Angel Sugar

第8夜 「思惑違いの男」 (七夕企画2003)

タイトル
「異国の行事に七夕というものがあるらしい」
 どうしてもやらなければならない、勉強を必死に机に向かってやっているルースに向かってフェンリルが言った。
「……黙っててよ。フェン」
 この宿題をスペンサーが帰ってくるまでに全てをやり終えていたら、素敵なご褒美をプレゼントをしてくれるとスペンサーがルースに約束してくれていたのだ。だからいつもなら、フェンリルの誘いに乗っていたルースだが、今日は声を掛けられても振り返ることもしなかった。
「七夕の日に、何かの木を用意して、四角い紙切れに願い事を書くと叶うそうだぞ。一年に一度の大イベント。逃すと来年までお預けだ」
 一年に一度……。
 しかも、願い事が叶うというルースには聞き逃せない素敵なイベント。
 どうしよう……。
 チラリと後ろを振り返ると、オオカミの姿をしたフェンリルの尻尾がぴょんと跳ねるように立ち上がった。
「やはり大イベントは無視できないだろう?」
 ニヤッと牙を剥きだしてフェンリルは笑う。
 ……。
 うーん。
 大イベントも捨てがたいけど、スペンサーからのプレゼントも気になるし……。
 
「ルースさまが、宿題を全てやり終えていらっしゃいましたら、スペンサーは素敵なご褒美を用意させていただきますよ。もちろん、ルースさまがとってもお喜びになるご褒美です。楽しみにしてくださいね。ただし、あの、暇なオオカミに騙されないように気をつけてください。ルースさまの成さねばならないことをしっかりと自覚なさいませ」

