Angel Sugar

第1夜 「お正月だよ、お兄さま」 (新年企画2003)

タイトル
 散々なクリスマスだった。
 その上、寂しい年末年始だ。
 幾浦はリビングにようやく出したこたつに足を突っ込みながら、面白くもない年始の番組を見ていた。その脇に、アルが顔だけを出して同じようにこたつに入っている。夢でも見ているのか、時々鼻を鳴らすのはいつものことだった。
 はあ……
 実家に帰っても良かったか……。
 一応、クリスマスの権利をトシが取ったために年末はリーチが利一の主導権を持つことになったのだ。確かにクリスマスか、年末、どちらかを選ぶというのは普通で考えるとなるほどという分け方をしているように思えるが、年末と年始どちらを選ぶという選択方法の方が自然のような気も幾浦にはした。
 なんだか二つ良いことをリーチに持って行かれたような気が幾浦にはするのだ。もちろん、午前零時を境に年末と年始がやってくるのだから、仕方がないと言えばそうだろう。ただ、クリスマスを終えた後、トシに仕事の連絡が入っていたようであるから、リーチが無事に名執と年越しをしたかどうかまでは幾浦には分からなかった。
 だから……
 ああいう不規則な仕事は辞めて欲しいんだ……
 こたつの上に置いたミカンを眺めながら幾浦はため息をつく。世間では新年だ、初詣だとお祭り騒ぎになっているのだろうが、ここにはそんなものはない。いつも通り静かな日を過ごしている。
 それにしても……
 あのケーキ……
 今から考えても腹がたつ。
 思い出したくはないが、恐ろしいほど大きなケーキがジャックから届いたのはつい最近だ。しかも、説明書のようなものに、使用方法が書かれていたが、それを読んだ幾浦が顔色を怒りで真っ赤にさせたのは言うまでもない。
 パーティ会場に最適!なあんてことが書かれていたのだから、一瞬、なにがどうなっているのかすぐには理解できなかったほどだ。巨大な、まるで結婚式にでも出てきそうなケーキは中が空洞になっていて、車輪がつけられていた。トシが実行して失敗したことが簡単にできるという代物だった。
 それが分かった幾浦の怒りはすさまじいものがあったのだ。恭夜の携帯に電話をかけて苦情を言おうとしたが、何度かけようと出ない。科警研のほうにも電話をかけたが居留守を使われた。幾浦から逃げると言うことは、自分でもやってはならないことをやったという自覚があるのだ。だったら、最初からああいう嫌がらせはするなと幾浦は言いたい。
 なにより、送り主はジャックだったのだ。あの変人だ。どうしてああいう人間がこの世に存在するのか謎だが、二度と関わりたくないと考えていた男からのプレゼントというのだから、幾浦は更に怒りがます。
 誰と付き合おうと、当人の問題であるから、放っておけば良いのだろうが、相手を見ると「やめておけ」と、絶対に口から出てしまうような相手がジャックだ。あれのどこがプロのネゴシェイターなのか、幾浦には理解不能だ。
 恭夜がどうしてジャックを選んだのかは未だに理解できないことであり、幾浦がどうしても認めることはできない。
 それにしても何度考えても腹立たしい……。
 ああいうものを嫌がらせで送ってくると言うことは、恭夜がトシのことを話したのだ。一生の不覚というのはこういうときに使うのかもしれない。
 幾浦は既に済んだことであるのに、未だに燻った怒りを内包させて、見もしないテレビの方に視線を向けていた。
 すると、玄関のベルが鳴らされる音が響き、誰かがやってきたことを幾浦に知らせる。ぐっすり眠っていたはずのアルがいきなりこたつから飛び出し、いつものごとく玄関に走っていった。
 誰だろう……
 トシではないことは間違いないんだが……。
 回覧か?
 こたつに根が生えそうになっていた身体を起こし、立ち上がると、玄関に向かって吠えて立てているアルを宥めて扉を開けた。
「明けましておめでとうだ。めんどくさいが、年始の挨拶にきてやったぞ」
 見たくもない男が手に荷物を持ち、似合いもしない羽織袴を着て立っていた。その後ろに苦笑しながら肩を竦めている恭夜が見える。
「アル。食いついてこい。いいぞ。きちんと首に噛みついてこい。殺してもいいからな」
 静かに幾浦はそう言って追い立てたが、アルはジャックを見た瞬間、急に尻尾を後ろ足の間に入れて後退した。
「なんだ。お前はそんな弱虫だったのか?いつもの剣幕はどうした?」
 グイグイとアルの背を押すのだが、座り込んだまま動こうとしなかった。動物は相手を見た瞬間に自分より強いか弱いかを判断するものだと幾浦は聞いていたが、もしかすると人間ではない生き物だとジャックのことを判断し、怖がっているのかもしれない。
 そう考えると幾浦は納得できた。
「犬にも好かれない男が何の用だ」
 幾浦はアルを押すことを止め、ジャックに言った。
「キョウ。お前のお兄さまはいつまでたっても礼儀知らずな奴だぞ。人が挨拶をしているのに、この態度は何だ。しかもだ。この間送ったプレゼントの礼すら口にしないとはどういった男なんだ」
 腕組みをしながら、相変わらずでかい態度でジャックは見下すような目を向けてきた。
「あ、あ、兄貴。……俺……俺はさあ、止めろって言ったんだぜ。俺は悪くないからな」
 恭夜は言い訳するように言ったが、そんな言葉一つで許せるような幾浦ではなかった。
「なにがプレゼントだ。あんなものをよくも送ってきたものだ。貴様の常識はどうなっているんだ?」
 燻っていた怒りがまた燃え立った幾浦は、ジャックを睨み付けた。
「常識?あのケーキで遊びたかったのはお兄さまのほうではなかったのか?ただの根暗な男だと思っていたが、多少の遊び心はあるのだと私はハニーから聞いて感心していたんだがな。それとも根暗だから誰にも知られずにこっそりやりたかったのか?」
 根暗……
 私のどこが根暗だ?
「もういい。挨拶は済んだのだろう。帰ってくれ。年始早々、私も苛々したくない」
 幾浦は歯ぎしりしながらジャックの言葉に耐えた。
「カルシウムが足りないんだな。可哀想に。あまり苛々すると、禿げるぞ」
 禿……
 禿げるとまた言うのか?
「うちの家系は禿げる家系ではないっ!」
「ん?禿という言葉にいつも敏感に反応すると言うことは、お兄さまが気にしていると言うことだろう。今度、素晴らしい育毛剤でもプレゼントしてやろうか?」
 真面目な顔でこういうことを言われると、余計に腹がたつのだが、ジャックになにを言っても口を閉じてくれないのだから仕方ない。
「……別に気にしてはいない。さっさと帰れ。不愉快だ」
 幾浦がそう言うと、ジャックは恭夜の手を掴んで勝手に玄関に入ってきた。
「ハニー。お兄さまのお許しが出たぞ。上がらせてもらうか」
 ジャックは恭夜に微笑んでいた。
 誰が……
 誰が上がって良いと言ったんだっ!
 私は帰れと言っただろうがっ!
