こちらは管理人のプライベートなスペースです。誤って入り込んでしまった方はごめんなさい→

表立って載せるのはさすがに申し訳ないので、こっそり作っちゃいました☆
興味のある方は読んでいって下さいな。


…なんて大層なものではないのですが。管理人が一体何者なのか、綴ってみました。ほとんど独り言に近いのでそれを了承の上、
お読み下さい。

生年月日その他
   1900年代の1月14日生まれ。山羊座A型。山羊座A型って…一番地味だなー、いつもと思う。
   占いでも大概良い事書いてないし(;_;)血液型については全然A型らしくないA型。よくOとかBに間違われる。自分でも
   Aらしくないと思う。
   Aっぽい所と言えば、優柔不断で気の小さい所(→A型の短所ばっかり…)。因みに三姉妹の長女。口喧嘩では絶対次女には
   勝てない。

経歴
   小学校、中学校時代
    地元の市立の学校に通学。小学校一年生から少年少女合唱団に所属。高校卒業まで活動してました。
   高校
    ちょっとめずらしい公立高校の音楽科。専攻は声楽。音楽科に進みたいと思ったのはやっぱり合唱やってて歌うことが好き
   だったので。試験は音楽のみと聞いて飛びついたのも事実だけど(^^;
    が、世の中そんなに甘くない。音楽だけといっても、専門的な教科になるため、好きだったはずの音楽が嫌いになるかも…
   と思う程苦手な分野もあり、受験勉強、思ったより大変だったのでした。受験をするにあたって中学2年生の時から今の声楽の
   先生に付き始めました。声楽の先生は面倒見が良くてサバサバしててとっても気持ちの良い女の先生。(淳子先生といい、あたしは
   先生に恵まれてるよな〜、とつくづく思います)
    音楽科の友達は未だに仲が良いし、今の人間関係も音楽科がらみが多いし、ここに進学してなかったら今のあたしは無いと
   思うので、あたしの原点と言えるかも。
   大学
    大阪の某音楽大学(…って一つしかない・汗)。ここも、今のあたしを形作る(っていうとなんだかおおげさだけど)大切な出会いが
   有りました。
   それは、大学の声楽の先生。上に書かせてもらった先生の紹介だったのですが、とてもミュージカルが好きな先生で、「レ・ミゼラブル」
   というミュージカルを一回生の発表会の時にコンサート形式でさせてもらって、「ダンスがほとんど無いミュージカルもあるんだ〜。じゃあ
   あたしもミュージカル、やってみたい!」というちょっと勘違い入ってるけど、それはとりあえず置いといてあたしにミュージカルをやりたい!
   と思わせるきっかけを与えてくれた先生でした。それまでのあたしはミュージカル、見るのは好きだけど、自分でやるなんて、考えることすら
   出来ないって感じだったので。演じることの楽しさ、舞台に立つことの楽しさ、そして大変さを教えて下さった先生でした。
    そんな流れで、2回生になったころたまたま友人から「奈良で活動してる《夢usic farm》って所が有るんだけど、やってみない?」と
   声掛けられた時もふたつ返事でOK。現在に至るのでした。因みに、《夢usic farm》というのは、奈良でミュージカルを中心に、10年近く
   活動を続けている音楽団体です。
   大学卒業後
    正社員で働くと、どうしても自由が利かなくなると思い、派遣という道を選択。まー、派遣でもやっぱり社員に近いので、無茶苦茶自由が
   利くか、っていうと、やっぱり拘束時間は長いし、あまり無茶は出来ないけど、まあ正社員よりは自由利いて活動にも支障出なかったし、
   逆に会社に迷惑を掛ける事も無く、とりあえず今のところなんとか両立してます。今は土日が休みなので、土日は聖歌隊として結婚式で
   歌ったりもしてます。
    一応ギャラは頂いてるけど、平日仕事してることも手伝って入る件数が少ない為、小遣い稼ぎ程度ですが。それでも歌える仕事は
   貴重です。
    もちろん、歌で食べていければそれが一番なのだけど、こちらは(特に日本では)なかなか難しいです。教員免許、一応持ってるけど
   先生って難しいし、私には向かないと思うので…。っていうか、そもそもあたしは音大出身のクセにピアノが弾けないの向く、向かない
   以前の問題ですね(涙)。
    で、卒業してからは仕事持ちながら、夢usic farmで活動したり、JDFで舞台に乗せてもらったり、声楽の先生の所の演奏会乗せて
   もらったり、高校時代の同級生で開いてる演奏会に出演したり…というようなことをしています。