 そういって、スペンサーは朝方出ていったのだ。なんでも、足りなくなった薬草をとりにどうしても山に行かなければならないらしい。と言う事情で、スペンサーが戻る昼頃までに宿題をやり終えなければならない。
 僕が欲しいもの……って言ってたし……。
 キス……してくれるのかなあ……。
 だって、僕が欲しいのはスペンサーのキスだもん。
 そのくらい、分かってくれているはずだし……。
 だったら、やっぱりスペンサーのご褒美はキスだよね。
 じーっとフェンリルを見つめながら、やはりここはスペンサーのキスをもらうのだと、ルースはまた宿題にいそしむことにした。
「……おこちゃま~……七夕だぞ~……」
 フェンリルの声は相変わらず後ろから聞こえてくる。だが、ルースは聞こえない振りをした。
「願い事が叶うんだぞ~……」
 フェンリルは諦めない。
「これを逃すと、一年後だぞ~」
 後ろで何度も声を掛けてくるフェンリルにさすがのルースも再度、振り返らずにはいられなかった。
「フェン~……お願いだよ。僕どうしてもこの宿題をやらなきゃ、スペンサーからご褒美が貰えないんだ。そりゃあ……七夕っていうのも気になるけど……」
 申し訳なさそうにルースは言ったが、フェンリルの大きな耳が急にビクリと一つ震えた。
「ご褒美ってなんだ?」
「え?……そ、それは……その……」
 顔を赤らめてルースは言葉を濁した。
「なんだ?」
 ずいっと顔を近づけて、フェンリルは聞いてきた。こうやっているとフェンリルとルースは仲がいいのだが、一応、ライバルなのだ。ルースは時々、いやかなりその事実を忘れている。
「別になんでもない……。もう、フェン!お願いだから、少しだけ静かにしてよ。僕は本当に宿題をやってしまいたいんだ」
 そう……
 スペンサーから貰える甘いキスのためにだ。
「変だな……」
 机に突っ伏すようにして宿題をしている肩越しにフェンリルは顔を寄せてきた。頬の辺りにフェンリルの毛があたってこそばゆい。
「フェン……くすぐったいよう……」
「いつもなら、私の誘いに乗ってくるおこちゃまが、できもしない勉強に励んでいるぞ。これは余程、すごいご褒美が待っているんだな」
 鼻をぴくぴくさせてフェンリルは不審そうにいう。
「別に……変じゃないよ。たまには僕だって勉強するよ……」
 とぼけたように返してみるものの、フェンリルの追求は緩まない。どうあっても、聞き出そうと必死だ。
「……すごいご褒美……」
 フェンリルは宿題を見つめながら今度は鼻息を吹きかけた。
「もう~フェン~……」
「おこちゃま。私が代わりにこれをやってやるから、七夕の願い事でも書いておけ。ならいいだろう?もっとも、この程度の問題など簡単だが……」
 にま~っと笑って、フェンリルは『どうだ』という。
「……え、駄目だよ。それって、フェンがスペンサーのご褒美をもらおうと思ってるんだよね。でも、これは、僕の宿題。フェンのものじゃないよ。だから僕が解いて僕がご褒美をもらうの」
 両手で宿題を隠し、ルースは頑なに拒んだ。今までならあっさりとフェンリルに渡していたはずだが、今回は別だ。
「……じゃあ、こうしよう。ご褒美は二人で半分ずつならどうだ?」
「え~分けられるものじゃないもん」
 ルースの言葉にフェンリルの顔が険しいものへと変わった。
「もしやそれは、エッチくさいことか?」
 キスがエッチくさいのかどうか分からないが、なんとなくルースは頷いていた。
「あの男は私に、先っぽすら許してくれないと言うのに、このおこちゃまには全て与えるというのか?それはあまりにも、残酷だ」
 ……?
 先っぽすら……ってなに?
「ねえ、フェン……」
「昔からあいつはそうだったな。私の可愛い恋心を一体なんだと思ってるんだ。いい加減押し倒してさっさと突っ込めばいいのか……」
「フェン……」
「……とはいえ、それをやろうとしてひどい目にあったのも確かだ。あの男の恥ずかしがり方は、周囲を巻き込んで破壊の限りを尽くすからな。にもかかわらず、あいつは私が怖いとぬかす……お前が一番危ない存在だろうが」
「フェンってっ!」
 一人でブツブツ話しているフェンリルに業を煮やしたルースは大きな耳を引っ張った。するとようやくフェンリルの視線がルースに向く。
「なんだ?」
「……フェンの言ってること全然分からないけど、先っぽすらって……なに?」
 きょととした目でフェンリルを見つめていると、長い鼻に皺が寄った。笑っているようだ。
「おこちゃまは可愛いなあ……」
 前足でギュウッと抱きしめられて、ルースは毛にまみれそうになった。しかも重い。
「うう……フェン~苦しいよ~重い……」
「そうだな。この姿では苦しいだろう……」
 フェンリルは、いきなりオオカミの姿から、人間の姿に戻る。とたんに、愛想のよいオオカミが無表情な人間の顔へと変わる。
「……フェン。ねえ、さっきのことだけど……」
「おこちゃまになら、全部入れて教えてやってもいいぞ」
 ……??
「ねえ、フェン。先っぽと全部となにか違うの?」
 ルースは先程からフェンリルの話していることが全く理解できないのだ。だが、なんとなくとても大切な話のようにも聞こえる。
「先っぽより全部の方が気持ちいいってことだな」
「……そうなんだ?」
「そうだ」
 オオカミの姿ならよかったのだが、人間の姿に戻ったフェンリルは無表情で、何を考えているのか分からない。
「……え~と……」
 レイヴァンはスペンサーと一緒に行動しているので、いつも意見を聞ける相手がいない。
「教えてやろうか?」
「え……う~ん……」
 好奇心はあるが、なんとなくフェンリルの様子がおかしい。別にそわそわするわけでもなく、奇妙に取り澄ましたフェンリルの顔つきにルースは困った。とはいえ、ルースの好奇心は旺盛だった。
「……ちょっと知りたいかな……」
 えへへと笑って言うと、フェンリルはやはり無表情でルースの手を掴んでくる。
「なに?」
「ここより、あちらのほうがいいだろう?」
 フェンリルは顔をルースのベッドに向けると、掴んだ手を引っ張った。これから何を教えて貰えるのだろうと、ルースはわくわくしながらついていく。
