Angel Sugar

第9夜 「読みとれない男」 (七夕企画2003)

タイトル
 今日は七夕だ……と、言って葉竹と短冊を用意したのは東だった。どちらかというと、秘書という我が子のためではなく、恵太郎のために年相応の楽しみを用意したというのが正しいだろう。
 だが届けられた葉竹はホールの天井まである大きさで、クリスマスツリーのようだった。
「東さま……何を考えてらっしゃるんだよ……」
 鳴瀬が二階からホール下を眺め下ろして苦笑している。
「でも、僕は嬉しいです」
 恵太郎だけはホールに座り込んで、短冊に願い事を書いていた。いろいろあって、悩むところだが、これほど大きな葉竹なのだから、逆にたくさん書かなければ見劣りするだろう。
「ガキだな……はっ……なにが七夕だよ」
 白川は恵太郎の隣に立って、呆れた眼差しを送っていた。
「白川。せっかく東さまが用意されたのだからお前も書くんだな」
 剣は真っ黒なスーツを着こなし、階段の下で手すりに凭れていた。
「そういうの興味ないね」
「ガキらしいことをしなかったお前だ。今からでも遅くないぞ」
 笑うことなく剣は言う。こういうところが恵太郎には苦手だった。とはいえ、悪い人間ではないことを知っているし、真下が一番信頼しているように見えるのもこの剣だ。ただ、身なりがいつも上から下まで真っ黒なため、悪魔を思いだしてなんとなく胡散臭く見えるだけだった。
「私は好きだわ~こういうの。七夕ってロマンチックじゃない。なんだか、手料理を振る舞いたくなるわ~」
 鳴瀬の隣にいた守屋が嬉しそうに言う。
「げえ、それは遠慮するよ……」
 本当に嫌そうに鳴瀬は言う。
「え、僕、食べたい……」
 短冊から顔を上げて恵太郎は言った。すると何故か周囲が凍り付いたように沈黙が降りる。どうしたのだろうと恵太郎がキョロキョロしてみても、誰も答えてくれない。
「そう、食べてくれるのね。久しぶりに張り切っちゃうわ~」
 一人だけ陽気に守屋は自分の部屋へと走っていった。姿が消えると一斉にみんなが声を掛けてきた。
「お前、なんてこと言うんだっ!守屋の手料理食ったことないだろっ!」
 鳴瀬は上から吠えるように叫ぶ。
「私は仕事がありますので……」
 いきなり他人行儀に白川は自分の部屋へと戻っていく。
「え、なに、どうしたんですか?」
 恵太郎が慌てていると、いつの間にか剣は姿を消している。残ったのは二階にいる鳴瀬だけだ。
「うわ、逃げ遅れるかって……」
 鳴瀬が部屋へ逃げようとするのを恵太郎が止めた。
「鳴瀬さんっ!どうしたんですかっ!僕、一人は嫌です……」
 半泣きで見上げる恵太郎の顔を見ながら、鳴瀬の足は止まる。
「……鳴瀬さん~……」
「……俺、俺だけかよ……」
 舌打ちしながらも鳴瀬は下に降りてきた。だが、肩を落としていて、いかにも気が進まないと言う様子だ。
「あのう……どうしてみなさん逃げちゃったんですか?」
「あのな、あいつの作る料理は……なんていうか……食えば分かるけどな……」
 顔をしかめて嫌そうに鳴瀬は言う。
「不味いんですか?」
 恐る恐る恵太郎が聞くと鳴瀬は顔を左右に振った。
「そういうの、分からないな……あれじゃあ……。まあ、鳩谷君ひとりだと、まった~守屋が機嫌を傾かせるから俺は残ったけど……」
 短冊を弄びながら鳴瀬は遠い目になっている。
「機嫌が悪くなると怖いんですか?」
「ハリケーンだな……ありゃ……。まあいいや、それで、何書いた?」
 恵太郎が書いた短冊を一枚ずつ手にとって鳴瀬は眺めている。
「いろいろです。あ、僕一人じゃこんな大きな葉竹を埋められないし、鳴瀬さんも書いてくださいね」
 白紙の短冊をいくつも鳴瀬に押しやり、恵太郎はにっこりと笑った。
「……なあ、鳩谷君も、もう高校生だよな。なのにこの内容……なんだよ……」
「え……普通にお願いを書いたんですけど……変ですか?」
「……この、まーちゃんが、巨大亀になりますように……って。こんなの、小学生みたいだよ」
 口を押さえながらも、鳴瀬は笑っている。
「でも、裏の池のうっちゃんみたいに大きくなって欲しいんです。僕の亀はまだちっちゃいし……コイと戦えるようなおっきな亀になって欲しい」
 力を込めて恵太郎が真顔で言うと、鳴瀬は一旦抑えた笑いをまた再開した。
「戦うって……なんだそれ~。じゃあ、これは?将来手芸ショップを開けますようにって……鳩谷君は手芸が趣味なのか?」
「はい。簡単な柄のマフラーならすぐに編めます。最近はビーズもいいな~なんて思ってるんです」
 にっこりと微笑むと、鳴瀬はなんとなく顔を青ざめさせた。
「いや、これは見なかったことにしておくよ……。で、これは?成績が最下位から脱出できますようにって。鳩谷君ってそんなに……あ、いやその……」
 不味いことを聞いたという顔で、鳴瀬は短冊を下に隠す。別に構わないんだけど……と思うのだが、鳴瀬は恵太郎に悪いと思ったのだろう。
 鳴瀬はやはり優しい人だな~と恵太郎が考えていると、また他の短冊をみて目を見開いている。
