第1夜 「クリスマスの悲劇」 (クリスマス企画2002)
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タイトル
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今年のクリスマスはトシに権利が回ってきた。本来ならリーチのプライベートではあったのだが名執が夜勤であったため、リーチが珍しく--いや、嫌々、譲ってくれたのだ。大抵この時期は正月かクリスマスのどちらを選ぶことでもめるのだが、こんなに穏やかに話し合いができたことは珍しい。『言っておくけど、俺はお前が可哀想だから譲ってやるんだからな』
相変わらずリーチは恩着せがましく言う。
「も~。僕は今晩の準備で忙しいんだから黙ってくれるか、寝てくれるかどっちかにしてよ」
紙袋にクラッカーやワインなどをいれ、幾浦に買ったドミニック・フランスのネクタイが包まれているクリスマスプレゼントも入れた。これは奮発したとトシも思っている一品だ。きっと喜んでくれるに違いない。
『おい、聞いてるのか?譲ってやったんだからな』
「分かってるって……」
リーチは可哀想に思っているわけではなくて、自分の相手である名執が夜勤だから仕方なしに譲ったはずであるのに、どこまでもトシに恩を着せる。
『ていうか、クリスマスだ』
「……なに?またくだらないこと企んでるんだろ」
リーチに騙されたことは数知れず。いつも後から後悔するのはトシだ。分かっていて踊らされてしまうのだからトシも悪いのだろう。だが、リーチはトシを信じ込ませる天才だった。
『あ、お前さあ。俺が、いつだってお前たちのことを考えてやってるのわかってねえなあ。トシが幾浦に飽きられないように俺は俺なりに考えてるんだろ』
少々不機嫌にリーチは言う。
これがくせ者だ。
ただ、そういうリーチに反論でもしようものなら、更に恩着せがましいことを並べ立てられるので素直に頷いておく方が無難だ。
「分かってるって。だからさあ。黙っててよ。え~っと……あと、チキンは恭眞の家にいく道のりで予約していたのを引き取って……ケーキだよね。あ~ケーキ忘れた」
ハッとトシは紙袋から顔を上げ、一番大事なものを忘れていたことを思い出した。
『ケーキなんて町中に溢れてるだろ。適当に買ってけよ……』
面白くなさそうにリーチは花畑でごろりと横になる。
「そうだね。そうするよ。どんなケーキを買おうかなあ……二人だし、あんまり大きなケーキじゃ食べられないもん。小さなケーキを二人で食べるのもすっごく楽しみ~」
リーチに聞かせるわけではなく、どちらかと言えば独り言のようだった。だが、それに反応したのはリーチだ。
『ケーキといやあさ、アメリカ映画とかに出てくる祝い方を俺、ユキにやってもらいたいんだよね……』
「……なに?どういった祝い方なの?」
それはトシも少々気になった。リーチがやって欲しいと言うことは、幾浦もそう思うことかもしれないと考えたのだ。
『映画でよくやってるだろ。ほら、でっけ~ケーキの中から水着を着た女が飛び出して、クラッカーを鳴らしてさあ、メリークリスマス……って言うんだ。それ、ユキにやってもらいたいんだ~もちろん、水着じゃなくて裸エプロンでだけど……は~俺、俺のクリスマスだったら良かったのになあ……』
「……み……見たことはあるけど……。そんなこと、リーチは雪久さんにやってもらいたいの?」
『うん。させる。日はずれるけど、あいつとはちゃんとクリスマスやるから、その時にやってもらう。ぜって~させる。俺のロマンなんだ……あ、お前、まねするなよ。二番煎じは嫌いなんだ』
意外に真面目にリーチが言ったことで、トシは「ふうん」と頷いた。ただ、なんとなく、それもいいかも……と、考えてしまったことは確かだ。
「でもさあ、結婚式じゃないんだから、そんなに大きなケーキなんて用意できないじゃない。どうするつもりなの?」
