第4夜 「相変わらずのバレンタイン」 (バレンタイン企画2004)
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タイトル
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バレンタインデーなど自分に関係がないと、毎年社内で繰り広げられる浮き立った様子を見ながら戸浪はため息をつく。もともと行事には疎い。しかも興味がないのだから、もらったところでどうしようもない。入社して最初の一年は驚くほどもらったが、お返しという行為を行わないうちに――というより、戸浪が忘れているだけなのだが――もらう数が減った。もっとも、チョコレートを沢山もらったところで食べきれないのだから、ちょうどいいのだ。
そして問題の日――土曜出勤だったのだが――戸浪はいくつかのチョコを持って帰宅した。プレゼントですと渡されて断り切れなかったものだ。
自宅に戻った戸浪が、玄関を開けて中にはいると、ユウマが尻尾をピンと立てて走ってきた。
「ただいま、ユウマ」
黒い身体を抱き上げて、戸浪は頬擦りした。随分、大きくなったがやはり成猫の大きさにはほど遠かった。餌もしっかり食べているはずなのに、身体が小さい。あまりにもユウマが成長しないので、何度か動物病院に連れて行ったが、健康で問題はないと言われた。子猫のときに人間から受けた虐待がこれほどユウマの成長を抑制してしまうのかと思うと、無力な動物に手をかけたどこの誰だか分からない人間に怒りすら覚える。
「あ、戸浪ちゃん、お帰り」
祐馬はキッチンから、顔を出した。
「ああ、ただいま」
「夕食の準備は済んでるから、着替えてきたら?」
いつも通り、祐馬は元気だ。ニコニコとして笑顔が絶えない。祐馬の顔を見ると戸浪は会社であった面倒なことや、手のかかる仕事に対して感じていたストレスが消える。
「そうするよ」
戸浪はユウマを腕に抱きながら、リビングに鞄を置いて、ユウマをソファーに下ろし、クローゼットのある寝室に向かった。
クローゼットはウオークインタイプで、約二畳ほどの広さがある。ちょうど真ん中をカーテンで仕切り、祐馬と共同で使っていた。
戸浪はスーツを脱いで、ハンガーにかけ、辛子色のニットに黒のスラックスに着替えた。だが、祐馬のスーツが掛かっている下方に見慣れない箱が目に入った。箱がやや大きいため、上にかかっているスーツの上着が箱の上部に引っかかって皺になっている。
「こんなところに突っ込むんじゃない。スーツに変な皺が寄るだろう……」
昨日にはなかった箱を引き出して開けると、中からチョコレートの山が見つかった。確か、祐馬の方は午前中だけ本日は出勤していたはずだから、半日でこれだけもらったのだ。
「……どうしてこう、わかりやすいところにあの男は隠すんだ……」
戸浪はげんなりしつつも箱を閉じて、奥へと押しやった。
キッチンに足を踏み入れると、準備が整ったのか、祐馬はシチューを深皿に入れてテーブルに並べていた。戸浪はいつもするように冷蔵庫から缶ビールを取りだして、プルトップを開けた。
「冷めちゃうよ。座って」
妙に浮き足立っているように見える祐馬に訝しげな表情を向けながら、戸浪は椅子に腰を下ろした。
「あ、シャンパンも買ってきたんだ。ビールより先にこっちを飲もうよ」
嬉々としてシャンパンを開けている祐馬が戸浪には不思議だった。
「なあ、祐馬」
「なに?」
「今日は何の祝いだ?」
「どして?」
「シャンパンなんて、滅多に開けないだろ?」
「戸浪ちゃん、今日、何の日か分かってないの?」
バレンタインを差しているのだろうが、どうして男同士でバレンタインという行事が成立するのだ。互いにチョコを交換するのか?それのどこが楽しい?いや、どう考えても不気味だ。
「さあな。休日出勤とは言え、来ていた女子社員は浮き足立っていたが、私には関係ない」
焼きたてのフランスパンをちぎって、戸浪は口に放り込んだ。
「……別に男同士でもいいじゃんよ」
「気味悪い」
「なんで?俺、戸浪ちゃんに買ってきたよ」
「そうか」
