Angel Sugar

第5夜 「暑い日の二人」 (超短編)

タイトル
 恵太郎があまり気の進まない数学の宿題を解いていると、部屋の扉が叩かれた。
「鳩谷君、いる?アイス買ってきたんだけど食べないか?」
 顔を見せたのは鳴瀬だった。
「アイス……食べます!」
 宿題から逃げられる理由なら、どんなことでも良かった。しかもアイスクリームは恵太郎が好きなものだったから、もし、今すぐにでもやり終えてしまわなければならない宿題をしていたとしても、手を止めていたに違いない。
「へ~なんだか懐かしい公式を解いてるんだ……」
 机に広げた問題集を覗き込みながら鳴瀬は言う。
「……良かったら解いてくださっても良いですけど……」
 そう言えば鳴瀬がやってくれるかもしれないと半分期待していたが、当然鳴瀬は手を振った。
「駄目駄目。真下さんから聞いたよ。鳩谷君って、特に数学が苦手なんだって?面白いのにどうして苦手なんだろうなあ……」
 鳴瀬は言いながら恵太郎に棒状のアイスを差し出した。それを手にとって恵太郎は肩を竦める。
 ここに住んでいる人達の中で数学の嫌いな人間は誰一人としていないようだ。
「ま、アイスでも食べて一息ついてから宿題の続きをすればいいよ」
「……ありがとうございます」
「気にしないで食べてくれよな。俺も頼まれて買ってきたんだ。そのお裾分けってやつ」
「誰に頼まれたんですか?」
 鳴瀬にものを頼める相手とは一体誰だろうか。普通で考えると真下なのだろうが、真下がアイスクリームを食べたいというのは考えられない事だ。
「守屋だよ。あいつと賭けしてたんだけどさあ、俺が負けたんだ。くっそ~絶対リベンジしてやるからな~。あ、それ、早く食べないと溶けるよ」
 悔しそうに鳴瀬は拳を握りしめて震わせる。よほど悔しかったように恵太郎には見えた。
「はい……頂きます」
 銀色の包み紙を取り、恵太郎はあまりの嬉しさに口を大きく開けてアイスにかぶりついた。その姿を何故か鳴瀬はじっと見つめて顔を赤らめた。
「……?なんですか?」
 アイスを口から外して、恵太郎は何か言いたそうにしていた鳴瀬に聞く。
「え?いや……別に……」
 手に持っていた袋から、鳴瀬もアイスを取り出して銀色の包みを取ると誤魔化すように口に含んだ。
「……??」
「いや……だから何でもないからさあ、ほら、食べないと溶けるよ」
「……はあ……」
 口を大きく開けてアイスを食べる恵太郎に対し、躾がなっていない……と鳴瀬が思ったのかもしれない。東家の秘書なのだから、そういう事に対しても、恵太郎の知らない厳しい規律があるのだ。
 恵太郎は自分の行為に恥ずかしく感じながらも、今度はアイスに舌を伸ばした。ぺろぺろとなめる位なら構わないと思ったのだ。
「……鳩谷君って……」
 呆れたような声で鳴瀬が言って、自分のアイスが溶けていることに気が付いていない。それほど恵太郎の食べ方が目に余ったのだろう。
「……済みません……アイス……僕って、実はちゃんと食べられないんですよね。食べ方ってあるんですか?」
 アイスくらい好きな食べ方をしたいのだが、東家に世話になっている限り、それも無理なのだろう。きちんとした食べ方があるのなら、今のうちに学んでおいた方が良い。
 あとで恥ずかしい思いをするのは恵太郎だから。
「……別に……アイスの食べ方なんて無いけど。そうじゃないんだよ……なんていうか……その……」
 益々顔を赤らめて鳴瀬はしどろもどろになる。恵太郎にはどうして鳴瀬が言い淀んでいるのか理解できいない。いや、それよりも、顔を赤らめている理由の方が気になるのだ。
「……鳴瀬さん。どうして顔を赤くしてるんですか?」
「いや……別に……大したことじゃないんだ……」
 鳴瀬はまた自分のアイスを口に入れて、視線を彷徨わせた。
 変なの……
 恵太郎は仕方なしに自分のアイスを食べることに専念することにした。聞いても答えてくれないほど奇妙な食べ方を恵太郎がしているに違いない。ただ、あまりアイスを放置して、話を続けていると溶けてしまう。
 考え込むよりさっさと食べてしまった方が良いのだ。
 恵太郎がアイスを口に入れたまま、チュパチュパと音を立てている姿を、横目で鳴瀬はじっと見ている。その視線が痛くて、恵太郎は冷や汗が出そうだった。
 音……
 立てたくないんだけど……
 出ちゃうし……
 鳴瀬さん見てるし……
 なんだか僕まで恥ずかしいよ~
 見ないでくれと大声を出したかったが、それもできずに恵太郎は必死にアイスを食べていた。家庭教師をしてくれている宇都木が横に座り、恵太郎が数学を解いている間、様子を眺めている時もひどく緊張するが、鳴瀬の態度の方が恵太郎は苦手だと本気で思った。
 早く……
 早く食べてしまおう……
 顔をほんのり赤らめて、恵太郎は息を付くことも忘れ、少し柔らかくなったアイスをかじった。冷たいアイスを一気に食べることで、鼻から突き抜ける「キーン」とした痛みが、眉間の間を刺激して、チクチクとしていたが、アイスをほおばる口を止めなかった。 
 アイスを食べ終えて、最後に残った棒をゴミ箱に捨てると、恵太郎はそこでようやく息を付く。味など分からなかったが、とりあえずホッとすることが出来た。
 ちらりと鳴瀬を窺うと、恵太郎があれほど必死に食べていたアイスであったのに、先に食べ終えたのか、手には棒すら持っていなかった。
「鳴瀬さんって……アイス食べるの早いんですね……」
 恵太郎は今までになく素早く食べたはずだ。それなのに、鳴瀬の方が先に終わっているのは驚くべき事だった。
「……なんか……俺……変な気分になっちゃったよ……」
 頭をかきつつ、鳴瀬は照れている。
 理由が全く分からない。
「は?」
「だってさあ、鳩谷君って、自分で自覚しているかどうか知らないけど、すっげえ、エッチ臭い食べ方するんだよなあ……。俺、マジで鼻血が出そうだった……。あ、こんな事言ったって真下さんには内緒な?」
 最後の一言は真剣だった。
「……エッチ臭いって……なんですか?」
 恵太郎には鳴瀬が言いたいことが理解できなかった。エッチ臭い食べ方とはどういう食べ方を差すのだろうか。
「……ほら~。この、分かってないところが天然なんだろうな。鳩谷君気を付けた方が良いよ。君って可愛いし、あんまり人前でアイスなんか食わないほうがいいと思うな~。無意識で誘ってるって~」
 と、ますます恵太郎には意味不明のことを言い、笑いながら部屋から出ていった。

 その晩訪れた家庭教師役の宇都木に、アイスの食べ方について聞いてみたが、照れるばかりで結局恵太郎の疑問には答えてくれなかった。

―完―
タイトル

お馬鹿な鳴瀬が浮き彫りになっていますねえ。でもまあ天然な恵太郎にも罪があったとか??しかも宇都木に聞いているし……宇都木も困ったことでしょう。というか、アイス食べるくらいでなにを考えてるんだ~というお話かも……失礼しいました。

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