『別にでかいケーキじゃなくてもいいんだって。でかい箱は必要だけどさ。こう、人間が一人くらい入られる箱を探して、そいつの真ん中にこう、人間が出る蓋を作っておいてさあ、両脇にケーキを一つずつおけば落ちなくていいじゃん。で、俺が帰ってきたら、ぱかって開くんだ~。で、メリークリスマス~ってプレゼントを差し出すあいつ。く~いいね……。こんなふうにプレゼントもらったら俺、すっげ~嬉しい。じゃなくて、良いアイデアだろ?』
いいのかどうかトシには分からないが、そんなことをこの二人は真面目に、だが楽しんでやっているのだろう。聞くと、かなりトシは羨ましい。一見ばかばかしそうに見えるのだが、こういうちょっとふざけたことなど、普段はできないだけにイベントにかこつけてやるものとても楽しそうだ。
だが、僕もしたい~!などと言うと、俺のアイデアを取るなとリーチが怒ることは目に見えていたためにトシは興味のなさそうな声で答えた。
「へ~。ふ~ん……」
『やるなよ?俺のアイデアだからな』
リーチは凄味を利かせてトシに言う。
「やるわけないだろ。馬鹿馬鹿しいよ」
口ではそう言ったが、トシは結構乗り気になっていた。
『遊び心もないと、恋愛なんて長続きしねえよ~。こういうことを馬鹿にするお前こそ馬鹿だ』
「もう。黙ってくれない?僕はこれから恭眞のうちに行くんだから、リーチはスリープしてよね。分かった?寝て。いい?早く寝て」
トシが急かすように言うと、リーチはようやくぶつくさ言いながらもスリープした。
……
寝てくれた。
それで……
箱ってどこにあるんだろう。
あ、それよりまず、エプロンだけど……
は……
恥ずかしいよね……。
トシは色々と考えつつ、エプロンは止めることにした。あれは以前大失敗をしたことがあり、気が進まないのだ。
「そうだ。シャツ一枚でもいいよね」
シャツ一枚を羽織り、プレゼントを持って入ればいいのだろう。別に素っ裸ではなくてもいいのだ。それは名執なら容姿も端麗な上、肌も白くてさまになるだろう。だが、トシには何となく似合わないような気がした。
あ~……
わくわくしてきた。
恭眞のうちに行く間で箱を探さなきゃ!
紙袋を持ち、トシは立ち上がるとコーポを後にした。
結局、リーチに踊らされていることなど全く気がついていなかった。
大きな箱を探すことに成功したトシは、ケーキと箱、チキンに、紙袋を必死に持って幾浦のうちに入った。本日、幾浦は少し遅くなると聞いていたトシは、さっさと準備をしてしまおうと、テーブルにこの日のために買っておいたクロスを敷き、グラスを揃え、ワインをおく。真ん中には大皿に乗せたチキンの周りにゆでた野菜を添えて飾りにする。
「ワンッ……」
尻尾を振ってアフガンハウンドのアルは、見たこともないテーブルの料理を眺めながら吠えた。舌なめずりをしているところをみると、チキンから臭う香りに誘われているのだろう。
「駄目だよ。これは僕たちのだから……。アルにもプレゼントはあるからね。ちゃんとお利口にしてくれたらあげるよ」
トシの言葉が分かるのか、アルは椅子にかけていた前足を下ろして、床に伏せた。
「やっぱりアルは賢いね。先に恭眞にプレゼントを渡したら、次にアルだよ。覚えておいてね。素敵なプレゼントを買ってきたんだから、きっとアルも満足できるはずだよ」
ニコニコとした顔をトシが向けると、アルは先程よりも激しく尻尾を振った。
「さて……と。テーブルのセッティングはできたから……あとは……例の箱だけかかあ……」
トシはリビングに戻り、潰して持ってきた箱をまた組み立てた。もともと冷蔵庫が入っていた箱で、側面に絵が描かれている。それを見せなくするために、トシは白い紙をぐるりと巻き付けて、真っ白な箱にした。
様子を見ていたアルが、なにをやっているんだろうと、顔をやや横にして眺めている。説明するわけにもいかないトシは、作業を進めた。
箱が綺麗になると、今度はカッターで上部の真ん中をコの字形に開けた。これで、中に入っていても飛び出せる仕組みだ。コの字形の両側にはケーキをおくために、少し間があるのが特徴だった。
え~っと……
ケーキが落ちないようにしないと……。
このままコの字形に開けた両側にケーキをおくと、トシが飛び出したときに転がってしまうのだ。トシは、ケーキの大きさを測り、同じ形の溝を両側に作った。箱の後ろ側には人間が入られるように開くようになっている。
完璧だ~!