あっさりとそう言って戸浪はビールを飲んだ。
「んな~。固いこと言わないで、バレンタインしようよ」
「よせ」
今日は朝からその話題で、社員のほとんどがそわそわし、仕事にならなかったのだ。土曜出勤も滅多にないのに、バレンタインの日であるということだけで招集されたようなものだった。
だいたい、チョコの数を机に並べて数えていたり、仕事が手につかない社員もいて、いらぬ仕事が回ってきたのだから、戸浪としてはいい気分ではなかった。チョコなどいくつもらったと競うものではないだろうし、男の価値を決める訳もないのだ。
「……むう」
祐馬は頬を膨らませて拗ねていた。
「ガキみたいに拗ねていないで、さっさと食べろ」
「俺が買ったのもらってくれないの?」
「……仕方ないな」
「仕方ないって何だよ。俺だって、戸浪ちゃんに喜んでもらおうと思って買ってきたんだから、嬉しそうにもらってよ」
嬉しそうにもらって……って。
だいたい「祐馬~ありがとう。お前から欲しかったんだ~」などと言って、私に抱きついてもらいたいのか。
そんな姿を戸浪は想像して、ゾッとした。
とても戸浪には似合わない。
「戸浪ちゃんって」
「もらうだけもらってやる」
「そういう言い方すんの?」
「朝から、そんな話題ばっかりで、飽き飽きしているんだ。余計な仕事は回ってくるし、男性社員は、もらった数ばかり聞いてくるし、女子社員はトイレにまでついてくる。散々だった」
苛々と戸浪が言うと、祐馬が顔をしかめた。
「なんだ?」
「戸浪ちゃんってもてるんだ?」
ひと箱チョコをもらって隠している男が何を言うんだと、戸浪は呆れるしかない。
「別に。あれは単なる行事だ。どうでもいい」
「俺にはどうでもよくないことだっての。いくつもらってきたんだよ」
「祐馬より少ないな」
ニコリと笑って戸浪が言うと、祐馬は目を見開いて、すぐさま誤魔化すような笑いを浮かべると椅子に座った。
「見つけたんだ」
「わかりやすい隠し方をするな。誰でも見つける」
「俺、戸浪ちゃんみたいに断れないからさあ、くれるものはもらって帰って来ちゃったんだ。ほら、せっかく買ってきてくれたものを断れないし、捨てるわけにもいかないだろ?」
祐馬は優しい男だ。
それは分かっているが、だったら見つからないところに隠せばいい。そういう気を回せないのが祐馬だった。
「そうか。ゆっくり食べるといい」
「戸浪ちゃん、怒ってる?あ、もしかして嫉妬してくれてるんだ?」
「別に」
「だって、怒ってるじゃんよ」
「五月蠅いな。静かに食事をしろ」
戸浪がジロリと睨んで言うと、祐馬は肩を竦めながらテーブルの下から銀色の包みに金色のリボンで飾られた箱を取り出した。
「せっかく戸浪ちゃんに買ったんだから、もらってよ」
おずおずと差し出してきたプレゼントを、戸浪はどうしようかと迷ったが、祐馬がわざわざ買ってきてくれたものだ。突き返すわけにはいかない。
「ありがとう」
「一応、お礼を言ってくれるんだ」
「お前は一言多いんだっ!」
手を挙げそうになった戸浪に、祐馬はトレイで頭を隠す。
「なんだそれは」
「ぼこぼこにされないように、ガードしてんの」
――可愛くない。
「開けてよ」
「食べてからだ」
「んな~。普通恋人からプレゼントをもらったら、すぐに開けてみるんじゃないの?」
椅子をガタガタ鳴らして、祐馬は催促してくる。
「……分かった。開けたらいいんだろう?」
苛々しつつも、戸浪は包装を開けて、中を見た。深い青色を基調とした、シックなネクタイだ。ハートやエンジェルのチョコレートであったら殴り飛ばしていたかもしれないが、こういうプレゼントは戸浪も嬉しい。
「祐馬……ありがとう」
「え……あ、うん。えへへ……」
祐馬は照れくさそうに鼻の頭を掻いている。
今日はチョコレートの話題ばかり聞かされていた戸浪は、チョコという言葉を聞くだけで、眉間に皺が寄っていた。だが、それは会社だけの話で、その苛々を祐馬にまでぶつけるのは筋違いだったのだ。
「私は何も買って……」
「わあ、戸浪ちゃんも隠していたんだ。水くさいなあ……」
「え?」
