Angel Sugar

第1夜 「願いすぎの男」 (七夕企画2003)

タイトル
 朝から名執は忙しくしていた。
 今日は七夕で五節句の一つだ。
 天の川の両岸にある牽牛星と織女星とが年に1度相会するという、7月7日の夜、星を祭る年中行事で、本来は、庭前に供物をし、葉竹を立て、五色の短冊に歌や字を書いて飾りつけ、書道や裁縫の上達を祈るらしい。
 名執は葉竹を購入し、短冊も買ってきた。それをサンルームに置いた。今晩はリーチと一緒に自分の願いを書いた短冊を葉竹につけて、空を眺めようと思ったのだ。
 なんとなくロマンティックですね。
 わくわくしながら、ワインを冷やし、ホテルから取り寄せた料理をサンルームに置いたテーブルに並べていく。準備はそろそろ終わるだろう。後はリーチが来るのを待つばかりだ。
 サンルームから、珍しく雲のない夜空を名執は眺めながら、ほうっと息を吐いた。素晴らしい七夕の夜だ。どういう願いを込めようかと朝から名執はそればかり考えていたほどだ。少々子供っぽいかもしれないが、たまにはこういうことも必要だろう。
 綺麗な星の輝きを眺めていると、玄関のベルが鳴った。名執はすぐさま玄関へと走る。
「今日は珍しく早く帰らせてもらったよ」
 リーチはニコニコした顔で靴を脱いでいる。そんなリーチに名執はスリッパを揃えて差し出した。
「先にメールでご連絡を頂いていたので準備はもうできてます」
「準備?なんの?」
 スリッパを履いたリーチは七夕に気がついていないのか、不思議そうな顔を向けた。
「今日は七夕です。一年に一度、牽牛星と織女星とが会えるという素敵な日です。この日はみなさん葉竹に願い事を書いてぶら下げるんですよ」
「あ、そういうの、孤児院でやった記憶がある。なんつーか、一年に一度しかセックスできない可哀想な奴らだな~って思ってたけど……」
 リーチはどこか遠いところを見てそう言った。昔を思い出しているのだろう。
「……リーチ。リーチはそういうことをちいさい頃から考えていたんですか?」
 不謹慎なことを考えているリーチに名執は呆れるしかない。
「俺、早熟だったからなあ……」
 ははと笑ってリーチはリビングの方へと歩き出す。
「……そういう問題なんですね……」
 なんだかよく分からないが、リーチは一人で納得しているのだからいいのだろう。だが、もし自分に置き換えて考えてみると、やはり一年に一度しか会えないのは悲しい。とても満足できそうにない。
 いや……セックスではなくて……。
 自分の考えていることに照れくさくなった名執は急に顔が赤くなった。不謹慎だとリーチに言ってしまったが、名執もよくよく考えるとレベルは同じだ。
「すげ~ごちそうだ……」
 サンルームに入り、リーチはテーブルに並んだ料理を眺めて嬉しそうな声を上げた。こんなふうにリーチが悦んでくれるのを見ると名執は幸せな気分になる。
「奮発しました」
 ワインを用意して、名執がグラスに注ぐ。もちろん、名執の分はリーチが注いでくれた。お互い顔を見合わせてにっこりする瞬間が、ホッと名執はくつろげる。
「そうそう、リーチ。葉竹も用意していますし、願い事を書いてください。私も書きます」
 ペンと短冊をリーチに渡し、名執は言った。
「久しぶりだな……こういうの。なんだか童心に戻った気分になる」
 リーチはペンのキャップを外し、色とりどりの短冊を手に取った。
「……お前、何書くか決めた?」
「私はもう決まってます」
 これだけは絶対に書くのだと心に決めて置いた言葉を名執はサラサラと短冊に書き記す。すると、リーチが横から眺めて嬉しそうに肩を引き寄せてきた。
「ユキらしいなあ……」
「私が一番、望むのはこれですから……」