「私は帰れと言ったんだっ!」
 既に玄関を上がって、勝手にスリッパを履いているジャックに幾浦は怒鳴った。
「貴様が帰れ」
 チラリと肩越しに振り返り、まだ玄関にいる幾浦に鼻で笑うような態度をジャックは取る。
「ここは私のうちだっ!勝手に上がるなっ!」
 ドンドンリビングに歩いていくジャックを追いかけて幾浦は叫ぶが、全く聞き入れようとしない。バットでも持ってきて殴ってやろうかと幾浦が本気で考えていると、恭夜がジャックの手を振り払ってこちらに走ってきた。
「兄貴……ごめん。お願いだから付き合ってやってくれよ。頼むよ。この間のことは謝るからさあ。ジャックあれで、本気で真面目なんだよ……」
 手をすりあわせて恭夜は肩を竦めている。
「つ……つきあえるかっ!」
「兄貴のうちに行くのに、あいつ、三十万もする吉兆のおせちを用意したんだぜ。おれも訳が分からないんだけど、年始の挨拶はこういうものだと思ってるんだ。あれで、日本の文化を学ぼうとしてるんだって。分かってやってくれよ……」
 こんな風に恭夜がジャックを庇っている姿を見るもの幾浦には腹立たしい。吉兆だろうがきっちょむだろうが、幾浦はどうでもいいのだ。それよりもさっさとここから立ち去って欲しいというのが本音だ。
「駄目だ。出ていけ。私は静かに年始を楽しんでいるんだ」
「……兄貴がそんな態度取るんだったら、俺、兄貴の付き合ってる相手をばらすよ。いいのか?俺は良いけど、あいつに迷惑かかるぜ~」
 恭夜は最後の手を出してきた。
「……」
「困るだろ?」
 先程まで小さくなっていた筈の恭夜が急にニヤニヤとした表情になる。
「あたりまえだ。お前はいつのまにそんな汚い手を使うようになったんだ」
「だってさあ。仕方ねえよ。あいつを止められる人間がこの世にいるか?俺だって、ここに来る間中ずっとジャックに止めてくれって頼んだんだからな。まあ、もちろん、耳に入ってなかったけど……。あいつ、自分の都合の悪い言葉は完全にシャットアウトするんだよ……。あれ、マジであいつの特技だって。俺も困ってるんだけど……」
 はあと深くため息をついて恭夜は言った。
「なんだこのうちは。ミカンしかないのかっ!」
 勝手にリビングに入り、しかもこたつで既にくつろいでいたジャックが廊下に向かって叫んでいた。
「……あの男に常識は無いのか?」
 リビングの方を見つめて幾浦は呆れてしまった。入るなとあれほど言っているのに、勝手に玄関を上がり、しかも自分のうちのようにくつろいでいる。あの、図々しさは一体どういう性格からくるのか、幾浦にはジャックのことが相変わらず理解できない。
「ねえよ。あいつ、自分が法律で、地球は私のために回っているって本気で思いこんでる男だから……」
「……仕方ない。少しだけ付き合ってやる。いいか、一時間ほどで出ていくんだ。分かったな?」
「分かってるよ。他にも回る気だから、それほど長居はしないと思うんだ……」
 また、ため息を恭夜はついた。  
「他?他ってどこだ?」
「隠岐んとこ。いなかったら、現場にも行く気でいるんじゃないかなあ……。あいつもう一つおせちを車に乗せてるから。あ、ちゃんとクーラーボックスに入れてるんだけどな」
 それは……
 まずいだろう?
 何より今日、トシはトシではなくリーチなのだ。もし、仕事が無かったら名執と会っているはずだった。となると、下手をすると恐ろしい状況を見せてしまうことになりかねない。幾浦がどれほど気に入らなくても、この二人をここに足止めしておかなければならないだろう。
 隙を見て電話をすればいいのだ。
 幾浦は冷や汗が出そうになるのを、抑えつつ「まあ、お前とも久しぶりだからゆっくりしていけ……」と、心にもないことを言った。
「わ……悪いなあ……兄貴。吉兆のおせちで許してくれよな?」
 そんなもので許せるかっ!と、心の中だけでは思ったが、幾浦は顔を引きつらせながら、とりあえずキッチンに向かった。その後を何故か恭夜が付いてくる。
「なんだ。お前は一応客なんだから、あっちにいって、変人の面倒でも見ていろ」
 茶くらい出さなければならないだろうと幾浦は考えたからキッチンに向かったのだ。
「あの……あのさあ……」
「なんだ?まだ何かあるのか?」
 幾浦は茶の葉を入れ替えて、急須にお湯を入れる。恭夜が言い淀んでいる間に、茶の準備は整った。
「……え~。お願いがあるんだけど……」
 叫びすぎて喉がカラカラになっていた幾浦は、冷蔵庫からミネラルウオーターの瓶を取り出した。
「なんだ。はっきり言え。ここまで来たら聞いてやる」
 半分、やけくそ気味に幾浦は言って、水を口に含んだ。
「ジャックにお年玉を上げて欲しいんだ……」
 ぶはっ!
 あまりのことに驚いた幾浦は水を飲み込むことができずに吐き出してしまった。
「と……年玉?あの男はいくつになったんだ?確か私よりも年上の筈だが……いや、そういう問題でもないだろう」
 裏返ったような声で幾浦が言うと、恭夜は肩を竦めた。
「俺も、意味不明なんだけどさあ……。テレビでこう、親から年玉をもらうニュースの一面てなものを、以前に見たみたいで……。いくら俺が『あれは、小さな子供が一年に一度、両親からもらうものだ』って、説明しても、分かってくれないんだよ。まあ、あいつが人の話に耳を傾けるなんて滅多にないけどさ。とにかく、年始回りをしたら、その先の住人にお年玉を貰えると信じ込んでいて、兄貴からもらうの楽しみにしてるんだから、訳分からないんだよ……」
 本当に困ったという顔で恭夜はテーブルにもたれて項垂れる。
「楽しみだと?いくつの男がそんなものを楽しみにしているんだ?」
 一体なにをどう誤解すればそんなふうに日本の行事をねじ曲げてしまうのか、幾浦にはジャックが理解できないでいた。
「二十九になったはずなんだよな……」
 どこか遠い目をしながら恭夜は視線を彷徨わせる。
「それこそ、あの男の年齢すら私にはどうでもいいが……。ハロウィンと正月をごっちゃにしているようなんだが……」
「……え、あ、そういや、ハロウィンって、お化けの格好をして家を回るんだよな。すると、そこの住民からお菓子を貰えるっていう行事だっけ?あいつ……確かにごっちゃにしてるかもしれない……」
 恭夜はう~んと唸る。だが、唸られても困るのだ。
「断る」
「え~そんなこと言わないでくれよ。あいつ、兄貴が年玉をくれないの分かったらさっさとここから出ていって、隠岐を探しに行くぜ。兄貴からは諦めても隠岐からは諦めないと思う」
「……それは……困るぞ」
 額に滲んだ汗を拭いつつ、幾浦は手に持っていたミネラルウォーターの瓶をテーブルに置いた。
「だろ?あいつ人に年玉やれるほど金持ってねえし……」
「……そう言う問題ではないと何度言わせるんだっ!」
 額に青筋を立てて幾浦は怒鳴るが、恭夜に堪えている様子などこれっぽっちもない。
「怒るの分かるけどさあ。ケーキの件だって、別に嫌がらせじゃなくて、ジャックは真面目に兄貴に送ったんだぜ。あいつ、訳分からない行動ばっかりするけど、本人は超がつくほど真面目なんだよなあ……。なんていうか、たいていそれってずれてるし、理解不能なことばっか言うけど……。俺や一般の人間には分からないことでも、あいつのなかでは筋が通ってるみたいなんだ。あ、これは最近わかったことだけどさあ……」
「そうだ。ケーキだっ!あれの始末にどれほど困ったと思っておいるんだっ!だいたい、連絡もせずにあんなでかいケーキを届けられた私がどれほど困ったと思ってる?」
「え、あ~。あははは。ま、まあ、隠岐の名前は出さなかったけど、つい、こう、ジャックに話しちゃってさあ。兄貴もやるよなあ~」
 恭夜は引きつりながらも褒めている。だが、褒められても少しも嬉しいと幾浦は思わなかった。逆に馬鹿にされたような気がして、それを思い出したことだけで、浮かぶ青筋の数が増える。 
「……真面目だろうがなんだろうが……関わりたくないと私が心の底から思っているのは恭夜も知っているだろう。いい加減にそれを分かってくれ」
「……なんていうか、ジャックに関わりたいなんて思う人間はいねえよ。兄貴だけじゃないから安心してくれって」
 ……
 これが恋人の台詞なんだろうか?
