恭仁京 ・ 聖武天皇



 

恭仁京は、奈良時代に聖武天皇によって造られた都です。 疫病や戦乱に見舞われた世情う。不安の中、奈良の平城京を離れて740年三香の原の地に新都を定めました。 中央を木津川(泉川)が貫流する。しかし恭仁京はわずか4年で廃都されます。その後宮域は山城国分寺として再利用され、 現在は大極殿や塔跡基壇や礎石が残っています。




恭仁京大極殿跡 2002.12.8

今造る 恭仁の都は 山川の 清けき見れば うべ知らすらし

万葉集 恭仁の都を讃めて作れる歌1首 大伴家持 6-1037  
 

新しく造る恭仁の都は、山川の清けきを見るとまことにここを都として君臨なさることよ。 

今しらす 久仁の都に 妹に逢はず 久しくなりぬ 行きてはや見な

 万葉集 坂上大嬢に贈る歌 大伴家持 4-766  
 

新たに天皇の治められる久仁の都にいるので、あなたと別れて久しくなった。行ってはやく会いたいものよ。


山城国分寺跡 2002.12.8

三香の原 久仁の都は 荒れにけり 大宮人の 移ろいぬれば

 万葉集 大伴家持 6-1060  
 

三香の原の久仁の都は荒れてしまったことだ。大宮人が移り去ってしまったので。

黒鉄モチへ