第5夜 「心労絶えない男」 (七夕企画2003)
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タイトル
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「売り切れですか……」幾浦は、葉竹を買いに来たのだが、やはり七夕の翌日は何処も売り切れで、短冊こそ手に入れたものの、ぶら下げるものがない。
トシの押しが弱くて七夕当日をリーチに無理矢理奪われたのだからリーチが悪いのだ。今週はトシのプライベートで本来権利があるのはトシだった。
いつものことだが、幾浦は腹立たしい。
何度苦情を言ったところで、リーチは聞き入れないのだ。しかも、こういうときだけ名執も沈黙している。どちらのプライベートかよく分かっているのだから、拒否の一つでもして欲しいところなのだが、名執もリーチを叱ることは難しいのだろう。
それでも幾浦は今日はトシに会えるのだから、気分は良くなっていた。毎度のことだと諦めもあるのかもしれない。
駄目だ。これでは。
いずれ、リーチには一度きつく言わなくては……などと思いながらも幾浦は葉竹を求めて商店街を彷徨っていた。
何か代わりのものでも買って帰らないと駄目だな。
当初、葉竹はトシが用意すると言っていたのだが、突発的に入った仕事があり、今日は買いに出るのが困難だと夕方メールが入っていたのだ。トシの仕事が忙しいことはもともと分かっていたから、快く引き受けたものの、問題の葉竹が何処にもないのだからどうしようもない。
仕方なしに花屋に向かったものの、短冊をぶら下げられそうな鉢植えがない。数件回ったところで季節はずれのもみの木を見つけた。大きさは高さ三十センチほどだ。
どうせ、ぶら下げるものが違うだけで、別に構わないだろう……と、幾浦はもみの木を購入して自宅に戻った。
「恭眞。お帰り。遅かったね」
トシがエプロン姿で玄関まで走ってきた。同じようにアルも尻尾を振って玄関でおすわりしている。
「なんだ。遅くなるんじゃなかったのか?」
驚きつつも靴を脱ぎ、スリッパを履いて玄関を上がる。
「うん。そうだったんだけど、夕方から急に事件が動き出して一気に解決しちゃったんだ。取り調べは明日からで、今晩はもう帰らせて貰えたの」
嬉しそうに笑みを浮かべているトシは、食べてしまいたいほど可愛い。
「そうか、嬉しいな」
「あれ……恭眞。これなに?」
幾浦が持っている袋をトシは覗き込み、もみの木を眺めて怪訝な顔つきになる。
「七夕は昨日だっただろう。だからもう葉竹が売ってなかったんだ。仕方がないから短冊をぶら下げられそうなものを買ってきた。もみの木だと、代わりになるだろう?」
「……クリスマスみたいだけど、売ってないのなら仕方ないよね。ごめん。僕がもっと早くに用意しておけばこんなことにならなかったのに……あっ」
申し訳なさそうに言うトシが何かを思い出したように声を上げた。
「どうした?」
「……今日の夕ご飯なんだけど……」
視線を外しながらトシは顔を赤らめる。照れている様子ではなかった。
「ああ。夕飯がどうした?」
「ごめん。チキンの足を焼いたんだ。なんだか……余計にクリスマスチックになっちゃう」
うーんと唸りながら、トシは顔をしかめる。そいういう表情も愛らしい。
「いや。別におかしくないだろう。七夕の日にこれを食べるという風習は無かったはずだからね」
考えると確かに何となく変な気分になるが、もみの木を買ってしまったのは幾浦だ。
「そうだよね。ありがとう恭眞」
ようやく満面の笑みでトシは微笑む。
「じゃあ、夕食の用意はできてるのなら、先に短冊を書いてしまおうか?それを眺めて、星を見て、料理を食べるのも風流があるだろう」
リビングから続くベランダへのガラス戸を開けて、幾浦はウッドデッキに足を踏み入れるとそこに置いたテーブルに買ってきたもみの木と短冊を乗せた。
