Angel Sugar

第2夜 「バレンタインの恐怖」 (バレンタイン企画2003)

タイトル
 トシは今年に入ってから、絶対にリーチにバレンタインの日を渡さないぞと心に決めて上手い具合に自分のプライベートの週にもってくることに成功した。
 もちろん、リーチの機嫌は二月に入ってから毎日悪い。どう計算しても自分のプライベートとあわないからだ。もっとも、日にちを計算して絶対に週をずらさなかったから、今回ばかりはトシの勝ちだろう。
 なにをプレゼントしようかと考えつつ、やはりまずはチョコレートだとトシは自分のプライベートの週に入ってから毎日考えていた。手作りがいいのだろうが、スキルがない。では、買えばいいのだろうがそれでは芸がない。
 トシはギリギリまで悩んで結局バレンタイン当日を迎えることになった。

 朝から科警研に出かける用事があったため、資料をもってトシは恭夜を訪ねた。恭夜のいる法二の課へ入ったものの、探している相手は見あたらない。すると三上という男性が利一を知っているのか、笑顔で迎えてくれた。
「恭夜さんなら、法一で遊んでますよ」
 知り合いでもないのに、三上はやたら笑みを顔に浮かべて、少々トシは気味が悪かった。
「え、遊んでいるんですか?」
「済みません。語弊がありましたね。違います。マスクを作る新しい機械が入ったとかで、見に行っているんですよ。良かったらそちらに回って貰えますか?」
「分かりました。法一を覗いてみます」
 妙に嬉しそうにしている三上に、とりあえず礼を言って、トシは法一へ回った。すると、確かに恭夜は法一にいて、妙な椅子を眺めていた。周囲には数名の職員がいて、同じように眺めている。
「恭夜さん。こんにちは」
 トシが声をかけると、驚いた顔で恭夜は振り返った。
「うわ。なにしにきたんだよ……」
「そんなに、驚かなくても……。こちらに用事があったので、伺ったんですよ。ですが、ここまで来たら恭夜さんに挨拶くらいしておこうと思いまして……」
 ははと笑ってトシが言うと、恭夜はどこか照れたように鼻の頭を掻いた。
「そか。ご苦労様」
「ところで、みなさん集まってなにをされているんですか?」
 歯医者で見るような椅子が置かれていて、サイドテーブルのような四角い箱が二つ置いてある。椅子の上には犯罪者が好んで被るようなマスクが放置されていて、皆が興味深げに眺めているのだ。気にならない方がおかしい。
「あ、そうだ。隠岐がやれよ」
 突然、恭夜は声を上げて、嬉しそうに言う。
「私?私がなんですか?」
「まあまあ、いいから、こっちに座れって」
 トシは恭夜に手を掴まれてグイグイと引っ張られ、とうとう妙な椅子に座らされた。
「あの……」
「そうか。隠岐が実験台か。これは面白いかもね」
 年輩の職員がほくそ笑むように笑う。他の職員も笑いを堪えているのが不気味だ。
「あの……わあっ!」
 いきなり恭夜によって、頭からマスクを被さられ、トシは息が詰まりそうになったが、鼻のところだけ穴が開いていて、窒息することはなかった。
「あのう……だからこれ、なんです?」
「隠岐。目を瞑っていろよ。まあ、開けていても問題はないけどさあ。ちょっと冷たい感触がするかと思うけど、すぐ終わるから……」
 恭夜ががちゃがちゃとなにか音をさせているのだが、マスクを被ったトシは視界を遮られているために、なにが行われようとしているのか想像すらできなかった。
 暫くするとブーンという音が鳴り、首まで被されれているマスクが膨らみ、顔全体を圧迫する。
「な……なんです!これ……」
「黙ってないと、妙なのができあがっちまうぜ~。静かに口を閉じてろよ」
 いわれたとおりにトシは口を閉じていると、急にヒヤッとした感触を顔全体に感じ、益々圧迫感が強くなる。
「う~」
「死ぬことはないって。まあ、死んだ奴に使うのが普通なのかも知れないけどさ。あ、新品だから、死体に使ったことはないから安心しろよ」
 恭夜はそう言って相変わらず笑っているのが聞こえる。
 冷たい感触と圧迫感を我慢していると、今度はどろりとしたなにかが固まっていくような強張りを頬に感じ、それが顔全体に及んだ。閉じた目を開けようとしても、カチカチになっているなにかが顔中にひっついている感じだ。
「そろそろだな」
 上から被ったマスクだったが、横がマジックテープになっているのか、びりびりという音と共に顔から剥がされ、トシはようやくホッとした。だが、頬が妙に突っ張っているような感じが残っていて、トシは思わず手で顔を擦った。
「気持ち悪いですね。それ、一体なんですか?」
 先程まで被っていたマスクを恭夜は机に置いて、脇についていたファスナーを引き上げていた。機械の周りにいた職員も、そのマスクに釘付けだ。
「……ですから……あの、それはなんでしょう……」
 もう一度トシが聞くと、恭夜は肌色をしたゴムをこちらに見せる。
「じゃ~ん。隠岐のデスマスクだ~」
「はあ?」
 椅子に座ったまま、トシが驚いているのだが、職員たちは恭夜の持っているゴムを見つめながら唸っている。
「なるほど。随分と簡単にできるようになったんだな」
「作業の短縮にはいいかもしれませんね。ただ、値段が高いですよ」
「……あの……それで、デスマスクがなんですか?」
 輪になって討論している職員にトシが声をかけると、恭夜がこちらに歩いてきた。
「この機械さ。デスマスクを瞬時に作ってくれるんだ。今までは型を取ってから、石膏を流し込むって二重の作業が必要だったんだけど、こいつは一度で終わり。しかも一瞬でできあがるんだってさ。今朝、医療メーカーが持ってきたんだけど、誰もやりたがらなくてさあ。そこに隠岐が都合良くきたってわけ」
 ははっと笑って、恭夜は言った。