 恭夜は本当にジャックが好きで側にいるのか、幾浦には益々理解不能だ。
「お前は……。もういい。それで……年玉だったな」
 渡してことが済むなら渡してしまえと幾浦は考えたのだ。余計な罵詈雑言を年始から浴びせかけられると想像しただけで堪ったものではない。
「え、あいつに用意してくれるのか?」
「……仕方ないだろう。それであの口が少しでも塞がるのなら、適当に詰めてやる」
「詰めるって……菓子じゃないんだけど……」
「それで、いくら入れたら良いんだ?新札をそれほど用意していないんだが……。奴が持ってきたきっちょむと同じ代金でも入れてやれば気が済むのか?」
「きっちょむじゃなくて吉兆だよ。そんな大金入れなくて良いって。あいつは金額じゃなくて『おとしだま』って書いた袋が欲しいんだろうしさ……」
 そんなものをどうするんだと、本気で幾浦はジャックに問いつめてみたかったが、どういった答えが返されるのか想像もできない相手に、質問など一言もしない方がいいのだ。
 ジャックとの会話は、必要最低限にしておかないと、明日は立ち上がれないほど疲れてしまっているはずだ。休みはまだまだあったが、例え一日でも幾浦はジャックの言動で疲労困憊した日を過ごしたくは無かった。
「四十九円でも入れてやるか?始終苦労しろ……という意味だが」
 笑いもせずに、幾浦が本気で言うと、恭夜は目を丸くさせた。
「……さい銭じゃねえんだから、もう少し入れてやってくれよ」
 普通、違うところを突っ込まないか?と、幾浦は一瞬考えたが、ジャックといつも一緒にいる恭夜だ。知らぬ間に感化されてきているのかもしれない。いつか、恭夜がジャックのような口振りになったらどうする?という不安が幾浦には過ぎったが、それこそ考え過ぎに違いない。
「……お前が決めろ。こういったものはやったことがないから分からん」
 本音を幾浦が口にすると恭夜が言った。
「兄貴で……年玉最高いくらもらった?俺は……一万だったけど」
「私か。そうだな……一万五千円だったか……」
「俺、そんなにもらった記憶ないよ。ずるいなあ……兄貴は」
 口を尖らせて、恭夜は不満を漏らした。
「……お前は途中で家を飛び出しただろうが。当然、年齢相応に貰えるわけなどない」
 自分が一番悪いことを恭夜はすっかり忘れていた。幾浦からすると羨ましい性格だ。
「……あっ!そうだった。それを忘れてた。じゃあ、一万五千円入れてやってくれよ。そうそう、おとしだまって書いた専用の袋に入れて欲しいんだけど、どうせ兄貴んちに無いだろと思ったから、そいつだけは持ってきた」
 ポケットから『おとしだま』と書かれた袋を取り出して恭夜は幾浦に差し出した。受け取ることは受け取ったが、やはりどう考えても幾浦には納得ができない。本当にそれでいいのかという気持ちばかりだ。
「……」
「あ、五枚セットで入ってるけどさあ、一枚だけだからな。隠岐の所に回ったらまた必要になるから……」
 恭夜は本気でトシ……いや、リーチに対しても年玉を請求する気なのだ。トシならまだ聞いてくれるだろうが、リーチだとどういった反応が返ってくるのだろうか。探されると困るのだが、幾浦はほんの少し見てみたい気に駆られた。
「分かった。分かった。一枚だけだな」
 渡された袋に入っていた年玉袋を一枚抜き取り、恭夜に返す。すると恭夜はいそいそとまたポケットに年玉袋を突っ込んだ。
「えっと……あとさあ」
「なんだ。まだあるのか?あるならさっさと言え」
「ジャック・ライアンさんへ。幾浦恭眞より……とか、とりあえず誰がその年玉をジャックに渡したのか分かるように書いてくれよ」
 意外に恭夜はまじめくさった顔で言う。逆に幾浦は呆れるようなことばかりだ。
「はあああ?」
「じゃ、あと、よろしく~」
「お、おいっ!」
 幾浦が呼び止めても、立ち止まることなく、恭夜はへらへらと笑いだけを浮かべて、リビングからそそくさと出ていった。
 ……はあ……
 一体どうしろというんだ……
 手の中にある年玉袋は、梅と羽子板の絵が書かれていて、妙に可愛らしい。これをもらって本当にジャックが喜ぶのだろうか。いや、こういうものを胸ポケットに入れて、ニヤニヤとされるのも気味が悪い。
 それより一万五千円だ
 幾浦は財布を取りだして、新札に見ようと思えば見えるだろうという、綺麗な一万円札と五千円札を袋に入れた。ふと、思いきり札を小さく折り畳み、嫌がらせでもしてやろうかと本気で考えたが、それはあまりにも大人げがない。
 幾浦は封を閉じて、筆ペンを引き出しから取り出し、そこで固まってしまった。真面目にジャック・ライアンさんへ、幾浦恭眞……などと、書かなくてはならないのか。
 手が震えるのを、幾浦は必死に抑えて、誰もいないキッチン唸った。とはいえ、書かなければあの男はなにを言い出すか分からない。機関銃のように無能呼ばわりされるのだけは、幾浦も避けたいのだ。
 額に汗を浮かべ、幾浦はなんとか名前を書き終えると筆ペンのキャップをつけて引き出しに戻す。準備の整った年玉袋はポケットに入れて、幾浦は腰を伸ばした。今の瞬間だけでも寿命が縮まったような気がするのは、気のせいではないだろう。
 さて。とりあえず……
 茶だったな。
 はあ~と、ため息をついて、既に冷えてしまった茶を入れ替えると、お盆に乗せて幾浦はリビングへと向かった。

 リビングに入ると、何故か、ジャックとアルがこたつを挟んでにらみ合いをしていた。いや、睨んでいるのはジャックの方でアルではない。アルはお座りの状態で、脂汗でも流しているような顔つきでジャックを見ているのだ。
 それは不思議な光景だった。
「茶だ」
 ぶっきらぼうに言い、幾浦はジャックと恭夜の前に湯飲みを置いた。
「お兄さまは、どうしてこの犬種を飼っているんだ?」
 アルから視線を逸らせず、ジャックは言う。
「……ペットショップで可愛いと思ったから飼った。意味など無い」
 幾浦はアルの隣に腰を下ろして、ジャックと恭夜に向かい合わせになる。
「この犬種は馬鹿で有名だ。可愛い顔だけで選ぶととんでもない目にあうぞ。いや、もうあっているか?」
 クスリとも笑わずに、失礼千万なことを口にするのがジャックだった。
「アルは馬鹿ではない。とても賢い犬だ」
 幾浦が睨みを利かせてジャックに言うと、アルも吠える。当然と言えば当然だろう。アルは人の言葉が理解できるようなのだ。馬鹿と言われて黙っているアルではない。
「飼い主に似たんだろう……。そんなことはどうでもいい。吉兆のおせちだ。庶民には口にすることのできない代物なのだから、お兄さまにとっても初めてのものだろう。堪能するといい」
 脇に置いていた包みをこたつの上に置いて、ジャックはにこやかに笑う。そんなものよりも幾浦が気になっていたことはアルのことだ。
 賢い幾浦に似たと言いたいのか、それとも馬鹿な幾浦に似ていると言いたかったのだろうかと考えてみるものの、相手はジャックだ。後者に違いない。遠回しに人を馬鹿にするこの歪んだ性格は一体どうすれば形成されるのか、一度専門家から聞いてみたいほど幾浦にとってジャックは謎で、天敵だった。
 とはいえ、この場は耐えるしかないのだろう。
「……おせちは、買うものではない。家庭の味というものがあって、母親が数日を費やして作るものが正当なものだ」
「馬鹿だな。年末年始など、母親はやることが多いだろう。そんな余計な仕事を増やして当然と思う国民性はどうだ。父親なら、自らが金を出して買ってやるのが愛情だろう。なにが家庭の味だ。毎日食っているのだからわざわざ正月まで食わせてもらわなくても日常で食え」
 ……
 少しは真面目な部分があるのだろうか?
 感心したわけではないが、言われてみるとそうだなあと言う気が幾浦にはしたのだ。
「ジャック……これが日本の文化だからさあ……」
 宥めるように恭夜は口を挟んできたが、ジャックはの視線は幾浦に向けられたまま微動だにしなかった。
「なにが日本の文化だ。この男は、この年になって母の味が恋しいらしいぞ。お兄さまは根暗な上にマザコンだったんだな」
 ……この年になって?だと。
 貴様こそ、私より年上であるのに年玉をねだっているんだろうがっ!
 抑えていた怒りが一気に爆発しそうなほど、ジャックの言葉には刺があった。
「ジャックっ!いい加減にしろよ。年始早々意味不明なこと言ってんじゃねえよっ!あんたが今までどんな年始を迎えてきたかしらねえけど、日本はおせちを食うんだっ!あんたがとやかく言うことじゃないだろっ!」
 幾浦が怒鳴るよりも先に、恭夜がジャックに怒っていた。一応、恭夜も日本人の心を忘れたわけではないのだろう。だが、恭夜が幾浦の味方に付いたことに対して気に入らないのか、ジャックは無言で幾浦を睨み付けてきた。要するに挨拶をするために訪れたのではなく、年始からジャックは幾浦に喧嘩を売りに来たのだ。
「とりあえず。おせちだ」
 ジャックは包みを解いて、三段の重の一番上にある蓋を取り、一段ずつこたつの上に並べる。さすがにアルも、初めて見る豪勢なおせちに釘付けになって、鼻の頭を何度も舌で舐めていた。あれだけジャックにひどいことを言われたはずなのだから、見向きもしないだろうと幾浦は思っていたのだが、旨そうな香りに負けてしまったのだろう。
 これではなにも普段食べさせてないみたいだぞ……
 毎日餌をやっているだろうっ!
 肉付きの豪勢な骨も食っているはずだぞっ!
 いじましい目で眺めてるんじゃないっ!
