Angel Sugar

第1夜 「告白大作戦」 (バレンタイン企画2002)

タイトル
 不安な理由はただ一つ。
 本日は国王が隣国で会食があり、何故かスペンサーも同行することになったことだ。
 当然、王子とフェンリルと(レーヴァンも)城に置いていくことになるのだが、どうも普段からフェンリルより目を離すことが出来ないスペンサーにはそれが大きな不安となって痼りとなっていた。
 大丈夫だろうか……
 既に愛馬のファルコに跨りスペンサーは後にした城を振り返る。
 ああ……
 胃が……
 きりきりと痛む胃は、フェンリルが城に居座るようになってから一度も平安が訪れないでいる。グレーの髪には白髪でも交じりそうな程だった。
 だからといってフェンリルまで連れ出すことはとてもスペンサーには出来ない。なによりフェンリルは現在、人間の姿ではなくポニーほどある狼の姿をしているのだ。そんな不気味な生き物を気の小さい隣国の王の元に連れ出すことなど出来ない。
 いや、フェンリルだけでも城に残して置いた方がいいのだ。あれで馬鹿ではないから、王子のルースを守ってくれるだろう。と、僅かだが期待していた。
 ルースは王の先の王妃の息子で、その王妃が亡くなった後、後妻として入った王妃の目の敵にされており、彼女の息のかかった連中がスペンサーのいぬまにルースに何をするか分かったものではないからだ。そうであるからあのぼんくらフェンリルでも側にいてくれた方が安心だった。
 なのだが……
 不安だ……
 拭いきれない不安を胸の内にスペンサーは王の馬車についてファルコを歩かせた。

 ルースはスペンサーから渡された宿題を目の前にして唸っていた。
「……う~ん……わかんない」
 持っていたペンをパタリと机に転がしたルースは、馬番のアンクが作ってくれた止まり木でウトウトしているレーヴァンを振り返った。
 すると金糸の髪が揺れ、後ろで止めている髪留めに逆らって左右に揺れる。大きな緑の宝石を思わせる瞳がレーヴァンの姿を映していた。
「レーヴァン……ねえ」
 声を掛けるとレーヴァンの目が開く。
 羽を広げると三メートルはあるだろうという鳥だ。細い首は長く、瞳は真っ黒。体色も黒光りしている。
「どうしたんです王子様」
 元は人間だったレーヴァンは、スペンサーによって今の姿に変えられていた。善行を積めば元に戻してやるということなのだが、レーヴァン自身は今の鳥の姿が気に入っているらしい。
「勉強わかんない……」
「おいらに聞かないでよ。元人間だけど……難しいことは分からないんだ」
 首を竦めてレーヴァンは言った。
「だってぇ……退屈なんだ……」
 椅子の背もたれにあごを置き、ルースは両足をばたつかせる。
「スペンサーに言われたんじゃないのかい?帰ってくるまでにそれをやっておくことって……」
「うん……でもさ。今日どういう日か知ってる?」
 瞳を輝かせてルースが言った。
「……なんか特別な日だったかなあ……」
 くちばしを天井に向けてレーヴァンは考えている。だが思いつかないようだ。
「今日はね……大きな声で愛の告白をしても良い日なんだよ!」
 椅子の背を持ち、体を左右に揺らしてルースは言った。
 この国では愛の告白は密やかに行うのがエチケットなのだ。そうであるから表だって愛の告白をするのは、はしたないことだとされている。だが例外があって、本日は例え道ばたでも花を差し出して告白をしても許される日だったのだ。
「……変なの。いつでも良いんじゃないの?」
 真っ黒な目がぐりぐりと動いた。
「僕も思うよ。でも……でもね。本当ははしたないんだって」
 下唇を尖らせてルースは不満げに言う。
「あの馬鹿狼はいつだってスペンサーに告白してるしさあ……王子様だって結構積極的じゃなかったっけ?」
 ルースにとってフェンリルはライバルなのだ。だからフェンリルがスペンサーに告白しようものなら横から割って入ってルースも告白するという状態がここずっと続いていた。