………これって、経歴じゃないよね、全然(汗)

ダンス
    経歴からも分かるように、歌ばっかりで生きてきて、どういう流れでJDFに居るのか…?といいますと。
   上記に書いております《夢usic farm》の振り付けに来て下さっていたのが淳子先生なのでした。
    淳子先生の振り付けは、いつもとても可愛くて、舞台上で生える、そんな振り付けだなー、と思っていました。
   昔、1年ほどバレエをやっていたり、大学の授業で、バレエの基礎みたいな授業があったりしましたが、やっぱり
   踊りは苦手だった私。そんな私のようなレベルでも何とか踊れるような踊りで、しかも可愛い…そんな振り付け
   をして下さるのが私が淳子先生に持ってたイメージ。
    何故過去形なのかというと。夢usic farmの振り付けは、めるへんチックな「可愛い」だったから。JDFの振り付けは、
   あくまで個人的な印象だけど、ベースはカッコ良い、でもちょっとセクシーな振りが有ったり、可愛い振りが有ったり。ここでの
   「可愛い」は(表現合ってるか分からないけど)Cute…って表現が一番しっくりくる感じ。
   CoolとCuteが混在する振り付けの魅力に最近どっぷりハマり中。

JDF
    上と少しダブるかもしれませんが。私がJDFで淳子先生にダンスを教えてもらうきっかけとなったのは。2002年の3月に、
   夢usic farmの7thコンサート(淳子先生は、この公演の演出&振り付けをして下さっていたのです)を控えたある日のこと。
   昼は公共の施設でお稽古して、夜は「萩ゆうこバレエスクール」のスタジオをお借りしてお稽古、という日が有り、その間、
   時間がかなり空いていました。で、たまたまその日はJDFの練習日で、妹と友人から
   「淳子先生がスタジオ立ち上げたんだって〜。空き時間に体験に来ても良いよ、って言われたのだけど、行く?」
   って言われてダンスが苦手なあたしはちょっと躊躇したのだけど、結論は「行ってみる」。
   で、現在のジュニアクラス(立ち上げ当初だったので成人クラスは存在してなかったのです)に体験レッスンレッスンを受けに
   行ったのでした。
    HIP HOPなんてジャンルとは全く無縁だったあたしは、もちろん全然ついていけず(たとえ他のジャンルでもついていけなかった
   かもしれないけど・汗)。先生に「どうする?」って言われて迷う、迷う。その時思わず出た言葉が「あの〜、あたしみたいなリズム
   音痴でも来て良いんですか?」先生の答えは「大丈夫!」。それなら、、ミュージカルやりたいと思っている以上、やっぱり踊れた方が
   良いし、行ってみようかな〜、と思ったのがきっかけで、JDFでレッスンを受けることを決意。ダンスに対する苦手意識もろ出しの
   あたしに、淳子先生が言ってくれた言葉は「絶対そのうち踊るのが楽しくなるから!!」そう、当時のあたしは、苦手意識が強すぎて、
   踊る事に対して超消極的だったのでした。
    
    奈良市市民フェスティバル/四条畷芸能フェスティバル
     こうして、JDFでレッスンを受け始めて数ヶ月経ったある日のこと。淳子先生が突然「奈良市の市民フェスティバルに出ようと
   思うんだけど」という様な内容の事をのたまった。(ひぇ〜、それって、ダンスだけで、舞台に乗るって事だよね???!!!
   ありえな〜い!!)とあたしの小さな脳みそは大パニック。ダンスだけで舞台に上がる?!普通、発表会とか、舞台に上がれる
   機会を頂けたら嬉しいはずなのに、あたしには喜びよりも恐怖の方が大きかったのでした。理由は明白。
   「振り、覚えられな〜い!!!」
    そう、あたしは最悪に振り覚えが悪いのでした。そのうえ出来ない動きが沢山出てきた日には、もうお手上げ状態。
   とてもじゃないけどこんな状態で舞台に立つなんて出来ない…って感じたのが正直な所でした。それでもまあ、踊るのが好きだった
   妹に教えてもらったりしながら何とかJDFの初舞台終了。とにかく振りが飛ばないように必死で、後でビデオ見たら、「いっぱい×2」
   ってのが全身に出ていた
   (要するに能面の様な顔で踊ってた…ハッキリ言って自分でも怖かった)のでした。この時のビデオを見て、表情の大切さを改めて実感
   したのでした。
    その奈良市市民フェスティバルの1ヶ月後に四条畷市の市民フェスティバルに参加した時は、さすがに同じ振りだったし2回目だった
   事もあって、少し緊張もマシだったと記憶してます。でも、多分表情は思いっきり硬かったんだろうな〜…。

