Angel Sugar

第10夜 「気付かない男」 (七夕企画2003)

タイトル
 恭夜が自宅に帰ってくると、リビングを紙くずいっぱいにした中で座り込んでいるジャックがいた。いや、ソファーに座り、テーブルで何か書いているのだが、周囲に丸めた紙くずが転がっていて、それに埋もれているように見えたと言った方が正しい。
 またなんか企んでやがる……。
「あ……あんた、なにやってるんだよ?」
 丸めた紙を拾いつつ、恭夜が言うと、ジャックはようやくテーブルから顔を上げて深いため息をついた。モバイルの画面には英語から日本語へ変換してくれるソフトを立ち上げている。では、日本語の勉強でもしているのだろう。
 ジャックは恭夜が出会った人間の中で一番変わっていて、理解不能で、且つ頭脳明晰な男だと認識している。日本語は全然上達しないのだが、これで数カ国語を操るのだ。逆にどうして日本語だけが駄目なのか恭夜は聞いてみたいほど、いくら時間を割いてもジャックは未だにひらがなも苦労しているようだ。
 そんな様子を見ていると、ジャックはどうもアジア圏の言葉が苦手な様子だった。
「ああ。今日は七夕らしいからな。短冊と葉竹を用意した」
 こちらを見ずにジャックは金髪を掻き上げて、再度短冊に向かう。しかも小筆と硯も用意しているのだから、相変わらずこだわりがあるようだ。
「……それはいいけど、あんた、いい年して願い事を書く気か?かんべんしろよ……どこのガキだよ……」
 ジャックの向かい側に座り、恭夜は先ほど拾い上げた紙を広げてみた。だが……。
「……なあ、これ、何かの呪文でも書いてあるのか?」
 グニャグニャとした線が書かれた短冊は不気味だ。
「何が呪文だ。違う。日本語で願い事を書こうとしているんだが……字が上手く書けん」
 苛々とした口調で、ジャックはまた紙を丸めた。
「無理して日本語で書かなくてもいいだろ。英語にしとけよ」
 努力は買うが、ジャックの達筆すぎる字はとても読めたものではない。墨で書こうとしているところにも問題があるのだろう。
「風情がない」
 風情って……。
 何言ってるんだよこいつ……。
 とはいえ、やると言ったからには絶対に曲げないのもジャックだ。放って置いたら諦めて英語にするにちがいない。だいたい、七夕をやろうと思うところからして幼稚だろう。
「……勝手にしろよ。俺はテレビでも見ようかな……」
 恭夜がテレビの電源を入れようとすると、ジャックが止めた。
「何を言ってるんだ。ハニーも書きなさい。こういう行事は恋人同士で楽しむものだろう」
 眉間に皺を寄せて、明らかに不快な顔をしているジャックから楽しんでいるという雰囲気など無い。それほど嫌なら止めてしまえばいいのに、本人は真剣だ。
「俺……別に願い事なんてねえもん」
「欲のないところがハニーのいいところだが、恋人同士としての欲はあるだろう」
 先程から『恋人同士』というのをジャックは妙に強調して口にしている。
「別にねえよ。それより俺は腹が減っ……」
 ジロリとジャックに睨まれて恭夜は「減ったけど、あとにしようかな……」と誤魔化した。
「……まあいい。それより、せっかくの七夕だ。キョウも書くんだ」
 無理矢理筆を握らされ、目の前に短冊を置かれる。だが、恭夜は本当に書くことなど浮かばないのだ。
「ちなみに、あんたは何を書いたんだよ……いや……書こうとしてるんだよ……」
 頬杖をついて、恭夜が聞くとジャックはニンマリと笑う。
「キョウと愛の楽園をこの地上に築く」
「は?」
「どうだ。素晴らしいだろう」
 ジャックは真面目に、それいでいて満足そうに言った。
「あのさあ、それは希望じゃなくて、実現したいと思ってるあんたの、妄想じゃねえの?つうか、またなんか頭の中に湧いてるよな?」
 いや、いつもジャックの頭には何かが湧いている。
 湧いていなければこういう、セリフなど出てこないはずだ。
 呆れて恭夜は脱力しそうだ。何処の世界にそういう願い事を短冊に書く人間がいるのだ。
 違う、ここにいた。
「他には……そうだな、これなどどうだ。無垢なキョウを心ゆくまで味わう」
 ……。
 湧きすぎ。
「あのさあ、あんた、マジでそういうこと言ってるのか?」
