第3夜 「暑い日の二人」 (超短編)
<
タイトル
>
蝉の声が何十にも響き渡って、一体何匹いるのか想像すら付かなかった夏の日、気温は既に40度近くまで上がり、近年に見ない厳しい節水制限が出された。陽炎が立ちのぼる、熱された道路はまるで鉄板のようで、もちろん靴を履いていなければ歩けない。
道路脇にある水路は既に干からび、一滴の水分も見あたらず、いつもはドロドロの土が澱んでいる底は、兼ねてからの日差しに乾き、ひび割れて、でこぼこになっていた。
少年は、そこに一羽の雀を見つけた。最初死んでいるのだろうと思いながら、近寄り水路の底に目を向ける。すると何かを求めるように数度口を開けて閉じる。
生きてる……
どうしよう。
キョロキョロと周りを見回して、誰かが通らないかと期待してみたものの、誰もいない。少年は噛みつかれると怖いと本心ではおもいつつ、だからといって日差しに打ち落とされた雀を放っておくことが出来なかった。
手を伸ばし、そろそろと小さな羽毛の身体を手の中に入れる。焼けたような水路の底は真昼時の太陽の光を一杯に受けて、溶けそうなほど熱い。にもかかわらず、手の中にある雀の身体はひんやりとしていた。
少年はシャツの裾に小さな身体を包んで、家まで駆けだした。
雀をどうしていいのか分からない。かといって、小さな命が消えるのを見過ごすことが出来なかったのだ。
家の帰ると、両親は外出しており、玄関が閉まったままだった。少年は玄関脇に置かれた鉢の底に隠してある鍵を、誰も周囲にいないことを確認してからさっとつかんで、閉められた扉を開けた。
玄関からすぐにキッチンに駆け込んで、テーブルの上にあったタオルを広げて、そこに雀をそっと乗せる。
雀は相変わらず口をぱくぱくとさせていて、時折身体を震わせた。水が欲しいのだろうと幼いながらに気が付いた少年は台に足をかけて水道の蛇口を捻ると手に水を一杯掬った。こぼさないようにそろそろと歩いて、雀を横たえたテーブルの所に戻る。暑い場所で喉が渇いたのだ。水を飲めばきっと少しは元気になるだろう。
だが、戻ってきた少年を待っていたのは息絶えた雀の動かぬ体だった。
今年の夏は暑い……
日差しが入らないようにカーテンを閉め、宇都木は窓の所からソファーに戻ると、腰を掛けた。節水制限は既に勧告されていたが、今のところ水の出が悪いと言うことも無く、生活に支障はない。
ただ、だからといって必要以上に水を使わない努力はしていた。
遅いです……
室内にある時計を眺め、如月が出かけて既に一時間が経っていることに宇都木は気が付いた。アイスを買いに行くと言って出かけたのだが、帰ってくる様子が無い為不安になっていたのだ。
付いていくと宇都木は言ったが、「暑いから、お前は涼しいところにいろ」と、優しさから出た如月の言葉に、嫌だとは言えずに結局一人で待つことになった。
蝉があちこちで鳴いているのが戸を閉め切っていても聞こえる。昔の嫌な記憶が戻るのはそんなときだった。
助けられなかった雀。
両親に見つかる前に宇都木は庭の隅に埋めた。
長年飼っていたわけでもないのに、涙が止まらなかったことを良く覚えている。あれ以来、宇都木は生き物を飼うのが苦手になった。
犬であろうが猫であろうが、飼ってみたいと思ったことなど無い。
また一瞬目を離した隙に死ぬかもしれないという恐怖があったから。
両親もそうだ。
宇都木が一瞬目を離した隙に死んでいた。
自分がそんな風に人や生き物と分かれる運命なのかとも本気で思いこむほど、宇都木には強迫観念にも似た恐れがある。多分、如月は知らないだろう。
話したことがないから。
だから、如月の側にいつもいたい。
目を離すと何が起こるか分からないからだ。
蝉の声が更に高くなり、宇都木は両足を抱えて如月が帰るのをじっと待つことしかできなかった。何を言おうと如月に付いていくと言い張れば良かったのだろうが、嫌われることを極度に恐れるあまり、それは出来ない。
目を離したくない。
嫌われたくもない。
どうして良いか分からない。
「未来。ただいま」
宇都木はソファーから腰を上げて、ようやく帰ってきてくれた如月の元に走った。
「お帰りなさい」
一時間前には一緒に居た相手であるのに、宇都木はひどく感動した。
