彼。放っておいたらドンドン思考は暗くなっていくばかりだろう。
「心配してくれるのは嬉しいけど、もやるべきことがあるだろう?
悪いけど俺、今は……」

その言葉の何が悪かったのかわからない。
けど多分、それが本心だったとしても私を遠ざける理由に私のためという意味が含まれていたせいもあっただろう。
ただ一人になりたいだけなのに、人のせいにするなって。
自覚は無かったけど、私は心のどこかでそう思ったのだ。

それと共にハッキリと浮かんできた苛立ち。
そもそもうじうじしたのは嫌いな私だ。
大石くんがいじけてるとまで思っていないが、その煮え切らない態度に苛立ったのは当然だった。

気づけば私はメモを持ったままの手で彼の胸元を掴むようにしながら叫ぶように口にしていた。



「負けたからって、何一人で落ち込んでるのよ!負けは負けでしょ!!落ち込んで何が変わるわけでもない!!そんなことよりも他にすることあるでしょ!」


突然の罵声に傷つくことすら忘れたように、大石くんはポカンと私を見るばかりだった。


「大体、ダブルスなのに自分のせいだってそればっかり責めるなんておかしいじゃない。お互いフォローしあってこそのダブルスじゃないの!?」



パートナーの先輩が声をかけても、彼はどこか上の空だった。
聞いてないわけじゃないのだろうが、自分を責めるあまりに先輩の言葉を受け入れきれていないのが傍目にもわかった。



「今回の負けで諦めるなら、それまで!これも無駄になってお終い!!
それだけっ!!」



押し付けるようにメモを渡し、そのまま彼の顔も見ずに走ってコートに戻った。
追いかけてくる気配もなければ、声も聞こえなかった。
多分、圧倒されてそれどころでは無いのだろう。
コートでは、すでにS3の試合が中盤にさしかかっていたが、なぜだか誰も私を咎める人はいなかった。













次の日、教室で私は幾度とないため息を吐き続けていた。
もちろん、原因は昨日大石くんに怒鳴りつけてしまったことだ。
冷静になって考えてみれば何て酷い言葉だったことか。
負けたショックを自分の中で整理しようとしている人にそのヒマも与えずに更に追い討ちをかけるなんて。
それをバネにできる人ならともかく、相手は手塚に次いで真面目なあの大石くんだ。気に病まないはずがない。
朝練に彼が来なかったことも、私の心に重くのしかかっていた。
めったなことでは休んだりしない大石くんが朝練に来ないなんて。
連絡はあったそうだから無断欠席では無いけれど、昨日のことが相当尾を引いてるに違い無い。
思い出し、また心の重責に頭をかかえて机に突っ伏した。

、一人百面相か?」
「……菊に言われたくない」

覇気の無い声でそう答えると、菊はその反応を面白く無いとばかりに口を尖らせた。
朝からこんな調子で3時間目まできているのだ。
軽口を言い合う悪友としては物足りないことだろう。
隣に立ったままポリポリと頬をかく菊は、困り果てた様子だった。

「でも、本当にどうしたの?具合悪いんなら保健室付き添うよ?」

心配そうに言ってくれる不二。そう見えるほどにヤバいだろうか。
そう問うと、アッサリとコクンと頷かれた。



「なぁ。ちょっと腕上げて」
「……?」
「いいから、ホラ」

ワケもわからず、疑問を顔に表した私の手をむりやり引っ張りあげて、菊は強引に私の腕をがっちりと掴んだ。
何だと言うのか、一体。
元気の出るおまじないー!なんて答えが返ってきたら笑える。
なんだかよくわからないけど、菊は逆隣で私と同じように不思議そうにしている不二にも同じようにしろと促した。
そんなワケで、どうしてか私はテニス部でも結構人気を高めている二人に両腕をとられる状態になっていた。
四方から感じられる視線が痛い…。

「菊?一体何なの?」
答えを求めるように菊を、そして同意を求めるように不二を見上げる。
見ると二人とも、同じようにニィ、と笑っていた。
不二にはこの理解不能な行動の意味がわかったのだろうか。
「不二まで。どうしたって……」
それに答えずに、彼らは扉の方に声をかけた。