 口に出して言えない言葉を全て視線の中に閉じこめ、幾浦がアルを睨み付けると、だらしなく口から垂らしていた舌を引っ込めて、鼻を高く上げる。とはいえ、視線はこたつの上に注がれているのだから、余程おせちが気になるのだ。
「所詮、畜生だな」
 フッと口元に馬鹿にするような笑いを浮かべて、ジャックはおせちの重に付属していた箸を今度は並べた。
「兄貴。お酒はねえの?」
 肩を竦めた状態で顔だけを上に向けた恭夜が、やや申し訳なさそうに聞いてきた。
「……」
「え~と……酒、なかったら俺が買ってくるけど……」
「用意してやる。待ってろ」
 いきなり立ち上がって、幾浦はまたキッチンに逃げ込んだ。全く、数分たりともジャックの前に座っていられないのだ。例え無言でジャックが座っていたとしても、その存在がそこにあるだけで幾浦は言葉では表せない苛立ちを始終感じるのだから重症だ。
 この隙にリーチに警告しておくか……
 上手い具合に、二人から離れることができた幾浦は先程忘れていた連絡をすることにした。どれだけ幾浦がここに留め置けても、いずれ用事が済んだらジャックは利一を捜しに行くのだ。そこで間違いがあったら、取り返しが付かないだろう。
「ああ、幾浦だ……実はな、大変なことになって……」
 と、とりあえず用件だけ告げて携帯を切るつもりだった幾浦だが、相手がリーチだったのもあり、すんなりと済まなかった。
『いきなり大変ってなんだよ。普通は、おめでとうの一言から始まらねえか?』
「でかい声で怒るな。ところで今どこにいるんだ?」
 あまり大きな声で話せない幾浦は、ボソボソと小声で言う。
『どこだって?それより、俺が怒ってるの分かってるか?あんなもの送ってきやがってよっ!俺がどれだけ怒ってるのかてめえ、わかってんのか?ユキは真っ青になるし、俺だって真面目にてめえがあんなものを作らせるとは思わなかったよっ!ああ、ああ、俺が悪うございました。俺がトシを煽ったんだからな。だけどそれを嫌がらせのように利用するなんてどういう了見だ?仕方ねえから近所のガキどもの施設に持っていったよ。ああ、俺は、年末とってもいい人になれたぜ。あ、り、が、て~な~!幾浦さまさまだっての。なめるんじゃねえぞっ!』
 リーチは機関銃のように怒っていて、幾浦が話したいことなどこれっぽっちも話させてくれない。
「……トシから聞いてないのか?」
 例のケーキは元々の原因になったリーチに送ってやったのだ。それが当然の処置だと幾浦が判断したからだった。これで文句を言われるなどそれこそ筋違いだろう。
『トシ……トシはず~っと不機嫌で、俺になんにも話しちゃくれねえよっ!俺達の仲までぶち壊してるんじゃねえぞっ!片方が怒り出したら、俺達みたいにくっついてる人間は、逃げ場がねえんだぜっ!ああ、お前はトシと喧嘩しても、元々離れている関係だから、なだめすかす労力も必要ねえんだったな。ほんっと、羨ましいぜっ!』
 元々離れている関係という言葉にひどく棘があって、幾浦も怒鳴りたい気分にかられた。とはいえ、今はそんなことを言っている場合ではないのだ。新年から台風がやってきていることをリーチはまだ知らない。
「そんなことはとりあえずどうでもいい。ケーキの件は、あとにしろ。それよりうちのこたつで恭夜の恋人がふんぞり返ってる」
 幾浦が静かに言うとリーチは急に無言になり、暫く沈黙した後、耳を塞ぎたくなるような声で笑い出した。
「笑っている場合か。年始挨拶だと言って、今はうちにいるが、この後お前……ではないな。隠岐も探して挨拶に行くと言っていたぞ。だから私は心配して連絡をしてやったんだ。分かったな。そういうことだ。馬鹿なことをしている所に踏み込まれないようにしろっ!」
 最後はやや口調がきつくなった。
『……は?ちょっと待て。なんで俺の方にも回ってくるって話しになってるんだ?』
「私が知るか。聞きたいのはこっちだ。ところで、お前は名執の家にいるのか?」
『違う。年始早々、馬鹿が人を傷つけたんで、被疑者を張ってるところだっての。ああ、今、ペア組んでる篠原が飯を調達しに走ってるから、車のなかには俺だけ』
 それを聞いて幾浦はホッとした。人ごとだから本来どうでも良いことなのだが、リーチとトシはくっついているのだ。妙な所を見られたら、一体どんな勘ぐりをされるか分かったものではない。
「なら大丈夫だな」
『大丈夫って言えると思うか?あいつがそう言ってるってことは、絶対に俺の所にも来るって、どうして思わないんだよっ!』
 珍しくリーチが焦っている。それも当然と言えば当然だろう。仕事をしているから、止めておこう……などと、あのジャックが人間らしい気遣いなどするわけなどないのだ。考えられないことではあるが、リーチと名執が濡れ場を演じていても、どこからともなくジャックは利一を捜し当てて、目の前の光景など無視しつつ、おせちを並べているような気が幾浦にはする。恭夜がその隣で一人パニックになっている姿は想像しなくても簡単に思い浮かべられるのだから不思議だった。
「……行くだろうな。だから連絡したんだ。まあ、できるだけここに引き留めてやるつもりでいるが、無理だ。ああ、ジャックの目当ては年玉らしい。用意しておいてやれ。ジャックさんへ隠岐利一よりって書くんだぞ。いいな。これで台風は去っていく。私からのアドバイスはそれだけだ」
 幾浦はリーチからの反論など聞かされる前に携帯を切った。
 はあ……
 これでひとまずは安心できるか。
 携帯をポケットに戻し、幾浦は酒の準備に取りかかった。

 リビングに戻ると、アルは尻尾を振ってジャックから貰えるおせちを食っていた。ジャックは箸を持つのが苦手なのか、いつの間にかフォークを持ってきていて、それでおせちを突き刺しては、アルに食わせている。
 アルは食い物につられて懐柔されてしまったようだった。
 ムッとした目つきをアルに送りながら、幾浦はこたつの上に酒と猪口を並べる。
「この犬は何でも食うな。普段余程ひもじいようだ。お兄さまは一体なにを普段食わせているのか気になるところだが、安心しろ。人様の経済状況を詮索する気はさらさらない。庶民は庶民らしく、ありがたがってくれる方がこちらの気持ちも晴れやかになる」
 貧乏だと言われているのだろうか?
 眉間に皺を寄せながら、幾浦は猪口に酒を注いで、ジャックに差し出した。気に入らないが、酒でも飲ませてダウンさせてやれば良いのだ。使い古された手ではあるが、とりあえず幾浦が考えられたのはこれくらいだ。一応、うちに置いていた酒のなかでもとりわけ強いだろうと思われる『濁酒』を用意した。年始早々飲むものではないだろうが、どうせ日本酒の種類など分からない外人だ。ありがたがって飲むに違いない。
「……こんな小さな入れ物で飲むのか?」
 猪口を眺めながらジャックは興味津々でそう言った。
「ジャック。ほら、外国でもグラスに大きめの氷を入れて、ウイスキーとか少しずつ溶かして味わうだろ?日本人は逆に小さな猪口に入れて少しずつ味わうんだって……ていうか、兄貴これ……濁酒じゃねえの?」
 濁った酒を見て、恭夜は気が付いたように言った。
「ああ、せっかくのもてなしだから、うちで一番高い酒を出してきてやったんだ。なにか文句はあるか?」
 ジロリと恭夜を睨み付けて、幾浦は言った。
「……別にいいけど。なんか見え透いてるって……。……こいつ……酒豪。しかもあんま飲ませない方がいいんだけど……」
「……見え透いているとは何だ。私は単に一番良い酒を持ってきただけだ。それより、飲ませない方がいいとはどういうことだ?まさか酒乱か?」
「……酒乱とは違うんだけど……」
 恭夜は口をもごもごとさせてはっきり言わない。だが気になった幾浦が再度問いかけようとするとジャックの方が口を挟んできた。
「見え透いているとは何だ?」
 ジャックが恭夜と幾浦を交互に見ながら、濁酒の入った猪口を簡単に空けた。
「……気にするなよ……」
 はあとため息をつきながら、恭夜は猪口の酒には口を付けず、おせちを突いて口に運んでいた。
「これでは飲んだ気にならんな」
 ジャックはそう言って、茶を入れてあった湯飲みを空けると、そこに濁酒をたっぷりと注ぎ入れて飲み干した。
「……なんだ?」
 幾浦と恭夜が唖然とした顔をジャックに向けていることに気が付いたのか、不思議そうな顔でこちらを見る。
「いや。好きな飲み方をしてくれたらいい……」
 ジャックに常識を求める方が無駄だったのだ。もう、好きに、思うまま振る舞ってくれたらいい。それでおとなしくしてくれたら問題はない……と、幾浦は本気で考えた。
「さて……恒例の挨拶といくか……」
 いきなりジャックはそう言って、羽織の袂を引っ張って、胸を張る。何が始まるのだと、やや引き気味に幾浦が見ていると、ジャックは続けて言った。
「昨日と今日の境などない。とはいえ日本の古来からのしきたりに則ってやろう。お兄さま。明けまして、めでたいのかどうかも分からないが、おめでとう。構ってくれなどとこれっぽっちも思わないが、とりあえず、お兄さまに関しては、今年はもう少し根暗な部分を改善する努力をしろ。毎度根暗な顔を見せられて、こっちはほとほと迷惑だが、キョウのお兄さまだから仕方ない。今年もよろしくしてやるから感謝するんだな」
 ものすごい挨拶を、いきなりかしこまってされた幾浦は、口を半開きにしたまま唖然としてしまった。
「ジャ……ジャックっ!そ、それは挨拶っていわないだろっ!もっと、普通に言えよっ!」
 恭夜はジャックの羽織を掴み、グイグイと横から引っ張って怒鳴っているのだが、問題の男は微動だにせず、ただ口元を『ニヤ』と歪ませながら幾浦の方を見ている。口にした言葉の意味を分かっていて、最初から幾浦を怒らせるような台詞をジャックは並べ立てたのだ。
 根暗……
 どうしてこの男も私のことを根暗だと言うんだ。
 ジャックほど口が回る男からすると、世の中全ての人間が根暗になってしまうに違いない。幾浦が怒りで額の横にある血管をぴくぴくと痙攣させていると、恭夜が今度は幾浦の方に言った。
「ごめん、兄貴。こいつ、悪気はないんだ。口を開いたらむかつくことしか言わないんだけど、口で言うほど本人は思ってないから……」
 恭夜はフォローしているつもりなのだろうが、ジャックはすぐさま反応した。
「馬鹿だな。言葉にできることは限られている。一言に込められた意味はもっと深いに決まっているだろう」
 チラリと恭夜を見て、面倒くさそうにジャックは肩に掛かる金髪をかき上げた。
 口では根暗だと言ったが、実際はそれ以上にジャックは幾浦のことを根暗だと思っているんだとでも言いたいのだろう。
「あっ……あんたって、どうしてそう、人をけなすようなことばっかり言うんだよっ!だいたい、あんたは人に対していつだって傲慢すぎるっ!」
「ん?私はいつも謙虚に人の本質を判断しているが……。間違ったことは口にしない主義だ。傲慢な人間は、その傲慢さで墓穴を掘るものだろう。私はそんなミスなどしない。なにより傲慢な人間はネゴシェイターなどという職業には就けん」
 至って冷静にジャックが言うと、恭夜も口を開いたままパクパクと動かし言葉が出なくなってしまったようだ。
 こんな理解に苦しむ男とどうして一緒に暮らしているんだ?
