Angel Sugar

第1夜 「ジャックと豆まき」 (550万ヒットキリ番リクエスト)

タイトル
「明日は……節分だな」
 夕食の途中、ジャックはおもむろにそう言った。
 いつものことだが何の脈絡もなく、突然ふられた話題だ。
「……なあ、いまさっきまで、あんた新聞の話題を口にしてたよな?それがなんで、突然、豆まきなんだ?」
 恭夜が目を丸くして顔を上げたが、いつもどおり、ジャックは聞いていない。
「お兄様に煎った豆をぶつけて追い出す文化だろう?」
「はあ?」
「兄は外、福は家。理解に苦しむ行事だが、楽しそうだな」
 ジャックは機嫌のいい笑みを浮かべ、恭夜の理解が及ばないところで納得している。
「それを言うなら鬼は外、福は内だろう?じゃあ、俺の兄貴に鬼の役を頼みたいってことか?」
「鬼?」
「外国人からだと、鬼って悪魔みたいなものだと思うけど……。家主が『鬼は外、福は内』って言いながら豆を撒いて、自分の年齢と同じだけの豆を食うと、一年間、病気にならないって昔から言うんだよ」
 もっとも、別に無病息災を願わなくても、ジャックは風邪一つひかない男だ。豆を食べる必要はないだろう。
「……豆をまいて逃げるような悪魔か。日本の悪魔は情けないな」
「聖水で逃げる悪魔だって、たかが水で逃げるんだろ?豆の方が当たったら痛いぜ」
 そう言ってしまってから、恭夜は首を捻った。
 豆だろうが聖水だろうがどうでもいいが、なんだかとても低俗な言い争いのような気がする。いや、現実に鬼も悪魔も見たことがない恭夜だ。豆や聖水の効果など知らない。
「まあいい。これが古来の伝統なんだろう?鬼はお兄様の役目だ」
 是が非でもジャックは幾浦に鬼の役目を押しつけたい様子だった。けれど、幾浦がそんな役を引き受けるわけなどないし、そういう電話をされた日には、後で恭夜が兄からこっぴどい雷を落とされる。
 いままでもあれこれと数え切れないほど苦情を言われた恭夜だ。新たな苦情の原因になることが分かっていて、恭夜が頷くわけなどない。
「……だから、無理に鬼を仕立てることなんてねえんだよ。やりたかったら、勝手に豆をまいてりゃいいんだ。俺は、そんなガキみたいなこと、しねえからな」
「鬼がいてこその豆まきなんだろう?」
「ちっちゃい子がいてこその、行事なんだよ。大人だけでやることじゃねえの」
 頭脳明晰で、誰に対しても尊大なこの男は、本来なら先頭を切って馬鹿にしそうなことを、やりたがる。本当によく分からない男だ。
「隠岐を呼べ」
 ちっちゃい子という恭夜の言葉に反応したのだろうが、それはあまりにも失礼だ。というより、隠岐の怒りも目に見えている。あの男は、一見、にこやかにしているのだが、静かに怒るのだ。その怒りがどれほど恐ろしいものか、ジャックは知らないし、堪えないだろう。だが、恭夜が堪えるのだ。
「あのなあ……俺は何の協力もしねえぞ。まあ……やりたいっていうなら、巻きずしの丸かじりくらいなら付き合うけど」
「巻きずし?」
「今年がどっち方向を向いて食うのかしらねえけど、決まった方向を向いて巻き寿司を無言で一気に食うんだよ」
「……巻き寿司か」
「でも、あんたは巻き寿司が嫌いだろ?かんぴょうが気に入らないって言ってたじゃん」
 巻き寿司の中にあるかんぴょうがジャックには苦手なようで、寿司自体は嫌いではないようだが、巻き寿司は好んで食べないのだ。
「かんぴょうを抜けばいい。問題は巻き寿司ではなくて、鬼だ」
 だから……。
 なんで鬼にこだわるんだよ。
 相変わらず鬼にこだわっているジャックに、恭夜は内心ため息をついた。大体、この年になって、豆まきをしようと計画すること自体、信じられないことだ。
「鬼なんてどうでもいいだろ。あんたがやりたいのは、豆まきじゃねえのか?」
 恭夜の言葉に、ジャックは口の端をやや上げて、ニヤリと笑った。なにやらよからぬことを企んでいる様子だ。
「……相葉を飛ばすことにした」
「は?相葉って?鬼はどうなったんだ?」
 また話題が飛んだ。
 いつもこうなのだが、この切り返しは、毎度のこととはいえ、意外に慣れないものだった。