汗が滲む額を拭い、散らかった周囲を掃除して、トシは両側に小さなケーキをおいて、準備は完了した。後は、トシが入るだけだ。
汗かいちゃったし……
お風呂にはいってからにしようかな……
念入りに身繕いを整えたトシは、やはり持ってきた洗い立てのシャツを羽織ると、悩んだ末に下着は身につけて、プレゼントを手に持った。よくよく考えると間抜けな姿なのだろうが、トシは気持ちが高ぶっているために、自分のことが分からなかったのだ。
はてなマークの表情でずっとトシを見ているアルのことも、トシには見えていなかった。そんなことよりトシは喜ぶ幾浦の顔を想像するだけで、にやけてくる。
最後にトシはアルのために買ってきたクリスマスの服を着せた。頭にはトナカイの角がついた帽子を被せる。アルは嫌そうな顔をしていたが、トシが「とっても似合うよ~格好いい!」とほめあげて機嫌を取り、準備は整った。
幾浦が帰ると言ったのは十時過ぎだったので、それまでトシは、シャツ一枚でソファーに座り、にまにまとしていたが、気がつくともうすぐ十時近くになっていた。
あ……
そろそろ帰ってくる……。
ソファーから飛び降りて、リビングの真ん中に鎮座させた箱の後ろからトシは中に入って閉めようとした。だが、後ろからアルも入ってきたので、トシは困った。追い出そうとするのだが、アルは一向に箱から出てくれないのだ。
トシは窮屈ではあったが、アルと一緒に入ることにした。考えると一人では恥ずかしいが、アルと一緒ならそれほど照れくささを感じなかったからだ。
待つこと数分。
玄関の扉が開かれる音がした。
恭眞が帰ってきた~!
だが、聞こえてきた声に、トシは冷や汗が出そうになった。
「なんだこれはっ!」
リビングに入ってきたらしい、幾浦の声が響いた。そこで顔を出そうとしたが、続けて聞こえた声にトシは行動に移せなかった。
「……げえっ!なんじゃこれ……」
恭夜の声だった。
う……
嘘っ!
外にいる幾浦たちも驚いているのだろうが、トシの方がもっと驚いているのだ。これでは当然、外には出られない。トシは膝を抱えると小声で「アル、静かにしてるんだよ。お願いだよ」と囁いた。アルの方も、自分の姿を恭夜に見られたくないのか、唸ることもせずに緊張した面もちで顔を引き締める。
「兄貴、それ……なんだよ……」
恭夜は気味悪げな声色を伴っていた。
「トシはどこにもいない。キッチンテーブルには今日のセッティングがされているところを見ると、何か足りなくて買い出しに出たんだろう。まあいい。まず、ソファーに座れ」
「ていうか何でおれがここに来なきゃならないんだよ……」
ソファーの軋む音が聞こえるところを見ると、どうも二人とも椅子に腰をかけたようだ。もし長話でもされると、狭い場所で縮こまっているトシにとって拷問だ。とはいえ、シャツ一枚に下着という姿ではとても出られるわけなどない。
トシは冷や汗をそっと拭いながら、時間がたつのをひたすら待った。
「そういえば、今日のような日に、私のことを聞いてうちに来ると言うことは、例の変人と別れるつもりなんだな。そうそう、追い出されると住むところが無いだろうから、一週間くらいならうちに泊めてやる」
幾浦の口調はかなり本気のようだった。
「……なんだよそれ。俺は別れたりしねえ」
「ん?クリスマスと言う日に、素直にうちに来ると言うことは、別れるという意思表示じゃないのか?」
幾浦は冷たい声で言った。
「あいつは今仕事で中東に行ってるよ。明日帰るって聞いてるけどな。じゃなくて、わざわざ呼び出して話ってなんだよ……」
不機嫌そうに恭夜は言う。
「実はなあ……」
小さな咳払いが聞こえる。幾浦にとってなにか、言いにくいことでも恭夜に話すつもりなのだろうか。
「なんだよ……改まって……」
「お前は、正月に実家に帰る予定にしてるのか?」
「……」
「こういう場合、どちらかが、実家に挨拶しなければならないと思わないか?」
「え、俺、俺は駄目だって。ジャックは明日から暫く日本にいるんだから……ていうか、仕事も休みだし、俺が実家に帰るっていったら、あいつぜってーついてくる。そんな恐ろしいことを俺ができると思ってんの?」
「私も無理だ」
きっぱりと幾浦は言った。
「ていうか、俺は、そういうの関係ないと思うだけどなあ……俺は、ほら、勘当された身だし……。まあ母さんにはごくたまに連絡するけど、勘当が解けた訳じゃねえもん。というわけで、兄貴よろしく!」
恭夜の方は妙にすがすがしい声で言った。
幾浦がどう答えるのだろうと聞き耳を立てていたトシだったが、暫く会話が途絶えて、どちらも口を開こうとはしなかった。
なんだろう……
何か理由があるのかな……
だって、僕はクリスマスの権利をもらったから、お正月は無理って言ってあるし……。