「あ、悪いが、アイスを頼むよ。ちょっと道ばたで拾いものをしてきてな……」
宇都木は差し出された紙袋を手に取りつつ、如月が大事そうにハンカチに包んでいるものを見つけて驚いた。
雀だった。
「……それ……」
「この暑さのせいで、雀が日射病になったみたいだな」
笑いながらキッチンに向かう如月に、宇都木は言葉が出ない。
また目の前で死ぬのだ。
あのときの辛い思い出が鮮明に宇都木の心によみがえった。
「だ……駄目です。動物病院の方が……」
実際は拾ってきて欲しくなかったのだ。もちろん、死んだからと言って如月のせいではないのだろうが、生き物の死を目の前にするのが嫌なのだ。
「ん?これくらなら私でも治せるさ。まあ雀は人に触られるとショックで死ぬとかいうから、これでも随分気を使ってハンカチに包んで来たよ」
如月は別になんでもないことのように言い、キッチンにあった小さな箱にそのまま雀を入れる。雀は横たわるわけではなく、丸くなって黒い目をあちこちに動かしていた。
だが、飛び立とうとしないのは体力が無いからだろう。
弱っているのだ。
そのままもっと弱って死ぬのかもしれない。
夜寝ているうちに。
朝になったら冷たくなっている。
「嫌です……邦彦さん……」
「未来は動物が嫌いだったか?」
ストローをはさみで切り、その先に水を数滴落として雀の口に運ぶ。雀は丸い水の玉にクチバシを突っ込んで、羽を震わせた。どうやら水を飲んでいるようだ。
「ほら、飲んでる」
後ろに立つ宇都木を振り返りながら如月は嬉しそうだ。
「……」
「大丈夫だ。どうせ暑さで参ってるだけだろう。昔、秋田にいた頃、やはり暑い年があってね。こうやってみんなで雀を助けたものだ。最近この辺りで雀を見なくなったから、年々減っているのかと思ったんだが、まだ居るんだな……私はそれが分かって嬉しくなったよ」
「でも……あ、いえ……」
心優しい人間なら、暑さで空から落ちた雀を放置することなど出来ないだろう。だからここで宇都木が反論すれば、薄情な人間だと思われるかもしれない。
事情が違うが、誤解されるのは目に見えていた。
「未来は……生き物が死ぬのを見るのが嫌なんだろう?」
言って何故か如月は笑った。
「……それは……」
「動物が嫌いな人間の中には沢山いるよ。別れが辛いから飼えないってね。未来もそんなところだと思う。可愛がってきた動物が目の前で死ぬと確かに辛いからな。でもこいつは野生だから飼えないぞ。元気になったら飛んでいくんだ」
如月は話している間も、雀に水を与えて、団扇で扇ぐ。そんな姿に宇都木は何も言えなかった。
一晩悶々としながら、翌朝、如月よりも随分先に起きた宇都木は、どうせ死んでいるのが分かってながら、恐る恐るキッチンに向かった。昨日の晩、キッチンの隅に雀の入った箱を移し、二人は就寝したのだ。
死んでいたらどうしよう……
だったら見なければ良いのに、宇都木の足は止まらなかった。
どうしよう……
怖い……
目を離した隙に死んでいる筈。
きっと箱の中で冷たく横たわり、如月が落ち込む結果になっているのだ。
だけどもし、生きていたら……
宇都木は心臓の鼓動を早めながらキッチンに足を踏み入れ、箱を覗き込んだ。すると雀の姿は無かった。
もしかして……
昨晩のうちに……
だから邦彦さんが雀を埋めにいったのだろうか。
いや。
でも夜はベッドを一度たりとも離れなかったはず。
グルグルといろんな事を考えていると、頭上で雀の鳴く声が聞こえた。驚いた宇都木が顔を上げると電灯の所にとまってチュンチュンと鳴いている。その声には昨日あれほど弱っていた雀と思えないほど回復していた。
「やっぱり元気になったな……」
如月が起きてきて、宇都木の後ろから満足そうな声で言う。
「……良かった……」
昔助けられなかった雀がまるで生き返ったような気が宇都木にはした。
「さあ、窓を開けてやるから勝手に飛んで行けよ」
キッチンの窓を如月が開けると、待ってましたとばかりに雀は、朝の日差しに向かって飛び立っていく。
飛んでいった……
宇都木の中に十数年あった痼りは、雀の羽ばたきと共に消えていた。
―完―
<
タイトル
>
あまあまなのかなんだかよくわからない宇都木のお話になってしまった。またちょっとくらい感じですみません~(汗)。 |