   第5回バサラ祭り
    私にとって1度目の転機になったのが、「第5回バサラ祭り」。今までの1度きりの舞台と違って、パレードで同じ振りを何度も踊れる!
   …って事は、少しくらい間違っても次がある?!このことが、少し、あたしの緊張を和らげてくれたのでした。
    今でこそ、「間違うことを恐れるよりも動けるだけ動く!」って事の方が大切なのだ(この事を教えてくれたのは勿論淳子先生)、
   小学校の頃からやってた合唱では、間違いなんてもっての外、みたいな考え方が少なからずともあったので、ジャンルが全然違っている
   にも関わらず、そういう考え方が当時のあたしの中には根付いていたのでした。もちろん、その場所で踊れるのは一度きりだから、
   間違わないで踊れるに越したことは無いのですが。
    そんな訳で、体力的にはきつかったけど、少しづつ踊ることが楽しいと思えるようになったのがこのバサラ祭り、でした。
   
  発表会
   2度目の転機になったのが、この、「真美ヶ丘ジャズダンスサークル」との合同発表会。振りも難しくなってきて、しかも、作品の時間が
  今迄よりも長い。
   相変わらず振り覚えの悪いあたしは、毎度の事ながらいっぱい×2にはなったけど、でも今までとは違って「無理!間に合わない〜」と
  思うと同時に「少しでも(この振り付けに対して)自分の持ってるイメージに近づきたい」と思うようになっていました。
   今までは、とにかく振り付けを覚えることに必死で、イメージとか、曲とか、そういうことを考える余裕が全くと言って良いほどなかったけど、
  作品に対して明確なイメージを持って踊るのとそうじゃないのとは、全然違うんだ…、ってのを今更だけど、改めて実感させられた舞台でした。
   本番は、色々間違ったりもしたけど、ホントに楽しかった。2年前、「絶対踊るのが楽しくなるから!」との淳子先生の言葉を当時は半信半疑で
  聞いていたけれど。その言葉が真実になった、淳子先生についてきて良かった、ホントにそう思えた舞台でした。
  そんな訳で、打ち上げの時、先生が仰った、「(JDFが)やっとスタート地点に立った」って言葉がそのまま自分の心境でした。
   余談だけど、この時は、自分で言うのもなんだけど、ホント良く頑張ったな〜、と思う。発表会の前後1ヶ月間の間に公の場で歌う機会が
  3度有り、内容は勿論全てバラバラ。歌なので、ジャンルはクラッシック寄り。又はバリバリのクラッシック。頭切り替えるのが大変だった…。
  そして、JDFの発表会直前は、まだ寒かった外で仕事帰りに淳子先生巻き込んで、夜中まで自主練。勿論次の日は朝5:30に起きて仕事。
  我ながら、体力あるよなぁ。脳みそ全部体力にまわってるのかなぁ、と思った。
   でも、頑張る、って事が凄く楽しいと感じたのも事実。自己満足に過ぎないかもしれないけど、何もなくて暇でラクな時よりも100倍充実して
  るし100倍楽しい。頑張れば大概のことは何とかなるもんなんだ、と実感したのがこの辺りの自分の発見。
   お陰で、日常生活に戻った時、毎日面白くなくてぼーっとした生活を送ってしまった…という弊害が起きましたが(^^;



趣味
    もちろんダンス!と旅行、ミュージカル観劇、ショッピング、これからは…HP作りも加わるかな?!



今興味のあること
    英会話(出来ないからこそ出来るようになりたい…)、株(やりたいけど、知識と勇気がないのでまだ始められず・涙)



マイブーム
    若作り(きっぱり!!)……歳取るごとに若返る予定。