「トシと初詣に行く」
幾浦はきっぱりと言った。
そしてまたしばらくの沈黙後、恭夜が笑い出した。
「……それこそ、兄貴が隠岐をつれて実家に帰ったら?……っあいた!」
どうも恭夜は幾浦に殴られたようだ。
「そう言うことを言うな。父親は知らないんだ」
「だからって俺にそれをしろっていうのか?考えても見ろよ!相手が男って言うのはおいて、隠岐ならまだいいけど、ジャックなんて……親父に会わせたらどうなると思う?俺はそういうの想像するだけでも恐ろしいよ……」
深いため息をついて恭夜は言う。
トシも同じ意見だ。
自分がついていくことはもちろん拒否するが、かといってジャックが彼らの両親に会うなど、どう考えても恐ろしい。止めた方が無難だろう。いや、ここは、行くと言っても幾浦が止めるべきだ。
「……それは……私も理解している。あんな変人をうちの両親に会わせるなど、考えたくもない」
「じゃあ、兄貴が行けよ。隠岐はどうせ仕事はいるだろ。年末年始って、色々事件も多発するしさあ。今日だってもしかすると、呼び出しが入って警視庁に戻ったかもしれないぜ」
……
ここにいるんだけど……
今、もし、呼び出しなんて入ったら……
ば……ばれちゃうかな。
鳴らないでね……。
両脚をもう一度抱えなおすと、トシは小さく息を吐いた。
「それはない。トシの靴は玄関にちゃんとあった……あ?靴はあったな。変だな。それじゃあ、うちにいるはずだが……」
寒い~。
恭夜さんお願いだから帰ってよ~。
このままでは風邪をひいてしまうかもしれない。分かっていても今は動けないのがトシには辛かった。滅多に考えないことだが、早く恭夜に帰って欲しいと本気で願うほど、トシは今の状態が辛かった。
「トイレに籠もってるんじゃないのか?」
「もう一度、探してくるか……」
「俺も協力するよ……」
その言葉を最後にリビングには静寂がやってきた。
チャンスは今しかない。そう思ったトシは、とりあえず先に部屋の様子を窺ってから出ようと考え、頭をそろそろ上げて、段ボールの上部の蓋を薄く開けて見た。
すると、目の前で段ボールを眺めている恭夜の目とトシの目が合ってしまった。すぐさまトシは顔をひっこめたが、ばれたに違いない。
「わ……わーーーーっ!」
トシは段ボール越しに、恭夜の絶叫を耳にした。余程、驚いたのだろう。
どどどどど……どうしよう……。
ばれちゃった……
ばれちゃったよ~
暗い段ボールの中でトシは、折り畳まれるように小さくなって、羞恥に耐えていた。まだ目が合ったことだけで済んだことは幸いなのだろう。とはいえ、こんなに恥ずかしいことを普段からしていると恭夜は誤解したことは確かだ。
今度、恭夜に会ったとき、なにをいわれるか……もう、トシは穴があったら入りたい気持ちに駆られていた。
「五月蠅いぞ。なにを叫んでる」
「……え……だって……だってな……いや……その……。俺、帰る」
「話はまだ終わってないだろう?」
「俺……あ、兄貴が帰れないっていうならそれでいいよ。俺も帰らないから……じゃあ。そういうことで……」
「おい、恭夜……」
「帰るんだって!離せよっ!俺は、帰るんだ~!」
バタバタと音が聞こえ、玄関の方に向かって消えていく。恭夜はトシを見て逃げ出したのだ。変なことを考えるカップルだと思ったに違いない。こんな恥ずかしい想いをするくらいなら、やらなければ良かったと、トシは本気で後悔していた。
リーチが悪い。
リーチが悪いのだ。
あんなことを言うものだからトシは真に受けてしまった。取り返しのつかないことをやってしまったとはこのことを言うのだろう。
半分涙目になっているトシの頬を、アルは優しく舐めてくれたが、深く後悔しているトシの気持ちを和らげるものにはならなかった。
なんだか……
すごく悲しくなってきちゃったよ……
自然に落ちる涙を拭い、鼻をすすっていると、いきなり上から光が差し込んできた。
「と、トシ?そうなのか?あ~……そ……そこで……な、なにをしてるんだ?うわっ!アルまで……一体どうなってるんだ?」
顔を見られたくなかったトシは俯いたまま顔を左右に振った。同じようにアルも左右にふる。
「……いや、アルはいいんだ。違う。その……なんだ……。もしかして、ずっとここに入っていたのか?」
一応トシは小さく頷いた。
「……よく分からないんだが……なにがどうなって、ここに入ってるんだ?いや……これはトシが作った……のか?」
こくこくとトシは上を見ずに頭だけを上下に振る。
「……ごめんなさい……う……う~……」
一気に涙がこぼれてトシは両脚の間にこれでもかというほど顔を埋めて泣いてしまった。恭夜に見られたというショックが、なにもかもまともに考えられないほどトシを混乱に陥らせていたのだ。
