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        読 書 日 記   (買物之通)
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2005/06/21 出張のお供に小田中直樹『歴史学ってなんだ?』をよむ。歴史学者は、史料を探して整理して、その一方で理論研究もしないといけない。理論研究には理論研究のプロフェッショナルがいて、(歴史)哲学や思想を専門に扱っている。小田中氏の本は理論と史料の間であたふたとしている歴史家の慰めみたいなものを感じる。それでいいのかしら。それにしても、参考文献で上がる安丸・網野・速水の本より、実際に影響力をもつ本や人は別のところにいて、一般の歴史認識とそれほど切り結ばないのはどうしたものか。
2005/06/01 宗教再考は、以前部分的に見ていたが、通読しようと思って、・・・挫折。途中までですが、<宗教=記述されて認識される、⇒宗教学の枠組みが問題⇒だから枠組みをつくった大学者を検討する>という欧米の研究の流れ⇒日本での適用、という構図を確認。末木さん、磯前さんもこの流れの中にあるのか。そういう意味で、本書も西洋の宗教学をそのまま体現したようなものか、というような印象は不適切なのか。記述しなければ表れてこないわけだから、この問いは避けようがないものなのだが、それにしても、理論家は何を記述するのかしらと思ってしまう。そういえば林さんが末木さんを皮肉っていた。系譜学といっても末木さんが切りすてられてきたと問題視していた民俗的次元は、思想家が民俗学者に任せていただけのはなしじゃないか、知らないのはあなただけだ、と。「ポスト」には反転の論理がある(本橋哲也)のではないのか。異議申し立ての根拠を私たちの中に求めなくていいのだろうか。
2005/05/27 原稿書きの仕事はどうしても遅れるが(すみません)、講演会は必ずやって来る。済めば終わり、はありがたいが、逃げようがない。早くから決まっていた6月、8月、10月のそれぞれに、まったく別ネタを組み上げないといけない時期になってきた。9月の宗教学会の報告もこれからだ。ということで、6月の講演会の準備のために『中世の都市と寺院』を読む。各地の中世考古学の展開に驚かされる。ただ、気になった点が二つ。一つは、寺院=築地に囲われた空間かのごとく、東大寺・興福寺・元興寺が四角く囲われる。しかし、実際には菩提院方・龍花院方、戦国には登大路方と、興福寺では築地の外に子院が進出して、町と接している。これは、「興福寺」を一つの寺院と考えるからそうなってしまう。元興寺は律宗だが、福智院など奈良町の中にある小律宗寺院が顧みられないのも同じ構造かもしれない。二つ目に僧侶と在家の区分を明確にしてしまっていること。メンテリティを考えるなら在家であっても寺院勢力の内部にいる可能性はある。私が扱った里元は在家でも寺院の管理者たりえるわけで、寺社が在家をを内部に組み込む論理でもあり、世俗化していく一つのプロセスでもありうる。奈良町の号所もこれらから考えていかないと処理できない。二つは同根で、寺院とは何か、宗教とは何か、の問いかけから発する問題である。
2005/05/21 読書ではないけれど、某研究会で、近世の信仰と地域社会なるものがあったので、参加。黙っていようかどうか思いつつ、結局発言してしまったが、よかったのかどうか(いいすぎ、ですぎ!!)。宗教社会史を標榜する論者の議論があまりにかみ合わないことにいらだってしまう。理論か実証かというレベルではなく相互理解の不足にやや驚く。かたや、近世史で議論されている地域論の問題点をそのまま引きずってしまったようだ。宗教の問題を考える時は、もっと深刻になると思うけど。大体、理論的枠組みを提示しているのに、個別にこんな例があるからおかしいなどといって生産的な議論になるはずがない。一方、ウェーバーの近代化論の明暗はすでに共通認識になっていると思われるのだが、その点はまったく不十分のまま。「お仲間」に入っていない者の気楽さからの発言は、たぶん嫌われるだけでしょうね(まあ、しかたがないことだけど)。その後のFさんとの議論はためになった。それでも、ポストモダンを生きる<私>の生き方への手探りは続きそうだ。ポストモダンの議論がモダンの後に来ているのではなく、モダンとポストモダンが私の中で重なっているととらえる(歴史は積みかさなりだ!)という考えに立脚して身動きが取れなくなる。ご教示どうもありがとうございました。
2005/05/10 同じ宗教研究342に「宗教再考」の書評がある。S先生には、以前お世話になりました。書いた論文の評価は厳しかったなあ。文章を練りに練る方だけに薀蓄のある表現が続く。精緻化や内旋を学問の後退と考えるのは、共感するが、不安にもなる。知ったような顔をして議論していても、実際は何も分かっていなかったということはよくある話し。見えなかった世界を見るための史料の発見(これも視点がないと見つけられない)と、それを料理する見識なり叙述なりの重要さを教えられる。
2005/05/07 宗教研究342に西村玲「聖俗の反転」という論文があった。世俗化を議論していたことがあったが、富永仲基は避けることができないことを教わる。ここでも指摘されているように「近世当時の社会と価値観に即しても理解されるべき」のは、全く同感。とはいえ、当時の社会と価値観といってもいったん考え出すと結構たいへんではある(「テキストに外部はない」、か)。合理的思考のレベルを多様な補助線を引いて考えることが重要かと。「日本思想史上における近代化」と限定されているのは、好意的に見れば、補助線の一つということか。シェリー・ワリア「サイードと歴史の記述」は、実証的歴史家に耳が痛い言葉が続く。グラムシのヘゲモニーの整理もありがたい。大衆の自発的同意・少数者の階級が説得と協調を駆使して権力を維持する。支配の根源のオーラなど、以前、藩の宗教政策を考えた時にとりあげた(とはいえ、理論的には?)。「「常識」はイデオロギーが作られる場」、「(理論への抵抗とは)理論を歴史の現実に対して、社会に対して、人間のもつ要求や関心に対して開放することであり、理論があらかじめ指図をし、その後も制限管理するような解釈の領域の外に、いや、その向こう側にある日常の現実から出てくる具体的な事例を指摘して見せることである。」etc. 「理性を普遍の確実性のように描く独断的な表象の仕方のみを退ける」は下の議論にも関係ありそうだ。
