古墳が生まれた背景




古墳造営図
図:古墳築造、『日本発見第22号、古墳の謎』、暁教育出版

 弥生時代は、魏志倭人伝が伝えるように日本列島各地で多くの勢力が「国」としてたがいに対峙していた。卑弥呼のころには、邪馬台国を含めておよそ30「国」の存在が魏側で知られていたようである。後の時代の戦国時代もそうだが、勢力同士の合従連衡をくり返しながら日本列島は次第にひとつの勢力のもとに包括されていくという大きな流れがそこにあったと考えられる。乱立状態から統合状態に移行していく流れは古今東西、時代を超えてみられる普遍的な現象である。前方後円墳の出現の背景には、他とは比肩できないほどの大きな勢力の出現があったと考えられる。この勢力とは大和を本拠とする大和政権であるが、箸墓古墳を嚆矢とする巨大古墳の築造は、大和政権の権威を他の地域へ誇示するねらいがあったとみてよいだろう。本ホームページの年代観では、こうした動きのはじまりは4世紀前半末〜中頃とみている。邪馬台国が大和にあったとし、大和政権へと発展していくという見解は「邪馬台国畿内説」であるが、学術的には異論も多いので本ホームページではこの問題に深くは立ち入らない。


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前方後円墳の基礎知識