「そうだよね。先にお願い事を書こう。あ、ペンを持ってくる」
トシはパタパタとリビングの方へ引き返すと、引き出しから何本かペンを掴んで戻って来た。アルは二人が何をし始めようとしているのか理解できないのか首を傾げている。
「トシはどういった願い事をするのかもう決めたのか?」
トシと向かい合わせに座り、幾浦が聞いた。
「うん。いろいろ考えてきたよ。もちろん、恭眞とこれからも一緒でいられますようにって真っ先に書くつもりなんだ」
照れくさそうにトシは鼻を掻く。
「嬉しいな。私と同じことを考えてくれているよ」
「じゃあさあ、一枚ずつ書いたところで見せ合いっこしてから、もみの木にぶら下げない?それも僕、楽しいと思うんだ」
トシはペンを振りながら楽しそうだ。
こういった、子供っぽいことをやろうと提案した幾浦だったが、たまには童心に戻るのもいいのだろう。せっかくの日本行事なのだから、大人だ、子供だとこだわるより、互いのコミュニケーションになることは何でも取り入れるといいのだ。
もっとも一日ずれてしまったことはリーチが悪いのだが。
「そうするか」
やり方も決まり、互いにサラサラと短冊に書いて、ペンを置く。
「ねえ、何書いた?」
「トシは?」
「僕はね……今年はもっと恭眞に会える日が増えますように……って書いた」
「私もだよ。今年はトシと今までよりも合う時間が増えますように……だ」
考えていることが似ているのだろう。
ますます幾浦は嬉しくなってくる。
「じゃあ、次は……恭眞とアルが健康で大きな病気や事故に遭わないように……だよ」
「私も、トシやリーチが無茶をせず、大きな怪我もなく、病気にならないように……だ」
幾浦はリーチを入れたくはなかったが、こういう差別をすると、トシは顔色を曇らせるのだ。気に入らないが、トシの笑顔のために仕方なしに書かなくてはならないときもある。もっとも、実際はリーチにも健康でいてもらわないと困るのだ。この二人は一つの身体を共有しているから、片方に問題が出るともう片方にも影響が出る。
「わあ、恭眞ってリーチのことも考えてくれてるんだ。ありがとう。リーチも喜ぶよ。僕、ちゃんと話しておくね」
感激したようにトシはそう言う。幾浦は本心をもちろん明かさず、にこやかな笑みで返す。
「……えっと、僕のマグロが治って恭眞を喜ばせることができますように……だね」
「げほっ!」
思わず喉が詰まるようなことをトシが言ったために、幾浦は顔が青ざめそうになった。もしかしてこれは、またリーチがよからぬ入れ知恵でもしたのだろうか。
「どうしたの?」
「……いや、そういうお願いは、神様も分からないだろうと思ってね」
誰に見せるわけでもないが、ぶら下げられると少々、幾浦も困る。
「え、意味が通らないかなあ……。じゃあ、テクニックがつきますように……ってどう?」
トシは自分の口にしている言葉が理解できないのか、とんでもない言葉をサラリと言う。
「……まあ、……なんというか。いきなりどうしてそんなことを書こうとするのか私はちょっと不思議だな」
ははっと乾いた笑いを浮かべてやんわりと聞くとトシは答えた。
「え、リーチも雪久さんのところでお願いしてくれたんだって。僕のマグロのこと、心配してくれてるんだ。リーチっていいところもあるんだよ」
……それは、いいところなのか???
しかも、名執の前でそう言う会話がされているのか?
……私は……次にどういった顔をして名執に会えばいいんだ……。
一瞬、気が遠くなりそうになったが、なんとか幾浦は気持ちを奮い立たせた。いつものことだと諦めるしかない。
「ねえ、恭眞、手が止まってるよ」
「あ、ああ……そうだな。じゃあ、私は、トシがいつまでも純粋でありますように……と書こうか」
幾浦の言葉にトシは顔を赤らめる。
「僕、そんな純粋じゃないよ。もう汚れてるし……」
はあ?
どういうことなんだ?
汚れてるって……トシ……まさか?