2005/04/28 歴史学研究に上村忠男さんが「歴史記述と倫理」を書いておられた。高橋批判を展開しているが、かねてより注目していた二人だけに、その意見の差異と議論の深みにため息をつくばかり。かねて、高橋氏の倫理的な姿勢に驚きを感じ、それに対する上村さんの「ディフェランの成り行きに任せる」の言葉にも注目していたが、その真意がコンパクトに触れられていた。「読み」は本当に難しい。truth の高みからfactを審判する高橋氏と 多様なrealityどうしの格闘の中で、よりよい到達点を目指す上村氏、というのが私の印象。あたっているかどうかわからならないけれど。 それにしても、高橋さんの批判は上村さんが監修しているシリーズの中の論文ですよね。岩波で出た本についての問題は思想で語られそうなものなのに、歴研に論争の場を移したのは、歴史学者への参加を促しているか?「開かれた場所」を確保するという姿勢はこれらのところにも表れているように思いました。もう一度、問題の論文を読み直したいが、・・・・・
2005/04/16 MOがこわれて、人生の入ったデータが死んでしまった。仕事の都合で、かなり無理をいって救出していただいたが、肝心なものはほとんど残らず。このサイトのデータはかろうじて救われた。短気を起してディスクを抜いてしまったのが失敗。今日はデータの作りなおしや、メイルの添付ファイルなどに残っていたデータをかき集めて復旧。それにしても、何をいじったのか覚えていないので、3ヶ月ほど人生のやり直しになりました。ななめ読みですがロバート・ヤング『ポストコロニアリズム』をよむ。「下からの視線」「周縁」「せめぎあう文化のはざま」「文化の同一化と他の文化への知的好奇心」…。このところ自分の仕事の論点がここに出てきていている。1920年以来のイギリスのイラク爆撃は別の本にも出ていたなあ。これについては、また後日。
2005/03/27 学会に行って、報告をきくので予備知識として、タラル・アサド『宗教の系譜』を読む。全部は眼を通せないが、前半で、宗教について「知識から信仰へ」が「信仰から知識へ」と理解がかわったという。おもえば日本の仏教も古代・南都六宗の学問、平安・顕密仏教の加持祈祷・浄土教となるにつれ、信仰が優先される。親鸞にいたって、はっきりと知識不用にまで至る。系譜論は、たいへん興味深い。とはいえ、知的レベルは生活レベルとも不可欠な関係にあるし。それから、シンポジウムのある方の改憲・護憲のニ分法は、これ自身、やや危うい立て方。環境権など不可欠な要素があって、もはや改憲は不可欠。だから護憲という表現を取り続けると、それは撤回を余儀なくされて、政治的な敗北のようにみえてしまう。9条を守るのか、信教の自由をどう扱うのか、個別に扱う必要があると感じる。9条を守るために教団が共産党と手を組むのかしら。
2005/02/25 瀬木慎一『日本美術の流出』は、とにかく多くの知識がちりばめられていて、文化史をしようなどと思っても、とにかくものを知らないのでは話しにならない、ということを突き詰められる。売り立ての目録が史料になるのは、経験しているが、あらためて痛感。そう思うと、S文閣から送ってくる古書目録も捨てられなくなる。そういえば、僧侶の史料の中に、公家の短冊の売買の史料があったなあと思い出す。今読んでる史料から・・・「馬頭観音ノ幅箱入一、尊朝親王御筆巻物箱入一進呈ス、代価求メタル時金拾弐円五拾銭トナル、当時は余程高値ノ見込有リ」(明治34年某氏の日記)
2005/01/25 上野輝将「「ポスト構造主義」と歴史学」『日本史研究』509は、実証史学と構造主義の問題を歴史家の立場から検討したもの。それにしても、fact/ reality/ trueth のうち、私たちが目指すものは何でしょう。ただ、実証史学のよってたつ史料そのもののもつ問題はどうなる?史料はfactを伝えているのか? 史料批判の基本をもう一度考えたい。某研究会で、史料の分析を重視する著名な研究者が史料批判をせず、史料作成者の意図、史料に記されていた背後の実体をそれほど検討せずに使っているような印象を受ける。戒めて誡め過ぎることはあるまい。
2002/12/06 小谷野敦『中庸、ときどきラディカル』筑摩書房、2002年を読む。喧嘩(学問上の論争)とはこうするのかと関心。私自身の先行研究に対する甘さは反省させられる。それにしても、従軍慰安婦問題でのうえのちずこの一人がちというのは、納得しきり。また、知の階層構成の問題も同感。今年の某学会での感想と同じでしょうか。十分詰められていない問題。このことは、以前小熊論文で気づかされていたことではある(同論文を引用して書評も書いたっけ)。また、私はナショナリストではないとおもっているし、近代的な知は捨てられない。以前某所で報告した時深刻に悩んだ課題が思い出される。この欄も一周年ですが、買ったけどあまり読めなかったということです。反省。
2002/10/21 菅野覚明『神道の逆襲』。すごいコピー。神道研究、あるいは仏教研究でも同じだけれども、色々なテキストをそれぞれの宗派的に読み解くのは、王道とはいえ、どうかなと思う。太平記を神道的に読むか仏教的に読むか、管野氏にいたるそれは読み手の問題かも。思想史とは本当に難しい。闇斎・宣長・篤胤の位置の大きさはいうまでもないか。
2002/10/20 林淳・小池淳一『陰陽道の講義』をいただく。メディヤや実践という章立てに斬新さを感じる。文書整理をしていてわからない文書が陰陽師の関係の呪符であることをあらためて確認。歴史学より宗教学による宗教研究に自由さを感じてしまう。実態を自由に扱えるのからか。でも、実態を見ると、陰陽道だけで処理できないことも多いようにも思う。もちろん、陰陽道は無視できないわけで、結局どれだけたくさん目配りができるのかが大切か。
2002/10/19 広松渉『<近代の超克>論』をよむ。今と似ているということは、言うまでもないか。近代が「人間中心主義」であるなら、この克服は容易ではないし、はたして可能なのだろうか。やっぱり重たい話。(ながいことお休みでした)。記録のために復活。
2002/03/06 島薗先生の『時代の中の新宗教』(弘文堂、1999)を読みました。林君に紹介してもらって、部分的にちらちら見ていただけで、きちんと読んでいなかった。仕事にかかわることなので、通読する。かなり刺激的。個や小集団への注目、事例とその普遍化の手法,読者をあきささない分かりやすい叙述、戦争のとらえかたなど。勉強することの多さを感じてしまいました。それにしても、この手法と先に見た「宗教構造の全体を問う」という立場は、全く逆のスタンスのように思われ,この幅の広さは、とても真似の出来ることではなさそう(←あたりまえだ)。一つ一つこつこつといきましょう。