 それはただフェンリルに負けたくないと言うルースの恋心がそうさせていたのだ。
「だって……スペンサーはちっとも分かってくれないし……それがはしたないのは分かってるけどさ……。フェンはすぐ抜け駆けするもん。僕、負けたくない」
 小さな拳を作り、ルースは言った。するとレーヴァンは笑い出した。
「はははははっ……あの馬鹿狼なんてスペンサーが相手にするわけないだろ?」
「悪かったな」
 いきなり声が聞こえたかと思うと、いつの間にか部屋に入ってきたフェンリルが大きな体躯を震わせた。本日の体毛は黄金バージョンだ。
 フェンリルは毎日ご自慢の体毛をカラフルに変える。もちろん、最初にルースがそのことを褒めたからなのだが、今では毎日チェンジすることを楽しんでいるようだった。
「ひーーー……ご……ごめんなさい~おいらそんなつもりじゃあ……」
 ばさばさと止まり木から飛び上がり、レーヴァンはルースの机上に移動した。どうもレーヴァンはこのフェンリルが苦手らしい。
「フェン。フェンは今日どうするの?」
「愛の告白だ」
 口元から牙を見せて笑い顔を作っていた。このフェンリルは人間の姿をしているときにはどんな言葉も無表情で表情には感情が現れないのだが、こと狼の姿をしているときは、非常に人間味がこもる。それがルースには不思議で仕方がなかった。
 だがスペンサーがそれをつっこむことをしないので、フェンリルはこういう人(狼?)なのだと理解していた。
「僕も負けないよ」
 椅子から飛び降り、ルースは胸を張った。
「フェンのことも好きだけど、スペンサーのことがもっと好きなんだもん」
「そうか……それは寂しいな」
 耳を伏せて肩を落としている狼は何故かとても寂しげだ。
「あ……違うよ……友達としては一番なんだ。スペンサーは……その……恋人にしたい、好きなんだ……」
 もじもじとルースは言う。
「それでだ」
 いきなり気を取り直したようにフェンリルは俯けていた顔を上げた。大きな鼻からふんと息を吹いた。
「何?」
「告白に必要なものはなんだ?」
 フェンリルは黄金色の瞳をルースに向ける。
「花っ!」
「世界で一番大きな花を一緒に育ててみないか?」
 フェンリルはニコリと笑った。
「え、そんなの今からじゃ遅いよ」
「私を誰だと思っている?」
「怪しい術者!」
 指でフェンリルを指してルースが言うと、フェンリルはその手をやんわりと下ろさせた。
「……怪しくはないが……しかも大が抜けてる。それはスペンサーが言ったか?」
「うん。フェンは怪しいから口車に乗っちゃ駄目って言ってた」
 それは毎日毎晩言われることだ。
「ちっ……あの男……。やはり暗闇で押し倒すしかないのか……」
 顔をやや横に向けてフェンリルは小声で言う。だが、ルースには小さすぎて聞き取れなかった。
「え、何?聞こえなかったよ……」
「いや……いい。それより今日は互いにとって素敵な日だ。どうせなら今日はお互い一旦休戦することにしないか?それで一つの花をお前と私とで一緒に育て、スペンサーにプレゼントしようと提案しに来た」
 真っ白な牙を見せて笑い顔を作ったフェンリルは得意げだ。
「……いいの?」
「世界で一番でかい花だぞ。スペンサーはきっと涙を流して喜ぶはずだ」
 今度はニヤニヤと笑いながらフェンリルは言った。
「じゃあ、一緒に育てるよ!」
 世界で一番大きな花……
 ルースはそれをスペンサーにプレゼントしたくてしかたがなくなった。
「ところでおこちゃまは王様の次ぎに偉いんだな?」
「……え、……う……うん。多分……」
 本当にそうなのか分からないが、一応父親の次を継ぐのはルースだとレンドルは言っていた。ならば次に偉いのだろうと単純にルースは思ったのだ。だが思うことと、それが似合うことは別である。だからもごもごと言うにとどまったのだ。
 だが小さな声であったが、フェンリルは聞き逃さなかったようだ。
「この花を育てるには広い場所が必要だ。この城内で育ててもいいか?それを聞きたかったんだ」
「お庭じゃ駄目?」
 部屋で育つような花なのだろうか?