「私の部署にいる相葉だ。道警の特異犯罪情報分析班か、京都府警の犯罪情勢分析室か、どちらかだな」
 以前、恭夜が人質に取られたとき、交渉人として派遣されたのが相葉だ。だが、ジャックからすると、相葉のやり方はまともな交渉には見えなかったようで、自分の部署から飛ばしてやろうとずっと考えていたようだ。
「……そういうのって上司としてよくねえぞ……根に持つなよ」
「私は上司ではない。講師だ」
「なんでもいいけど、せめて警視庁の犯罪捜査支援室にしてやれよ。あそこは逆に科警研の人間が行きたがるところだろ?科警研と違って都内だし……」
「喜ぶようなところに飛ばして何が楽しい?」
 いや……だから。
 何が楽しいって……。
「あのなあ……」
「私の古巣が移動したことは知っているか?」
 また話題が飛ぶ。
 こういう場合、前の話題を恭夜が引きずったところで、ジャックは新しい話題しか口にしないため、言わない方が精神的に楽だ。
「……行動科学課が移動したのか?」
「ああ、凶悪犯罪分析センター内の行動分析課に移った」
「ふうん。田舎から都会に移動して、あんたもちょくちょく行きやすいんじゃねえの?」
「……それで、鬼だ」
 また話題が戻る。
 ジャックの中ではこのアクロバット的な会話はすべて繋がっているのだろうが、恭夜からすると切り替えるのが大変だ。それでも無駄な苦情は言わない。その都度、会話を合わせている方が楽だ。
「兄貴に俺からは言えないからな」
「私が連絡をしておこう」
 いや……それも問題だけど。
 まあ、ジャックが電話をしたからって、兄貴が頷くわけないし……。
「俺は知らねえぞ」
「隠岐ももれなく連絡をしてやる」
「……そうやって巻き込むのやめろよ……後で俺が苦情の矢面に立たされるんだからな」
「何故、苦情なんだ?日本人の行事だろう?それとも日本人だけの行事で、外国人の参加はできないというのか?」
「あんたの屁理屈はほんっとうに、ずれてるよな……」
 豆まきが問題ではなくて、ジャックがどうしても幾浦に鬼をさせようとしているところが問題なのだ。
「そうだな。やはり相葉は道警がいいかもしれん」
 またぶっ飛んだ。
 なんでもいいけど、ほんと、こいつと会話するのって体力いるよなあ。
「だから、そういうやり方はよくねえよ。あんたは上司じゃなくて講師なんだからな。権限外だろ?」
「私はただ、快適な職場環境を求めているだけだ。視界にはいると腹立たしい男は、精神的にストレスがたまるからな……」
 いや……。
 精神的ストレスがかかってるのって、あんたじゃなくて、周囲の人間だと思うけど……。
「なんだ、その顔は」
「え、別に……あんたも大変だと思ってさ……」
「なんだ、ハニーもたまには私を理解してくれるんだな」
 ジャックはにっこりと笑う。
 この後、豆まきの話題には戻らなかった。
 きっとジャックの中にある優先順位が切り替わったのだろうと、恭夜からは豆まきについて触れることなく、その日を終えた。
 だが――。



 すっかり豆まきのことなど忘れているだろうと思っていた恭夜だったが、仕事を終えて自宅に戻った瞬間、ジャックに掴まり、車に乗せられた。
「ジャック?なんだよ、どこに行くんだ?」
「お兄様のマンションだ。なんだ、昨日、節分の話はしただろう?」
 確かにそうだが、兄の幾浦はこのことを知っているのだろうか。
「……兄貴に電話したのか?」
「携帯はかからず、自宅はずっと留守番電話になっていたな。管理人の話では自宅にいるようだが……」
 幾浦はジャックの電話を受ける気がないのだろう。
それは確かにジャックと関わりを持たないようにするため、当然の防御法といってもいい。けれど、本当に関わりを持たないようにする方法などないのだ。ジャックは恭夜がどこにいても探し当てる男だから。
「嫌がってるんだよ……兄貴……」
「節分の話もしていないのにか?」
「……節分じゃなくて……」
 幾浦は最初からジャックのことを避けているのだ。だが、ジャックはそういうことに関して、驚くほど鈍感だった。いや、自己中心なのだろう。