2002/02/25 出張のお供に、文庫を2冊もっていきました。新しくはありませんが、鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』(岩波現代文庫、2001年)の中で、アメリカ軍による日本軍に対するフィリピン空爆が書かれています。また、ここでは、日本とアメリカが100万人のフィリピン人を殺したこと、それが日本人の記憶の中に組み入れられていないとあります。テロに対する戦争で今同じようなことが行われていても、きちんと過去をとらえていない国は過去に学ぶことはできないのでしょうか。モーリス・ブランショ『明かしえぬ共同体』(ちくま学芸文庫、1997)は、『無為の共同体』が重いので、そのかわり。後ろの西谷修氏のナンシーの説の簡単な要約で、少し頭の整理ができる。「相互の分割によって関係づけられ」「外に向かって開かれ」「有限なものとしての特異な主体を可能にする共同体」・・・。もっとも、時間と空間の中で生きられた共同体にどこまで上記のようなものを見出せるか。難しいですね。


2002/02/13 薗部寿樹さんから『中世村落内身分の研究』(校倉書房、2002年2月)をいただく。歴博の研究会でごいっしょさせていただいており、先日も、史料を優れた手腕で分析し、中世末から幕末までの宮座の変容を見事にを描いておらました。司会をしていてましたが、聞いていて感動的ですらありました。今回の著書で驚いたことには、ややもすると、活字にしたものをそのまま全部だしてしまう方が多い中で、テーマに即したものに精選しておられること。さらにいえば、既に評価の高い日本史研究の御論文さえも解体してしまい、まさに著書としてのまとまりを重視しておられました。テーマへのこだわりと一つの業績に安住することなく、ますます研究を深化されておられることがよくわかりました。


