曲げられぬ意志












肩を押さえて崩れ落ちる手塚。
彼に駆け寄る部員たち。
そんな彼らを見ながら、私は一歩も動けなかった。


動けないのか、動かないのか。

自分自身でもわからないけど、その時体が動いていなかったのは事実だ。
目の前で皆が騒いでいるのをどこか遠くに感じていたような気がする。






ドクンドクンと脈打つ心臓。その音がとても大きく響く。
なのに頭の中は冷静で、他人事のように事実を受け止めている。



私にとって、大きなショックのあった時に決まって起こる症状だけど、それを自覚するのはいつだって随分経ってからなのだ。
この時も何をしているのか、何をしなくちゃいけないのかもわからずにただ突っ立っているだけだった。




そんな私を現実に引き戻したのは、コート上に駆け寄ろうとした菊が私にぶつけてしまった腕だった。
それとその直後の手塚の怒鳴るような大声。
その二つにハっとして、私はようやく自分の役割を思い出し、動き出した。




「まだ試合は終わっていない。まだやれる」
「だけど手塚……」
強情に言い張る手塚に、皆は心配な顔をしてその駄々に困る。
顧問がいない今、部内で一番の権力者で実力者である彼を止められる者はいなかった。
口々に止めようとするが、それを聞き入れる様子は微塵も無い。
審判に言われても仲間の誰に言われても、例えこの押し問答を何時間と続けても手塚の意思は曲げられることは無いだろう。


でも、肩が限界なのは誰の目にも明らかだ。
肩を壊して引退を余儀なくされたテニス選手が多いのは、審判に言われるまでも無くわかっている。
手塚国光という選手が、そんな程度で終わるにはあまりにも惜しい選手だということも。





でも、それをおしてでもやり遂げたい試合。
掴み取りたい勝利。
今この試合でなければならないのだ。
この後越前に回って勝てたとして、それで本人は納得なんてしない。
全国を目指して頑張ってきた3年間。
それは大和先輩の意志を継ぐことであると同時に、彼自身の夢なのだから。





痛みに顔をしかめている。
もう体は限界なんだって、隠そうとしてもにじみ出てしまっている手塚。
本当なら、先生のいない今彼を止めるのは私の役目。

でも……。








ッパァン!!







手塚を心配して起こっていたざわめきは、その音と共にピタリと止んだ。
何が起こったのか、誰もが見ていただろう。
手塚の肩を見ていたマネージャーが突然彼に見事な平手を食らわせて目を引かぬはずがない。

何の前触れも無いあまりのことに、誰もが言葉を失っていた。
手塚は驚いたように私を見る。
私はそんな彼に、怒りは頂点に達したとばかりの声で言った。











「いいからさっさとやって勝ってきなさい!あんまり長引かせたら何言おうが引っ張って棄権させるからね!!」












周りにいた誰もが手塚を心配して止めようとしている中、怒鳴るように響いた正反対の言葉に周囲は今度は驚きにざわめいた。



それがどういう結果をもたらすか、わからないわけじゃない。
たかが関東大会の初戦を勝ち抜くために今後のテニス人生を棒に振ってしまいかねないってこともわかってる。そして手塚という選手を失うことが、どれだけテニス界にとって大きな損失となるのかも…。



でも、それでもやめてなんて言えない。
口が裂けたって言えやしないんだ。
今ここを逃げて勝ったとして、どれほどの意味がある?
先へ進めたら次があるじゃないかなんて、そんな言葉で片付けられる程度の思いではないのだ。
私たち……いや、手塚の全国への執念は。











呆気に取られる周囲をよそに、手塚は小さく「ああ」と言って立ち上がった。
去り際、私の頭に軽く手を載せて「感謝する」と呟いて。











がああ言うとは思わなかったな。予想外だ」
「そりゃどーも」

ボソリとかけられた乾の声に、私は気の無い返事をした。
データ男の情報を上回ってみせたぜ、ザマミロ。
そんなくだらないことを考えながら、コートへと向かう手塚を見る。
限界が来ているだろうに、それでも彼の闘志は高まっているのが手に取るようにわかった。




「でも、どうして?が一番心配してるだろうに」



そう言ったのが不二だったのが意外で、試合のホンの一瞬すら見逃さないつもりだったのに思わず振り返ってしまった。。
聞いてくるなら、データ収集のために乾か、ただただ単純にそれを不思議で仕方ないだろう菊じゃないかとふんでいたから。
不二は、不思議そうなわけでもなくただ真剣な瞳をこちらに向けていた。





彼の質問は、答えを求めているのではないのだろう。
多分、それを口にすることで自分自身でも納得していない部分を整理させてくれるため。私のためだ。
不二はきっと全部わかってる。

私が止めなかった理由。
でも本当は止めたくてたまらない心情。

全部見透かしているのだ、この男は。








「だって……止められるわけ無いじゃない…」



質問した不二だけでなく、近くに集まっていた部員とルドルフの二人を含む全員が私の言葉に耳を傾けていた。もちろん、手塚の試合を見ながら。



「大和先輩のことだけじゃない。全国へ行こうっていうのは、手塚の意志なのよ。もう、託されたとかそんな問題じゃない。このまま試合を続けても勝ち目は無いとかそういうのでもない。この試合だけは、たとえ負けてもやり遂げなくちゃ意味が無いの」

心なしか、淡々と語っているはずのその声は震えていた。

「棄権して、越前に回して勝てたとしてもダメなの。そんな勝利よりも、このまま続けて負ける方がまだしも意味がある」




一言一言、自分自身に言い聞かせる。
手塚を止めることはできないんだっていうその事実を。
送り出していながら、それでも本当はすぐにでも試合を中断させてしまいたい衝動を抑えるように。


大石くんは、心配しながらも手塚を送り出した。
河村くんも、後ろで旗を振って応援している。


実際、気心知れた仲間内で、彼を止めようとする者など今やいないのだ。
彼を思えばこそ。





「うん。…僕も、そう思うよ」



不二の言葉に、それまでどうしてもざわついて仕方が無かった心が少し落ち着いたのを感じた。








私にできることは限られている。
何も無いと言っても良いほどに、何もできないのがとてももどかしい。
だけど、彼にとって本当に後悔しない道を共に進もう。
それだけが、今の私にとって唯一他の誰よりもできるはずのことだから。






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  速攻です(苦笑)
  多分、来週になったら書く気も何も失せてそうなので
  即書きしました。
  このまま最終的に越前と交代になったらこの話意味が無くなります…。
  そうならないと信じて(いや、それで手塚が勝っても微妙なんですが)

                            ’02.10.1.up


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