 本当に疑問ばかりしか浮かばない恭夜とジャックの関係なのだが、本人が選んだのだから仕方ないと言えば仕方ない。……と、何度幾浦は兄としての心痛をこの言葉で宥めてきたか分からないほどだ。
 最初は、本気で恭夜がジャックに弱みを握られていて、逃げられないのでは?と勘ぐったほど二人は奇妙な関係に思えて仕方ない。だが、時折見せる恋人らしい恭夜の仕草や、言動の中から、やはり二人は付き合ってるのだと気付かされるとき、幾浦は少々居心地悪く感じる。
「貴様は……いや。なんでもない……」
 言葉を出せば出すほど、この男は絡んで来るに違いない。結局なにを言われようと黙っていた方が得策なのだ。そう判断した幾浦は、無言で昆布巻きを口にした。すると、確かにその辺で売られている昆布巻きよりも味が自然で、しかも出汁が利いていて旨かった。
 おせちに三十万も出す人間も信じられないが、これで許してやるか……。
「今、なにを言おうとした?」
 ジャックが冷えた目つきでこちらを見ているのを幾浦は無視した。
「お、俺も食おう……ジャックも食えよ。あんた、食いたがってただろ。おせち」
 恭夜は我に返ったように、箸を掴んで重に入っていたごまめを掴んだ。
「なにを言おうとしたんだっ!私はそうやって言いだした言葉を呑み込まれるのが一番気に入らないんだ」
 どうしてこう、喧嘩を売ってくるのだろうか。
 余程、ジャックは幾浦が気に入らないらしい。いや、気に入らないのはお互い様だ。もちろん幾浦とてジャックに好かれたいとはこれっぽっちも思っていない。
「ジャック……もごもご……も、いいって……もごもご……」
「ハニーはおとなしく食べていなさい。私はお兄さまに話があるんだ」
「私には話などない。貴様が食いたかったんだろう。さっさと食え」
「わう……わうん……もごもご……」
「お前も食ってろ」
 アルまで幾浦を止めようとしてなにか口にしているのだが、小さな皿に盛られたちくわや人参、ゴボウを食べるのに必死のようだ。
「お兄さまになくても私にはある」
 勝手に濁酒を湯飲みに注いで、まるで水でも飲み干すようにジャックは口に流し込んでいた。恐ろしい飲み方をする男だ。
「……なにが言いたいんだ。言いたければさっさと言え。答えてはやらんが……」
 幾浦はジャックの方など見ずにおせちばかりを眺めて言った。ジャックの顔は間近で見るものではない。日本人にはない掘りの深さばかり目立ち、そこにある黒ではない薄水色の瞳は、ジャックの性格からは考えられないほど思慮深く見えるのだ。
「どうしてお兄さまは、日本国民大騒ぎで新年という祭りに踊り狂っている日に、たった一人で、寂しそうに、暗く、ミカンを食いながらこたつに入っていたんだ。振られて根暗に拍車がかかったのか?ならば私が適当に探してきてやるぞ。ああ、貴様のような相手には日本人より、根の明るそうな単純な相手がいいだろう。となると、暖かい大陸に住んでいる民族がいいな。いや、部族がいいか?人間の性格というのは、生まれた国の気候や、歴史にも形成される原因がある。貴様のように根暗なタイプは島国に多いんだ」
 幾浦はジャックの言葉に箸を折りそうになった。
 民族は許そう。
 だが、部族とはなんだ?
 ジャックの頭にはそういう人間と並んでいる幾浦を想像しているのだろうか?
 考えたくない……。
「……振られた訳ではない。恋人は仕事だ。貴様に探してもらわなくても結構」
 湯飲みに残っている茶を口に含み、幾浦は気持ちを落ち着かせようとした。
「なんだ。お兄さまの恋人は巫女か?」
 意味不明な言葉に幾浦はまた、口からお茶を吹き出しそうになった。
「げほっ……げほっ……なっ……ど、どうして本日仕事なら巫女になるんだ?年中無休の仕事は他に色々あるだろう?」
 咳き込みつつ、幾浦はようやくジャックの方を見ると、瞳を細めて怪訝な顔つきがそこにあった。恭夜の方は下を向いたままひたすらおせちを口に突っ込んでいる。なにも言わない方が得策だと判断したに違いない。アルの方も恭夜を倣って、皿をからにすることに専念しているようだった。
「そうか。お兄さまの相手は年中無休の職業か」
 腕組みをして、ジャックはどこか遠くを見るような目つきになる。
「兄貴。答えない方がいい。こいつ、適当に尋問して絶対に割り出すぜ」
 突然恭夜はこちらを向いて、心配そうな顔で言う。
「……わ、分かった」
 ネゴシェイターがどういうやり方で犯人を懐柔するかなど幾浦には想像も付かないが、ここは恭夜の忠告に従った方がいいだろう。なにより、利一のことはジャックも知っているのだから、二人の関係まで知られると後々面倒なことになる。
「ハニー……私は別に尋問している訳じゃないぞ。単なる興味だ。お兄さまのような根暗が好みの恋人とは一体どういった人間なのか知りたいだろう?」
「……別に。人のことなんてどうでもいいよ。俺……あ、これ旨い。ほら、ジャックも食えよ。これ、旨いから……」
 いそいそとジャックの皿に恭夜は黒豆や、かまぼこなどを乗せる。
「コンビニエスストアーだな?」
 年中無休で、どうしてそんな言葉が出るのか幾浦には不明だ。とはいえ、色々質問をしてターゲットを絞っていくつもりなのかもしれない。
 やばいぞ……
 どんな言葉にも反応しないようにしなければ……
「違うのか?」
 ジャックの問いかけを無視するように幾浦は、レンコンを口に入れて無言になった。
「……そうか。相手が判明すると困ったことになると言うわけだ。となると……私が知っているから都合が悪いんだな?」
 脂汗が出そうなことを言いだしたジャックを、幾浦は更に無視した。だんだん利一に近づいているような気がして恐ろしくなってくる。
「……」
「そうか……雨宮事務次官か……禿が好きだとは……いやはや。いや、だが禿は精力的だと聞くからな。変わった趣味だが、人のことはとやかく言わない主義だ。幸せに暮らせ」
 ちょ……
 ちょっとまて。
 雨宮事務次官とは誰だ?