2002/02/06 『思想』934号が届く。藤原聖子「「呪術」と「合理性」再考」が目にとまる。ゆっくりは読めないけれど、宗教・呪術・科学の枠組みが、フレーザー・ウエーバー・デュルケイムで違い、なおかつそれぞれの中でも揺らいでいるという。世俗化を考えていくときに何が合理的で何が不合理か。何が宗教的で何が呪術的かが、正直把握できないままに来ていて,もう一度とらえなおす必要を感じる。下の日韓シンポの報告でもかなり苦しんだ問題の一つ。それにしても、3人のどの本も難しいなあ。


2002/02/01 シリーズものの『岩波講座近代日本の文化史3 近代知の成立』が届く。学知の見直しが大きな潮流であることを感じてしまう。もっとも、私がそういう本を買っているに過ぎないのだが。磯前論文で、日韓シンポ時の小論を引用していただいております。感謝。ちなみに、3月にペリカン社から安丸さんはじめ皆さんの論文と併せて出版される予定。おまけでいえば、Tenri Journal of Religion にも英訳されて載ります。英語が苦手で、校正に四苦八苦しています(そもそも校正なんて出来ないのですが・・・)


2002/01/31 纏め買いした本が届く。その中の一冊が菊池暁『柳田国男と民俗学』吉川弘文館、2001年。去年書評で評判になった本。授業で民俗儀礼を取り扱い、さらに現在の民俗行事を保存する意識や環境(教育委員会で造る伝習ビデオなど)を素材として取り上げた関係で、もっともかかわる文献だと思って購入。都合で、注文が遅くなり、既に二刷になっていました。ぱらぱらとめくっていると、最後に歴博が登場。プロジェクトの視線、あるいはそこに展示されること自身が取り上げられていることを、痛感します。また、調査対象との問題に触れているところにも目が止まりました。文献史学でもありえますよね。もっとも、戦後歴史学が<民俗学のように>人々の間に入っていかなかったことが、ことによると現在の問題点かも。