「……嬉しくないんですが……それ」
「まあまあ。死体に使った後じゃないんだから、いいだろ。滅多にこんな体験できないぜ。ほら。隠岐のデスマスクだ。記念に持って帰れよ」
 ベロリとしたゴムを渡されたトシだったが、なんだか、死人のような表情にできあがっていて気持ち悪い。
「え……いいですよ。ご遠慮します」
 グイグイと恭夜の手を押しやってトシは苦笑した。
「持って帰らなかったら、こいつ、さらしものになるぜ。あ、欲しがる奴らもいるかもしれないけどな。俺の課の三上とか……」
「三上さんがどうして欲しがるんですか?」
「あいつ、隠岐のファンだからな。ファン心理ってそういうものだろ?寝るときも抱きしめてそうだぜ。いいのかよ」
 その恭夜の一言に、トシは自分のデスマスクを奪い取った。こんな気味の悪いものを大事にされるのは、何となく嫌だったのだ。
「帰りますっ!」
 カツカツと靴音を響かせてトシは出口へと向かった。恭夜が「金はいらないからなあ~」と叫んでいたが、振り返ることなく科警研を後にした。  



 夜、仕事を終えて、一旦コーポに戻ったトシは、カバンから例のデスマスクを取り出した。本当はゴミ箱に速攻突っ込んでしまいたかったが、警視庁にあるゴミ箱に捨てるわけもいかず、結局持って帰ってきたのだ。
 テーブルの上に放置したデスマスクは、能面のような表情で、どう見ても気持ちが悪い。
『……なあ。これ、どうするんだよ。おまえさ、さっさと捨てないからこんなものうちにもってかえることになったんだぜ。自分の顔なんだろうけど、表情がないだけに気持ちが悪い……』
 幾浦のうちに行く前に、なにかチョコレートで作ろうとキッチンで菓子の本を読んでいたトシはリーチの声に顔を上げた。
「五月蠅いなあ……。その辺に捨てられないしさあ……。こっそりゴミに紛れさせて月曜の朝に捨てるってずっと話してるだろ。これ、ゴムだから燃やせないしさあ。もういいから黙っててよ。僕はチョコレートと格闘してるんだから……」
 デスマスクの隣に、ボウルと買ってきたチョコレートの山や計量器を並べてトシは唸っていた。
『……近所のおばさん連中に見つかるなよ。あとが怖いからな……』
「分かってるって……。あーもう……どうしてこう、バレンタインのチョコって複雑なんだろう……」
 生まれてこの方、菓子など作ったことがないのだ。もちろんそれはリーチも同じで、普通に野菜を炒めるようにはできない。
 菓子の本には確かに簡単にできると書いてあるのだが、どれを見てもよく分からないのだから仕方ない。
「どうしようかなあ……」
 デスマスクをチラリと眺めて、トシはため息をついたが、ふといいことを思いついた。
「あ、そっか。いいこと思いついた。これだったら簡単だよね」
『なに作るんだ?』
「え、えへへ。あのねえ、デスマスクを使うんだ」
 トシの声にリーチが絶句していた。
『なんだって?もう一度言ってくれよ……』
 素っ頓狂な声を上げてリーチが言う。どうしてそんな声を上げているのかトシには分からない。
「だからさ。せっかく作ってもらったんだし、あれを使ってみようと思って。そのまま捨てるのも勿体ないしさ。お菓子の本に書いてあるチョコなんて、どこにでもあるようなものばっかりだから、変わったものが作りたいんだ。顔のチョコなんて、どこにもないし、型はあるから簡単で、恭眞をびっくりさせられると思わない?」
 トシは嬉しそうに話しているにもかかわらず、リーチは何故か暫く口を閉ざしていた。
「……なに黙り込んでるの?」
『……いや。なんていうか……なあ。俺が煽ったんじゃないからな』
 リーチは困惑しているようだ。
「なにそれ……」
『俺でもちょっと、考えつかないなあと思っただけだって。いや、一瞬は考えたけど……。なんにせよお前がしたいって言うんだから、好きにしたら?俺はしらねえ。さあて、寝るかな……』
 トシが引き留めるまもなくリーチはスリープしてしまった。
「……なんだよ。僕はすごいアイデアだって思ってるのにさ。絶対、変わっていて、目立つと思う」
 幾浦は去年、会社の女性社員から沢山のチョコをもらってきていたのだ。どう見ても本命だと思わせるような包装のチョコレートを偶然みたトシはあまりいい気がしなかった。一番ショックだったのは、自分が用意したチョコと同じ銘柄で、更に同じ包装のチョコレートがあったのだ。
 そういった事情から、今年は人と違うチョコを用意したかった。ただ、菓子を作るスキルがないために困っていたのだ。
「鼻のところは穴が開いているから、なにかで閉じておかないとチョコが流れちゃうなあ……あ、そっか。内側にラップを被せてそこに流し込めば簡単にできるよね~」
 一人呟きつつ、トシはデスマスクの内側にラップを張り付け、それを終えると手鍋にチョコを割り入れ、コンロに火をつける。
 焦がさないよう細心を払って弱火でゆっくり溶かし、香りを引き立てるためにブランデーを混ぜた。
 チョコが全て溶けると、艶を出すために暫くゴムべらで混ぜ、熱が若干冷めた頃を見計らってデスマスクの内側にチョコを流し込んだ。量が足りないのは分かっていたために、デスマスクの両端を持って左右に揺らす。これでチョコは均等になるだろう。
 トシはじっとチョコが固まるのを待ち、ウロウロとデスマスクを持って狭いキッチンを往復した。
 これを見た幾浦が一体どんなふうに喜んでくれるだろうかと、そればかりトシは考えてしまう。
 でも……
 これって僕の顔だから……
 ちょっと食べられるのを想像すると恥ずかしいかも。
 だけど、いつだって僕は恭眞に食べられてるし……
 と、そこまでトシは考えて、一人で顔を赤らめた。
 ぼ……僕、なに考えてるんだよ~!