「いや……なにを謝っているのかよく分からないんだが……。とりあえず出てこないか?」
幾浦の言葉にトシは泣きながら顔を左右に振る。同じようにアルも左右に振った。すると、丁度トシの背が当たっている、段ボールの後ろが開けられて、幾浦の手が伸ばされてきた。
「やだよ……」
「ほら……なんだ。いやに色っぽい格好で入ってるんだな……。アルは……トナカイか。クリスマスらしい装いになって、いい感じだよ」
幾浦は小さく笑って、トシを箱から外へと連れ出す。同時にアルもくっついて外に出た。
明るい部屋に出されたトシは、羞恥心の塊になっていて、涙しかでない。幾浦が話しかけてくるのだが、こんな格好さえしていなければ、すぐにでもマンションを飛び出していただろう。それほど今のトシは、恭夜に知られたことでショックを受けていたのだ。
「泣くんじゃない。なにをしたかったんだ?ああ、別に怒ってはいないぞ。ただ、この箱の意味が分からないだけなんだ……」
「ぼ、僕……ただ、……うえっ……アメリカ映画みたいに……う……恭眞が帰ってきたら……ひっく……ケーキから飛び出して……メリークリスマスって……言いたかったんだ…それだけだったんだ……恭眞が喜ぶと思って……僕……僕は……っ!ごめんなさい……」
トシがたどたどしいながらも口にすると、幾浦はチラリと箱に視線を移し、またトシの方を見ると、ギュッと身体を抱きしめてきた。
「時々、面白いことを考えるんだな……そう言うトシは可愛いぞ」
「ほんと?本当に……呆れてない?」
涙目でトシは幾浦を見つめて、トシが恐れていたような表情を、幾浦がしているかどうかを確認しようとしたが、曇った目ではよく見えなかった。
「呆れてなんかいないさ……そうだ。こういうアイデアを出したのはまた、誰かさんだろう?」
今度は顔を引きつらせているのがはっきりと見えた。
「……え……あの……違うよ。これは僕が勝手に……」
「……まあ。いい。トシは悪くないんだ。それより、もしかしてもしかすると、恭夜に見られたのか?」
じっと見据えられ、トシは思わず顔を左右に振っていた。とても本当のことを話せなかったのだ。今回はやはりリーチが悪い。またもや踊らされていたことにようやく気がついたトシは、このことはリーチが恭夜を口止めするのが当然の後始末だと、心の底から強く思った。
恐ろしいものを見てしまったような気がする……。
マンションの一階まで下りて歩道に出たところで恭夜は安堵のため息が漏れた。
兄である幾浦は気付いていなかっただろうが、見てしまった恭夜は、一瞬たりともあの場所に留まっていられなかったのだ。
隠岐って……
すげえよなあ……
歩道を歩きながら、恭夜は急に笑いが込み上げてきた。
目があったとき見せた利一の、未だかつて恭夜が見たことのない驚愕の表情。思い出すだけで一日でも笑っていられるかもしれない。
くすくすと笑いながら歩いていると、どこからともなくジャックの声が聞こえた。
「ハニー……どうして、こんなところでうろついているんだ。今、何時だと思っている」
ジャックは恭夜より数メートル離れた場所で腕組みをして立っていた。羽織っているラムスエードのコートは内側がブルーフォックスの毛がびっしり生えていて、しかもマキシ丈だから迫力満点だ。覗くスーツもフェレのものだ。コードバンを使った鞄などは特注なのだからただ者ではない。
「げっ!な……なんで、あんたがここにいるんだ?し、仕事じゃなかったのか?ていうか、あんた中東に行っていたはずなのに、どうしてそんな厚着してるんだよっ!」
たじろぐ恭夜につかつかと近寄ってきたジャックは、いつものように大げさに身体を抱きしめてきた。
「日本は寒いな……キョウ……。あまりにも寒いものだから、途中で買ってきたんだ」
……
寒いからって……
普通、こんな高そうなコートをポンと買うかな~
信じられない奴。
「……こたつと一緒に行動でもしろよ。俺は別に寒くないけどな」
ジャックに抱きしめられた恭夜は、鼻に毛が入り込んできてくしゃみが出そうなのを耐えた。
「そんな話はどうでもいい。クリスマスの日に、ハニーはどうしてここにいる?」
ジロリと睨まれつつも、恭夜はジャックの胸元を押した。とにかく鼻がむずむずするのだ。しかも、暑苦しい格好をしたジャックに抱きしめられていると、それだけで暑い。
「え、あそこ、兄貴のうちなんだ。ちょっと年末どうするか話してたんだよ」
「お兄さまのマンションか?」
「兄貴のマンションじゃなくて、住んでるマンションな。お前とは違うんだから誤解するなよ。ていうか、お兄さまはもうやめてくれよ~気持ち悪いんだって」
「お兄さまは、お兄さまだろう。根暗だろうが、根性がひん曲がっていようが、ハニーのお兄さまなのだから私も耐えるしかない」
……耐えるって。
誰が?
