加西市史(近世部会)編さん日誌(2001年)


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12月x日 臨時の部長会があり、編纂計画の見直しが検討されました。通史編は考古・古代・中世の巻と近世近代の2巻におさまりそうです。史料編が問題で、古代・中世・近世1で1冊、近世2・近現代で1冊という風になりそうです。まだ、検討の余地がありそうです。中世史料の量で近世の量がが決まってくることになって、少し窮屈かもしれません。古代・中世部会から近世史料に対する期待がよせられましたが、かといって近世史の編述に必要なものを入れていくだけで、かなりの量にはなります。よく吟味していく必要がありますね。会議がおわってから、三枝さんのお宅にうかがい、史料閲覧のお礼と今後のご相談にあがりました。アポなしでしたが、快くお話を聞いていただけました。史料調査については、引き続きさせていただけそうです。梅六園さん(三枝家)に一年間のご協力のお礼にうかがいました。来年もよろしくお願い申し上げます。年明けにできたら東光寺の鬼追いを見に行きたいと思います。
12月x日 二日にわたって近世部会を開催しました。市史の編纂計画の見直し、予算の執行状況、各委員の活動状況を報告しあいました。また白杉さんから凡例の案を出していただきました。その後、山形・富田両氏の報告を聞かせてもらいました。山論を中心に史料を見ていただいている山形さんには膨大な争論史料を検討していただきました。また、富田先生は御自分のフィールドである播州俳壇の枠組みをお話いただきました。
二日目は菅生主計さんのお宅で史料調査をさせていただきました。いろいろとお気遣いいただき感謝します。全部で360点ほどでした。多くは典籍に類するものですが、写本も多く、蔵書リストや門人帳などもありました。公家から下付された掛軸、姫路藩の家老などから本を借用して写本、若いころは畑村の増田氏に師事して勉強していることなど、かれの宗教者としての活動の一端がうかがえました。門人は周辺の村々だけではなく姫路家中にもありました。和歌関連の本もあり、富田さんのお仕事と重なってくるかもしれません。ご協力ありがとうございました。(左上は部会の報告風景、右上は調査風景、左下は菅生近江に対して出された白川家の神道裁許状、右下は門人帳の表紙)
12月x日 部長会に行ってきました。風邪で熱があったのですが、話題が市史の発刊計画の見直しという大きな問題だったので、出かけることにしました(大遅刻でしたが・・・)。すでに市長さんは退席した後でしたが、歴史編で他の部会と抱き合わせるという方向で検討することになりました。幸い、近世は史料編1冊の予定でしたが、近現代史料編に近世史料編の2冊目として増える可能性も出てきました。限られた予算の中でなかなか大変です。決定には少し時間がかかります。
11月x日 あたふたと、一乗寺調査の科研費の申請をする。10月末締切の旅と文化研究所の補助金と今回の補助金はともに田中智彦さんを代表ということにして申請した。とおれば本当に幸運なのですが・・・
10月x日 一乗寺の巡礼札の報告書を作成。今回の調査は、前田卓・稲城信子両氏の研究の枠以上のデータはなく、残念ながら簡単なものにとどまっている。天井分より長押分のほうがはるかに刺激的な内容がある。
7月x日 急遽、編集室へ。山下さんのお宅にうかがって、お札のことについて、確認に行きました。お札の記憶というのは、ほとんどないのに少々驚きました。また、三枝さんには、短冊を編集室にお借りするようお願いにうかがいました。少しでも整理が進めばと願っています。また、菅生さんのところへも行きました。現在方除をされておられます。白川家の裁許状がないか、とおもってうかがったら、玄関の脇の額に、その裁許状が飾られていて、おもわず「あ。。ある」といってしまいました。近世の書籍をたくさんお持ちで、しかも蔵書リストも残っていました。地方の幕末の神道者が何を読んで勉強したのかわかります。あらためて整理にうかがうことになりました。一つの成果です。(何ページか書けそう)。みなさん、ご協力ありがとうございました。
7月x日 2泊3日で、一乗寺で巡礼札の調査をしました。夏休み初日の三連休で道路は大渋滞。最初から躓いてしまいました。専ら天井分の整理で、神経をつかいながらも比較的単調な作業になりました。それにしても、今回650枚ほど整理しましたが、9割以上が関東の札だったように思います。武蔵・下総・常陸・下野ばかりです。今回も幸手領が目につきます。旧高旧領取調帳を全部持っていきましたが、関東以外はほとんど使いませんでした。写真もマイクロではだめということで、カラーフィルムを使用しました。期待の赤外線カメラは手違いで届かず、今回はつかえませんでした。(帰宅したら家に着いていました。一日違いだったようです)また、地蔵院に所蔵されていた検地帳などの撮影も行いました。検地帳には肝心なところに破損があって、読み取りに苦労しそうです。ご協力いただいた、山崎さん・山形さん・森本幾子さん・重岡さん・編集室の白杉さん・森本さん・丸岡さん、室長さん、中谷さん、ありがとうございました。久しぶりにおあいした岩見さんもたいへんお元気そうでした。ありがとうございました。