 ルースは分からずそう聞いていた。
「庭だとスペンサーが帰ったときに私達がしていることがばれるだろう?こっそり育てて驚かせないとな」
 うんうんと長い鼻も一緒にフェンリルは縦に振った。
「でも城の中が葉っぱだらけになったら大変だよ?」
 一番ルースが心配していたのはそのことだ。葉が茂るのは良いが、被害が出るような事になると困る。
「花を収穫したら、枝葉はすぐに消える。半日もあれば育てて収穫して終わりだ。どうだ?」
「う~ん。ならいいよ」
 少しルースも考えてみたが、それくらいなら良いだろう。
 告白用の花は大きければ大きいほど良いとされているのだ。だから世界一大きな花だといわれてかなり気持が動いていた。それを抜け駆けせずに一緒に育てようと言ってくれたフェンリルの事が益々好きになった。元々ルースはフェンリルが大好きなのだ。ただライバルだと言うことだけがネックだ。
 世界一大きな花。
 どんな花だろう……
「では育てようか。これが種だ。水に浸けるとすぐに芽が出る」
 フェンリルはどこからともなく、リンゴくらいある大きさの丸い種を出してきた。
「これなに?フェン……」
「花瓶にでもつっこんでおけばすぐ生える」
 フェンリルが言うようにルースは部屋に置いてある花瓶の花を抜いて、底に落ちるよう無理矢理種を押し込んだ。最初は種が大きすぎて花瓶の口の部分で引っかかったが、力をこめて押し込むとようやく下に落ちた。
 レーヴァンと二人で覗き込むように花瓶の真っ黒な中を見ているといきなり目の前にひょろりとした茎が伸びてきた。
「わあっ……も……もう伸びてきた?」
 花瓶から体を離してルースがフェンリルの方を向くと、ルースのベッドに腰をかけて足を組んでいた。もちろん狼の姿でだ。
「もっと出てくるぞ」
 フェンリルはとても楽しそうに言う。その通り、ルースとレーヴァンが目を離している隙に、花瓶の中の種はものすごい勢いで根を、そして茎と葉を茂らせていく。余りの早さにルースとレーヴァンは口をぱかんと開けたまま、見る見る部屋を覆い尽くす蔓に呆気にとられていた。
「ふぇ……ふぇ……フェンっ!これ……これじゃあ僕の部屋一杯になるよ!」
 既に自分の回りにも葉っぱが茂っているルースは、蔓をかき分けてフェンリルに言った。するとフェンリルは自分の所だけ草木が来ない呪文でも使ったのか、一人悠々とベッドに腰をかけて眺めている。
「部屋一杯?違う。城一杯だ」
「え?」
「そんなことはいいから、こっちに避難した方が良いぞ」
 大きな肉球のついた手でフェンリルが手招きするので、ルースはやっとこフェンリルの所にたどり着き、ちょこんと隣りに座った。当然レーヴァンも一緒だ。
「すごいや……」
 天井を見ると既に蔓で覆い尽くされ、自分の回りは蔓から伸ばされた葉でぐるぐるにとぐろを巻いている。ここまでくるともう何処に本体があるかも分からないほどだった。
「フェン……部屋が暗くなってきたよ……」
 葉で埋め尽くされた部屋は光源となるものを塞ぎ光一筋すら通さない。そうなると周囲が暗くなるのは当然だろう。だが、フェンリルの体毛が光苔のようにぼんやり光っているために真っ暗になることはなかった。
「暗くなったら……大人の遊びの時間だな……」
 チラリとフェンリルはルースの方を向いて笑った。
「大人の遊び……って?」
 意味が分からずルースは聞き返す。
「そうだ……大人の遊び」
「分かった。一緒に寝るんだ!」
 そんなことをルースは聞いたことがあったのだ。
「そりゃまた……剛速球だな……」
 何故かフェンリルは苦笑していたが、ルースにはフェンリルがどうしてそういう風に言うのか理解できなかった。
「だっ……駄目だぞ馬鹿狼!」
 何故かレーヴァンがルースとフェンリルの間に割って入って怒鳴っていた。
「どけ、阿呆鳥」
 目を細め、フェンリルが言う。ルースにはレーヴァンの後ろ姿が邪魔してフェンリルの表情が見えなかったのだが、真っ黒な羽が一気に逆立った。
「……レーヴァン……寒いの?」
 自分が言ったことの重大さに気が付かないルースは、レーヴァンがただ寒さで震えているのだと勘違いしていた。
「……ち……違うけど……ははははは……」
「じゃあ、レーヴァンも一緒に寝ようか~。そうしたら暖かいよ」
 グイとレーヴァンを引き寄せたルースはそのままベッドに倒れ込んだ。
「おおお……王子様?」
「お休み~レーヴァン……フェン……」
 目を閉じてルースはそう言ってそのまま眠りについた。遠くで悲鳴のようなものがあちこちから聞こえているような気がしたが気のせいだと思った。
 目が覚めたらきっと世界一大きな花に出会える。
 期待を胸にルースは夢の中へと落ちていった。その隣でまた不機嫌になっているフェンリルがいたことなど当然気付くはずも無かった。
 
 夕方スペンサーが戻ってくると、先をゆく歩兵が声を上げた。
「な……なんだあれはっ!」
 その声に後方にいたスペンサーの顔も思わず上がる。
 ……あ……
 あああああっ!