お前が何かに耐えた試しなんてねえだろう~
と、恭夜は心の中では思っていたが、口に出さなかった。
「まあいいけど。ていうか、どうして俺がここにいるのが分かったんだ?うちに書き置きしてもいなかったのに……」
いつもジャックは絶妙のタイミングで恭夜の目の前に現れるのだ。どう考えても、不思議で仕方がない。
「ハニーを愛する気持ちが、私を呼び寄せるんだろう……」
嬉しそうにジャックが言う。
「……愛があろうと、なかろうと……普通は探せねえだろ?……なんか気持ち悪いんだよなあ……あんた、俺のことどうやって監視してるんだよ」
「ん?どうやってだ?衛星を使ったところで、ハニーの居所など特定できないぞ」
「じゃあ、どうして俺の居場所を突き止めたんだ?」
「ハニーのフェロモンに私の鼻は利くんだ……」
満面の笑みで答えられて、結局、恭夜ははぐらかされていることに気がついた。これ以上追求したところで、一度目で教えてくれないことは二度三度聞いたところで絶対に口を割らないのだ。
そう言う男にこれ以上聞くことは無駄なのだろう。
「……もういいけど……。とりあえず、お帰り」
「なんだ、とりあえずっていうのはっ!もう少し感激したらどうなんだ?」
急にジャックは腹立たしそうに言った。
「……感激よりびっくりしてるんだって……」
ため息をつくと、ジャックは恭夜の身体を離した。ようやく帰る気になったのだろう。
「さて、せっかくここまで来たのだから、お兄さまに挨拶に行くとするか……」
歩き出すジャックの手を掴んで恭夜は慌てて言った。
「もういいって。俺は……なんていうか、もう帰りたい」
今、幾浦のうちに戻ったら、どんな恐ろしいことが繰り広げられているのか分からない。もしジャックが行くと言い張ったら、恭夜は命をかけても阻止するつもりだった。
「ん?……なんだ、私といちゃいちゃしたいんだな。分かった。分かった。寂しいならそう言えばいいのに、本当にハニーは恥ずかしがり屋だ……」
別にいちゃいちゃなんて……
ていうか、俺らの間でそんなことがあったか?