 リーチが怪我をせず、健康ですごせますように

 薄いピンク色の短冊に書いた言葉を名執は眺めて満足だ。
「俺は……そうだなあ……」
 名執に回していた手を解いて、リーチもテーブルにへばりついてサラサラと何かを書いた。何を書いたのだろうかと、名執がじっと見つめていると、リーチはさっと手で隠す。
「見るなよ」
「え、どうしてですか?」
「書いてからな」
 書いたものを短冊の下に隠してまた何かを書く。書いては下へ差し入れて名執には見えないようにしているのだ。こういうリーチはまたくだらないことを考えているに違いない。
 もう……。
 真面目に書いてくれてるんでしょうね。
 口にしたいが、とりあえずリーチも楽しそうに書いているために名執も自分の短冊を書くことにした。先にリーチの健康を書いたため、次はトシの健康だ。二人とも元気で怪我をせずにいてほしいと名執は心からそう思う。
 あれもこれも、たくさんの希望を書いて、最期に名執はこう書いた。

 いつまでもリーチと一緒にいられますように。

 これでいいですね。
 自分が書き終え、チラリとリーチを見ると、たくさん書いて短冊を積み上げていた。一体どれだけリーチの願いはあるのだろうか。
「リーチ……そろそろ見せてください」
 じーっと向かい側にいるリーチを見つめると、ハッとした顔でリーチの顔が上がる。
「え?」
 とぼけたような顔だ。
 こうなると、リーチは名執が想像もできない驚くようなことをしているに違いない。名執は経験からそれをよく知っていた。
「もう。また変なことを書いてないでしょうね。一応、神聖な行事なんですから、ちゃんと真剣に書いてください」
「俺、真剣だぜ。いや、いつも真剣だもんな~」
 もんな~……という言葉の何処に真剣さが漂っているのか気になるが、これもいつものこと。それでも、名執はリーチが何を書いたのか気になった。
「リーチが書いたものを見せてください。見たいんです」 
 リーチの側に移動して、名執が言うと、ようやくリーチは短冊を見せてくれた。

・ユキがいつまでも健康で、笑って幸せに暮らせますように

 まともだった。
 しかも名執がほろりと来るようなことが書かれている。嬉しくて胸が一杯だ。

・ユキといつまでも一緒にラブラブしていられますように。

 ラブラブはどうかと思うが、気持ちは伝わってくる。これも名執にとって嬉しい言葉だった。

・ユキと一万回以上、セックスができますように。

 ……やっぱり。
 こういうことを書いているんですね。
 どうしてこう、ふざけたことを書いているんでしょう。と、名執は思うが、よくよく考えると別に悪いことではないのかもしれない。これがリーチの本音だと思うと、ちょっぴり嬉しく思えるのが不思議だ。

・じじいになっても性欲が落ちませんように。

 ……は?
 何を書いてるんですか?
 これをぶら下げるんですか?
 チラリとリーチを見ると、まだ何か書いている。
 まあ……。
 確かに中年以降、こう言ったことで悩む方が病院に来られる時代ですから、別におかしくはないんでしょうね。
 名執は諦めに似た気持ちになりながら、もう一枚を見た。

・じじいになってもユキちゃんの性欲が落ちませんように。

 は?
 私もですか?
 ……まあ……
 片方だけ性欲があって、片方が失われているのは悲劇ですし……。って私は何を考えているんでしょう。
 名執は自分で考えたことで顔を赤らめつつ、更に短冊を見た。

・ユキちゃんがいつまでも色気ムンムンでありますように。

 ……謎ですが……
 リーチは何を書いているんでしょう。
 見なかったことにした。

・トシがマグロを脱却できますように。

 なんでしょう、これは?
 マグロってなんですか?
 よく分からないのだが、名執はこれも見なかったことにした。

・幾浦の根暗が治りますように。俺って、いい奴だよな~。

 ……は?
 またこういうことを書いてる……。
 何がいい奴ですか。
 幾浦と仲がいいのか、悪いのか時々名執も分からなくなる。とはいえ、これでリーチは真面目なのだから、書くなと言うわけにもいかないだろう。