 恥ずかしい~。
 照れた顔を冷ますように深呼吸をして、デスマスクを見ると、ちょうどいい感じにチョコが固まっていた。
 トシはテーブルにデスマスクを置いて、ラップの箸を掴み、そろそろと持ち上げた。すると立派なチョコマスクができあがっていたのだが、ラップの皺が沢山チョコの表面についていて、少々不気味だった。
 ……なんだか。
 想像していたのとちょっと違うかも……。
 皿に置いたチョコマスクを眺めながら、皺をどうやって取ろうかとトシは腕を組んで考え込んだ。気にしなければいいと言えばそれまでだが、頬や鼻のあちこちに皺が入っているのは、とても綺麗なものとはいえない。
 あ……!
 そっか~。
 熱い湯で絞った新しいタオルで顔を撫でたらいいんだ!
 トシは、引き出しから新品のタオルを取り出し、ポットからボールにお湯を入れた。それだけでは熱すぎるために水を入れて冷ます。やや、熱いと感じるくらいになった湯にタオルを入れて絞り、そろそろとチョコマスクの表面を撫でた。すると表面のチョコが溶けて皺がとれた。
「やった~!」
 つるりとしたチョコの表面を眺めながら、トシは笑みを浮かべた。あとは買ってきた箱に詰めて包装し、リボンを付けるだけだ。これで完璧なバレンタインデーのプレゼントとなるだろう。
 トシは幾浦がどんな風に喜んでくれるかと想像しつつ、チョコマスクを箱に入れた。



 幾浦が室内の時計を見ると、約束の時間より一時間ほど過ぎていた。今までぼんやりとビデオを見ていて時間が随分と過ぎていることに気が付かなかったのだ。仕事でも入ったのだろうかと、幾浦が机の上に置いていた携帯を掴んだ瞬間、来訪を告げるベルがなった。
 ベルに反応して先に走り出したアルを追いかけように幾浦はこたつから身体を起こして立ち上がると、玄関に向かった。
「ごめん。遅くなっちゃった……あ。アル。今晩は~。今日は荷物を持っているから飛びかかってこないでね」
 大きな紙袋を抱えてトシはアルに話しかけている。アルも分かっているのか、お座りの状態で尻尾をグルグルと回していた。
「いや。仕事か?」
「ううん。チョコ作ってたんだ」
 童顔の顔を笑みで染め上げたトシの顔が可愛くて、幾浦は今すぐにでも抱きしめてやりたくなったが、その衝動を抑えた。見ていたビデオが恋愛ものが絡んでいたサスペンスだったせいか、丁度セックスシーンの場所でトシが来たのが理由だろう。
 とはいえ、あまりがつがつしたところを幾浦はトシに見せたくなかった。
「ああ、そうだったな。今日はバレンタインだった……」
 今、気が付いたように幾浦は言う。
「あれ~。恭眞のことだから会社で一杯もらったんじゃないの?」
 玄関を上がり、トシは不審な目を向けてくる。
「今年はもらわなかったなあ……。去年、お返しもしなかったことだし、恋人がいることは公言しているから、義理すら渡さす気にならなかったんじゃないかな。そういえば、確かに今日は部下たちがそわそわしていたが、バレンタインか……」
 白々しいと思いつつも、幾浦はそう言った。
 去年、会社で処分するわけにもいかずに、自宅に持って帰ったチョコをトシに見つかったのだ。あのときムッとさせたトシの顔を幾浦は忘れられない。嫉妬してくれているのは嬉しかったが、トシには珍しく、暫く機嫌が直らなかったのだ。またそんな目に幾浦もあいたくなかった。
「へえ。そっか。女の人って、結構シビアなんだ。仕方ないから僕がプレゼントしてあげるよ!はい。これ。僕が作ったチョコ」
 リビングに向かう途中で幾浦はトシから紙袋を渡された。軽いだろうと思って気軽に持った瞬間、ずっしりとした重みを指先から幾浦は感じた。
「ありがとう。トシだけだな。私のことを見てくれているのは……」
 重いと思ったことは口にせず、幾浦は照れているトシの頭を撫でた。
「手作りなんだっ!早く開けてみてっ!」
 リビングに入った瞬間、トシの方がわくわくした表情を見せて、幾浦をせき立てる。
「嬉しいな……。トシが作ってくれたのかきっととても美味しいに違いない」
 紙袋から綺麗に包装された箱を取り出し、リボンを解いて幾浦は上蓋を開けた。するとそこには、信じられないものが入っていた。
「……」
「すごいでしょ!これ、僕の顔だよ。こんなの世界のどこにもないよね」
 トシはこたつの縁を掴んで妙に興奮しているのだが、幾浦はどう答えて良いのか分からなかった。
 チョコは、言われてよく見ると隠岐利一の顔をしているのだが、表情がなくて能面のようだ。どうやって作ったのか分からないのだが、どこか苦悶の表情をしていて、かなり気味が悪い。とはいえ、トシは嬉しそうに褒められるのを待っていた。
 これは……
 褒めてやらなければならないんだろう。
 ……どうせまた。あいつが煽ったんだな。