「なんだ?」
「……もういいけど……」
 恭夜がため息をついていると、いつの間にか車は兄の住んでいるマンションに到着していた。駐車場に車を停め、ジャックはトランクから怪しげな荷物を取り出すと、兄の住む部屋へと向かった。恭夜は気は重いのだが、ジャックだけを行かせるわけにはいかない。ジャックが心配なのではなく、兄の幾浦が心配だった。
 青筋を立てるだけならいいが、ショックで倒れたらどうするのだ。とめられるかどうか分からないが、とりあえずジャックが暴走しそうになったら、恭夜が間に入らなければならない。
そのためについてきた。もっとも半分、強制的に連れてこられたが。
「お兄様は在宅のはずだ」
 幾浦の部屋の前でジャックは鍵を取り出し、差し込む。アフガンハウンドのアルには気づかれているのか、ドアの向こうからワンワンと声が聞こえていた。
「なんで、あんたが合鍵持ってるんだ?」
「ん?マンションの管理人に弟が尋ねてきたことを告げて、借りてきた」
「い……いつ借りたんだ?」
「さて……そんな問題は後回しだ」
 ドアが開けられると、ジャックを認識したアルが、吠えるのをすぐさまやめ、目を大きく見開き、尻尾を後ろ足の間に入れ込むと、ジリジリと下がっていった。鋭い牙を持ち、俊敏な身体を持つ犬であっても、ジャックに怯える。アルは臆病ではないが、さすがにジャックは恐ろしいのだろう。
「アル……どうし……なっ、なんだお前達っ!どうやって入ったんだ?」
 犬が吠えていたから怪訝に思った幾浦が玄関までやってきて、ジャックと恭夜の姿を見つけ、腰をぬかさんばかりに驚愕していた。
「居留守ばかり使ってどういうつもりだ。この私が電話をしているんだぞ。ありがたく出るのが普通だろうが」
「わっ、私はお前に用などないっ!出て行けっ!」
「今日は節分だ。なのにお兄様は何をのんびりしているんだ」
 ジャックは冷ややかにそう言い、鞄から鬼の面を取り出すと、幾浦の足元へ放り投げた。幾浦はお面を見下ろし、恭夜の方を見る。
「恭夜。これは一体、どういうことだ?」
「いや……その……ジャックは節分の行事をしたいらしくて……兄貴に鬼になってもらいたいんだって……駄目か?」
 駄目だと言われることは分かっていたが、一応、聞いた。
「どうして私がお前達の訳の分からない行動に参加させられなくてはならないんだっ!しかも鬼とはなんだ。鬼とはっ!」
「兄は外だ」
 ジャックはそう言って、今度は豆の入った袋を鞄から取り出すと、幾浦めがけて豆をぶつけた。恭夜から見てもジャックの行動は常軌を逸している。もっとも、これがジャック・ライアンだと言われたら、彼を知る人間ならば誰一人として意義を唱えないだろうが。
「恭夜っ!この、非常識な男を連れて帰れっ!」
「ジャック……もういいだろ。兄貴に豆をぶつけて満足しただろ?」
「兄は外だ」
 そういって掴んだ豆をまた投げつける。幾浦の目の脇にある何本もの血管がいやに浮き上がっているように見えるのは、気のせいではない。
「違うって、鬼は外……だっての」
 ジャックの腕を掴み、玄関から下ろそうとする恭夜と、幾浦のスラックスに噛みつき、かかわらない方がいいとでもいうように引っ張るアル。けれど幾浦は怒りで我を失っているし、反対にジャックは嬉しそうだ。
「じゃあ、外へ出て行けっ!」
 また豆を幾浦にぶつけ、ジャックは仁王立ちのままそう言った。
「ここは私の家だっ!何故私が追い出されるんだ?アルッ!この非常識な外国人に噛みついてやれっ!」
 幾浦が当然のことを口にするのだが、噛みつけはないだろう。
 もっとも、ジャックが怖いアルは、相変わらず幾浦のスラックスに噛みついたまま、後へと下がっている。
「私は日本の文化を体験しているだけだ。お兄様は自分の文化を貶めるつもりか?」
 ジャックは何度目か分からない豆をぶつける。幾浦もついに怒りの限界を超えたのか、散らばっている豆を拾い集めて、ジャックに向かって投げつけた。
 これではまるでガキの喧嘩だ。