2002/01/28 歴博の研究会へいく途中、短時間ながら史料編纂所の特別展を見学に行きました。大変興味深い企画で、『時を超えて語るもの』の図録も購入。解説も、先行研究つきのありがたいもの。いったかいがありました。歴博での報告を終えた帰りに、古川隆久『皇紀・万博・オリンピック』(中公新書、98年)を読む。万博、オリンピックもいつも間にか皇紀2600年の行事に組み込まれ、挫折するのですが、『国史館』が歴博の前史とはなんという皮肉。報告で、調査対象の地域で歴史が意識されたのが昭和8年の南北朝遺臣の墓地発掘からだと指摘したばかり。


2002/01/22 『ヒストリア』178号が届く。ゆっくり読んでいられないけれど、大会当日サボってしまっていたので、気になっていた若井敏明さんの「皇国史観と郷土史研究」にちょっとだけ眼を通す。平泉澄氏の活動が中心ながらも他の人々もかかわっていることに目が留まる。『大和志』の創刊の辞では、神武東征以前石器時代の考古学遺跡の存在を指摘しているから単純な皇国史観では済まない。史観とそれに従う研究者の姿勢、そして皇国史観が解体した後の問題を視野にいれて考えたいな(早く総目次を作ってしまわなければ)。古美術への関心の高さもあるし。討論要旨を読んでいて、小路田さんの議論の建て方はいつもながらすごいと思う。ほかにも、斉藤・水野論文もよまなくっちゃ。


2002/01/18 注文の本が、まとまって来ました。『岩波講座 近代日本の文化史2 コスモロジーの「近世」』では、島薗さんが総説をかかれ、桂島さん、高橋敏さん、大桑さん、高木さんなど、よく知った方々が寄稿しておられました。島薗さんは「「宗教構造」と呼べるようなものの全体を問うという視覚の必要性と有効性を示す」という意欲でかかれていました。天理教に関してもかなり分析されており、また日韓シンポの報告集であった『おやさと研究所年報』第3号の安丸論文がたびたび引用されていて、編集担当者としては、うれしい話(←本年もちゃんと編集します。自分の論文が引用されるようにならないと、ぜんぜんだめだけど)。『歴史が書きかえられる時5 歴史を問う』(岩波書店)の中で、上村忠男さんが表題と同じ論文を寄せておられました。以前、高橋さんの『歴史/修正主義』を読んだとき、最終的には倫理的な価値、実践が重視されていることにインパクトを受けていましたが、上村さんはそれに対して、「物語り行為が相互に和解しがたく抗争しあう「ディフェラン」の成り行きにゆだねる道を選びたい」と書いています(成田さん↓も、この立場でしょうね)。私には、知識不足で理解できないことが多いのですが、島薗さんが、大きな構想を語ろうとしていることとあわせて印象的です。
<余談>そういえば、むかし大阪の研究会で安丸さんが「大きな話をするのは年寄りの仕事」「若い者がいうと、話が大きいですね、で片付けられる」「(若手の報告者に対して)でも、大会報告のときにはかたらないといけないじゃないの」といっておられたのを思い出しました。(おいおい、来週の報告どうすんだ、小さなはなしもできないじゃないか)
<追記>大桑さんの都市・宗教・文化をクロスさせる方法は、今考えていて、授業に使う小ネタとぴったりあってくる。なかなか手につかないけれど、都市性・寺院(あるいは僧侶)がどのように語られているか、都市に対置するもの、テキストの問題とあわせて、議論すべきじゃないかな。「仏教的な世界としての近世」もこの点から乗り越えていきたいと思っています。01/19


2002/01/16 棚を片付けていて、前買った藤野豊『強制された健康』(吉川弘文館、2000年)が出てくる。読まずにおいてあった本ながら、中を見ると、戦争動員の中で身体(体力)の向上が目指され、さらに国立公園・温泉などまでが一つのスローガンに回収されていく姿を鋭く指摘していました。戦後も同様な健康観・体力観がそのまま持ち越されるというのも、大きな問題です。また、ハンセン病に対する差別の問題も、昨年大きく取り上げられたわけですが、いま史料翻刻しようとしている「おさとし本」にも、はっきりとでてくる問題です。重い課題としてこの問題を自覚しておく必要があります。