 幾浦はリーチがトシを言葉巧みに騙してこんなものを作らせたと思い、沸々とした怒りが沸いてきた。いつだってリーチは幾浦が困惑するようなことばかりトシにさせるのだ。もしかすると、スリープしていると嘘を付き、幾浦の様子を窺っているかもしれない。
「すごいな。トシ。本当にこれは世界で一つしかないだろう。素晴らしいバレンタインのチョコだ」
「あ、やっぱり、そうだよね!そう思うよね。実はさあ、リーチは嫌そうにしてたんだ。僕はすごいアイデアだと思ったんだけど……。だから他の人から見たら変なことなのかと思っちゃった。でも、やっぱり恭眞は喜んでくれるんだね!恭夜さんに感謝しないと……」
 恭夜?
 どうしてここに恭夜の名前が出てくるんだ?
「恭夜がどうしたんだ?」
 幾浦はトシに腹立ちを気取られないように笑顔で言った。
「うん。今日ね。科警研に用事に出かけたんだけど、そこで恭夜さんにあって、これの型を取ってくれたんだ」
 どうして余計なことをするんだ!
 一瞬、今から恭夜を呼び出して怒鳴りつけてやりたい気分に駆られた幾浦だったが、もちろん表情には出さなかった。
「そ、そうか。恭夜がな……。私はてっきり、トシが溶けたチョコレートの中に顔を突っ込んだのかと思ったよ」
 考えるとこれも、恐ろしいやり方だろうが、一瞬、真面目に幾浦はそう思ったのだ。
「そんなの、火傷しちゃうよ……」
「まあ、まあな……」
「恭眞はあんまり甘いもの好きじゃないの知ってるから、食べなくてもいいよ。飾ってくれてもいいし……。あ、でも。チョコだから、飾ってたら溶けちゃうかも……。ううん。チョコってさあ、時間が経つと中の油分が白く浮いてくるしさ……。あ、どっちでもいいよ。飾ってもいいし食べてくれても僕は嬉しい!」
 飾る?
 これをか?
 それで、チョコの表面が白くなるのか?
 違う。
 面の表面が白くなってくるのか?
 そ、それはちょっと……
「い、いや。食べる。時間をかけても食べるよ。せっかくトシが作ってくれたんだからな」
「わあっ。ありがとう、恭眞」
 尻尾でも生えていたらトシはグルグルと回していたに違いない。それほど嬉しそうにしていた。
「それより先に食べたいものがあるんだが……」
 グイッとトシを引き寄せて幾浦は囁くように言った。するとトシの頬が赤く染まる。
「……え……え……あの……うん。いいよ」
 幾浦はトシの身体を速攻に抱き上げると、寝室へと走る。ベッドに下ろして「忘れ物をしたから、ここで待っていてくれないか?すぐに戻ってくる」と苦しい言い訳をすると、またリビングに戻った。
 すると、こたつの上に置かれた例のチョコマスクをアルがじ~っと覗いていた。だが、アルの鼻の頭には皺が寄っていて、半分牙が見えている。その様子は、怒っているわけではないが、かといって喜んでいる様子でもなかった。
「アル。主人としてお前に頼みがある」
 幾浦が言うと、アルは両前足をこたつの上に置いたままこちらを振り返る。相変わらず鼻に皺を寄せたまま嫌な顔をしていた。
「お前は甘いものが好きだったな。よし。お前にそのチョコをやるから、私がもう一度ここに戻ってくるまでに、綺麗さっぱり跡形も残さず、食べてくれ。いいな?」
 その言葉にアルは唸ることはなかったが、益々鼻に皺を寄せて牙を剥き出しにしていた。嫌だといっているに違いない。
「そんな顔をしても無駄だ。分かったな。これは主人としての命令だ。戻ってきたときにお前を、演技で少しばかり責めるかも知れないが……その……なんだ。許してくれるか?私も……困った立場になっているんだよ。賢いお前のことだから、分かってくれるだろう?とても私はそのチョコを食べられそうにない。少しずつトシの顔が欠けていくなど私には耐えられないんだ。トシの顔だぞ。私の恋人だぞ。分かるだろ?この気持ちが」
 アルは「グルル」と唸って牙を剥いたまま、目まで三角にしていた。
「なら、アルはこれを室内に飾ってもいいのか?どうあっても私には食べられない。飾るしかないだろう。ああ。それでもいいぞ。だが、お前は毎日うちにいて、チョコの面を眺めて暮らすことになる。そのうち、白い粉が浮いてきてもっとすごいことになるらしい。そんな恐ろしいものがお前を見つめる日が続くんだ。だが、トシの顔だ。トシの顔が恐ろしい顔に変貌していくんだぞ。どうだ、嫌だろう」
 幾浦が一気に話すと、アルはチラリと箱の中を覗き込んで「う~……」と、唸った。やはり分かっているようだ。
「まあ、いつもはそう言った甘いものは駄目だとお前に言い聞かせてきたが、今日は許す。食べていいぞ。たらふく食べてチョコを堪能しろ。あと、私の言うことを聞いてくれたお礼に、毎日お前の好きな『人間も食べられる!でも、実は犬専用手作りおやつ♪』のシリーズを全部買ってやる。毎日食後に好きなだけたべさせてやるから……それで頼まれてくれないか?」