祐馬がいつの間にか椅子から離れて、ユウマが引きずってきた包装を手に取っている。リビングに置きっぱなしにしていた鞄から、ユウマが爪で引っ掻け、ここまで引きずってきたのだ。ユウマは紐が好きで、リボンの端がくるりと回っているようなものには目がなかった。そして祐馬が持っている包装にユウマが好みそうなリボンがついていた。
「あ、それは……」
「わあ、戸浪ちゃん、ありがとう。隠さなくてもいいじゃんよ」
「いや、だからそれは……」
ひとからもらったプレゼントとは言えず、戸浪は慌てて祐馬から取り返そうとしたが、誤解している祐馬は嬉々として包装を解いた。
「……祐馬……」
「……なにこれ?もしかして戸浪ちゃんがもらったもの?」
じ~っと戸浪を眺めながら祐馬は不機嫌な表情をした。
「いや、鞄に隠して……違う、入れておいたのをユウマが引きずり出したんだ」
「なんだよ。戸浪ちゃんだってもらってきたんじゃないか。俺のプレゼントはすんなりもらってくれなかったのに……ていうか、なんだよこのチケット」
「チケット?」
「ホテルのスイートのチケットじゃんか!誰がこんなの、戸浪ちゃんに渡すの?信じられないよ」
「しらん」
チョコなど誰からもらったかなど、戸浪は覚えていないのだ。しかもロッカーに無理やり入れてあったものもあったから、誰からなのか知らない。とはいえ、思い当たる男はいた。男と言っても四十を過ぎた総務の課長だ。思い出すだけで気味が悪い。
「しらんって……。『よかったら二人で夜空を眺めましょう……連絡を待ってます』って、なんだよこれ!」
祐馬は一人で興奮しているのだが、戸浪にははなからそんな気など無いのだから、別にどうでもいいことだった。
「物好きな男がいるんだろう」
「え、男なの?」
あ、不味い。ばらしてしまった。
「……いや。しらん」
「知ってる奴なんだ。くっそ~むかつく!戸浪ちゃん、今から行こう」
「行くってなんだ?」
「これ、俺たちで使うんだっての」
「は?」
「ほら、早く行こう」
「ちょっと待て……おい、料理はどうするんだ?」
「一晩放っておいても腐らないよ。明日は日曜だし、俺、頑張っちゃうから」
何を頑張るんだ?
「今度、言ってやれよ。恋人と二人で素敵な夜を過ごせました~ってさ」
言ってやれって……。
私が使いましたって話すのか?
どういう想像をされるのかこの男は分かっているのか?
「そんなこと言えるかっ!頑張るのはうちだけにしろっ!」
戸浪が怒鳴って祐馬の手を払う。すると祐馬はなぜか目を輝かせた。
「なんだ?」
「俺、うちで頑張る」
「は?」
「じゃあ、さっさとご飯を食べて、風呂に入ってさあ、ベッドに雪崩れ込もうよ。今晩は、張り切っちゃうもんね~」
なんだか……それも、どうかと思うんだが。
まあ……張り切るのもいいだろう。
そんなことを考えていた戸浪だが、相変わらずの祐馬に戸浪は腰が砕けそうになった。
「戸浪ちゃんが久しぶりにその気になってくれて俺、すんげ~嬉しい」
……。
誰か、この男のムードのなさを教育してくれ。
怒りを内包させながらも、食事を再開したが、次の一言で戸浪は切れ、拳が飛んだ。
「バレンタインとか、なんか行事の日はやるってことに……あいてっ!」
「お前は、毎度毎度やることしか頭にないのかっ!いいかげんにしろっ!」
テーブルをひっくり返すほどの勢いだったが、もちろん戸浪もそこまではしなかった。
祐馬も本気で怒っている戸浪のことを理解しているのか、チラチラと様子を窺うものの、口を開かなかった。
結局、何事もない夜を過ごしたのだが、祐馬が毎回同じことで祐馬を怒っているのと同じように、戸浪も怒鳴りすぎたことを後悔していた。
私たちはいつ、自然に抱き合えるんだ……。
戸浪の憂慮など気づかない祐馬は、何事もなかったようにユウマと無邪気に戯れていた。
―完―
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日にちがずれてしまいました。すみません。せっかくご用意していたのに遅くなりました。とほほ。しかもエロ無しの相変わらずな二人。仕方ないな~こいつらはいつもこうなんだよと温かい目でこのカップルは見守ってやってください(汗)。 |