2002/01/13  昨日丸善からまとまって届いた本の中に、『思想』933号がありました。特集は、「グローバル化の文化地政学」です。↓の太田好信氏も寄稿しています。とても全部読めないので、吉見俊哉「グローバル化と脱―配置される空間」とテッサ・スズキさんの「NGOに対するイエスとノー」を読む。吉見さんの論文は、歴史研究に関しても示唆的です。抽象的な表現ですが、「<身体>の領域と<権力>の領域を貫くような、あるいは日常的実践と国家的活動の次元を交差させるような、空間をめぐる歴史的で政治的な問いを展開していく必要がある」「空間性は、それを織り成していくプロセス自体の中で絶えず組み直されており、そうしたプロセスに外在してはいない」など、が印象的でした。特集の他の論文の紹介もあり、今回の特集の総括的な文章だったのかしら。テッサさんの論文を読んだのは、最近NGO(NPO)という言葉のもとに行われる行政の下請的な位置づけ(財政赤字もあって)が気になっていたから。「「政府に属する」領域と「非政府に属する」領域の間の、異議申し立て可能な、あいまいな」位置の重要性が印象的。


2002/01/11.2  丸善に頼んであった本が、まとめてきました。日本文化論の授業用に太田好信『民族誌的近代への介入』(人文書院)を、副題の「文化を語る権利は誰にあるのか」には、インパクトありますね。あとは、阿部泰郎『聖者の推参』名古屋大学出版会)・松本武彦『人はなぜ戦うのか』(講談社)、原武史『可視化された帝国』(みすず書房)は、いずれも去年話題になった本。池上裕子『日本の歴史15 織豊政権と江戸幕府』(講談社)は、続き物ということで。宗教政策がどのように扱われているか、チェックしないといけませんね。索引からひくと,興福寺の寺領について簡単ですが、触れられていましたが・・・ 


2002/01/11 千々和到さんから、「霊社上巻起請文――秀吉晩年の諸大名起請文から琉球中山王起請文へ――」(『國學院大學日本文化研究所紀要』第88輯、2001/9)をいただく。史料の読みの確定・論証の方法・わかりやすい文体は、ほんとうに見習いたいですね。この文書様式の成立と修験道との関係の指摘した結論には、眼から鱗。このような論文を書きたいとつくづく思う。それにしても、宮津の京極高広の城下町建設に逸話を残す山伏は、これと関係あるのかしら。京極って近江出身ですよね。(←切羽詰った仕事にひきつけすぎ)。
机の下からアンドレ・グンダー・フランク『リオリエント』(山下範久訳、藤原書店、2000年)がでてくる。いつ買ったのか,正直覚えていない。おそらく、ウォーラーステインとの論争・アジア中心主義などの言葉につられて買ったのだろう。厚い本、今、ちょっと読んでいられない(日本のところだけでも読もうか)。訳者の山下範久さんはすごいかたですね。


2002/01/05
 切羽詰った原稿・報告のために机の周りを片付けないとどうしようもなくなったので(いまさら何をいうか!)、足元で通行の障害になってきた本を整理します。桂島さんが解説を書いている子安さんの本が手軽に入手できるようになったので、まとめて買った『「事件」としての徂徠学』(ちくま学芸文庫)、『「宣長問題」とは何か』(同)、『本居宣長』(岩波現代文庫)。いずれも、定評のあるものです。今はちょっと、ごめんなさい。それから、日本文化概論の授業用にと思って買った稲賀繁美『異文化理解の倫理にむけて』(名古屋大学出版会)、ハロルドフロム他『緑の文学批評』(松柏社)、吉見俊哉他『グローバル化の遠近法―新しい公共空間を求めて―』(岩波書店)、上杉敬志編『人類学的実践の再構築』(世界思想社)、塚本学『生きることの近世史』(平凡社)もしばらく本棚へ。来年の授業にまにあうかな?積読状態はまずいのだけれども。


2002/01/03 カルロ・ギンズブルグ『ピノッキオの眼』(竹山博英訳、せりか書房、2001年)を読む。ギンズブルグには、『歴史・レトリック・立証』(上村忠男訳、みすず書房、2001)で共感をもてたので、『論座』の書評を見て買いましたが。かれは、丹念に史料をあげて「実証」しているのでしょうが、知識がなくてその実証の正しさがまったくわからなかったというのが正直なところ。まったくの「異化」では通じない。ユダヤ・キリスト教の伝統とそれをまったく持たない私との溝はあまりに大きいなと思う(勉強不足といえばそれまでなのだが)。「なぞなぞ」のたとえはわかりますが・・・ 抽象化・一般化の言説が少ないと理解してもらうのは難しい現実を身をもって知る(でも本当に勉強不足なのです、(泣))。