 ……いや。
 確か、以前に会ったときに出てきたな。
 そ、それより、私のことをなにか間違ってないか?
 ここは……は、反論して置いた方がいいのか?
 どうなんだ?
 チラリと恭夜を見るが、幾浦と同じ、唖然とした顔をしているばかりで、答えが見つからない。無視しようかと思った幾浦だが、どうあっても『雨宮事務次官』に関しては否定して置いた方がいいだろうと本気で思った。
「……よせ。違う」
「ほお。ようやく反応したか」
 クッと笑ってジャックは満足そうだ。
「貴様にいちいち構っていると、頭が変になりそうだからな。だから答えないだけだ」
「雨宮事務次官ではないとなると……」
「もうよせ」
「お兄さまも含め、キョウもだが、最初の印象はタチに見えて実はネコだからな。これほど身体のごつい相手のタチになると、多少年齢がいっているに違いない」
 ……は?
 はあ?
 わ……私がネコ?
 受ける側だと誤解されいてるのか?
 ちょ、ちょっとまて~!
 ジロリと恭夜を睨み付けたが、硬直したまま固まっていた。
「わ……私はネコではない。違う。そんなことではなくて、人が嫌がっているのに、相手を詮索することは感心しない。それこそ、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまえというところか」
「……日本に野生馬がいたのか?キョウ。見たことがあったか?その辺の道路を走っていることがあるのか?知らなかったな……さすがに日本は秘境だ」
 とんちんかんなことを、本気でジャックは考えている。
「じゃ……ジャック……馬なんて走ってねえよ。ことわざだって。馬が走るのは牧場か競馬場だろ。馬がその辺の道路を走ってたら問題だって……」
「……ことわざか。日本のことわざは通常考えられない状況を比喩するものだからよく分からん。そんなことはどうでもいい。タチでもネコでもそれもどうでもいい。ただ、私はお兄さまにも幸せになってもらいたいと、珍しく心を痛めているんだ。にもかかわらずこの態度は何様だ!」
 ムッとした顔でジャックは睨み付けてくる。どうしてこんな男に幾浦は幸せを願われなければならないのだろうか。
「迷惑だ」
「迷惑だろうが、なんだろうが、私とお兄さまは義理の兄弟だ。違うか?」
 ジャックと兄弟……
 や……
 やめてくれ。
 考えたくない……。
「誰が義理の兄弟だっ!いい加減にしろっ!」
 耐えられなくなった幾浦が怒鳴ると、ジャックは目を大きく開いた。
「なんだって?では、ハニーとお兄さまは、血が繋がっていないのか?だからそう言う言葉が出てくるのだな。結局、お兄さまとキョウは一体どういう関係なんだ?」
 本気でジャックは驚いている。それ以上に周囲が驚いていることなどジャックには分からないのだろう。
 なにを……
 なにを誤解しているんだ?
 いや、どういう受け取り方をしたんだ?
「……ジャック……違うって。ジャックとは兄弟なんて思ってねえって兄貴が言ってるんだよ。俺と兄貴は正真正銘の兄弟だって……。ああもう、頭こんがらがってきたっ」
 頭をガリガリと掻いて恭夜は情けない声を上げた。
「……では、ハニーとも兄弟だと思っていないということか?」
 どこまでもジャックはずれていた。
「この男は……馬鹿か?」
 唖然としながら幾浦はジャックの方を向いて言い放った。
 幾浦はジャックと義理の兄弟だと認める気などさらさらなく、心の底から拒否をしているだけだ。どうしてそれが恭夜と幾浦が兄弟ではないとジャックが受け取るのか、幾浦には全く理解ができない。いや、人の話をよくぞそこまでねじ曲げて解釈できるものだと、逆に褒めてやるべきなのか。
「お兄さまは根暗か?」
 あくまで真面目な顔つきでジャックは言った。
「まて。話が逸れているぞ」
 口の端を震わせながら幾浦は膝の上でジャックから見えないように拳を作った。
「話など逸れていない」
 何故か呆れたような顔つきのジャックだ。
「逸れているだろう。貴様の頭に少しでも脳みそがあるなら分かるはずだ。今は血のつながりの話をしていただろうが。それがどうして、根暗の問題になっている?」
 今ここで首を絞めてやりたいほど、幾浦は怒りで煮えたぎっていた。だが、もちろんできるわけなどない。 
「お兄さまが根暗だからな」
 フッと馬鹿にしたようにジャックは口から息を吐く。
「……」
 どうしてジャックは『根暗』にこだわるのだろうか。もし仮に幾浦がどこから見ても根暗だったとしても、それこそどうでもいいことではないのか?にもかかわらず、『根暗』を、連発された幾浦は返答に窮する。
「ようやく認めたか」
 ニヤリと笑ってジャックは嬉しそうだ。
「認める?誰が。貴様の言葉に呆れてものが言えなくなっただけだ。勝手に話してろ」
 深いため息をつきつつ、幾浦も無言でおせちを食べている恭夜とアルに見習って重に箸を向け、かまぼこを掴んだ。するとジャックの持っているフォークがいきなり幾浦が掴んでいるかまぼこを突き刺した。
「話が先だ。ご褒美は後からだと相場が決まっている」
 無理矢理、かまぼこを奪ったジャックがそれを口に入れた。
「……人に食わせる気のないおせちなど持ってくるな」
「食わせてやる為に持ってきたに決まっているだろう。金を持っていることを見せびらかすために持ってきた訳じゃないさ。そんなことをする人間は単なる成金だ。私は元々金を持っている家系でね。成金とは違う」
 あっさり言いながらも何故かジャックが自慢しているように聞こえて仕方がない。
「どうでもいい。結局、貴様はなにが言いたくてここに来たんだ?」
 箸を置いて、幾浦はミカンを掴んだ。食べる気はなかったがなにか掴んでいないと手の置き所に困ったのだ。突然、幾浦がジャックを殴りたい気に駆られたとしてもミカンがあれば少しはその衝動も収まるのではないかと考えた。
「ハニー……ハニーのお兄さまはとことん頭が悪いぞ。ハニーには悪いが、これほど理解不能な男は、そう滅多にいない。もう少し理解力があるかと思っていたが、違ったようだ」
「……ジャック。いい加減にしろよ。あんたがずれてるんだっての」
 恭夜は、ジャック、幾浦どちらも見ずにそう言った。
「私のどこがずれているんだ。新年の挨拶をしたというのに、お兄さまからは私に一言も挨拶がないんだぞ。にもかかわらず、ハニーはこんな、礼儀知らずな男の味方になると言うのか?」
 挨拶されたか?
 そういえば、むかつくようなことを言われたような気はするが……。
 あれが挨拶だったのか?
「兄貴……。こいつが怒ってる理由は、兄貴から挨拶がなかったからみたいだぜ。複雑な怒り方をするから、俺もすぐに分からないんだけど……。今の言葉を聞いたらそうかなあ……って」
 やはりこちらを見ずに恭夜は重からおせちを小皿に取り分けて言った。恭夜は一応口を開いてはいるが、関わりたくないのがありありと分かる。 
「私に挨拶をしろというのか?」
 恭夜に問いかけたはずであるのに、ジャックが答えていた。
「私は挨拶をしただろうがっ!」
「……」
「人が挨拶をしたら、それなりに礼を尽くすのが普通だろうが。私は挨拶も含め、おせちまで持ってきてやったんだぞ。手みやげ付きの挨拶だ。素晴らしい年始の挨拶に訪れたこの私に対してお兄さまの態度は何だと言われても仕方あるまい。それとも幾浦家では、年始の挨拶に訪れた相手には無礼で返すのがしきたりなのか?それならそれで納得してやるが」
 馬鹿にしたようなジャックの口調にさすがの幾浦も思わずテーブルを叩いていた。
「兄貴……」
 心配そうな顔をようやく幾浦に向けて恭夜は視線で宥めようとする。
「都合の悪いことに答えられずに、力を見せつけて相手を黙らせようとするタイプは、身体ばかり大きく、脳みそが薄い人間が多い。そう言った人間は、言葉で相手を理解させることができないために力で服従させることを優先する。ああ、家庭内暴力を引き起こすタイプでもある。自分がそういうタイプではないと思うのであれば、力を誇示するような態度は取らない方が無難だ。私のような人間から見ればすぐに分かることだからだ。ま、お兄さまには余計な忠告だろうが」 
 冷ややかに言って、ジャックは何杯目か分からない、湯飲みに入れた濁酒をまた一気に飲んでいた。
「……兄貴……頼むよ……」
 手をすりあわせて恭夜は訴えるような瞳を向けてくる。挨拶してやれと言っているのだろう。
「……く……」
 これほど馬鹿にされている相手にどうして挨拶などできるのだ。『明けましておめでとう』までは良いだろう。だが、二度と来るなと言いたい相手に、今年もよろしく……などとは口が裂けても幾浦は言えそうにない。
「兄貴って……」
 恭夜は半分涙目だ。ジャックの方はただ、冷ややかに視線をおとしてくるだけ。こんな二人を前にして、どういう挨拶をしろというのだ。
 幾浦は今すぐ箒を持ってきて、二人ともまとめて玄関から掃きだしてやりたいと本気で考えていた。
 要するに、貧乏神のようなものだ。
 目の前にいるだけで、不幸に晒される。特にジャックに住み着かれてしまったら毎日不幸の連続に違いない。よくぞこんな男と毎日暮らせるものだと、幾浦は兄として恭夜を褒めてやりたいくらいだ。
「……礼儀知らずもここまで来れば国宝級だな」
 濁酒を湯飲みに注ぎながら、ジャックは肩に掛かる金髪をかき上げていた。
「……あ……」
 ……くそ……
 言うしかないんだ。
 おめでとうだけだ。
 それで終わりだ……。
「明けまして……お……お、めでとう……」
 絞り出すように幾浦はようやくそれだけを口にした。たかが一瞬で終わる言葉に全身の力が全て奪われていったような脱力感が幾浦を襲う。回復するには数日を要するに違いない。
「なんだ。それだけか?そんな台詞は誰にでも言えるだろうが。他にもっと、こう、今年も世話をかけるがよろしく。今年は努力して根暗を治しますねっ!……くらい、言えないのか。わざわざ私はお兄さまが言いやすいようにと、よろしくしてやると言ってやっただろうが」
 根暗を治しますね……とは……
 なんだっ!