 恭夜はジャックを眺めるのだが、問題の男は一人で陶酔している。しかもやっぱり願い事ではなくて、これから計画しているようなことばかり口にしているのだから、よく考えると恐ろしい。
 俺……今晩、また朝までおつとめか?
 勘弁してくれよ~。
「ああ、こういうのもあるぞ。ハニーの絶倫に何処までも私は満足させてやろう」
 ……だから。
 俺の言うことこいつ、聞いてねえよな?
 いつものことだが、全く恭夜の言葉などジャックの耳に入っていない。
「それは、願い事じゃねえだろっ!何、さっきからわけのわかんねえことばっか口にしてるんだよっ!」
 願い事とこれから実行しようとしている企みとは違うはずだ。もっとも、実行に移されるとこれほど怖いものはないが。
「口にしているわけではない。短冊に書いたものを読み上げているだけだ」
「あのな、あ~の~な~……!俺が言いたいのは、短冊には願い事を書くってことだよ。○○が叶いますように……というのが正しい願い事だろっ!」
 恭夜が怒鳴り声を上げると、ジャックはフンと鼻を鳴らす。馬鹿にしているというのはこういう態度だ。自分が間違ったことを口にしているのに、このジャックの態度は一体なんだというのだろう。毎度のことだが、そのたびに恭夜は腹が立つ。
「こういうのを増やそうか。ハニーの口の悪さが治りますように。これでどうだ。願い事だろう」
「……じゃあ、俺は、あんたが人の話を聞けるようになりますようにって書いてやるよ」
 むかついた恭夜は思わず筆を持って短冊に書き込んだ。
「私の職業は何だ」
「ネゴシェイターだろ」
「分かっているならそういうくだらないことを言うな。人の話を聞かない人間にネゴシェイターが勤まるわけなど無いだろう」
 ジャックは真剣に怒っていたが、それを問いつめたいのは恭夜の方だ。どうしてこういうわけの分からない人間が交渉人になれるのか、誰か分かる人間がいたら教えて欲しいほどだ。
「俺が聞きたいよっ!」
「ハニーの言うことは意味が分からない」
 そっくりそのまま返してやりたいセリフだが、相手がジャックである限り何を言っても無駄だった。
「……もういいよ。勝手に書いてろよ」
 立ち上がろうとした恭夜を、ジャックはまた止めた。
「もっと可愛らしい願い事が書けないのか?二人で愛の巣を築きたい……とか、素直な可愛い男になれますように……など、いろいろあるだろう」
 湧きすぎてジャックの脳は崩れているような様子だ。
「ジャックの絶倫が人並みになりますように……だっ!」
 結構切実なことを恭夜は訴えたつもりだった。
「それは、ハニーが絶倫だから問題なんだろう。私はキョウを満足させるために毎晩励んでいるのに、そういういい方は感心しないな」
 脳内変換は本日も絶好調だった。
「……俺は何も望まねえよ。……もともとそういう人間なんだしさ。別に欲しいものとかねえし、ああしたい、こうしたいっていうの無いからなぁ……」
 深いため息をついて恭夜は言った。
 望みが無いわけではないが、ジャックの前だ。何か希望を口にすれば、必ず実行に移すに違いない。それが恐ろしくて恭夜は希望など書けないのだ。
「ハニー……」
 いきなりジャックがテーブルを乗り越えて、恭夜の座るソファーに移動してきた。やばい雰囲気だと思っていると、やはり恭夜をソファーに組み敷いてくる。
「……あんたは、短冊を書くんだろ?」
「たくさん願い事はあるが、本当は一つだけ叶えられたらいいと思っている」
 薄水色の綺麗な瞳が恭夜を眺め下ろしている。たったそれだけのことであるのに、身体が疼くのだから恭夜も重症だ。
「な……なんだよ……」
「分からないか?私がハニーに何度も聞かせている言葉だ……」
 うっとりとしつつも、真剣さを漂わせたジャックはそろりと恭夜の頬にキスを落とした。
「……何度も?」
 考えてみるものの恭夜の頭にはすぐに浮かばない。
「そうだ。日常でも……ベッドでもお前に聞かせている言葉だ。それをキョウからも聞かされたい……」
 耳元で甘く囁き、耳朶を噛む。キュッと締め付けられた耳朶に恭夜は身体を竦ませた。
「えっと……何だったかな……」
 ジャックが頭に描いている言葉を答えることができなければ、このままひどい目に遭わされそうな気がして、恭夜は必死に記憶を辿った。
 いつもジャックが口にする言葉だ。
 日常でも、ベッドでも……。
 ……あ、そっか。
 いつも言うよな~……。

