生まれてからず〜〜〜っとスクスクと健康に育ってきた。女ながらあの時代で170cmもある。
       
   今はちょっと低くなったかなぁ?  遅いと言われながらも32歳で結婚し、すぐに3人の

   子供に恵まれた。小さく産んで大きく育った。現在、長女18歳175cm、長男16歳180cm

   に近く、次男14歳176cmとガリバー家族と言われてる。(主人も182cmお腹もりっぱ)

   子供達がそれぞれ、小6,4,2の時に急に左側の手足が動かず、脳外科で検査の結果す

   ぐ入院、手術となった。頭のてっぺんをそり落とし(カッパ状態)頭蓋骨に2箇所穴をあけて

   金具を付けられた。ベッドで滑車を利用して牽引。頭蓋骨からの牽引で効果有り、手術。

   手術まで24時間入浴時もネックカラーをはずせなかった。家ではまだ小6の娘が弟たちの

   世話、食事の用意、洗濯と辛かったと思う。ましてや小学校の卒業式、中学の入学式も

   出てあげられなかった。翌日からはお弁当も作ってた。病院にいながら私も辛かった。   

   術後の辛い事!自分の腰の骨を削って首に付けた。骨同士が付くまで自由がきかない。

   1ヶ月の苦しかった事。天井を見て暮らした。いい先生にあたり、首の皺を利用して綺麗に

   切って下さった。成功したが後遺症が残った。左手足が自由にならない。元気に帰ってき

   てくれると4ヶ月頑張った主人と子供達はかなりショックを受けたようだった。ところが不自

   由になっていて家事が出来にくく、左手は思うようにならず、雨の日は外出も出来ない。

   左手でほとんど物がもてない状態。親類と離れており苦しい生活が始まった。家族が

   苦労した。小さな子供も!精神的にみんなの状態が限界に近づいていくのが見えてくる。

   そんな時に、兄や妹のいる奈良の西大寺に越してきた。不自由になって1年目です。

   その1年が1番辛かった。健康が取り柄だったし、自分のどこが身障者やのんと認められ

   ず、人からの電話は決まって「どう?頑張ってね」しまいに電話の音にもストレスが溜まっ

   た。ある時、外でロフト杖をつき歩いている自分の姿にショックを受けた。どこから見ても

   障害者そのものだった。

   ところが、その年の暮れに又身体が動かず、入浴にも2時間くらいかかるようになってい

   た。歩けない! 一歩が出なく歩き出すと止まらない。月1回の外来にかかっていて難病

   と分かった。薬がないと私の身体は動かないんだ!薬の調整に入院。また、長男の卒業

   式と入学式に出れなかった。彼も又、私のいない中、次の日から自分でお弁当を作って

   行った。子供達は普通の子供たちより良くしてくれるのは分かる。でも、それで済まない。

   私は進行していくし子供の用事は増えていくし・・・・・。エンドレスの家事に私も子供達も

   疲れてしまった。

   そんな時に知り合ったのがケアーマネージャーをしている横田政江さんだった。彼女の

   一言で思い切って介護に踏み込む事が出来た。「篠原さんが篠原さんらしくあるための

   介護」と。私らしくあるためのものとやっと割り切れて入った。生活が変わった。

   お陰で少しの時間が出来、動かない左手が愛おしく全くダメになる前に何かを残したく、

   筆ペンで半紙にその時々の思いを日記もどきのように書き出した。そこへ腰の悪い先輩

   が亡くなったお母さんが使われてた道具を届けてくれた。あまり歩けない人が両手一杯に

   物を持って・・・・涙が止まらなかった。。今こうして書きながらも胸が詰まって泣いてしまう。

   半紙・墨・条幅の紙・色紙・短冊・小筆・太筆・大筆など一杯!私は幸せだと思った。それ

   が大きな筆を持つ初めての経験で、どんどん左手が役にたって喜んでいるのが分かった。

   次男が学校で石で判子を作って持って帰った。面白かった。篆書文字との対面であった。

   それから、知らぬは強し、の言葉通り左手で絵を描くように自分のイメージで好きなように

   書いた。町野さん(先輩)に1番に送ったら「気負わん、ええ字や」って言ってもらった。

   「美子ちゃん、巧い下手はどうでもええんや。自分が楽しめて書くことが大事やねんで。」

   って。その先輩も昨年の12月に亡くなった。誰にも告げずにご家族だけで・・・・。その事を

   聞いたのが主人の叔父さんを斎場へ送っている途中だった。ショックで泣いた、泣いた。

   まだ約束も果たしてない!ごめんなさい!町野さんのお陰で筆がドンドン私を救ってくれ

   た。それが今の私の原点になった。残念ながら今は小筆は持てず、ほとんど書けないが、

   出来なくなったら出来そうな物を考えるようになって、どこにでもあるような物を利用して

   小物を作ってきた。それもいつまで出来るやら?でも頑張りたい。

   現在、薬が効きづらく量も増やせず、手術の話が出ている。脳の視床深くに針を入れ耳の
  
   後ろを通して鎖骨下にパルス発生装置を埋め込むらしい。それも左右両方。聞かされた  

   時サイボーグ人間になるのかと思ってしまった。今考慮中だが、動けない身体には勝てない

   今の自分がどれだけの人達に支えられて生きているか十二分に感じさせられている。
    
       深謝!

                        2003年 8月 17日 記                                    
                            美子