 幾浦が頼み込むように言うと、アルはようやく鼻に寄せていた皺を戻していつも通りの顔になる。弱々しいが、尻尾を左右に振っているところを見ると了承してくれたのだろう。
「頼んだからな。綺麗に、残さず……食べてくれよ」
 アルの気持ちが変わらないうちに、幾浦はリビングを後にした。



 トシがベッドの端に座って待っていると、幾浦が戻ってきた。
「なに?忘れ物かなにかあったの?」
「あ、いや。煙草を消し忘れていたのを思い出したんだ……」
 言いながら幾浦はトシの身体をベッドに倒す。覆い被さってくる幾浦の体重が身体にかかるとトシは自然に両手を幾浦の背に回す。自分より広くて厚い背中は、こうやって触れているだけでトシは安堵する。
「でも、結構長かったよ……ん……」
 口元を掬われて、甘いキスにトシは酔った。幾浦の舌は自分のものより肉厚で、吸い付かれたり、絡められると、堪らない快感が身体を襲う。
「……ん……んん……あっ……」
 胸元を彷徨っていた幾浦の手が、いきなりトシの雄をズボンの布と一緒に握ってきため、思わず口元をずらせた。
「トシのここは、まだ柔らかいな……」
 幾浦はトシの耳元で甘く囁き、耳朶を噛む。
「や……まだ……っ!」
 ズボンという布に包まれるようにして揉み上げられると、いつもと違った甘美な痺れがトシの下半身を覆う。触れている幾浦の指先が、柔らかい部分をグリグリと弄くるのだが、いつもは痛みを伴う仕草が、間に布があるために、強い刺激程度に感じる。とはいえ、痛みのすぐ後に来る快感は、言葉にできないほど心地よく、トシは今の状態で触れられるよりも直に触って欲しかった。
「恭眞っ……あっ……」
 擦れる布が摩擦で熱く、幾浦の指先で鍛えられ、力のなかった部分が固くなってくる。急激に高まる身体が、まだ失われない理性だけを置いてけぼりにして、トシは不安な気持ちにもなった。
「……ねえ、ねえって……なにかあった……っ!」
 トシのズボンのファスナーを下ろすと、幾浦の手が中に入ってきた。驚愕したような表情をしていると、幾浦が苦笑する。
「今夜はトシを何度でも貪り尽くしたい気分なんだ。変だろう?」
「えっ……貪るって……」
 トシは幾浦の言葉に顔が真っ赤になった。貪り尽くしたいと言われると、あんなことやこんなことまでしようと幾浦が考えているのだろうかと、想像だけがたくましくなるのだ。
「トシ……手でイカせてやろうか?それとも口の方がいいか?」
 幾浦は手の中でトシの雄を弄びながら、意地悪そうに言う。
 どっちって聞かれても……
 ど……
 どうしよう~
「ぼ……僕は……どっちでも……いいけど……あっ!」
 どことなく気弱な口調でトシは答えると、幾浦はギュッと手の中のモノを先端から握りしめ、ジワジワと根元へと移動させる。下に向かって絞られていくような感触は、トシの快感を揺さぶって、吐き出す息も熱くなっていく。
「……あ……恭眞っ……あ……」
「手より口の方が気持ちいいと思うぞ。トシも好きだろう?私の口は……」
 心の中では確かに口でしてもらいたいかなあ……と、思うトシだったが、そういうセリフを言葉に出せないのも、またトシだ。照れくさい、恥ずかしいというのが一番の理由だった。 
「……僕は……恭眞とこうやっているだけでいいんだ……あーーっ!」
 根元を更に締められてトシは一気に駆け上ってくる快感に身体を捩らせる。
「私は……口で舐める方が好きだな……」
 額と頬にキスを落とし、幾浦は身体ずらせると、先程まで手の中で弄んでいた雄を外に引きずり出して口に含んだ。
「恭眞っ……あ……」
 幾浦の舌は先端の一番敏感な部分を何度も舐め上げてから、根元まで口に入れる。ぬらぬらとした舌が雄に巻き付いて、湿った感触と温かい口内の体温が感じられて、トシは快感に耐えるようにシーツを掴んで皺を寄せた。
 何度も吸い上げられた雄は、幾浦の口内で益々鍛えられ、舌に翻弄されつつも存在感をアピールするようにビクビクと震えている。トシ自身、自分では制御できない部分だが、幾浦の口内で動いている雄が恥ずかしくて堪らない。普段は押さえている己の欲望を晒されているような気がして仕方がないのだ。
「……や……やだっ……あ……」
 身体中が羞恥で真っ赤になって、ゆでられているような気分に陥る。トシがそんな気持ちに駆られているのを知っているはずなのに、幾浦は己の行為を止めようとはしなかった。もちろん、こんな状態で口を離されてしまったら、トシはどうしていいか分からない。
「あっ……駄目だって……っ!」
 ぐちゅぐちゅという粘着質な音を立てながら、幾浦はトシの雄を解放しようと口を上下させていた。抵抗するのは声だけで、身体にまで及ばない。脚を動かそうとしても下半身が震えて全く言うことを聞いてくれないのだ。