ねえよ。
とはいえ、機嫌を良くしているジャックを怒らせるようなことは、何一つ言わない方が無難だろう。突然、ジャックは怒り出すのだから始末に悪い。しかも、どうして怒っているのか分からないことも多いのだ。
「……いやその……」
「タクシーをこの先に待たせているから、帰るぞ」
「……ああ。帰るよ」
恭夜はジャックに引きずられるようにタクシーに乗せられた。
タクシーの中は暖房が効いていたため、ジャックは着ていたコートを脱ぐと、膝の上に置く。コート自体の厚みがあるせいか、ジャックの膝は分厚い枕でも置いているように見えた。
「すげえ、コート……買ってきたんだな」
「欲しいならくれてやるが、ハニーには似合わないだろうな」
「五月蠅いよ」
「そうだな。ハニーなら、ダッフルコートがいいだろう……。明日にでも買いに行くか?付き合ってやるぞ」
「いらねえよ。ダッフルなんてさ。ガキじゃないんだから……」
「はは。なら、土産の中に総刺繍のドレスがあるだろうから、あれでも着せてやろう。ああ、宝石で飾った鈴つきのアンクレットもあるぞ」
「はあ?あんた、いつも土産なんて買ってこないのに、一体どうしたんだよ!じゃなくて、それは女が着る服じゃないのか?」
「今回の仕事は、ドバイの金持ちの依頼だったんでね。色々押しつけられただけだ。最初はタンカーに牛や馬や絨毯を乗せて贈ると言われて断った。私に牧場経営でもしろと言いたいのだろうが、非常に不愉快で、腹がたったな」
……いや……
そう言う意味のタンカーじゃないと思うんだけど……
本気で腹を立てているジャックを横目に恭夜は、先程の利一の顔をふと思い出して笑いが漏れた。
「なにが可笑しいんだ?」
「いやその……さっき兄貴んちでさあ……」
誰かに話したくてうずうずしていた恭夜は思わず、先程の出来事を口にしていた。
「ん?」
「あ……その……」
利一のことは言えないのだ。それを恭夜は忘れていた。
「なんだ?はっきり言え」
「あの……なんていうか、兄貴の恋人が部屋にいたんだけどさあ……。ケーキを乗せた箱の中に入っていたんだよ。俺、びっくりしったって」
「……どういう、状況なのか、私には分からないぞ。ケーキが普通、箱の中に入っていて、人間は外にいるものだろう?お兄さまの恋人はこびとなのか?」
「んなわけ、ねえだろ。だからさあ、ほら、アメリカで良くやるだろ?でかいケーキの中に人間が入って、時間が来たら、こう、水着姿の女とかでてくるじゃん。それをやろうとしてたんじゃないの?」
「それでは……スポンジか生クリームで窒息するだろう?時間が来たら死体が転がるのか?それは祝い事ではなくて、葬式になるが……新しい葬式の方法か?」
「ケーキの土台に人間を塗り込めてるわけじゃねえよ!あーも~。これはジャックの生まれたところの祝い方なんだろう?なんで、あんたが知らないんだよ。日本の話じゃねえっての」
すんなり通じると思っていたが、やはりジャックは訳の分からない受け取り方をしていた。
「……びっくりパーティのことか?なら、そういえ」
ギュウッと膝をつねられて、恭夜は「いてえっ!」と、声を上げた。
「アメリカでなんて呼ばれてるのか知るかっ!」
「それにしても……お兄さまの恋人がこびとだったとは……知らなかったな。そうか、こびとか……。セックスをするのが大変だな。可哀想に」
真面目にジャックはそう言って、一人で頷いていた。
「違うだろっ!あんた、なに聞いてるんだよっ!誰もそんなこと言ってねえだろっ!あああああ、もうううう。いいっ、俺は黙ってる!」
恭夜が大声で叫ぶと、タクシーの運転手が咳払いをした。思わずバックミラーを見ると、笑いを堪えているような顔で運転しているのが見え、恭夜はうちにつくまで、もう一言も口を開かなかった。
翌日、仕事を終えて帰ってきた恭夜は、既にへろへろだった。昨日の晩、散々エッチに付き合わされたのだから、仕方のないことだろう。大抵、ジャックが仕事から戻ってきた日は朝まで身体を離して貰えないのだ。それまでの間に、せっかく充電した身体も、一瞬のうちに、くたびれてしまう。
ああ……疲れた。
玄関で靴を脱ぎ、恭夜はキッチンに向かった。喉が渇いて堪らなかったのだ。
キッチンに入り、真っ先に視界にはいったものに、恭夜は腰が抜けた。
ぎゃ……
「ぎゃああああっ!」
真っ白な生クリームに彩られた、まるで結婚式にでも出てきそうなケーキが、床に置かれていたのだ。イチゴが何段にもなっている縁に飾られ、食用の花びらもつけられている。砂糖で作った細工物は手が込んでいて、飴細工はちょっとした芸術だ。
ただ、床には直接置かれているのではなく、ケーキが左右に分かれることができるように台がついていて、そこには車輪が動かせるように溝がしっかり入っていた。
な……
なああああ……
も、もしかして……
こ、これ、昨日の話を聞いたジャックが……ジャックが……
お、れ、に、させようって思って注文したのか?
い……
いやだ~!