7月x日 来週末、法華山の巡礼札の調査に行きます。ようやく、案内だしました。以前、丹後資料館の伊藤さんから、赤外線カメラのはなしを聞いていたので、思い切って入手することにしました。安価で比較的軽装備でいけそうです。巡礼札の読み取りに、力を発揮してくれるといいのですが…
7月x日 近世の部会を開催しました。なかなか全員が集まれないのですが、忙しい中、お時間を取っていただいて、ありがとうございました。本年も少しでも仕事が進むよう、努力したいと思います。事務的な話のあと、西向さんから山下家文書・三枝家文書を中心にした報告をうかがいました。丹念に仕事を進めていただいておられます。それにしても、山下家文書には、本当におんぶに抱っこということになりそうです。西向さんからは、史料編の編集・史料保存についても、提案をいただきました。一般の方が見てもわかりやすくて、学術性もあるもの、という欲張った考えがいけないのかもしれませんが、すこしでも工夫ができたらと思います。史料保存についても、編集室ではそれ以前から意を尽していただいていたところですが、森本さんにうかがうと、部分的になくなっているというはなしもありました。史料保存の体制を編集室でもとれるようにすることは、かねてからの課題でもあったので、史料編の体裁とあわせて、委員会へ提案したいと思います。私は、これまた山下さんのおうちからいただいた札の分析を中間報告的にいたしました。いろいろな宗教・民俗に通じていないときちんと把握するのは無理で、あわてて、大阪城天守閣の北川さんに大神楽ついて、広峯は湊神社の神栄宮司に、西大寺のことは稲城さんに、六十六部と守札のことについては鳥取県立博物館の坂本さんにいろいろとうかがいました。ご迷惑をおかけしました。本当にありがとうございました。いずれ、きちんとしたものにしたいと思います。しかしながら、実に多様な札をお持ちでした(写真左は広峯・右は伊勢のお札)。鳥取では俵を12天井に積むという風習があるとうかがって、これまたすごいものだと感じました。また、近くの古坂村の野田さんのおうちの守札と比較すると、違うものがいっぱい含まれています。そうした点からも注目できるものだと思います。山崎さんには、加西の一郡集会の史料を中心に紹介していただきました。札を配る人たちと、郡中の評定にはかかわりがあって、この点からも興味深いものでした。手探りながら、少しづつ進んでいます。次回は12月に勉強会をすることになりました。
6月x日 編集室へ山下家のお札の整理に行きました。詳細に見ると、札の版が違っているのですが、なかなかそこまで整理できません。一応の仮整理から、数を中心にした報告をしたいと思います。それにしても、仏教・神道・修験道・新宗教など、多様です。新たに、野田さんのお宅のお札もいただきました。こちらは、近代のものばかりですが、やはり、伊勢・出雲・西宮戎・広峯・金毘羅は同じでした。秋葉神社が多いのは講の関係でしょう。詳報は、後日7月の部会のときにすることにします。ところで、まさかという感じでしたが、藤岡市長がおやめになられたということを聞きました。市史編纂の最大の理解者だっただけに、残念です。新しい体制でも、よりよい市史になるようにしたいものです。
5月x日 慌しい中、ようやく法華山一乗寺の調査報告書を書き終えました。予備調査の報告なので、まとまったことは書けませんでしたが、だいたい次のようなことを成果としてあげました。@調査の手順ならびに札の状態を確認できた。A巡礼者の一行が自分で札を打ち付ける可能性が高いこと。B打ち付けず、最初から長押へ納めた札があること。C寛永5年6月という今までで最も古い札が発見されたこと。D予想外に多様なものが長押に納められており、追善供養(遺品)の性格が強いこと。予備調査ですから、仮説的なことも多いのですが、調査が進むに連れ、よりはっきりとしたこともわかってくると思います。
5月x日 部長会に行ってきました。皆さんの忙しいようで、欠席の先生も目立ちました。さて、一乗寺の札の調査費はなかなか難しいという結論は変りません。と、いうことで、急ぎ補助金の申請をしました。締め切りぎりぎりでしたが、何とか通ってくれればと思います。また、委員の先生方と本年度の打ち合わせをしなければなりませんが、銀行にも行っておらず、すこし遅れています。
4月x日 一乗寺の札の調査費は新たに市から交付されず、また国の補助金を取ることも難しくなってしまいました。結局、各種の補助金を申請して、その費用を当てて調査費とすることになりました。あてものみたいで、なかなかたいへんです。近世は資料編を出すのが16年度です。とてもまにあわない......