「恭眞っ……ひっ……あ……」
 いつもより強く噛まれ、トシは息が一瞬止まりそうになった。すぐさま息をすることができるようになったが、沢山吸い込むことが困難で、短い間隔で吸ったり吐いたりを繰り返す。
 身体を支配する快感は下半身から全身へと伝わって脳を刺激し、クラクラと目眩に似た現象に襲われる。心地よいのだが、人間はそれを越えると、自分が一体今どこにいるのかも分からなくなるに違いない。
 トシは幾浦と抱き合って初めてそれをしったのだ。
「……っあ……!」
 グッと根元まで含まれて、きつく吸い上げられたことでトシの欲望は弾けた。幾浦は漏らさず嚥下し、満足したように小さな息を吐いた。
「……恭眞……あ……」
 イカされたことで、急に力が抜けたトシはグッタリとベッドに身体を伸ばしていた。それをいいことに幾浦はトシのズボンや下着を下ろして床に落とすと、両膝を抱えて隠されている部分を覗き込んでいた。
「……や……なっ……何を見てるんだよっ!」
 靴下だけになった両脚を動かして、トシは抗議する。
「トシの可愛い部分だよ。……ああ、ヒクヒクしている……」
 嬉しそうに言って、幾浦は指先でツンツンと突いてくるのだが、妙なポーズを取らされているような気がしたトシは、両手でベッドを叩いた。
「そんな風にみないでよっ!」
 トシが再度抗議すると、幾浦は持っている脚の脛に舌を這わせてそのまま膝まで愛撫してくる。
「……ひっ……」
 膝や太股を舐めながら、幾浦の指先は相変わらずトシの窄んだ部分を弄っていた。指先は周囲の窄まりをほぐすように動き、時折、軽く中へ入ってくるのだが、奥には触れず入り口付近で出たり入ったりを繰り返していた。
「そういえば、トシがこう、シャツを羽織って靴下だけを履いた姿は、いつもより扇情的に見えるのはどうしてだろうな……」
 くすくす笑う幾浦に、トシは涙目になった瞳を向けて睨んだ。もちろん快感で濡れた瞳で抗議したとしても通用などしない。それが分かるように幾浦は愛おしそうな視線をトシに向けてくるだけだ。
「ここも可愛がってやりたいが、さすがに濡らすものがないときつそうだな」
 言いながら幾浦は、蕾を弄っていた手を自分のポケットに入れると、なにやら丸い缶ケースのようなものを取り出して、蓋をあけた。
「……なに?」
「気持ちよくなるおまじないだよ……」
 幾浦が言い終えるまでに、トシは下半身になにやら冷えたゼリーのようなどろりとしたものが垂らされたことを、伝わる感触で知った。身体をやや起こして見ると、己の下半身が半透明のねばねばしたもので濡れていた。
「……え?」
「専用のローションを使うと、固い場所がすぐに柔らかくなるそうだ。気持ちいいだろう?」
 ヌルリとしたものが窄まりから奥へと入り、それがローションに濡れた幾浦の指先だとすぐにトシは気が付かなかった。
「……や……なんか……ヌルヌルする……」
「私のモノが入ったら、もっとヌルヌルするよ……」
 楽しそうな幾浦だったが、トシは引きつった笑いしか返せなかった。
「恭眞って……あっ……!」
 入れられた指は、早くも二本になってトシの内部で蠢いた。狭い内側を押し広げようとしている指先は、内部の襞を擦りながら交互に動かされ、そのたびにチュプっという粘着質な音が響く。静かな寝室であるのに、自分の荒くなった息と、弄られている部分から出ている音だけが異様に大きく聞こえてトシは羞恥に耐えた。
 疼いている身体の奥が、トシは自分でも分かる。指先ではなく幾浦の鍛えられた雄に貫かれたいと身悶えている。
「トシのここは……抜こうとすると、絡みついてくる」
 笑いを含んだ声に、トシは身体が捩れそうなほど恥ずかしかった。自分ではどうにもできない部分の話をされても、答えようがないのだ。自分の隠している欲望をさらけ出されたような気がして、穴があったら入りたい気持ちに駆られるのだ。
「や……ああっ!」
 先程まで大きく動かされていた指先が、急に小刻みに動き出し、襞をコリコリと擦って振動する。そんな幾浦の指に内部の襞が絡みついて離そうとしない。指先が手前に引かれただけで、快感を求めるように襞は追いかけている。
 指先が抜かれてしまうと、失われた快感を欲しがって、緩んだ部分はヒクヒクと蠢いていた。それはトシから見えなくても、伝わってくる身体の震えから感じ取ることができた。目の前で見ている幾浦はどんな風に思っているのかトシは気になって仕方ない。
 嫌らしい奴だと思われていないだろうか……。
 そんな、不安すらわき上がってくる。
「トシ……トシのここが動いているな。うっすら開いて熱く熟れた部分が見えるよ」
 ……
 だから……
 見ないで~!
