泣いて馬謖を斬る
蜀の国の大将諸葛孔明(しょかつこうめい)は、馬謖(ばしょく)を自分の後継者として信頼していました。馬謖はすぐれた才覚をもち、戦術を立てるのが得意でしたが、どちらかといえば実戦は得意ではありませんでした。孔明は何度か出兵して魏の国と戦っていましたが、馬謖はいつも参謀としてそばについて数々の戦いに貢献していました。
ある大きな戦いで、歴戦の戦士たちが「この戦いは大切だ。誰を先鋒(せんぽう)にしたらよいだろう。」と論じているとき、孔明は馬謖を抜擢して大軍を与えて敵の大将と戦わせました。善戦したものの、馬謖の軍は敗れ去り、結果的に孔明の軍はいったん退却しなければならなくなりました。馬謖はその戦の責任をとらされ牢獄に入れられました。
孔明は、今まで自分に大きく貢献してきた馬謖をなんとか救いたいと思いましたが、周囲の人々は「今は、国中が乱れて必死で戦っているときです。人々は権力争いをし、あちらこちらで戦いが頻発しています。もしここで軍の決まり事を無視して馬謖を助けてしまうと人々の心は乱れてしまい、敵に勝つことなどできなくなります。どうしても馬謖は斬らなければなりません。」と言いました。孔明は何も言うことができませんでした。
しばらくして、孔明の目の前に馬謖の首が届けられました。孔明はその首を抱いたまま、大声で泣き続けました。
■ 信頼している部下を、規律を守るために私情を捨てて罰すること。自分の意志と反して友人や部下を捨てること。
<例> 頼朝と義経兄弟は憎しみあったのではなく、泣いて馬謖を斬らねばならなくなったのです。