「捕獲完了だよん」
「ああ。ありがとう、英二、不二」

その声にぎくりとした。
穏やかなそれは、間違いなく私の不調の原因たる人物だったのだ。

「お、おいし…くん……」
昨日のことをあれだけ後悔していたというのに、謝罪の言葉はすんなりと出てこなかった。
心の準備もなく突然目の前に出てこられても、なかなか素直に謝るなんてできない。
意地っ張りな私の性格を、これまで何度悔んできたことか。
けれど、それがわかっていても簡単には直らないからこそ苦労しているのだ。
言葉に詰まった私の正面まで来て彼は足を止めた。

ごくりと唾を飲む。
言わなきゃ…。
今言わないと、きっとこのまま謝れずじまいになる。
息を整え、声を発しようとした瞬間、彼の頭が物凄い勢いで下げられた。





「昨日はごめん!」




思いも寄らぬ彼の行動に、私は両腕を捕われたままなのを忘れて思わず彼の方に手を伸ばしかけた。もっともそれは不可能だったが。
どうして謝るのだろう。むしろそれは私が言うべきことで、傷ついたのは彼のはずなのに。
驚いて声の出ない私を正面からしっかりと見据えて、彼は言った。

に言われて考えた。確かに俺、間違ってたと思う。一人で悩んで自分を責めても良い結果にはならないもんな。そのこと、良くわかったんだ」

啖呵を切ったと言っても良い様なあの言葉を、彼は真剣に受け取って考えていたのか。その時点で恐れ入る。けれど、それが大石秀一郎という人なのだということも何となくわかっていた。

「それと、これ」

そう言って、彼はポケットから小さなノートを取り出した。
「あっ……」
見た途端、恥ずかしさに顔が赤くなった。
それは昨日彼に押し付けたメモだ。
試合中にその場で書きとめたものだから、これでもかってくらいに汚い字が連ねられているはずだった。
そうだ、怒りにまかせていたとはいえ、そんな物を渡したのだ。
ただでさえ綺麗とは言いがたい私の字だ。
とても女の字とは思えなかっただろう。
殊に几帳面な字を書く大石くんであれば尚更だ。
「俺の弱点を見事に突いてくれていたよ。恥ずかしいけど、君の言う通りだ」
恥ずかしいのはこっちだ。
そもそもメモっただけだから、意味のある文章にすらなっていない。
けれどそんなメモを大事そうに持って、彼は言ったのだ。




「これ、貰ってもいいかな。勿論必要なら返すけど…。内容だけじゃなく、これそのものを持っていたいんだ。俺自身への戒めとして」




この人にはいつも度肝を抜かれる。
どこの世界にただのメモ書きをそんなに大事そうに欲しがる人がいるというのか。
しかし、彼の表情は真剣そのもの。決して冗談でないことは明らかだった。

「ダメかな?」
「だっ、ダメじゃ、無いっ!」

深刻な顔でそんなに何度も尋ねられて、私は慌ててOKを出すしかできなかった。
そう答えると、彼は安心したように柔らかく笑った。




「もう良さそうだね」
「あ、ああ…。ごめん、。こうでもしないと逃げられるって英二に言われて」

その言葉に菊を見ると、ヘヘっと笑ってブイサインをしていた。
怒りたかったが否定できないのも確かなのでそれはできなかった。
出来る限りするどい目つきで睨むと「うわ、怖ぇ」とわざとらしく脅えてみせた。
そんな菊を見て緊張がほぐれた。


「あの、俺さ…。こんな奴だから、また昨日みたいに一人で抱え込んでしまうこともあるかもしれない。そしたらさ。また喝入れてくれるかな」



この人絶対変だ。
私が後悔するようなことを好き好んでやって欲しいと頼むなんて。

神妙な顔をして頼む彼に、私はまたも頷くしかなかった。
結局謝り損ねるし、彼には調子を狂わされっぱなしだ。






「ありがとう」





本当に嬉しそうに微笑む彼を前に、どうしてか胸が落ち着かなかった。







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  突然副部長。
  話は2年の時なので当時は平部員ですが。
  何を思ったか唐突に書いてみたくなった大石先輩。
  青酢就任おめでとう記念ということで(こじつけ)
  よろしければひぐらしこおり様に捧げます(深司のお礼)
  例の去年の山吹戦の敗戦の話です。
  今更とか言わないで…。
  なぜだか最近めずらしく青学ばかり更新してるような…(主に手塚)

                                ’02.11.1.up


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