 ただ、ジャックは相手をしてもらって嬉しいのか、不快な顔はしていない。それが余計に幾浦の神経を逆撫でしていることに気づいていない。
「ジャックッ!いい加減にしろよっ!兄貴も一緒になって豆をぶつけるなよっ!」
「そっちから先にやったんだろうがっ!私はやられたらやり返すっ!」
 幾浦はそう叫んで、床に散らばる豆を拾っては投げつける。
「そうだ、その調子だっ!なかなか面白いじゃないか、キョウッ!」
 幾浦の不快指数百パーセントとは逆に、ジャックの機嫌は最高に良さそうだった。
「……あのさあ……鬼が反撃で豆を投げるなんて、俺は聞いたことねえよ。つうか、やめろってっ!ガキじゃねえんだからよっ!」
「なんだ、そうなのか。では、お兄様の反撃は反則だろう?」
「反則?貴様の存在自体が人類の反則だろうがっ!」
「ワンワンッ!」
「だから、アルもやめとけって言ってるんだから、もうやめろってっ!」
「まだ兄は外……になってないだろう?」
 ジャックは生真面目な顔で言う。
 もう、日本語と英語が無茶苦茶に混じっていて、訳が分からない。
「だから、豆はまいたんだからもういいだろっ!帰って巻き寿司を食おうぜ、巻き寿司。それでいいんじゃないのか?」
「兄は外だっ!」
 ジャックは間違ったままこだわっていた。
「恭夜っ!兄は外とはなんだっ!」
「だから……鬼は外を聞き間違えたまま、信じ込んでるんだよ……。節分の豆まきには、兄貴が外へ出るって信じてるんだ」
 恭夜の言葉に、何故か幾浦は諦めたような笑みを浮かべた。
「分かった。私ももう限界だ……お前は責任を持って掃除して帰るんだぞ。分かったなっ!」
 幾浦は恭夜にそう言うと、アルを連れて逃げ出すように部屋から出て行った。最後まで豆を投げ続けたジャックはあっぱれとでもいうしかない。
「……兄貴は出て行ったぜ。これでいいんだろ」
 恭夜は内心ではホッとしていた。ここを出た幾浦は、どうせ利一の家にでも行ったのだろう。幾浦にとってもここでいつまでも豆の投げつけ合いをするより、いいはずだ。
 後は片づけをして帰ればいい。
 廊下中に散らばった豆を眺めながら、恭夜がため息をついていると、ジャックはリビングの方へと歩いていく。
「ジャックッ!用事はすんだろ?」
「締めくくりは巻き寿司だろう?」
 ジャックは鞄から大きな包みを取り出してニンマリと笑った。
「……ひとんちで食うもんじゃねえだろう?あんたって……」
 住人を無理やり追い出して、巻き寿司を食べるというこの神経はどうなっているのだ。節分はこういう行事ではない。
「お兄様の分も持ってきた」
「……へ……へえ」
 一応、ジャックなりに気遣っているのだろうか。
 いや、嫌がらせともとれなくはない。もしかすると、巻き寿司になにやら怪しいものが巻かれている可能性もある。以前、おせちにダイヤモンドを入れてみたり、カラシをこっそり混ぜてみたり、笑えないことを数多くやっている。そんな行動をつぶさに見ている恭夜でも、今のジャックの考えは分からない。
「キッチンにでも置いておけば勝手に食うだろう」
「そうだよな……」
 俺はもう、さっさと家に帰りたいよ。
 でも、廊下の掃除が待ってるんだよな……。
「さっさと食って、次は隠岐のうちへ回るぞ」
 ジャックの言葉に、恭夜はしばらく動けないほどのショックを受けた。
 この後、恭夜は自分にとって似合わない、目も当てられないほど酷い誘いで、ジャックの気持ちを変えさせたが、この日の出来事を二度と思い出さないと、恭夜が本気で誓ったことは言うまでもない。

―完―
タイトル

遅くなりました~。ねねさまからいただいたキリリクです。なにやらガキ臭いジャックが印象深いんですが……(汗)。本人は、日本の文化を一生懸命、しかも真面目に行っているんですよ。頭の中では、妙な行事だなあ……と思っているはず? それにしても、ジャックはどこまで暴走するんでしょう。まあ……これがジャックだと思えば別に変だとは思わないところが毒されてしまってるんでしょうか(笑)。
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