「そそそ、それはどういうことだ?」
冷静に問いかけようとするのに、幾浦は声が裏返った。
「何、上擦ってるの?」
「いや。ただ、汚れているなんて普通は口にしないだろう?」
「え、だって、大人になったらみんな汚れていくんだよ。子供の頃はこう、月にウサギがいるって信じているけど、大人になったらそれはただのおとぎ話だって知るでしょう?クリスマスのサンタさんが実はお父さんだった。ってさ。そういうことを信じていたはずの純粋さを大人になることで失って、心が汚れちゃうんだよね。純粋でいられるのってきっと十代までかな~なんて僕は思うけど」
なんだ。
そう言う意味の汚れるか。
一瞬、焦った幾浦だったが、『汚れる』という言葉を違う意味に取り違えた自分自身こそ、汚れているような気がして、恥ずかしくなった。
「そ、そうだな。大人になると汚れてしまうな」
「……えっと、次はねえ、恭眞がもっとおしゃべりになりますように……だよ」
……。
根暗と書けないから、おしゃべりと書いたのか?
またリーチの策略か?
ムッとしていると、トシは慌ててフォローし始めた。
「あ、もしかして、恭眞の気分を害しちゃった?違うんだ……これ。その……」
「いや。そうだな。ただ、トシにはおしゃべりになれるかもしれないが、好きでもない人間相手にはあまり話したくないかもしれない」
やはりリーチが絡んでいるに違いない。あの男は毎度、幾浦のことを『根暗』だと言うのだ。いや、リーチよりも酷い男がいた。恭夜の恋人であるジャックだ。機関銃のように話ながら根暗を連発する男は、あの男しかいない。いや、ああいう人間には出会ったことがないのだから、対処の方法も考えられない。
全く……。
根暗ではなくて、寡黙だろうが。
男がベラベラと口うるさく話す方がはしたないぞ。いつだって男はどっしり構えているものだろうが。などと一人で幾浦は静かに腹を立てていた。
「ごめん……これはなしにするね」
短冊を丸めてトシは肩を竦める。
「いや、丸めなくても……」
「ううん。いいんだ。次を書いたよ。えっとね。恭眞がいつまでも格好いい男の人でありますように……」
可愛らしいトシの願いに幾浦の頬は緩む。
これが本来のトシなのだと思うと、もう、すぐにでも抱きしめてベッドに引きずり込みたくなるのだから不思議だ。
「……恭眞は?」
「あ、ああ、そうだな。……」
と、考えてみるものの、もう幾浦には出てこない。だが、トシが書き続ける間は、無いというわけにもいかないだろう。
「アルに可愛いお嫁さんが今年は来ますように……どうだ」
「あ、それ、僕も書こうとしていたんだ!ね。アル、今年は……あれ?」
先程まで足元で身体を伸ばしていたアルが、いつの間にかリビングの方へと逃げていた。理由は定かでないが、要するに、余計なお世話だと言いたいのだろう。
「アル、あっちに行っちゃったね」
「そうだな。まあ、二人の熱に当てられたんじゃないのか?」
くすくす笑って幾浦が言うと、トシも照れたように顔を赤らめて頷く。
こういう時間が幾浦には心地よい。
「……ま、いいか~。じゃあ、次はねえ、恭眞がいつまでも僕を好きでいてくれますように……かな」
これには幾浦も感動してしまった。
トシはどうしてこう、可愛らしいことを書いてくれるのだろうか。こういった純粋さが幾浦には堪らなく愛しいのだ。
ほわんとしていると、トシは短冊にドンドン願い事を書いていく。幾浦は既にネタ切れだった。
「ねえ、恭眞。もう書かないの?」
「いや、トシとこうやっているだけで幸せになってきて、願い事が浮かばないんだ……。私はいいから、トシは好きなだけ書いてくれるといい。トシの願い事は私の願い事でもあるんだからね」
胸がいっぱいになったまま、幾浦が言うと、トシの顔もパッと明るくなる。
「そっか。じゃあ、僕、恭眞の分までたくさん書くね」
ペンを滑らせて短冊にいろいろな願い事を書いているトシを眺めながら、できあがっていく短冊を幾浦がもみの木にぶら下げていった。
