Angel Sugar

第6夜 「没頭する男」 (七夕企画2003)

タイトル
 今日が七夕なのは知っていた。
 最初は、葉竹と短冊を用意して、二人で願い事でも書けば楽しいと思ったのだが、如月が本日接待がはいっていたのもあり、結局宇都木は何も用意せずに一人で帰宅した。
 こういう日、宇都木は一人で夕食を取る。適当に冷蔵庫にあるものを温めて、簡単に済ませ、宇都木は風呂に入りリビングで如月が帰ってくるのを待つのだ。
 邦彦さんは遅いんでしょうか……。
 リビングでコーヒーを飲みながら宇都木は窓から空を眺めた。忌々しいほどの星空になんだか気分も落ち込んでくる。
 帰宅途中、あちこちで見られた短冊付きの葉竹が、なんだか羨ましく思ったのだ。こんなことを如月に話すことは出来ないだろう。
 宇都木はコーヒーカップを持ったまま、テラスに出るとぐるりと周囲を見渡した。ここからでもあちこちの建物のベランダに、短冊のついた葉竹が立てかけられているのが見える。
 願い事がたくさんあるんですね……。
 眼下に見える景色に背を向けるよう、宇都木は柵に凭れてコーヒーを口に付けた。
 東家にいた頃、七夕の行事もあったが、宇都木は嫌いだった。願い事を書くと言うことが苦痛だったのだ。欲しいものは何もなかった。望みもなかった。だから、願い事を書きなさいと言われても一つも出てこなかったからだ。
 だが、今は違う。
 如月という、自分にとって一番望んだ恋人と一緒にいられる日々を手に入れることができたのだ。いままで願いなど無かったのに、今は不思議と書いてみたいと言う気になっていた。
 いつまでも邦彦さんが健康で元気でありますように。
 邦彦さんとずっと一緒にいたい……。
 これからも邦彦さんに愛されますように。
 二人で旅行に行きたい。
 そんな、普段口に出して言えないことを短冊に書いて、如月に見てもらいたかったのだ。
 子供っぽいことを考えてますよね……。
 宇都木は空を見ることを止め、またリビングに戻った。テレビをつけて暇を潰そうかと思ったが、どうせ七夕のニュースばかりで、それこそ見ても仕方ないだろう。
 コーヒーカップをテーブルに置き、宇都木はソファーに横になった。クッションを抱えて、ため息をつく。如月のいないうちは、静かだ。あと数時間すれば帰ってくるのだろうが、待っている間も宇都木は寂しくて仕方ない。
 会社でも秘書として顔を合わせ、自宅でも一緒に暮らしているのに、宇都木はほんの僅かの間でも如月の顔が見えないと不安になるのだ。これはもう、自分でもどうしようもない気持ちで、どうすれば拭えるのか分からない。
 趣味を持てばいいんですよね……。
 趣味……。
 最近、いつも考えていることだ。
 何か時間を潰すものがあれば、こんな不安を持たなくて済むのだ。如月が不在の間、没頭できることがあればいい。
 だが、いつだって、何も浮かばないのだ。
 やりたいことがないというもの原因だろう。
「はあ……もうう……」
 クッションをギュッと抱きしめたまま、宇都木は狭いソファーで身体を横にした。何もしていない時間が、どうしようもなくもてあましてしまう。
 グルグルと堂々巡りをしていると、ふとテーブルの上に今朝置いた料理の本が目に入った。毎日献立を考えることは楽しい。料理の本はたくさん買った。もちろん、如月にいつも美味しい料理を作るためだ。
 ……。
 料理。
 そうですよね。
 宇都木はテーブルに置きっぱなしにしていた料理の本を手に取り、キッチンに向かった。時間をもてあますときには料理をして気分を紛らわせるのが実益もかねていいだろう。いつも早く帰られるわけではない、宇都木と如月だ。夕食の準備をすぐにできないときもある。そう言ったときのために、普段からシチューやカレーを作り、冷蔵庫に保存しておけば、温めるだけで美味しい料理ができあがる。
 作り置き目的ではなく、新しい料理の本もたくさん今度購入し、いつか如月が唸るような料理を作ることができるように練習するのも楽しいに違いない。
 良い案を思いつきました。
 冷蔵庫から片っ端に食材を並べ、宇都木は料理に取りかかることにした。本を見て、野菜を切って鍋に入れる。如月のために何かしている自分がとても楽しく、嬉しい。料理だけではなく、クッキーも作ることができるように、菓子の本も買ってこなくてはならないだろう。
 張り切って作ります。
 宇都木は時間を忘れたように料理に没頭した。



