頸椎の退院後、不自由になった私を精神的に気遣っ
てくれた。独身でOLやからなかなか我が家にも来れ
へんし、でも私の様子は感じとってくれたみたい。
大阪狭山の生活は車やったから、どこにも行けんよ
うになって、その上家事に追われてクタクタで。
主人や子供達は長い4ヶ月が過ぎやっと私が帰って
家事から解放されると思ったんやろなぁ。
所が不自由になって帰ったから、みんながそれぞれ
ストレス溜まって大変やった。小6,4,2やもん。
それでも大人はたった11歳の子供に頑張ったって
やと電話で言う。怒って泣いてた。私もどうしてる
?頑張りなの電話には心的アレルギーを起こすよう
になった。もう、娘も私も電話恐怖症になっていた
。私は気持ちがふさいでいき、内に内にと籠もって
行った。何処も行けない。籠の鳥や、出入り口開い
たままでも何処へもいけん。鬱でノイローゼの一歩
手前なんも自分で分かってた。
そんな時、奈良に家を探してくれてたのが妹だった
。兄も妹も主人の弟も奈良だった。やっとの思いで
主人が腰を上げて出かけ、最初に見た物件が今の我
が家。いとも簡単に決まって驚いてしもた。決まっ
たらもう引っ越しの話し。あっと言う間の出来事や
った。それからは妹が休みになれば私を外に外にと
連れ出してくれた。それが私を鬱になるのを救って
くれた。郵便局も銀行もスーパーもデパートもデイ
リィーストアもみな行ける範囲のなかにある。かと
言って出かける事はほとんどないけど、行こう思た
らいつでも行けると頭で分かってる事が心をこんな
にも軽くしてくれるんがよー分かった。妹にはほん
まに感謝してる。今でもしんどかったらご飯食べさ
して、子供もと言ってる。側にいてくれる安心感。
ありがとう、えっちゃん。