 あ~れ~は……
「スペンサー!あれは一体何だ?」
 王のレンドルも思わず馬車から降り、自分の城を眺めて茫然としていた。城の回りでは衛兵達が大騒ぎで駆け回り、城内に入ろうとしているが葉と蔓で隙間無く埋め尽くされている中に入られないようだ。当然だろう。城のどの窓からも葉が沢山飛び出し、そのまま外に蔓を伸ばしているのだから、緑の城さながらだ。
「……あれは……ホープです」
 どうせ……
 これをやったのは……
 あの……
 あの馬鹿狼だっ!
「なんとかせんか!中にいる人間が死んでしまうだろうが!」
「いえ、蔓や葉は人間に巻き付くことはありません。人を避けて増殖するんです。それに……そろそろ消えるかと思います」
「消える?消えるというのは何だ?」
「言葉そのままです……王」
 良く蔓の先を見ると既に茶色に染まっており、後暫くすれば何事もなかったように蔓も葉も消える。
 残るのは……例の花だけだった。
 ……
 それを……
 どうするんだ?
 ええ?フェンリルっ!
 怒りを内包させながらもスペンサーはとりあえず苦笑を顔に貼りつけていたが、レンドルがこちらを見て驚いた表情をしてからは、一言も話しかけてこなかった。
 余程奇妙な顔をしていたのだろう。
 ホープ……
 誰に……
 誰に渡すつもりなんだ?
 わ……
 私か??
 いらんっ!
 私はそんなものの面倒は見るつもりは無いぞっ!
 手綱を持った手をブルブルと震わせながら、城に入る架け橋の所で皆が立ち止まっていると、スペンサーが予想したとおり葉と蔓がどんどん萎れ、最後には消えていった。後に残ったのはそれらの残骸と言うべき茶色い砂のような粉末だった。
「おお……スペンサー……消えたぞ」
 レンドルは驚異の声を上げた。そんな中スペンサーだけが怒りを蓄積させていたことに誰も気付かなかった。

 城内に入ると、蔓に囲まれていた人達が何処かぼんやりして座り込んでいた。それも当然の話だ。スペンサーは他に誰に声を掛ける間もなく己の足をルースの部屋に向ける。そこがどうせ拠点になったに違いないからだ。
 蔓と葉の残骸である埃っぽい粉を踏みしめながら怒りに燃えてルースの部屋に入るとやはりというか、当然というか、両手を広げても抱えきれない程でかい花の蕾が鎮座していた。それを興味津々の顔つきでルースとレーヴァンは眺めている。
 フェンリルの方は面白く無さそうな表情でベッドに座っていた。
「馬鹿狼っ!ホープを何故使うっ!」
 ただいまを言う前に既に口からスペンサーはフェンリルに罵声を浴びせかけた。
「あ、スペンサーお帰りなさい」
「え……あ……ルース様。ただいま戻りました」
 正気に戻った顔でスペンサーはルースに言った。だがすぐに後ろを振り返りフェンリルを睨み付ける。
「スペンサー……どうしてフェンの方ばっかり見るの?僕の方見てよ……」
 スペンサーの袖を掴んでルースが寂しげに言ったため、仕方無しに体勢を戻した。
「そ……そうですね。私は急ぎでフェンリルに用事が……」
 用事ではない。苦情だ。
「じゃあ……その……僕の告白を聞いてからにしてよ」
 もじもじとルースが言うために、スペンサーは苦笑しながら頷いた。だが時間が無いのだ。例の蕾にここで花開かれては不味い。
「何でしょうか……」
「あの……あのね。僕、スペンサーのこと大好きだよ。それで……あれ……プレゼント」
 言って例の巨大花をルースは指さした。
「……え……あの……これは……」
「ほら、今日はお花をプレゼントして、好きな相手に堂々と告白できる日だよ。覚えてる?だからね。今日だけはフェンと一緒に育てたんだ……あ……勝手に育ったんだけど……。二人からの花だよ。でも……好きって気持は絶対僕の方がおっきいからね」
 ルースが頬を赤らめながら言っている間に、蕾がむくむくと動き始めた。
 まーずーいーーーーー!
「お……おお……王子……この花を、わ……私の部屋に持っていっても宜しいでしょうか?」
 冷や汗を浮かばせてスペンサーは言った。
「え、うん。良いけど……。でも僕、これが咲いたところ見たいんだけど……」
 興味津々のルースはまた大きな紫色の蕾を眺めている。
「す……スペンサーは王子が下さった花を一人で愛でたいと思います。宜しいですか?王子が大切に育てられた花ですからね……」
 ルースの前に立ちはだかり、蕾を隠すようにしてスペンサーは言った。
「……それは……嬉しいけどさあ……」
 だがやはり肩越しに蕾を眺めようとルースは必死だ。
「王子は私に下さったのでしょう?スペンサーの好きにさせて貰って宜しいですね?」
「い……いいよ」
 早く……
 早くしないとーーーー!