2001/12/29 成田龍一『<歴史>はいかに語られるかー1930年代「国民の物語」批判ー』(NHKブックス)を読む。以前『多聞院日記』を分析したときに、日記の書かれ方の恣意性に注目しましたが、そこに注目する意味を再確認しました。ところで、最後に「個人の記憶/歴史を、地域の記憶/歴史や、国家・国民の記憶/歴史からいかに脱却させるのか。(略)当事者たちの語り直しの試みは<歴史>の語りの、あらたな可能性を示唆しているように思われる。」となると、当事者にたちようのないことが圧倒的に多い歴史研究はいったいどうしたらいいのか。また、個人の記憶/歴史を国家などの歴史から脱却させる(=個人歴史を個人の歴史としてとらえていく?)ことは、事実を紹介したあとにいわれる「だから何なの?」という一般化を求める問いそのものを問題視しているのでしょうか。それとも、一般化の方法の問題なのでしょうか。『歴史学のスタイル』(校倉書房)を読まないといけませんね。


2001/12/23 やっとのおもいで、久留島典子『日本の歴史13一揆と戦国大名』講談社、をよむ。戦国大名の寺社行政について、触れてないかなと思って読み始めました。結局自分で調べろということですね。久留島さんは村・町の共同体を重視するように思っていましたが、ここでは、家について意外と強調されていたのが印象的でした。共同体をどうとらえるかについてJ=L・ナンシー(西谷修他訳)『無為の共同体』以文社、2001年、をどこかの書評でみて買ったのですが、これがまた難解。ちょっと取りかかって止まってしまいました。でも「哲学を問い直す分有の思考」という副題は?? 読書ではありませんが、お遊びをしていると、『身分的周縁1』の書評を発見。http://blhrri.org/blhrri/ribura/book/syohyo/syo_036.htm  評者の労には感謝するものの、私、論文の冒頭で「周縁」を社会の底辺や賎民身分だけとは定義していないのですが、扱った素材が周縁ではないと評されてしまいました。ちょっと悲しい。読み手にはいろいろな思いの方がおられますね。


2001/12/20 『歴史科学』166号が届き、アメリカの日本研究の特集がありました。藪田貫氏と大島真理夫氏の論考が寄せられていました。シカゴ大の林君と一緒に両氏の報告のある研究会に出席していたので懐かしく思い出しました。藪田さんの文章は、当日の話からかなり修正が加えられていたように思います。それにしても、近代化論・マルクス主義史観の対立軸の崩壊とアメリカ研究の多様化など教えられることも多かったです。学会の前衛的な側面の指摘もまったく同感です。


2001/12/13 杉本良夫 ロス・マオア『日本人論の方程式』ちくま学芸文庫、1995年を読む。青木保・ハルミベフに先立つ仕事で日本文化概論の授業用としては、もっと早く読むべきだったと反省。もっとも授業で示したことが間違いではなかったと一安心。それにしても近代化論とマルクス主義史観が鋭く対立しているように描かれるが、後者の衰退と同時に近代化論的に展開していないか意識的に見ておこう。私自身「世俗化」などという近代化のタームを好んで使ってますから。ここでも網野さんは好意的に登場。


2001/12/09 小谷利明氏より「久宝寺寺内町と戦国社会」八尾市立歴史民俗資料館、2001/10をいただく。筒井順慶についての小論へのお礼。それにしても、各地域博物館で充実した企画展を開催しているのには驚かされる。大和の国人も大和の動向だけに規定されていたわけではないことをようやく自覚できたので、少し目を広げるいい機会になった。逆に河内では大和の情報が不足しているようで(もっとも大和で発信できる情報は少ないけれど・・・)、交流は必要だなあと感じた次第。


2001/12/07 廣田浩司氏より図録『「政基公旅引付」とその時代』歴史観いずみさの、2001/10/13をいただく。大学の学部時代の授業で、前年まで石井進先生が取り組んでいたのが「政基公」、出版社から本が出るはずだったのだがいつの間にか消えてしまった企画のようです。興福寺のことをやっていると縁も深いので、しっかり勉強。泉佐野市史の第5巻中世編Uは購入済。