・今年はジャックにこき使われませんように。

「リーチ……これ、どなたですか?」
 まだ書いているリーチに短冊を見せると、嫌な顔になった。
「え、俺の天敵。利一モードを保つのに苦労するんだよな……」
 はあとため息をついて、またリーチは短冊書きに専念する。
「……天敵ですか……」
 リーチにそういう人間がいること自体驚きだが、人間誰しも苦手な人物はいる。それがこの男に違いない。
 覚えておきましょう。

・篠原に彼女ができますように。

 ……リーチって。

・大家の取り立てが今年はもう少し優しくなりますように。

「リーチ。家賃を滞納してるんですか?」
 思わず名執は声を上げていた。こう言ったことは話してくれないと名執もどうしようもない。
「え~……ちょっとだけ」
 苦笑いしながらリーチは答える。
「私のカードで払って置いてください。もう、どうしておっしゃってくださらないんです」
「駄目駄目。これは俺とトシの問題だからな。来月にはなんとかなるからいいんだって」
 言い終えるとリーチはまた短冊作りに励む。仕方ない人ですね……と思いつつまだまだ続く短冊を名執は見た。

・今年は新しい鍋を買えますように

「リーチっ!鍋くらい私が買います。うちにあるものでよかったら持って帰ってください。ですから、こういうのは書かないでください」
 思わず名執は叫んでいた。
 なんだか妙に気恥ずかしいことをリーチは書いているのだ。
「え、だって、鍋の取っ手が取れちゃってさあ、俺は捨てろって言うんだけどトシはまだ使えるって言ってきかねえんだよ。今度トシに言ってやってくれ」
 ……トシさんでしたか。
 ……そう言う問題でもないような気が……。
 渋々、名執は次を見る。
 だんだん、生活に直結しているような願い事ばかりになっているような気がしたが、気のせいだろう。

・湯が出ない。出るようにしろ!

 ……なんですかこれは?
「リーチ……湯が出ないってなんですか?」
「あ、おれんちのコーポのことだって。湯が出ないんだよなあ……。大家に言ってもきいちゃくれねえ。疲れて帰ってきてさあ、風呂に入ったら水しか出ないときは、もう、殺意を抱くぜ。全くいい加減いにしないと、拳銃で脅してやるぞ……」
 ブツブツとリーチは言うが、こういうものを短冊に書くものだろうか?
「……業者に手配してください」
 名執にはこう言うしかなかった。

・人殺しすんな!

 ……妙に生々しいんですが……。
 ため息がでそうだ。
 だがこれはとりあえず、リーチの願いなのだろう。殺人課にいるのだから仕方ないと言えば仕方ない。

・人を埋めるなっ!分かるように埋めろ。
・埋めたらすぐに自白しろっ!後が大変なんだっ!お前が掘り起こせっ!
・遺体を川や海に捨てるのはよせ。

 この三連発には名執も参った。
「リーチっ!いい加減にして下さいっ!気持ち悪いですっ!」
「え~……俺の仕事の願いだよ。これでも苦労してるんだぜ」
 反省の色無しとはこのことだ。
「もう駄目ですっ!」
 リーチが抱え込んでいた短冊を取り上げて名執は言った。こういう結果になるとは思わなかったのだ。もっとこう、微笑ましいことを想像していたが、相手がリーチであることをすっかり名執は忘れていたのだ。
「ちぇ。ユキのいぢわる」
 口を尖らせてリーチはふて腐れていた。
 だが名執はそこで終わらせて短冊を全て葉竹につり下げるとリーチにはもう書かさないようにした。これが一番なのだ。

 だが翌日、朝の支度をしようとリビングに向かう途中、サンルームに置いた葉竹が妙に重そうに見えたため、そろそろと近寄ってみた。
 き……
 昨日より増えてる……!
 名執が眠っているうちに、リーチがまた短冊を書いてぶら下げたのだけは分かったが、何を書いてぶら下げたのかまで確認することはしなかった。
 見ない方が絶対にいいと名執は心の底から思ったからだった。

―完―
タイトル

せっかくの七夕ですので、こういう短編を書いてみました。何を考えているんだリーチ! というのはおいて、まあ……いろいろ願いが多いということなんでしょうか? 内容はともかくですが……。突然企画でやってみましたが、またこういうのも楽しいかもしれません。皆様は一体どんな願い事を書かれましたか?

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