腰が抜けて立てない恭夜は、床を這うようにしてキッチンを飛び出した。逃げなければと思うのだが、両脚が震えて前になかなか進まない。
空回りするように廊下をじりじりと歩いていて恭夜はふと気がついた。ジャックの姿が見えないのだ。もし、あの中に恭夜を閉じこめようと企んでいたなら、玄関に入った瞬間に拘束されているはずだ。
なのに、ジャックの姿が見あたらない。気配も感じない。
……も……
もしかして……
俺じゃなくて……
あいつが、入ってるとか?
額から汗が一気に吹き出してくるのを拭いながら、恭夜はやはり四つんばいの格好で回れ右をしてキッチンにそろそろと入った。
静かなキッチンはそれだけで、なにか不気味だ。そんな中、巨大なケーキだけが目に入る。
入ってねえよな?
なあ……
入ってねえよな?
俺……やだよ。
あいつが奇妙な格好して入ってたら……。
「じゃ……ジャック?」
小さな声で恭夜はケーキに向かって語りかけてみた。
「なあって。入ってるのか?」
返答がないために、恭夜はもう一度声に出してみた。だが、返事はない。しかも相変わらずジャックの気配はどこにも感じられない。
や、やっぱり入ってるんだ……
ど、どうしよう……
怖ええええっ!
「ジャック……なあ、聞けよ。俺……こういうのやだよ……。あんたが、エプロン着たときも、俺、血吹いて倒れそうになったんだからな。俺だって……許せることと許せないことがあるんだ……絶対に嫌だ。だからさ、俺、暫くここから出ていくから、もし、入ってたらその間に出てきてくれよ……。な?頼むよ……分かってくれた?」
いつケーキが左右に分かれて、ジャックが飛び出してくるか、ビクビクしながらも恭夜は必死に説得した。
「俺……ちょっと、ここから出るよ。分かった?あんたも出て来いよ?」
そろそろとまた、床を這いながら、恭夜は廊下へと出る。そうして、壁にもたれて息を吐いた。それでも鼓動が早くなっている心臓の動きが収まらない。
「なにをしてるんだ?」
玄関がいきなり開くと、恭夜よりも先にジャックが驚いた声で言った。
「あ、あんた、先に帰ってきてたんじゃないのか?」
「ああ、帰ってきたんだが、話しにならん運送屋に、文句を言ってきたところだ。ああ、さっさと入って持っていってもらおう」
閉めた玄関をジャックが開くと、作業服を着た運送屋の人間が数名入ってきた。手には大きなアクリルの板を持っている。
「な、なんだ?なにが始まるんだ?」
「ケーキを運んでもらうんだ。なに、ハニーのお兄さまは余程びっくりパーティをしたいようだから、わざわざ私がケーキを用意してやった。それなのに、運送屋が運べないと言い張るものだから、今まで抗議してたんだ。だがまあ、ようやく荷物を出してくれる手はずが整った。まあホテルのシェフでも直接贈れば向こうの期待に添えるものが出来たんだろうが……。私が見て、ミスはないかチェックしてから贈ろうと思っていたからな」
嬉しそうにジャックは言った。
「は?兄貴……兄貴にケーキを贈るって?」
恭夜が、理解できずにオロオロしている間に、梱包が済んだのか、目の前をアクリルケースに包まれた、例の巨大なケーキが運ばれていく。
「そうだ。私の国の祝い方だ。葬式みたいにやられたら、メンツに関わる。だから、本物を用意してやったというわけだ」
どういうメンツが立たないのか、恭夜には分からないが、ジャックは一人機嫌よさそうにケーキが運ばれていくのを眺め、運送屋が出ていくと扉を閉めた。
……あ……
うあああああ……
俺、当分、兄貴んちに行けねえよ~
ていうか、殺されそうなんだけど……。
愕然としている恭夜の身体を、ジャックは抱きしめながら呟く。
「ハニーに入ってもらいたかったんだが、二番煎じは嫌いだからね。違うことで楽しませてもらうことにした」
ニンマリ笑うジャックに、恭夜は口を開くことができなかった。
―完―
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タイトル
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こんな恐ろしいクリスマスがあったでしょうか? おいおい。ていうか、なんとなく落ちがわかるような気もするんですが……とりあえず、笑ってもらえたらいいかというところで……げほごほ。この後、幾浦が一体どうなったか……またの機会に書いてみたいですね。でも、キャラたちの間で贈りあいをしているのかもしれません。押し付け合いとも言うんでしょうが……恐ろしい……(笑)クリスマス企画おつきあいありがとうございました~。 |