・恭眞が僕とリーチを見分けられるように。
これは……一応努力しているんだが……。
どうしても利一モードの時、どちらが主導権を持っているのか、区別が付かない。
今年は努力するよ……トシ。と、本気で幾浦は心に誓った。
大体リーチにも問題があるのだ。あの男は時折幾浦をからかってトシの振りをする。これが一番混乱する要素なのだ。もっとも、どう見ても分かるような口調でトシのまねをしたときはいくら何でも分かるが。
・願ったら駄目かもしれないけれど、恭眞が海外転勤になりませんように……
もみの木にぶら下げようとして、一瞬手が止まった。トシの気持ちがよく分かり、短冊を読むたびに新しい感動が身体を覆う。どんな仕草も可愛いトシは、短冊に書く願い事も可愛いのだ。
・恭眞が浮気をしませんように。
微笑ましい。そんなことなど絶対にしないぞ。
・今年はもっと恭眞とリーチが仲良くなりますように。
……それは。要相談だ。
何となくぶら下げたくなかった短冊だったが、トシが書いたのだから、仕方なしに幾浦はぶら下げた。
・僕たちは失業してもいいから、殺人事件が無くなりますように。
トシの気持ちが痛い。きっと仕事で辛いことをたくさん見ているのだろう。こればかりは幾浦も心が痛かった。
・世界がいつも平和でありますように。
なんだかだんだん、グローバルになってきたな。
・隕石が落ちてきませんように。
な……っ?
なんだこれは。
「トシ……隕石ってなんだ?」
「え、だって、隕石って危険なんだよ。こうやってる今でも小さいのはたくさん地上に落ちてきてるんだって。大きなものが落ちたら人類は滅亡しちゃうだろ。だから書いたの」
確かにそうなのだろうが、七夕の短冊に書くようなことだろうか。と、首を傾げてみたものの、当然のように言うトシに、幾浦は分かったような顔をして笑顔を浮かべた。
・宇宙人に会えますように。
……トシ。何か変な映画でも見たのだろうか?
こういうことを書く裏には必ずリーチの姿がある。どうせ、余計なことをトシに耳打ちしたに違いない。毎度のことながら、ため息が出そうだ。これでは、小さな子供が「仮面ライダーに変身できますように」と書いているのと同レベルのような気がする。だがこういうところがトシの純粋な部分だと思うと、まあ、仕方ないか……と納得できるのが不思議だった。
・今年はリーチの策略に引っかかりませんように……。
トシは分かっているようだ。
だが、分かっていて引っかかっているのはトシなんだぞ。と、喉元まで出そうになったが、口にしなかった。トシは真剣に悩んでいるのだろう。ならば、これも願いの一つになるのも分かる。
・リーチが恭眞(僕も含めてだけど)を苛めませんように。
……これも、もの悲しいな。
遠い目になりそうな願い事だったが、幾浦は無言でもみの木にぶら下げた。
・リーチが僕のプライベートを奪いませんように。
そうだ。これは私も思っていたことだ。
……ちょっとまて。
先程からリーチのことばかりトシは書いているぞ。
チラリとトシの方を見ると、一生懸命まだ短冊に願いを書いているのだが、またリーチと記されている。
今年も、リーチに振り回される日が続くのだろう。
短冊をぶら下げつつ、幾浦はため息をついた。
トシが全て書き終えた後、こっそりと幾浦は短冊を書いてぶら下げた。
・トシからリーチの名前を聞かない日が来ますように。
書いてみると、これが一番切実に叶って欲しい願いなのだと幾浦は肩を落とした。
―完―
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七夕企画第5弾! というのはおいて、無茶苦茶長くなりました。あわわ。書くの苦労しました。いつまでたっても落ちにならないというか……げほごほ。とりあえず、今年も苦労しそうです幾浦。いつもリーチに虐められていることに気がついてますし……ははは。幾浦も意外に心労が絶えない感じですね。うーん。 |