「も、やめてよ。ジロジロ見ないでって言ってるだろっ!」
 シーツに這わせていた筈の手は、羞恥を隠すように今はトシの顔を覆っていた。ただでさえ、両脚を開かされている状態を見るのが耐えられない。さらに、腰を幾浦の膝に乗せ、両脚を曲げている状態など、とても正視できないのだ。
「どうして?私はここも愛しているよ……」
 言って幾浦は、トシの蕾を舌で舐め上げ、そのまま反っている雄を愛撫する。後ろ側から舐められたトシは、喘ぎと、嬌声を繰り返した。羞恥心すら快感に代わっていく。見られたくないと思いながらも見られていることに満足している自分が確かにいて、もっと欲しいと訴えているのだ。
 トシが言葉にできない代わりに、欲しがっている部分は自らを震わせて幾浦に知らせようとしているだから始末が悪い。
「トシ……入れて欲しい?」
 問いかけてくる幾浦の声がどこか上擦っているようにトシには聞こえた。
「恭眞……っ……あ……」
 トシの雄の根元にある二つのボールを押しつぶしながら幾浦は更に問いかけてくる。
「あっ……あ……そこ……あっ……!」
 刺激に反応して、己の雄が再び勃ってくる。それは左右に鎌首を振りながら、先端から白濁した液を伝わせていて、自ら揺れることで幾浦の目にとまるのを待っているかのようだ。
「……っ、あーーっ!」
 前触れもなく、いきなり幾浦の雄はトシの内部に押し入ってきた。一気に駆け上る快感が、頭の芯をも溶かしてしまいそうだ。残っていた僅かな理性も、かき消してしまうほどの快感が身体を満たして、トシを揺さぶる。
「あっ……恭眞っ……!」
 重量のある肉棒がトシの内部を抉り、悦びに打ち震えて絡む襞を堪能するかのように、最奥で動きを止める。もうそれ以上は入らないだろうというところまで、幾浦は腰をグリグリと押しつけて、トシの快感を刺激する。絡み合う互いの茂みは粘ついていて奇妙な音を微かにさせた。
「トシ……」
 愛おしそうに名前を呼ぶ幾浦に、トシは自らも腰を振って応える。ここまで来ると、羞恥を感じる理性は失われ、どこまでも快感を追い続けるだけだ。愛されている悦びを全身で表すことに何の躊躇いもない。
 慣れない頃は、戸惑いの方が多く、淫らになる自分に何もかも終わってからうじうじと悩んだこともあったが、今は違った。もちろん、乱れていた自分を思い出して、羞恥で煮えてしまいそうな気分にはなるが、それもまた、心地いいのだからトシは不思議だ。
「僕……恭眞のこと……好きっ……」
 ギュッと幾浦の身体にしがみつき、トシは精一杯の言葉を発する。飾り気のない、トシの気持ちがそのまま表される言葉こそが、幾浦の心を掴んで離さないのだと、トシは知らなかった。
「トシ……私もだよ……」
 幾浦はトシの額にキスを落とし、頬や、首筋に舌を走らせる。そうしている間も、幾浦の腰は大きく動かされて、トシの快感を満足させていた。
 狭い内部を押し広げるように入ってくると、鈍痛と快感が混ざり合うようにして身体を満たして、腰が引かれると全てが、疼きだけがその場に残る。求めても求めても、完全に満たされないのは、欲望を感じる部分に際限がないと言うことなのだろう。
 トシは、自分が幾浦と幾夜も抱き合って知った、驚くべきことだったのだ。その時は満足できるが、終わってしまうと寂しく思う。いつまでも触れていたい、繋がっていたいと思う、セックスすることだけが好きなわけではない。幾浦に焦がれる気持ちが表れているからなのだろうと、トシは思っていた。
 もっとも、照れくさい、恥ずかしいと感じているのに、こうやって身体を繋げる行為は嫌いではない。真面目一徹だったトシからすると、正反対の考えなのかも知れない。
 いや、セックスは不潔だと考えていたトシの方が、本当の愛情を知らなかっただけなのだろう。愛し合うことがどうして不潔だと考えてしまったのか。
 学生時代のリーチがあまりにも生活を乱していたから、後ろで見ていたトシが間違った考えに取り憑かれてしまったに違いない。
 愛がなくてもできる行為であるのだと、欲望を処理するだけのものだと勘違いしていたのだ。リーチが本当の相手を見つけたときにトシのその考えは少し代わり、幾浦と付き合い抱き合ったことで、ようやくトシは答えを見つけたような気がするのだ。
「恭眞……っあ……そこ……っあ……イイ……」
 唇を震わせて、トシは快感の涙を頬に伝わせた。突き上げられると同時に感じる快感は言葉に表せないほど、甘美だった。内部は摩擦で熱を帯び、非常に熱く感じる。腰の動きに併せて前を擦りあげられて、堪らず漏らした蜜でトシは己と幾浦の腹を濡らした。
「トシ……ここがいいんだな……。ああ。私も幸せだよ……」
 絶え間なく腰をグラインドさせ、幾浦は息の荒くなった声でそう言った。
「……恭眞っ……あ……すごい……っあーーっ!」
 トシはうねるような快感の波が襲い、身体の奥が幾浦の欲望で満たされるのを、遠くなりそうな意識の狭間で知った。



