尼伊クラブの、バスケットの大御所。
バスケットの1部の人達と色んな所に連れてもろた。大伴家持を語ったら延々と続くと思う。本を出すくらいやから。(私はまだ読んだ事がない) 腰を痛めてはってそれでもバスケしてはった。中央体育館に間に合わないと、歩道を車で走ったと聞かされたけど、信じられる。私が病気になってから、ほとんどみんなの前には出なかった。元気印の食べて飲む私のイメージを残したかった。
主人が集まりの時、私がなんか習字みたいな事してるって言ったらしく、すぐ電話があり来てくれはった。歩くのも困難なはずの人がどうしてここまで! 美章園から両手いっぱいのお習字道具を抱えて。いつもの、悲しそうな、嬉しそうな、照れくさそうな顔で立ってはった。私は顔を見るなり泣いていた。この姿、私は一生忘られへん。中に入ってもらって何か話そうとすると胸がいっぱいでなんぼでも涙が出てくる。泣いたらあかん思たら余計出る。町野さんの亡くなられたお母さんのつこてはった道具。お習字の全くわからん私にはもったな〜〜て。その時の町野さんへの気持ち、なんて凄い人やろって思った。大きな長い半紙・大きな筆・墨・色紙・短冊など触った事のないもんばかり。感激でいっぱいで、帰りはったらすぐ、でっか〜い半紙と筆で「筆大好き」と書いたら凄く気持ち良かった。これが色紙と篆書の始まりとなった。これがあったからこそ楽しんでこれた。町野さんの言わはる通り「上手下手じゃなく、心から楽しめる事が大事や」って言ってもらった通りしてます。ほんとに楽しめました。昨年12月誰にも何も言わんと亡くなりはって暫くそのショックから立ち直れんかった。まだ全部約束果たしてないし、何で気がつかんかったんっやろって、この事のくやしさもず〜〜っと引きずると思う。町野さんほんま生きるってしんどいわ。でも、町野さんが示してくれた優しさを私も私の廻りの人に伝えたい。伝えなあかんなぁ。
どこまで自分のスタンスで居れるかわからんけど、生きてると意識してる限り頑張ります。
2003年8月25日
美 子