 みょ……妙にその部分だけ言葉が弾んでなかったか?
 こ……
 こんな顔をして奇妙な口調をどうして使える?
 い……一体……この男はなんなんだ?
 幾浦は額に汗を浮かばせて、放心状態に陥りそうだった。いや、既に放心状態だと言っても良いだろう。こういった相手など生まれてこの方会ったことがないのだ。だから対処の仕方など分からないし、理解したいとも幾浦は思わなかった。
 しかし、現実に、ジャックというどこまでも常識からかけ離れた存在が目の前にいて、どうあっても対処せざる終えない状況になっていた。幾浦はこのまま気を失って、どこか遠くへ行ってしまいたかった。
「……根暗はどうでもいい……」
 顔を左右に振って幾浦は頭を抱えた。だがジャックは許してくれそうにない。機関銃のように言葉が出てくるのだ。言葉の意味することはおいて、頭の回転に関して言えば人よりかなり高速なのだろう。とはいえ、内容は滅茶苦茶であったが。
「一番の問題はそこだろう」
「貴様に心配される理由などないっ!」
「私のお兄さまだ。世間に出して恥ずかしくない男でいてもらわなければ、私の立場上、非常に困る」
「恥ずかしいのは貴様だろうっ!」
「年始の挨拶もまともにできない男がなにを言うっ!幼稚園児でも知っているぞ。お兄さまは本当に日本で生まれて日本で育ったのか?どこかの洞窟で育てられて最近人間の社会に戻ってきたとは言わないだろうな。まあ、そう言われても私は一向に驚かないが。それほどお兄さまの一般常識は、私のようにまだ日本での生活が浅い人間であっても分かるようなことですら欠けている。今度、一般常識の書かれた本でも送ってやるから、毎日少しずつでも勉強しろっ!挨拶もできない大人がどれほど恥ずかしいことなのか、もっと自覚するんだな。だが、根暗はまた別の問題だ。これは先天的にある程度人間の個として持って生まれた個性でもあるだろうから、簡単には治らないに違いない。両親の育て方にも問題があったのだろう。お兄さまだけを責めるわけにはいかないが、これが小さな子供相手ならまだ両親に『根暗の育て方』でも伝授してやった。だがもう、既に社会人になった根暗を矯正するのは大変な労力と、本人の自覚が必要だ。分かるか?自覚だ。お兄さまに足りないのは、一番重要な自覚だ。己自身が根暗であることを自覚し、それに果敢に立ち向かう……」
 ま……
 まだ続くのかーーーーー!
 どうしてこう、次から次へと訳の分からない言葉ばかり出てくるんだっ!
 幾浦の耳にはもうジャックの言葉など右から左に突き抜けていくだけで、なにを言っているのかなど全く理解できなかった。
「……お兄さまやハニーを見ていて簡単にご両親の性格が分かる。父親が厳格でどちらかと言えば権威型だろう。逆に母親は父親が厳しいために甘やかすタイプだ。それが悪循環を生んでいることに両親は分かっていない。そういった教育方針の一致のない家庭で育ったお兄さまやハニーだが、途中で、嫌気がさして逃げ出したハニーは上手く両親からの束縛から逃げられたのだろうが、お兄さまは違う。親のなしえなかった野心を押しつけているようには思えないが、子供に対する要求が多くて高すぎたのだな。その上、家名や伝統、親の権威のために子供を犠牲にするという、過去の日本人によく見られた封建的な考え方の親なはずだ。違うとは言わせないぞ。お兄さまはまさにそんな親に育てられたもっとも悪い例だ。服従的で従順。行儀がいいが、主体性が欠如。実は根底に劣等感があって、権力に卑屈であり弱者には傲慢。内向的で、暗い。過支配型に育てられたもっとも典型的なものだ。可哀想だなお兄さま。私もなんとかしてやりたいが、育ってしまったものは仕方ない。だからこそ自覚だ。分かったか」
「恭夜、それは旨いか?」
「うん。食う?」
 幾浦はジャックを無視して、おせちを食することに専念していた。訳の分からない言葉を並べ立てている男には付き合っていられなかったのだ。
「人の話を聞けっ!」
 ジャックはまた濁酒を煽って一人で怒鳴る。
「貴様こそ、人の話を聞いたことがあるのか?ないだろう。そんな男に言われたくはない。なにが根暗だ。思いたければそう思っていろ。私は今の性格で生活することに困ったことはないんだ」
 ムッとした口調で幾浦はおせちの並んだ重を見つめて、ジャックの方など一向に見ずに答えた。顔を見ると腹立たしい気持ちが再燃するからだ。
「人が真剣にお兄さまのことを心配しているというのに、なんだその態度は。人の忠告や、意見には素直に耳を貸せと教わらなかったのか?」
 ……
 この男にそのまま返してやりたい言葉ばかり何故聞かされなければならないのだ?
 幾浦はほとほと困っていた。
 一人で勝手に話しているだけなら良いが、付き合えと強要されていた。いちいちまともに聞いていたら頭が変になりそうなことしか言わないジャックだ。もし仮に、真剣に聞いていたら、生きることが嫌になって、明日には自殺しているに違いない。
 幾浦はまだ死ぬ気など無かった。
「……ジャック、酔ってるんだって」
 恭夜が深いため息をついてぼそりと言う。
「私は酔ってなどいないぞ」
 ジャックは不機嫌そうに返す。
「あんたっ!酔ったら、べらべら何時間でも一人でいつだってしゃべりまくるだろっ!分かってねえのあんただけだって……」
 チラリとジャックをみて、恭夜はまたため息をつく。
「恭夜……この男は酔っているのか?」
 幾浦には恭夜の言ったことがにわかには信じられなかった。表情は全く変わっていないのだ。肌は赤くも無いし、目が据わっているわけでもない。いつものごとく傲慢な態度で、人を見下すような薄水色の瞳は、このうちに来たときから僅かな変化も見られないのだ。
「私は酔ってなどいないと言っているだろう」
 眉間に皺を寄せて、明らかに不快な表情にジャックはなる。だが、幾浦はそんなジャックより恭夜の言葉の方が信じられなかった。
「……酔ってるんだ。これで。もっと酔うと、さらに言葉の集中豪雨だぜ。だから、あんまり飲ませない方がいいんだけどさ。だってなあ、こいつ、酔うとただでさえ普段からわけわかんね~こと言うのに、もっと訳の分からない説教ばっかするんだ。けど、本人は、これで機嫌がいいんだ」
 やれやれと、恭夜は言いつつも悟っている。
「酔ってないといってるだろうっ!」
 一人でジャックは怒っている。
「機嫌がいいのか?」
 幾浦は不機嫌な顔をしているジャックを見て、次に恭夜に視線を移す。
「いいんだよ」
「更に言葉の集中豪雨か?」
「ああ。隙間無く兄貴にもれなく降り注ぐぜ」
 恭夜の言葉に幾浦はこたつの上に置いていた、濁酒の瓶を掴んで自分の方に引き寄せると、ジャックが飲めないように栓をする。そうして、幾浦が腰を下ろしている後ろに瓶を隠すように引っ込めた。
「なんだ。せっかく旨い酒を飲んでいたというのに、お兄さまはけちだな」
「酒はもういい。代わりに茶を入れてやる」
 幾浦は冷や冷やしつつも、ジャックの湯飲みに茶を入れた。これ以上弾けてもらうと困る。泣き上戸や笑い上戸も困るが、酔ったジャックとそれらを比べると、対象にならないほどましだった。
「面白くない……」
 ブツブツと文句を言いながらもジャックは茶を飲んでいるのだが、視線が幾浦に固定されたままだった。あまりジロジロと見られたくないのだが、なにか言いたげな表情を幾浦に向けてジャックは無言になる。べらべらと話すタイプが、逆に全く口を開かないのは恐ろしい。
「兄貴……ほら……あれ……」
 訴えるような瞳を向けて恭夜が言った。
「あれ?なんだ、あれとは……」
 ピンと来ない幾浦は不思議そうな瞳を恭夜に返す。
「だから……俺がさっき頼んだことだって……」
 さっきなにを頼まれた?