 ハニーはどうしてこう可愛気がないんだ……。

「……俺に可愛気なんて求めるなよ。希望として書いたとしても、無駄だっての」
 恭夜の言葉にジャックは業を煮やしたように、ジーンズの上から雄を掴んできた。しかもとびきり痛い。
「ぎゃあああっ!いて……いてええええっ!何するんだよっ!」
「誰が可愛気など求めているんだ。可愛いしぐさを見せろと言ったところで無駄なのは分かっている」
 外れたようだった。
「分かった……分かったって……そ、それじゃあ……えっと……」
 他に何があっただろうか。

 お前は素直ではないからな……。

 素直……あ、素直だっ!
「……ていうか、俺に素直さを求めら……ぎゃああっ!いてええっ!握りつぶす気かよーーー!」
「誰がそんなことを言ってるんだ。キョウの記憶力はどうなってる?あれほど私が心を込めて囁いていることが頭に入っていないのか?」
 滅茶苦茶ジャックは怒っていた。だが、本当に恭夜には分からないのだ。
 ジャックがどういうことを望んでいるのか。
「……うーん……いでえええっ!今考えてるんだってっ!いちいち、掴むなよっ!」
 足をバタバタとさせて恭夜は怒鳴った。大体、抽象的すぎてどう答えて良いのか分からないのだから仕方ない。
「あんたが教えてくれたらいいだろ」
「私が教えることではない」
 きっぱりとジャックはそう言った。
 ……考えても出てこないな……。
 こいつが口にしていることっていろいろありすぎて困るんだよ。
「恋人同士には必須のものだ。願い事ではなくて、それを言葉にして聞かせてくれ」
 仕方なしにジャックはそう言って、ため息をついた。その言葉で恭夜はようやく理解することができたが、口が裂けても言えないことだ。
 ……げろ~……そう言う意味かよ……。
 こんな素面でいえるわけねえだろ……。
 つうか、今までそんなこと強制しなかったじゃねえか。
 心の中だけで悪態をつきながら、恭夜はどうしようかと悩んだ。口にすれば多分、ジャックは喜ぶに違いない。だが、その後、どうせベッドに連れ込まれるだろう。とはいえ、言わなければこの場で無理矢理やられてしまいそうだ。
 どちらにしても結果は同じだった。
「ハニー……どうなんだ?」
 仕方ねえよなあ……。
 一度くらい言ってやってもいいか。
「一度だけだからな」
 恭夜が顔を赤らめると、ジャックの表情は満面の笑みへと変わる。余程、恭夜から聞きたかったのだろう。
「……俺も……恥ずかしいんだからな……」
「分かっているよ。ハニー……」
 本当に嬉しそうにジャックは恭夜を見つめている。こういう笑みを見せられたら恭夜も口にしなければならないだろう。どうせ結果は同じなのだ。
「……じゃ、じゃあ言うぞ」
「聞かせてくれ……」
「あ……その、ジャックとエッチがしたいな~って……」
 恭夜の言葉にジャックの表情は一気に険しいものへと変わった。
「……」   
「あれ?俺からの誘い文句じゃねえの?……ぎゃーーーーっ!まて、待てよっ!」
 無理矢理衣服を引き剥がされて、恭夜は声を上げたが、ジャックは無言だった。



 翌日。結局夕飯も食べさせて貰えず朝方まで付き合わされた恭夜はへろへろだった。だが、リビングには短冊のぶら下がった葉竹が鎮座していて、あれほど散らかっていた紙くずは綺麗に無くなっている。
 あいつ……。
 いつ掃除したんだよ……。
 生あくびを堪えながら恭夜が葉竹に近づくと、ジャックが昨日散々恭夜に言わせようとしていた希望を見つけた。

 ハニーから愛の告白

 同じ言葉が書かれた短冊は沢山あったが、恭夜は見なかったことにした。

―完―
タイトル

七夕企画最終の第10弾! どこまでもとぼけている恭夜? というか……これじゃあちょっとジャックが可哀想かもしれませんねえ。でも真面目に気がつかない恭夜も抜けているというか、何も考えていないというか……。まあ、これが恭夜というところでしょう。おつきあいありがとうございました♪

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