4月x日 編集室の森本さんのご案内で、節句祭を見学に行ってきました。昨年日吉神社の秋祭りを見学に行きましたが、ともに屋台や神輿など、華やかで勇壮な雰囲気でした。今回はお天気もよく、満開の桜の中でとてもよかったです。ところで、中世酒見北条の惣郷の祭りとしてとらえられているこの祭礼を、近世史の問題としてどのように取上げられるのか、史料とあわせてよく考えてみたいと思います。山高帽にスッテキという総代さんのスタイルは(明治?)大正から昭和初期のものでしょうか。屋台の電飾は何に由来するのでしょうか。東西の神輿には電飾なしですね。惣郷の東と西、惣郷と村、中世から近代までの歴史。いろいろなことをかんがえさせられます。屋台のお旅所入では、いざこざもありました。費やされるエネルギーは相当なものです。肝心の鶏合わせを見ずにかえってお叱りを受けました。来年またきます。
4月x日 節句祭の打ち合わせで、編集室と電話。あわせて、一乗寺の補助金申請の調査をお願いしました。近世の担当は森本さんと白杉さんのおふたりだそうです。これからもよろしくおねがいします。
3月x日 部長会にいってきました。予算が少なくなって一乗寺順礼札の調査もままならないということになってきました。補助金をどこかで取れないかというお話で、なかなかです。このご時世ですから…
各委員の方から出していただいた報告書をもとに年度報告書も作成し、報告しました。また、予算の使途もほぼ決着し、本年度もおわりです。調査の期間はあと2年だけです。部長会のあと、印刷所のことで、いろいろと打ち合わせがありました。体裁・装丁等はともかく、結局は中身のある市史にすることが大切と、身が引き締まります。
長い間近世部会を担当し、私たちを叱咤激励していただいていた岩見さんが、編集室をおやめになることになりました。たいへん残念です。少しでもよい市史にすることで、期待に応えていきたいと思います。ほんとうにありがとうございました。
3月x日 本年の活動報告が各委員さんたちから集まってきました。皆さんの忙しい中時間をぬって調査して戴いているようです。感謝。さて、私自身振り返ってみると、一年間一乗寺の文書・札にかかりっきりだったようです。増田家旧蔵文書の目録の校正も覚束ないし、地方文書に目を通すこともままなりませんでした。こんなことでいいのだろうか…。委員さんのご協力あってのこと、今後ともよろしくお願いします。
3月x日 電話で、稲城さん、田中智彦さんと、一乗寺調査の報告書作成の打ちあわせ。500点だけですが、今後のこともにらみながら整理・分析の方法を考えます。
2月x日 調査の後片付けもすませ、委員長に結果の報告をしました。次回の部長会で、結果報告とともに今後の方針を確認することになりました。また、本年度予算の執行分もおおよそめどがついたので、各委員さんに連絡して、残額の使途を検討します。
2月x日 いよいよ、一乗寺の順礼札調査です。前日夕方に現地へ集合して、稲城さんから調査の手順・調書の記入方法について、説明を受けました。翌日、9時にお寺に到着。編集室の藤原室長・中谷さんとともに一乗寺のご住職にご挨拶のあと、会議室で準備に入りました。工事事務所から、長押の奥につめられていた順礼札の入ったダンボール箱が1箱届きました。天気がよくたいへん温かだったので、外で札を掃除してビニール袋へ入れる作業にかかりました。数百年のほこりを払うわけです。ほこりもたいへんでしたが、玄関前には杉の木があり、花粉症の稲城さんには辛いことになりました。用意していた600枚は、結局木の順礼札を入れるに留まりました。サイズの大きい絵馬風の札や、紙の札などは、今回は整理できませんでした。通常の順礼札に混じって遺髪(あるいは遺骨?)