 珍しく食事前に二度も抱き合ったトシは、ぼんやりとしながら隣でうとうとしている幾浦の表情を眺めた。
 いつ見てもほれぼれするような顔だ。 
 顎がしっかり張っていて、くっきりとした輪郭を見せている。今は目を閉じているために分からないが、一重の目は知性的に幾浦を見せているのだ。もっとも、いつも幾浦は知性的だったが。
 リーチはすぐに根暗だと言うが、トシはそんなふうに思ったことなどない。幾浦は寡黙で余計なことを言わないだけなのだ。仕事をしている幾浦は、ほれぼれするほど、クールで身のこなしも落ち着いていて、トシは機会があればもう一度、仕事をしている幾浦を見たいと思っていた。
「……ん。起きたのか?」
 目を細めて、幾浦はトシの額にかかっている髪を愛おしそうに撫で上げた。
「あ、うん」
「お腹が空いたか?」
「まだ……いいよ。こうしていたいから……」
 トシの言葉に幾浦は何故か身を起こした。
「どうしたの?」
「喉が渇いただろう?何か飲物を持ってくる」
 別に構わなかったのだが、幾浦はトシが止めるまもなくベッドから下りて、サイドテーブルに置いてあったローブを羽織ると、寝室から出ていった。
 そんなに運動したのかな?
 ……あ……
 自分で考えたことに顔を赤らめながら、トシは照れていた。
 暫くすると幾浦が慌てた様子で寝室に戻ってきた。飲物を取りに行くと言っていたはずであるのに、手には何も持っていない。
「トシ……すまん」
 いきなり幾浦はトシに謝る。
「なに?」
「お前からもらったせっかくのチョコレートを、アルが全部食べたようだ」
「えーーーーー!……あ、あいたた……」
 驚いて身体を急に起こしたため、鈍い痛みが身体を貫き、トシは腰を押さえて、堪えた。
「こたつの上に置いていたからな……。リビングの方に移動させておけば良かった……。せっかくトシが作ってくれたのに、申し訳ない……」
 必死に作ったことが思い出され、それが一瞬にして失われた事実に、トシは思わずうっすらと瞳に涙が浮かんだ。そんなトシを幾浦はギュッと抱きしめてくれる。
「ああ、悪かった。私が悪いんだ……」
「ううん。いいんだ。アルだってチョコを食べたかったんだろうし……」
 抱きついてきた幾浦を押しやり、トシも自分のローブを羽織ってよろよろと立ち上がる。
「どうした?」
「アルに一言、言いたいんだ」
 あれほど賢い犬が、どうしてそんなことをしたのか、トシにはまだ信じられなかった。
「いや。私が随分怒ったから……あまり怒らないでやってくれないか?反省しているだろうし……」
 幾浦が何となく焦っているように見えたが気のせいだろう。
「ううん。怒ってないけど、一言だけだよ……」
 トシは寝室を出るとリビングに向かった。アルは、ソファーの上に寝ころんでいて、反省しているようには見えない。
「アル……ねえ。アルって」
 トシの声にアルの顔が上がる。
「チョコ食べたんだって?」
 顔をしかめてトシが言うと、アルは視線を逸らせるように顔を横に向けた。一応、反省しているようだ。
 トシはアルの側に近づくと、にっこりと笑って見せた。
「アルだってチョコ欲しかったんだよね。うん。来年はアルにもチョコの香りのついた専用のクッキーをプレゼントするよ。のけ者にされたと思ったから、恭眞にプレゼントしたチョコを食べたんだね?」
 優しく言うと、アルは「くうん」と悲しげに鼻を鳴らした。やはり、アルも仲間に入れてもらいたかったのだ。
「……でも、あんなに沢山のチョコを食べたら、病気になっちゃうかもしれない。明日、動物病院で一応看てもらおうね」
 トシの言葉にアルは歯をむき出した。アルは動物病院が嫌いなのだ。 
「駄目。アルはチョコを食べたんだから、看てもらうんだからね。チョコは型があるからまた作ることができるからいいけど、アルに何かあったら取り返しがつかないだろ!」
 その言葉に絶句していたのは何故か幾浦だった。



 数日後、幾浦がベランダに作ってある小さな庭に肥料を撒いていると、なにやら甘ったるい香りがした。臭いの原因を探すと、土の中からドロドロに変形した、例のチョコマスクが出てきた。
「……」
 犬は宝物を土の中に埋める習性があることを幾浦はすっかり忘れていたのだ。幾浦はこのことを忘れようと、また土を被せて、暫く庭には近寄らなかったという。

―完―
タイトル

なんとなくトシが可哀想なラストを迎えたような気がしますが……。アルも仕方なく隠したということでしょうか? まあでも、トシはエッチできたことだし幸せいっぱいかもしれません。型があることでトシがもう一度、チョコマスクを作ったかどうかは……不明です(笑)。長々と続きましたバレンタイン企画でしたが、おつきあいありがとうございました~。来年は……ジャックの笑いでいきたいと思います(遠い話ですね)。

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