「未来……」
 ポンといきなり肩を叩かれ、宇都木は持っていた鍋を落としそうになった。
「おい、大丈夫か?驚かせてしまったな……」
 振り返ると如月が本当にびっくりしたような顔をして立っていた。手にはお土産らしき紙袋を持っている。
 宇都木は料理に没頭するあまり、如月が帰ってきたことを気がつかなかったのだ。
「あ、……す、済みません。お戻りだったんですね。気がつかなくて済みません……」
 慌てて持っていた鍋をコンロに戻し、宇都木は頭をぺこりと下げる。
「……こんな時間から誰かうちに呼んでいるのか?」
 如月はスーツの上着を椅子に引っ掛けながら、テーブルに置かれている鍋を覗き込んでいた。確かにこの状態を見ると、そう思うだろう。それほど、いつの間にか宇都木は料理をたくさん作っていたのだ。
「いえ、少し作り置きをして冷蔵庫に冷やしておこうと思って……その……」
 気がつくとテーブルいっぱいに、たくさんの料理を作っていたのだ。しかもシチューやカレー、肉じゃがなど鍋にできあがっていて、凄まじい臭いがキッチンに立ちこめていた。
 宇都木は夢中になっていて、分からなかったのだ。
「そうか。ご苦労様。だがまあ、換気扇を回した方がいいぞ……」
 苦笑している如月に、宇都木は慌てて換気扇のスイッチを押した。没頭するとこういうことになるのだろう。もう少し考えて作ればよかったのだ。
「き、気づきませんでした。すぐ、容器に移し替えて冷蔵庫に入れます」
「いや……まだ温かいものは冷えてからの方がいい。暫く放って置くんだな。そうそう、宇都木。こっちはいいから、リビングへ行こう」
 この場を放置するのは、気が引けたが、如月の言うことに逆らうことなど宇都木にはできず、言われるままにリビングへ移動した。
「今日の接待は銀座の方へ行ったんだが、帰り際店で客に土産を持たせてくれてね。ちょっと懐かしいだろう」
 如月は持っていた紙袋から、三十センチほどの可愛らしい長さの葉竹を取り出した。葉竹には何も書かれていない短冊がいくつかついている。
「……短冊……」
 欲しかった葉竹が目の前にあり、それを如月が持って帰ってきてくれたことに、宇都木は本当に嬉しくなった。
 いろいろ理由をつけて、関係ないと言い聞かせていたものの、やはり七夕を二人でやってみたかったのだ。
「ああ、そうだ。今日は七夕だからね。それで客に配っていたようだ。部屋に飾るのも風流だと思ったんだよ。だが、この辺りはどうも家族が多いせいか、あちこちで願い事を書いた短冊がぶら下がった葉竹を見たせいか、思わずその気になって、私も書いてみたくなった。子供っぽいが、よかったら私に付き合って、宇都木も何か書いてみないか?童心に戻るのも楽しいだろう……」
 照れくさい笑いを如月は顔に浮かべて、カバンからペンケースを取り出し、何色がいいかと聞かれて宇都木は迷わず青色を選ぶ。
「ところで未来は何をお願いするんだ?」
「邦彦さんが、唸るような料理が作れるようになりたい……って書きます」
 思わず言ってしまった言葉に、如月は目を丸くした。当然、宇都木も自分が口にした言葉に気づき慌てて訂正したものの遅かった。
「ち、違います。あの、邦彦さんが健康であるように……って真っ先にお願いするつもりだったのですが……さっきまで料理をしていたもので……」
 今まで頭の中が料理一色だったので、つい出てしまった言葉だったのだ。いきなりこんな願いを書こうと思うなど、普通では考えられないだろう。
「他に、その……いつまでも一緒にいられるように……って書きます」
 宇都木が必死に本来願おうと思っていたことを言っているにもかかわらず、如月の笑いは暫く止まらなかった。

―完―
タイトル

なんていうか宇都木が没頭するとすぐに頭からそれが離れないというのを書きたかったのですが、なんとなく七夕ネタという感じになりませんでしたね(汗)。すみません~。でも宇都木らしいといえばそうなるのかも?? 如月も突然想像もつかなかった願いをいわれてびっくりしただろうな~と思います。はは。

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