第1夜 「雪の日の二人」 (超短編)
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外は珍しく大雪で、名執とリーチは窓際に座って空から舞い降りてくる純白の結晶を眺めていた。室内の空調は適温にセットされ、もちろん寒くはない。なのに、一枚の毛布に二人でくるまって、いつ止むともしれない空からの使者を眺めていた。
別段、興味があるほど珍しいものでもないのに、リーチは先程名執が入れたコーヒーのカップを手に持ったまま、飽きることなく見つめている。
瞳はどことなく寂しく、リーチは遠い思い出をガラス向こうに映しているように名執には思えた。
名執は無言でリーチに寄り添い、時折カップを口元に運んで、思いにふけるリーチを現実に引き戻さないように、密やかに息を吐く。触れている肩から伝わる温もりだけが、名執を安堵させていた。
次から次へと、落ちてくる雪は時折吹く風にくるくると空中で円を描いて、ここからでは見えない地面へと消えていく。
リーチと同じようにじっと眺めていると、白いはずの雪が灰色の小さな点の集まりにも見えてくるのだから不思議だ。
明日は雪かきが出来るほど積もるのかもしれない。
先に空になってしまったカップを手の中で何度も回し、やがてすることが無くなった名執が目を閉じようとするとリーチが言った。
「俺……雪の日は嫌いだ」
「どうしてですか?」
「こんな日に……俺達は両親から逃げ出した……」
淡々と言いつつもリーチは外を眺めることを止めなかった。
嫌なら見なければ良いはずの雪を見つめ続けるリーチに名執は言葉が告げなかった。
例えどれほど素晴らしい言葉をリーチのためにかき集めたところで、慰めにもならなければ、過去の痛みを和らげるものにはなり得ないことを知っていたから。
「……」
「未だに分からない。自分の子供を虐待する父親もそうだけどさ。分かっていて止めることが出来ない母親って一体どうなってんだ?」
名執に問いかけると言うより、リーチは自分自身に問いかけているようだ。
多分、今、リーチが見ている景色は、今、このときではないのだろう。
雪が降ると、本来なら寒さから守ってくれた温かい両親の手を思い出すはずであるのに、痛みと、悲しみだけで途方に暮れてるなか、独りぼっちで見上げた雪を思い出すのだ。
「私が温めてあげますから……」
一口も飲んでいないカップに添えられたリーチの手に己の手を重ねて名執は更に身体を寄せた。
「……温かいな……うん」
ようやく視線を窓から逸らせ、リーチは小さく笑った。
リーチの精神力の強さは、様々な逆境から学んだ事なのだと名執はこういうときに知る。決して最初から持ち得たものではないのだ。
生き伸びるために。
理不尽な行為に屈しないために。
自然に身に付いたのだろう。
名執が決して持つことが出来なかったものをリーチは持っている。元来持つ流されることを嫌う性格と、数々の逆境がリーチをここまで強くしたのだ。
だけど決してたやすく手に入れたものではない事はわかる。
途中で折れてしまいそうになったこともあったかもしれない。
それを思うと、名執は自分の瞳がうっすらと涙で曇るのが分かった。
だけど、リーチには決して見えないようにそろりと俯く。
「でも、お前の指は細いからなあ……俺の手、全部入りきらない」
くすくすとリーチは笑って、重ねたはずの名執の手を今度は自分の手の中に入れた。
温めてくれているのはリーチなのだ。
名執の冷えていた心を溶かしてくれたのもリーチだった。
だから、こういうときは自分が温めてあげたいと切実に思う。
リーチの心にある、過去の冷たい想い出を、自分が温めて溶かすのだ。
「細いかもしれませんが……体温はあります」
自分でも意味不明の言葉を言ってしまったことに気が付いて、名執は頬を赤らめた。もともと思うことを言葉にするのが苦手なのだ。
「……あははは……た、体温はあります……か。いいな。それ……」
リーチは急に笑い出し、瞳に浮かんでいたはずの影が消えた。
「ええ。リーチより温かいですよ。私……ほら。ね?」
頬を肩に擦りつけるようにして名執が言うと、リーチは笑い声を止めた。
「ああ。俺は、お前を見つけて温もりを知ったんだ……」
雪は相変わらず景色を真っ白に染めていたが、二人で寄り添う部屋はとても暖かかった。
―完―
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寒い季節に書いた、超ショートです。なんとなく仲むつまじい二人を書きたかったというか(汗)。 |