「フェンリルっ!手伝えっ!ルース様がわざわざ下さったものだ。だが一人では運べないっ!」
 半ば強引にフェンリルの腰を上げさせ、蕾のところまでひっぱった。
「私も一緒だとおこちゃまは言っただろう」
 不機嫌にフェンリルは言った。
「五月蠅いっ!黙れ!手伝えっ!」
 先に花を押しながらスペンサーは言った。するとフェンリルが渋々手伝いはじめた。
「……見たいな……」
 花を運ぶ最中、後ろからルースの声が聞こえたが、スペンサーは珍しく聞こえない振りをした。この花には大きな問題があったからだ。
 ルースの隣にある自室に花を押し込んだスペンサーは覗かれないように扉をしっかり閉めて鍵を掛けた。
「おお……やっとその気になってくれたのか……」
 何か勘違いしているフェンリルは酷く嬉しそうだ。
「貴様……きーさーま……っ!何故ホープを育てる?この面倒を誰が見るんだっ!」
「誰とは……お前しかいないだろう?プレゼントしたんだからありがたく面倒見ろ」
 ふんと鼻を鳴らしてフェンリルは言った。
「……もっとましな事が出来ないのか?目を離すとすぐこれだっ!いい加減嫌がらせはやめろと何度言えば分かるっ!」
 額の血管が浮きそうなほどスペンサーは怒鳴った。だが当のフェンリルは何処吹く風だ。
「失敬な。誰も嫌がらせをしようと思ったわけではないぞ」
「じゃあなんだ?なんだこれは?これを一体どうしろと言うんだ?」
「いや……最近城内の雰囲気が悪かったからな。ちとストレスを軽減してやろうと思ってな。善行だろう?それに人々の意見を聞くのがお前の仕事だろうが」
 当然のごとくフェンリルは言った。
「私の……私の仕事はルース様を立派な大人にすることだっ!こんな花の面倒を見るためにここにいるわけじゃなーーーーーい!」
 もう血管が切れて血が噴き出しそうな気分だった。たった一人の面倒を見るだけで心労が耐えないというのに更にこのフェンリルが居座ったことで倍増だ。倍なんて可愛いものではなく、更にパワーアップだ。
「ほらほら、そろそろ花が開くぞ。希望を聞いてやるんだな……では!」
 言ってフェンリルはそそくさと消えてしまった。
 おい……
 おいおいおい……
 私一人で面倒を見ろと?
 チラリともうすぐ花弁を開こうとしている花を見つめてスペンサーはため息が出た。このホープというのは人々の希望を栄養として大きくなり、花を一つ付ける。だが希望というのは良く言って希望だ。この隠し事を誰かに聞いて欲しいが、話せない。だが話したいというのも当然希望に含まれる。
 要するに名前こそホープとはいえど、この花は己の蔓の中に取り込んだ人間の望みや希望、恨みや嫉みなどを吸収し、花を付ける。この花が開くと、大きな口だけが花弁の真ん中にあり、集めてきた情報をベラベラと話し切ってしまうまで枯れないのだ。しかも悪いことに情報を話させずに処分してしまうと、情報を取られた人間が暫く痴呆の症状を表す。
 ある意味、恐ろしい花だ。これはかなり昔の戦闘では良く情報収集の為に使われた花だった。欠点はどうでも良いことまで拾ってくるのが問題なのだろう。
 しかも聞き手がいないと絶対に話さないのだから困った花なのだ。だからといってルースに話を聞かせるわけにはいかない。もちろん、他の誰にも代わりに聞かせるわけにもいかないのだ。秘密というのは聞かずに置けば良かったと言うことの方が多いから。
 チラリと花に視線を移すと。紫の蕾が波打ち始め、とうとう花弁を開いた。するとその真ん中に大きな口が出現した。
「ぱんぱかぱ~ん……発表します。つうかその前に、わらわの話を聞いてくれるのはそちか?」
 唇だけがぱっくぱっく動いてそう言葉を発した。目もないのにどうやって人がいるかどうか判断しているのか謎の花だ。
 ……はは……
 あの……
 馬鹿狼め……
 涙ながらにスペンサーは花の前に椅子を引き寄せて腰をかけると、朝方まで愚痴を聞かされた。
 しかも……
 世間の人々が愛の告白をしている幸せな日に。

―完―
タイトル

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