「……真下さんの夜行性が治りますように……ってなんだこれ??」
「だって、真下さん、いっつもお仕事で遅くまで起きてらっしゃるので、ゆっくり寝てもらいたいんです」
「……いや。確かにそうなんだけど……夜行性って書くとなんだか、犬やネコみたいだぞ」
「じゃあ、早く楽になりますようにってどうですか?」
「それだと、死んでくださいって言ってるみたいだよ……」
 苦笑いしつつ、鳴瀬は言う。
「ええっ!そ、そうなんですか?」
 違う人に対しての願いにそう書いたのだ。変に誤解されると困る。恵太郎は慌てて書いた短冊をひっくり返したが、先に鳴瀬に見つかった。
「なんだ、もう書いてるじゃないか。……白川さんが楽になれますようにって、おい。こんなの見つかったら半殺しだぞ」
「そ、そうですよね。捨てます……」
 恵太郎は鳴瀬が持っている短冊を奪い取って丸めた。
 そこに様子を見に来た真下がやってきた。さすがに大きな葉竹に驚いた顔を見せている。
「すごいな。これほど大きなものとは思わなかった」
「真下さんもどうですか?短冊たくさんあるんですけど、誰も願い事書いてくださらないんです。ちょっと子供っぽいからかな……」
 恵太郎の言葉に真下は困った顔をして、次に苦笑する。
「これはきっと、鳩谷君の為に東さまが用意されたのだろうね。うちの秘書たちは願い事を短冊に書く年齢をすぎているだろうから」
 葉竹を見上げながら真下は嬉しそうに目を細めていた。何か昔を思い出しているようにも見える。きっと真下にも短冊を書いて葉竹にぶら下げた頃があったに違いない。
「でも、僕のだけだときっと貧弱かな……って……」
「たくさん書くといいんだよ。……ああ、もう随分と書いたみたいだね」
 恵太郎が書いた短冊を眺め下ろしてにこやかに真下は言う。だが、暫く短冊を眺めて、咳払いをすると視線を鳴瀬に向けた。その意味を恵太郎は分からなかった。
「え、俺、俺じゃないですよ。別に何もそそのかしてませんって……」
 両手を振って、鳴瀬は否定しているところに、守屋が嬉々として大きな盆を持って階段を下りてきた。
「じゃ~ん。みんなでつつけるように鍋を持ってきたわ。せっかく大きな葉竹があるんだし、眺めながら食べましょう。熱々だし、冷める頃には食べ終わってるわよね。あ、真下さんもいらっしゃっていたんですね。是非一緒に食べてください~」
 守屋は上機嫌だったが、鳴瀬だけが真っ青になっていく。
「……ああ、守屋。私はもう夕食を済ませてきたんだ。ここにいる二人は腹をすかせているだろうから、食べさせてやってくれ」
 サラリと真下は断る。守屋の方も無理には誘わない。
「そうなんですか。残念です。じゃあ、三人で食べましょうね」
 守屋は大きな鍋を置いた盆を床に下ろし、小皿を恵太郎と鳴瀬に差し出した。小皿にはレンゲが既に入れられていて、割り箸を別に手渡される。
「わあ……なんだか美味しそう……でも、噴火してるみたいな色ですよね……」
 鍋に入っている出汁は真っ赤で、所々エビや貝が顔をだしていて、ぐつぐつと音を立てているのだ。恵太郎はこういうものを食べたことがない。
 ちらりと鳴瀬の顔を見ると、青かった顔が蒼白になっていた。
「噴火って……まあ、言われてみたらそうかしら。これはちり鍋スペシャルバージョンよ。美味しいんだから、たくさん食べてね」
「頂きます~」
 恵太郎は真っ先に出汁を入れ、大好きなエビや魚の切り身を入れて食べ始めた。出汁の味は素晴らしく、食べたことの無いほど美味しかった。どうして鳴瀬が嫌がったのか分からない。
「わ~守屋さん。すっごい美味しいです。料理とっても上手なんですね」
 と、恵太郎が言うと、鳴瀬が『げっ』と小声で言うのが聞こえた。
「まあ、鳩谷君はやっぱり正直にそう言ってくれるのね。もう、私がいくら料理をごちそうするって言っても、なかなか食べてくれないのよ~」
 守屋の言葉は恵太郎には信じられなかった。こんなに美味しいのにどうしてだろうと言う疑問が浮かぶほどだ。
「え、毎日食べても僕、いいです」
「可愛いこと言ってくれるわ~鳩谷君大好きよ~」
 守屋にぎゅうと抱きしめられて、恵太郎は思わず皿を落としそうになった。
 だが、その遠くで、真下が鳴瀬と話をしているのが聞こえた。

「鳩谷君は激辛が好物な様子だな……」
「俺は……味覚障害を起こしてると思うんですけど、一度検査してもらった方がいいですよ」
「……分かった」
 真下は鳴瀬とそういう会話をして、早々に引き上げていったが、涙を流しながら鳴瀬だけは最期まで恵太郎に付き合ってくれた。

 数日後、恵太郎が病院で検査を受けさせられたのは言うまでもない。

―完―
タイトル

七夕企画遅れに遅れて第9弾! 恵太郎の行動は読みとれないというか、ボキャブラリーもどこかずれていますが……。恵太郎が激辛好きと思えないんですけど、甘いものも辛いものもなんでもオッケーのようです。それにしても守屋って……。

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