平成10年1月9日奈良県天理市柳本町の古墳時代前期の黒塚古墳から三角縁神獣鏡32枚と画文帯神獣鏡1枚が出土したと発表された。鏡はいずれも石室から出土し、木棺の両側に大半が鏡面を木棺にむけて重なるように立てられていた。そして2月3日新たに1枚の三角縁神獣鏡が出土したと発表された。これで、同古墳で出土した三角縁神獣鏡は33面で、1つの古墳から出土した三角縁神獣鏡の面数としては、椿井大塚山古墳(京都府山城町)を抜いて全国最多となった。
三角縁神獣鏡は「大和にあった邪馬台国が各地の豪族に配った」とされる邪馬台国畿内説の有力な根拠とされてきた銅鏡である。一方、黒塚古墳からの出土状況から、画文帯神獣鏡は棺内の被葬者の頭部近くにおかれ、三角縁神獣鏡はすべて棺外におかれていたことがわかっている。このことから、三角縁神獣鏡はそんなに高いランクの銅鏡ではなかったという見方もできそうだ。
黒塚古墳から三角縁神獣鏡が多量にみつかったという事実は、少なくとも、箸墓古墳を嚆矢とする巨大前方後円墳時代の始まりの頃(4世紀前半頃=本ホームページの年代観)、三角縁神獣鏡はこのあたりで大量生産され大和政権(崇神天皇に代表される)の鏡として各地に搬出されたことを示していると考えてよいだろう。
黒塚古墳は平成9年8月から調査を始めていて後円部の頂上付近から南北に長さ8.3m、幅0.9〜1.3m、 高さ1.7mの竪穴式石室を発掘した。石室内には長さ6.2mの割竹形木棺があったとみられる粘土の 床があり、被葬者が安置されていた中央付近には朱が大量に残り、周りの土もベンガラで赤く染まっていた。 棺と遺体は腐食してなくなっていた。木棺の周りには鉄剣や鉄刀、鉄鏃などが大量に出土していた。 古墳の築造時期について、発掘関係の考古学者は石室の構造から3世紀末〜4世紀初めと考えているようだ。
一方、本ホームページにおける形態研究の視点からみれば、形態的には箸墓古墳よりやや新しいという感じがする。
総合的にみれば、4世紀中頃という年代観が妥当と思われる。
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