「おこちゃまはこういう経験は初めてだろう。優しくしてやるぞ」
 淡々とした口調でフェンリルは、ベッドに座るルースに言った。よく分からないが、フェンリルはなんだか楽しそうに見える。
「うん。優しくしてね」
 満面の笑みでルースが答えるのと同時に、スペンサーの怒鳴り声が響いた。
「この、腐れ外道がーーーーーっ!」
 がっつーんと凄まじい音が響いたが、フェンリルは微動だにせず、殴られた頭をサラリとひと撫でして後ろを振り返り、怒りで顔を赤くしているスペンサーに言った。
「なんだ。もう帰ってきたのか。面白くない男だな」
 フンと鼻を鳴らしてフェンリルは不服そうだ。
「き……ききき……貴様っ!ルースさまに一体何をするつもりだった?いや、そうじゃない。もういい、ここから出ていけっ!」
 ルースは、どうしてスペンサーが血管が切れそうなほど怒っているのか分からないでいる。ただ、いつだってフェンリルはこんなふうにスペンサーに怒られているため、実は気にしなくてもいいのかもしれない。
「スペンサー……何怒ってるの?」
 フェンリルを引きずって部屋から追い出そうとしているスペンサーに、ルースは問いかけた。
「いえ、この男が申し上げたことはお忘れになって下さい。いつも、知識の足しにもならないことばかり口にしますので……」
 引きつった笑いを浮かべてスペンサーはフェンリルを廊下に追い出した。
「スペンサー……私の熱くなった部分をどうしてくれる……」
「きっ……ききき……貴様っ!ルースさま相手に何を考えているんだっ!相手はいくつだと思ってる!貴様の年を自覚しろっ!」
「いや。お前に勃ってるんだが……」
 無表情な顔でさらっとフェンリルが言うのをルースは「?」の顔つきで聞いていたが、思いきりスペンサーによって耳を塞がれて聞こえなくなった。
 え~っと……と、思っている間にスペンサーは怒鳴り、フェンリルは何かを答えているが聞こえない。
「スペンサー……聞こえないよ……」
 口を尖らせてルースが不満そうに言っていると、フェンリルはオオカミの姿に戻り、渋々去っていった。
 ようやくルースの耳を塞いでいた手をスペンサーは離してルースの前に跪く。
「申し訳ございません。あのような下品な言葉を聞かせてしまって……。きつくあの馬鹿オオカミを叱っておきます」
「……別にいいよ。でも、スペンサー……フェンは何が言いたかったのかな……僕、よく分からなかったんだけど……」
 フェンリルを目で追うと、廊下の向こうにある柱の影からこちらを覗き込んでいた。
「もうあの馬鹿オオカミはお忘れ下さい。それより、ルースさま。宿題はできましたか?」
 ルースの背に手を回し、扉から引き離すようにスペンサーはテーブルに促す。
「でも……フェンが……」
「随分、進んでいたのですね。もう少しで最期まで解けるのではありませんか。さあ、もう少しだけがんばりましょう」
 言われるがままにルースは椅子に座り、残りの宿題に取りかかった。真後ろに立つスペンサーはじっとルースの行動を見つめている。
 なんだか……。
 汗出そう……。
 だが珍しくルースは残りの問題を解くことに成功した。といっても、答えが合っているかどうかは謎だった。
 あ……そうだ。
 ご褒美貰えるんだった。
 ……でも。
「スペンサー……もう帰って来ちゃったんだよね。じゃあ、その……ご褒美はなし?」
 解いた問題を手にとって確認しているスペンサーに、ルースは両脚を前後にブラブラさせながら期待を込めて聞いてみた。すると、スペンサーはルースの足を軽く叩いて、にっこりと笑った。
「お行儀が悪いですよ。ルースさま」
 チラリと見るスペンサーの顔つきが真剣で、ルースには肩を竦めた。
「は、はあい……」
「ですが、今日はとてもお利口にされていましたので、ご褒美をプレゼントしますね」
 キス……っ!
 キスのご褒美だっ!
 ルースがわくわくとしながら目を閉じて、唇をつきだしていると、葉っぱがいきなり当てられた。驚いたルースが目を開けると、長細い葉がいっぱいついた硬そうな枝をスペンサーは持っていた。
「今日は、とある国で催されている七夕という日だそうです。こちらの洋紙に願い事を書いてぶら下げておくと、叶うんだそうですよ。ルースさまに差し上げます。一緒に七夕の願い事を書きましょう」
 スペンサーは嬉しそうに言うのだが、当ての外れたルースはポカンと口を開いたまますぐに言葉が出なかった。何のために一生懸命宿題をしたのか分からない。いや、こういう結果が待っていたのなら、フェンリルと遊んでいた方がよかった。だがもう遅い。
「……キスじゃないんだ……」
 ぼそりと呟いたルースの声が聞こえているはずなのに、スペンサーは素知らぬ顔でいそいそと洋紙を用意していた。こういうスペンサーに対して何を言っても無駄なことをルースは学んでいたから、もう何も言わなかった。
 片思いって……大変なんだよね。
 これって、焦らされるってことなのかなあ……。
 じゃあ、願い事は「スペンサーとラブラブできますように」って書こう。
 あ、キスのことも書いておかないと……。
 そうだ。フェンの言ってた先っぽより全部とか書いても良いかな……意味分からないけど。
 もちろん、スペンサーに見えるように。
「私は、ルースさまが立派な王になられるようにと書きましょう」
「僕は内緒。できあがったら見てね」
 にっこり笑うルースに、スペンサーは嬉しそうに頷いた。
 
 つり下げられた願い事を見て、スペンサーが腰を抜かしたのは言うまでもない……。

―完―
タイトル

子供のままであってほしいと願うスペンサーと、意外に大人になりつつあるルースの攻防戦という感じですね。フェンリルは……どちらでもいいみたいですが(汗)。この馬鹿狼につける薬はないでしょう。まあ、もっともどっちも気に入っているんでしょうねえ。ちょっぴり危険な感じでした(笑)。

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