 幾浦は思い出すように視線を彷徨わせ、先程無理矢理作った年玉のことを思い出した。恭夜があれというのは年玉のことだろう。それをジャックに渡してくれと言っているのだ。
 リーチたちは仕事だったな……。
 なら、この男が乱入したところで構わないだろう。
 名執と一緒にいるところにジャックがずかずかと入っていくのは想像するだけでも恐ろしい事態だが、仕事をしているリーチに会いに行くことなら別に構わないだろうと幾浦は考えたのだ。なにより、自分一人嫌な目にあっているのはどこか理不尽だと言う気持ちが幾浦にはあった。いつだってリーチに半分玩具にされている幾浦だ。ここで一つ泡を吹かせてやるのも面白いだろう。
「そうだったな。忘れていた訳じゃないんだ」
 ごそごそと胸ポケットから年玉の入った袋を取り出して、幾浦はこたつの上に置くとそろそろとジャックの方へと滑らせた。
「なんだ?」
 機嫌の傾いたジャックは片眉を上げて怪訝な表情になる。
「日本古来の礼のつくし方だ。貴様にこれをやるから、とっとと帰れ」
 年玉袋をジャックの目の前まで指先で運ぶと、さっと手を離してこたつに入れる。長い間手に触れているだけで何か嫌な病気に感染しそうな気がしたのだ。
「なんだこれは……」
 年玉袋に書かれた『ジャック・ライアンさんへ。幾浦恭眞より』という文字を眺めながらジャックは眉を顰める。喜ぶだろうと半ば考えていた幾浦は、ジャックの態度に助けを求めるような顔を恭夜に向けたが、視線を合わせてこなかった。
 話が……
 違うのではないのか?
 いきなり静まりかえったリビングで、幾浦と恭夜はジャックの動向を窺っていた。数分ほどジャックは年玉袋を眺めて口を開いた。
「これはどういう意味だ?」
 馬鹿にするような表情で幾浦はジャックに睨み付けられ、思わず立ち上がると恭夜の手を掴んで無理矢理キッチンに連れ込んだ。
「一体、どういうことだ。あれで納得するのではなかったのか?」
「お……俺だって訳分からないよ……あいつ……喜ぶはずなのに……怒ってる」
「怒ってる顔をして喜んでいるわけではないんだろうな?あの男は表情と言動と一致しないから私にはあれが怒っているのか喜んでいるのか馬鹿にしているのか分からないが、なんとなく私を馬鹿にしていながら怒っているような気がするぞ」
 自分でなにを言っているのかよく分からないが、幾浦の正直な気持ちだった。
「……それ、間違ってねえよ。あいつ馬鹿にしながら怒ってる……。どうしよう、兄貴……」
 情けない声で恭夜は言い、そろそろとリビングの方を覗いてジャックを窺っていたが、幾浦からすると、ここで恭夜にどうしよう……と、言われても困るのだ。これではさっさと帰るどころか、丸一日でも居座りそうだ。それだけは勘弁して欲しいと心の底から幾浦は思った。
「とにかく……あの男を連れて帰ってくれ。頼む。限界だ。私には相手はできない。お前はいつでも相手をしているから慣れているんだろうが、私は永遠に、今度、どんなことがあっても、たとえ天変地異が起こっても、あの男とこの世で二人きりになったとしても、相手はできないっ!」
 幾浦が怒鳴っているにもかかわらず、恭夜は相変わらず扉の隙間からジャックの方を窺っていた。
「おい、恭夜っ!聞いているのか?」
「兄貴……兄貴って。あいつの様子が変なんだよ……」
 恭夜は幾浦の言葉が聞こえなかったのか、リビングの方を覗きながら手を振って呼んでいた。恭夜と同じように覗いて見ろと言うのだろう。
「私はもう見る気など無いぞ」
「そう言わずにさあ、ちょっと見てくれって……あいつが変なんだって」
 ようやく顔をこちらに向けた恭夜の表情は困惑したものだった。
「なんだ?」
 仕方なしに幾浦もリビングの方を覗き込むと、ジャックは腕組みしたまま年玉袋をじっと眺めたまま微動だにしなかった。なにを考え込んでいるのか二人には分からないが、ただならぬ気配だけが周囲に漂っている。
「ほら、聞いてこい。恭夜の恋人だろうが。お前が面倒見なくてどうする。私はこっちから覗いている。あそこに戻る気は無いからな」
 恭夜の背を押して幾浦は言った。
「えっ!何で俺?」
 これが仮にも恋人のセリフなのだろうか?
 本当に、この二人の関係は幾浦にとって謎だった。
「お前だ。さっさと機嫌を取ってこい。そのまま連れて出ていってくれ。分かったな」
 今度は背を叩いて、幾浦は尻込みしている恭夜を追い立てた。
「兄貴~勘弁してくれよ~」
「恭夜。お前はなにか勘違いしていないか?あれはお前の恋人だろう?だったら、お前が何とかするべきことだろう?」
「……」
 半分泣きそうな顔で恭夜は幾浦を見るが同情などしてやる気は更々無かった。年始からあの男の相手をさせられている幾浦こそ同情して欲しいほどなのだ。
「う~ん……」
 と、唸ったのはジャックだった。二人は思わずその声にビクリと身体を震わせて、そろそろとまたリビングの方を覗く。するとジャックは眉間に皺を寄せたまま一言呟いた。
「読めん……」
 一瞬二人はジャックの言葉に硬直し、幾浦は恭夜と顔を見合わせて、言葉を失ってしまった。
「……笑っても良いか?」
「笑ってやるなよ。あいつ、あれでも一生懸命日本語勉強してるんだから……。だけど、あんだけ頭が良いのに、ちっとも上達しないのが俺には謎なんだけどさ。でも、笑うならここで笑ってろよ。あいつにそんなの見られたら馬鹿にされたと思ってまたなにを言うか分からないぜ。……俺、説明してくる……」
 ため息をついて恭夜は今まで覗き込んでいたリビングの方へ向かって歩いていった。幾浦はそれを眺めながら、様子を見ていたが、ジャックの隣に座りなにやら恭夜が説明しているのを見て、あれはあれで似合いなのかもしれないと不覚にも思ってしまった。
「兄貴っ!じゃあ、俺達帰るから……」
 話を終えた恭夜が立ち上がり、しっかり年玉袋を持ったジャックが同時に立ち上がる。帰る相手くらい見送るのが礼儀だろうと、幾浦は重い腰を上げてリビングに入った。
「ああ。帰るのか……そうか……」
 安堵のため息をつきつつ、幾浦がようやく表情に笑みを浮かべるとジャックが言った。
「お兄さまは面白いことを大人にたいしてするんだな。まあいい。これから隠岐の所にも行く予定にしているから、この袋を見せて笑いものにしてやる。楽しみにしておけ」
 してやったりという表情のジャックとは逆に、幾浦は呆気にとられてなにを言われたのかすぐには理解できずに口を開けたまま棒立ちになった。
「じゃ……じゃあ、兄貴……ま、またな」
 そそくさと帰っていく恭夜を追いかける気力も失った幾浦は、何事もなかったようにこたつに入り、重箱に鼻面を突っ込んでおせちをモグモグと食べているアルの頭を新聞紙で丸めたもので叩いてから、突っ伏した。
 最悪の正月はまだ始まったばかりだった。

―完―
タイトル

ぼこぼことおとしまくってましたが、ようやくお正月企画が終わりました。明日からはぼちぼちと通常連載に戻りますのでどうぞよろしくお願いします。今年も一年。またいろいろと頑張っていきますのでみなさま遊びに来てやってくださいね~。

↑ PAGE TOP