・位牌・供養の札も追善のためにお寺に納めていたことが分りました。先祖供養の史料としても非常に興味深いものです。整理と同時に編集室の岩見さん・森本さんにはマイクロフィルムをとっていただきました。翌日からは、天井に打ち付けてあったお札の掃除と調査に入りました。こちらのほうが昨日以上にほこりが多く、また復旧するため、いっそう神経を使いました。紙の札などは触らず、そのままにせざるを得ませんでした。しかも、煤や日焼けのため、読み取れなくなっている札も多くありました。調査の期間中、長押分は376点、天井分は129点の計505点でした。一万点以上あるわけですから、この調子ではとても追いつきそうにありません。今回調査分の傾向として、北は陸奥から南は肥後・豊後・豊前など九州までの地域からの札がありました。今回は、四国・淡路などの地域のものははなかったようです。多いのは武蔵・下総・長門の国で、地名が分らないことも多く、特にこれらの国は地名辞書を座右に置かないと難しそうです。調査に参加していただいた、山崎さん・山形さん・辰己さん・西本さん、ご苦労様でした。また、途中、北条高校の石塚先生、瀧原先生も陣中見舞いかたがた調書をとるのにご協力いただきました。ありがとうございました(右の札は寛永14年のもの)。
2月x日 編集室からの法華山調査依頼の文書に目を通す。調査の責任を感じつつ、期待も込めて…。
2月x日 委員長・編集室などと電話で一乗寺の札の調査予算の段取。年度末でもあるし、なかなか難しい。アルバイトの学生さんの募集を山形さん、山崎さんにお願いする。稲城さんからも調査について夜電話あり。
1月x日 稲城さんと具体的な調査方法・準備の打合せ。調書のとり方、手順などをあらあら確認。
1月x日 2月22〜24日の法華山順礼札調査の打合せ。そろそろ年度末なので、近世部会委員の先生に年度末の報告書・経費の請求をお願いする。
1月x日 昼間、稲城さんと一乗寺札の調査打ち合わせの日程調整。夜、地主先生に電話。いろいろ考えた結果、播州歌舞伎については、民俗編で主に扱い、近世では、補足的に扱うということを、お伝えする。民俗の松尾先生の努力には敬服しました。
1月x日 昨日少し早く終ったので、窪田の山下さんのお宅から守札のつまった俵をいただいてきて、本日中身を整理しました。500枚ほどありました。伊勢の御師福島内山太夫のものが最も多く(他の御師も若干あります)、熊野、出雲などが目に付きました。近くの広峯社、酒見寺、あるいは丹後の元伊勢(現大江町)、金毘羅、西宮戎、伊勢太神楽(山本勘太夫)など。かわったところでは、黒住神社や六十六部など。目的としては、虫払・日待・地鎮・星祭などがありました。時代はまだきちんと調べていませんが、近世から近代(現代?)のものまでです。(写真は、俵から札を出したところ)
1月x日 解体中の法華山一乗寺へ壁の文字の読み取りに行く。寒くて体が動きません。寛永・元禄・明暦などの年紀のある「結縁書」(北川央さんの言葉です)を確認、常陸・上総などの関東のものが多いイメージだったのが、姫路・明石という近くの参詣者の「結縁書」もありました。今まで余り気にならなかったけれど、本堂前の柱に、釘がいっぱいに打ち込まれているのに、あらためて驚きました。壁や天井だけではなく、柱にも数多くの順礼札が打ち付けられていたのです。これで、一乗寺の本堂は解体されてしまいます。これからは順礼札の調査になります。
1月x日 地主先生から民俗部会の歌舞伎史料の目録をいただく。大変多くの史料を集められておられた。
1月x日 法華山一乗寺の札の整理について、稲城さんと打合せ、2月後半で3日間ほどかけて行う予定。
1月x日 法華山一乗寺の壁の墨書読み取りの日程調整をする。